2019年12月23日月曜日

「大学での学び」はどのように役立つのか

LC17台 栗山あかり

皆さんは、「学校での勉強なんて役に立たないのではないか」「大学で勉強したことはどう役立つのだろうか」という疑問を持ったことはありませんか? 私自身、「学校で学ぶことなんてほとんど役に立たないよ」という話を聞く機会はよくありましたが、それについて自分自身でよく考えることはほとんどありませんでした。しかし、本当に学校で学ぶことは役に立たないのでしょうか? 今回は、今までの体験を振り返りながら「大学での学び」について検討してみたいと思います。

まず結論としては、入学してからの2年間を振り返ってみると、私は大学で学んだことは学生生活に大きく役立っていると感じています。なぜそう感じたのか、今回はそう考えるきっかけとなった2つの経験を紹介したいと思います。

昨年の夏、私は、「キャリアスクーププロジェクト」(九州経済産業局主催事業、一般社団法人福岡中小企業経営者協会が受託・運営)というプロジェクト型インターンシップに参加させていただきました。このプロジェクトは、「仕事人にドラマあり」というテーマのもと、福岡で働かれている方々を11社取材し、取材記事の作成やプレゼンを行うものです。しかし、11社取材を行うと言っても1人で活動するのではなく、大学や学年の異なる56名の参加者と参加者のサポートをして下さる社会人の方、学生スタッフそれぞれ1名でチームが組まれるため、チームで活動する機会が多くありました。そこで役立ったのが、縄田先生の共通教育科目の心理学の授業で学んでいたことです。その授業では、優れたチーム作りを行うには課題を遂行することや目標達成に向けて支援しあうこと、また精神的にも互いに支援し合うこと、目標と戦略をきちんと共有することなどが大切だと学びました。




そこで私たちのチームでは、こまめにタスクや目標の共有を行い、個人作業となりがちな場面でも、困った際には支え合える環境を作ることで、自他共に認める「いいチーム」として活動することができ、最後のチームプレゼンでは参加者のチームの中で2位入賞を果たすことができました。さらに、心理学を専攻している別の大学の参加者からは、「このチームでは社会的手抜き(集団で力を合わせて課題を行う際には個人の力の総和よりも低い力しか発揮されないという現象)が起こっていない気がする」と言っていただきました。

このようなチーム活動ができたのは、心理学の授業で学んでいたからだと感じています。


また、昨年の11月から今年の3月にかけて、文化人類学のゼミ活動の一環として参加した「万田坑の自由な活用プロジェクト」では、植野先生の共通教育科目の芸術の授業で学んだ知識が役立ちました。このプロジェクトは、世界遺産「万田坑」の知名度を向上させ、興味や親しみを持ってもらうにはどうすればよいのか、学生が主体となって検討し、イベントの実施を行うものです。そして、私が履修した芸術の授業では、九州の世界遺産や近代化遺産の概要などについて学び、その中では「万田坑」も取り上げられていました。「万田坑」について基本的なことを学べていたことは、このプロジェクトを行う上での土台となりました。

このように、私は大学の授業で学んだことが、対外的な社会活動へ参加する際に、非常に役立ったという経験をしてきました。とはいえ、もしかしたら皆さんの中には、「こんなのはたまたまそんな機会があっただけだ」と思われる方もいるかもしれません。しかし、そもそも「大学での学び」とは、授業で学ぶことだけでしょうか? 先ほど私が例としてあげたような学外での社会活動や部活やサークルなどのようなものから得る学びもたくさんあるのではないでしょうか。

私は授業で学ぶことはもちろんですが、学外での活動やアルバイトでも本当にたくさんのことを学ばせていただくとともに、それが社会に出る前に自分を見つめ直すきっかけともなっています。たとえば、先ほどの「キャリアスクーププロジェクト」や「万田坑の自由な活用プロジェクト」のような複数の学外での活動を経験させていただき、自分の未熟さや、これから身につけるべき力、同年代の学生とチームで活動することや一緒に何かを作り上げることの面白さや難しさなどを初めとして、本当にたくさんのことを学ばせていただいています。そしてこれがまたさらに新たな学びを得ることへの原動力となっています。

1年生の頃の私は、「学び」といえば授業で先生の話を聞くことであり、学びに対して受け身であったように感じます。しかし2年生になり、新たなことに挑戦し始め、授業だけでなくそれ以外でも学ぶことがたくさんあるということに気付き、目を向けるようになったことで、授業以外の部分からも主体的に学びを得ようとするようになりました。

今回は学外での活動を例に挙げましたが、授業以外でも学びを得る場はたくさんあります。たとえば「友人との会話」や「アルバイト」など何気ない日常にも目を向けてみれば、そこからもたくさんの学びを得られるのではないでしょうか。学びを得られる場や学び取る内容は、きっと人それぞれだと思います。

このように「大学での学び」というものを、「大学の授業での学び」というものに限定せずに「大学生の時に聞いたこと・経験したことからの学び」だと捉えれば、さらに大学での学びが充実するでしょう。そう考えると、学校の授業で学ぶことはもちろんですが、それだけでなくその時々でできることに挑戦してみることが、よりたくさんの「役立つ学び」につながるのではないかと思います。

皆さんもぜひ「今だからこそできること」や「やってみたいこと」に挑戦してみてください。

2019年12月22日日曜日

第8回 LCアーベントが開催されました

12月3日火曜日の夕方、約一年ぶりに、第8回目のLCアーベントが開催されました。

今回の提題者は、心理学がご専門の一言英文先生で、タイトルは「心と文化の根深い関係」。参加者は学生さんが15名程度、教員が3名。

相対的なものの中にも人間の心の「本質」があるのではないか。多様性を受け入れるにせよ、多様性を受け入れていくメカニズムがあるのではないか――。このような問題提起から、話がスタート。「文化」や関連概念の定義、検討がなされた上で、豊富な事例に基づきながら、感情は文化的なものである、という主張が展開されました。

心は習慣的な行動によって変わっていく。文化的な「思いこみ」を外そうとしても、外せない部分がある。何が許せて、何が許せないのか。「被害者がいなければ、できるだけ個々人の自由を認めるべきである」と考えるのか、そうでないのか。いじめはどのような「場」で起きやすいのか、等々。言葉のレベルではなく、文化によって心が変わっているとすれば、言葉のレベルでは心を変えられない……?

アーベントの終了後は大学近辺で打ち上げが行われ、深夜まで続いた模様。

日頃の講義やゼミなどで、私自身、しばしば「……という考えは絶対ではない。もっと多様であり得る」と偉そうに話したりしているものの、そのような言葉だけでは捉えられず、届かないものがあるのだろう、と改めて思う、今日この頃です。

LC哲学カフェ開催:現代サーカスで哲学する

12月1日日曜、LC哲学カフェが開催されました。今回は列車を乗り継ぎ、福岡市東区千早の「なみきスクエア」へ。午後3時から下記を鑑賞し、その後、施設内の飲食店で議論しました。

 第56回福岡市芸術祭メイン事業
 フィンランド×日本 現代サーカス交流プロジェクト「Air/エアー」
  http://www.ffac.or.jp/ff/(外部サイト)

参加者は学生さんが5名程度、教員が1名。鑑賞前に「サーカス」という言葉でイメージしていたものとはかなり異なる「芸術的」なパフォーマンスで、鑑賞後の哲学カフェでは直ちに「これはサーカスなのか、そもそもサーカスとは何か、現代とは何か」などが話題になりました。琵琶(?)などの「東洋的な」楽器を使った音楽も「サーカスっぽくない」ように感じられるし、とにかく「芸術的」。一つ一つの場面や動作が、何かを象徴している? あるいは解釈しようとせずに、動きそれ自体として見るべき……?

私も未だ、この体験をどのように表現すべきか、うまく言葉が見つからないでいるのですが、いずれにせよ、今まで自分があまり触れてこなかったタイプのものに触れている、という「戸惑い」を覚えたことは確かで、この感覚を大切にしたい、と思ったりしています。

なお、以前もお伝えしたように、大学の外で哲学カフェを開催する際には、大学内での開催の場合と異なり、日程などについては予め、参加希望者の間でのみ相談・告知しています。今後の開催予定などについて興味のある人は、小笠原まで気軽にご連絡下さい。

2019年度「先輩と語る」が開催されました


福岡大学ステップアッププログラムの一環として、11月29日金曜の18時から、A811教室で「先輩と語る」というイベントが開催されました。参加者は学生さんが6名、卒業生が1名、教員が1名。

講師は、2018年度卒業の水落文佳さん。水落さんは現在、福岡で日本語教師として働かれています。イベントではその実体験に基づいて、日本語学校での実際の仕事内容や、教え子たちとの様々なエピソード、さらには在学中の就職活動のことなど、具体的で貴重なお話をお聞かせいただきました。

イベントの後半には質疑応答の時間を設けましたが、イベント終了後の教室でも、参加した学生さんの半数程度が、個別に水落さんに相談して話を聞く、という様子が見られました。日本語教師を目指している人や、目指そうかどうか迷っている人などには、特に有益な会になったように思います。

この「先輩と語る」というイベントは、来年度以降も開催される予定です。興味のある人は、ぜひご参加下さい。

2019年12月3日火曜日

令和2年度文化学演習の所属希望調査について(連絡)

《重要》令和2年度 文化学演習所属希望調査について


◆令和2年度 新2年生(LC19台)・再履修者各位
 令和2年度の文化学演習Ⅰ、文化学演習Ⅱの所属希望について、下記の要領で提出してください。

◆令和2年度 新3年生(LC18台)・新4年生(LC17台)・再履修者各位
 令和2年度の文化学演習ⅢⅣ、文化学演習ⅤⅥの所属希望について、下記の要領で提出してください。

  1. 演習Ⅰ・Ⅱ(LC19台および再履修者)については、配布された「演習所属希望調査票」を前期と後期で各1枚提出してください(再履修を除くと、各自2枚提出)。
  2. 演習Ⅲ-Ⅳ、Ⅴ-Ⅵ(LC18台・LC17台)については、配布された「演習所属希望調査票」を前・後期通じて合計1枚提出してください(再履修を除くと、各自1枚提出)。ただし、再履修の場合は1科目(半期)ごとに1枚提出してください。
  3. 提出先は文系センター棟低層棟1階のレポート提出ボックスです(下記案内図参照)。
  4. 提出期間は 令和2年3月16日(月)~18日(水) 12:00  <厳守> です。提出がない場合や期限に遅れた場合は、教務・入試連絡委員が所属を決定します。 ※何らかの事情で上記の期間中に提出できない場合は、事前に教務・入試連絡委員(藤村・林)へ相談してください。
  5. 決定した演習の所属は、3月21日(土)までにFUポータルと人文学部掲示板で発表します。
  6. 演習所属に関する問い合わせは、教務・入試連絡委員(藤村・林)まで。

※注意事項
  1. 演習ⅢとⅣ、ⅤとⅥは前期と後期で同一教員の演習に所属することになります。
  2. 演習の所属は原則として本人の希望に基づいて決定します。ただし、希望人数が定員を超える場合は、本年度の成績に基づいて調整します。
  3. 各演習の内容については、3月上旬以降にFUポータルでシラバスを閲覧することができます。『文化学科 教員紹介』も参考にしてください。
  4. 登録制限科目を履修する場合、所属する演習の開講曜日・時限と重複しないように注意してください。
  5. 再履修が必要な場合、必要な用紙を別途用意し、「再履修」欄に必要事項を記入して提出してください。
  6. 「演習所属希望調査票」が手元にない場合は下記リンク先からダウンロードしてください。3月には、FUポータルからもダウンロードできるようにする予定です。ダウンロードした用紙は、配布したものと色が違う場合がありますが構いません。


2019年11月18日月曜日

令和元年度 卒業論文発表会開催のお知らせ

 下記の日程で、今年度の卒業論文発表会を開催します。

 日時 1月29日(水)13:00~16:00 ※開催時間は若干変更の可能性あり
 場所 文系センター棟15階、第5,6,7会議室

 詳しい発表形式やプログラムなどについては、改めて後日、このブログ上で告知します。四年生はもちろん、一年生から三年生の皆さんもぜひ会場へ足を運び、先輩方の研究成果を確認してみて下さい。

 何か不明な点があれば、教務連絡委員の林か藤村まで。

卒業論文発表会関連記事
 平成27年度卒業論文発表会
 平成27年度卒業論文発表会に参加して
 平成28年度卒業論文発表会が行われました
 卒業論文発表会に参加して
 平成30年度卒業論文発表会が行われました

2019年11月15日金曜日

海女がつくる里海

「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、文化人類学の中村 亮先生です。


中村亮

日本に特徴的な沿岸資源の利用・管理として「里海」がある。これは、里海研究の第一人者である柳哲雄氏によると「人が手を加えることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」のことである。人が資源を利用することでかえって自然が豊かになるのだ。
里海の事例として、沖縄や九州地方の「石干見(いしひみ)」がある。石干見とは、干満差の大きい沿岸部に岩を馬蹄型に積んでつくった漁具である。干潮時に石干見内に逃げおくれた魚を捕獲する日本の伝統漁法である。沿岸に積まれた岩の隙間を棲み処として新たな生物が石干見周辺に増えることで、生物多様性が促進されるというわけだ。
このような、人と自然とが密接にかかわる里海を、福井県の海女文化に探していた。私が福井県里山里海湖研究所の研究員であった20142018年にかけてのことである。私の大叔父が男海女(海士)だったこともあり、かねてから海女に興味をいだいていた。調査が少しずつ進むうちに、海女による里海的な資源利用を発見することがきたので、ここに紹介したい。
福井県坂井市三国町の雄島半島には、米ケ脇、安島、崎、梶の四つの海女村がある(図1)。四村合わせて54人の海女がおり、平均年齢は約702017年)と、海女の高齢化がすすんでいる。海女は、59月にかけて、ワカメ、サザエ、アワビ、ウニをとり、冬場に岩ノリをとる。漁期は福井県漁連によって定められているが、各海女村はさらに厳しいルールを「申し合わせ」によって独自に設けている。たとえば、県漁連の規定ではサザエは61日からとっても良いが、安島では625日をサザエの解禁日としている。とっても良いサイズも決まっており、小さいものはリリースされる。
このように、「とり過ぎない」ことで資源を管理するのも保全の方法である。しかし、私が着目していたのは、資源を「利用しながら守り育てる」という里海的資源利用であった。そして、そのような資源利用を、ウニ漁における「岩おこし」にみることができたのである。
安島ではウニ漁は毎年、722日から820日の30日間おこなわれる。しかし実際は、悪天候などにより、10日ほどしかウニ漁はできないという。とげの短いバフンウニは日中、岩と海底の隙間や岩下にひそんでいる。海女は岩をひっくり返しながらウニをとる。ウニをとるために岩をひっくり返すことは「岩おこし」と呼ばれる。海女は漁のあいだ岩おこしを何回もくり返す。もちろん岩おこしはウニをとるための行為であるが、このとき同時に、岩の上や海底との隙間に堆積した砂を取り払うことにもなる。ここに私は、里海的資源利用を見出すのである。
なぜならば、岩おこしで岩の表面に堆積する砂が取り払われることによって、海藻が岩肌に生えることができる。ウニやサザエの餌となる海藻の生長が促進されるのである。また、岩と海底との隙間にたまった砂が除かれることによって、ウニの生息場所も確保される。つまり、岩おこしというウニをとる行為が、同時に、ウニの餌を育て、ウニの生息環境を整備することにつながっているのである。これはまさに「里海」と呼ぶことができる資源利用ではなかろうか。
海女自身も岩おこしの効用をじゅうぶんに意識している。もしも岩おこしによる人為的な海のかく乱がなかったら、九頭竜川河口域に位置する漁場は砂で埋まってしまうだろう。河口域に最も近い米ケ脇の海女は「海も畑とおなじように耕さないとダメになる」ともいう。海女は、自分たちが沿岸環境を「守り育てている」という意識をしっかりともっているのだ。このような意識が、資源の持続的利用にとって必要なのである。
私は、沿岸の資源や地形認識、季節ごとの変化などの知識・知恵を所有し、資源利用の当事者であり、かつ、積極的に資源の管理にも努めている海女をふくむ漁民が、沿岸環境保全の主体者であるべきだと考えている。しかし近年、主体者であるべき漁民の存続が危ぶまれている。少子高齢化や担い手不足は、日本の沿岸漁業に共通の問題である。この問題を解決するためにも、まずは地域固有の沿岸資源利用についてしっかりと理解する必要があるだろう。そこには、海の豊かさを持続的に利用するために学ぶべき、先人の知恵と技術と思想があるからだ。



図1.福井県坂井市三国町の雄島半島の海女村


漁場に向かうベテラン海女
(安島にて、20167月中村亮撮影)



昔ながらの木の桶を使用したサザエ漁
(安島にて、20167月中村亮撮影)

「先輩と語る」開催のお知らせ

福岡大学ステップアッププログラムの一環として、下記の通り、「先輩と語る」というイベントを開催します。

 日時 2019年11月29日(金)18:00-19:30
 場所 A811教室
 講師 水落文佳 氏(日本語教師、LC15台、2018年度卒業)

水落文佳さんは小笠原ゼミに三年間所属し、宗教学を中心に学習。インドネシアに短期間滞在した経験などから宗教文化への関心を深め、東南アジアの宗教に関する卒論をまとめました。文化学科での授業と並行して、日本語教員課程を履修・修了。現在は福岡で日本語教師として働かれています。

この会では、まずは前半、水落さんから就職活動や現在の仕事のことなどについてお話しいただき、後半は参加者を交えて、自由な質疑応答を行いたいと思います。あまり堅苦しくならないようにするつもりですので、何となく卒業生の話を聴いてみる、気になっていることをちょっと質問してみる、という程度の気持ちで、ぜひ気楽にご参加を。

就活中の上級生などはもちろん、一年生の参加も歓迎。特に、日本語教師の仕事に関心を持っている人や、日本語教員課程の履修を考えている人などは、参加してみると良いかもしれません。文化学科以外の学生さんの参加も歓迎です

事前の登録などは不要。途中入室、途中退室も自由です。不明な点などについては、小笠原までお問い合わせ下さい。

徐々に寒さが増し始めるはずの頃、何か、温かい飲み物でも持参するのがおすすめ。

2019年11月5日火曜日

LC哲学カフェ開催:パレードとアートで哲学する


昨日、11月4日月曜、LC哲学カフェが開催されました。今回は下記二つのイベントに参加し、その後、六本松の某カフェで議論。参加者は学生さんが2名、他大学の学生さんが1名、教員が1名。

 九州レインボープライド2019
 https://9rp.biz/(外部サイト)

 公開講座「人と人との境界を問う――ダムタイプ《S/N》上映&トーク」
 https://9rp.biz/1661/(外部サイト)

公開講座の後のカフェに限らず、その時々に、様々な話題が出ました。パレード開始前の公園の芝生上で、このパレードの持つ「政治性」について考えたり、パレード後の食事中には、いわゆる「心の性」とは何かという問題や、同性婚や選択的夫婦別姓について議論したり、夜のカフェでは、今観た作品の感想や解釈について話し合ったり、等々。私個人は、カフェでの「未来のラブソング」に関する議論(異性愛を前提しない「未来のラブソング」とはどのようなものか?)が印象に残っています。

さて来月も、大学の外での哲学カフェ開催を予定しています。大学内での開催の場合と異なり、日程などについては予め、参加希望者の間でのみ相談・告知していますので、興味のある人は、小笠原まで気軽にご連絡下さい。

2019年10月29日火曜日

文化学科で学芸員の資格を取ろう!

LC17台 田原 万輝

みなさんは学芸員という仕事を知っていますか?

学芸員とは簡単に説明すると、博物館(美術館・水族館・動物園なども含む)で展示する資料を収集・保管・展示および調査研究し、教育普及活動も行ったりする仕事のことです。

学芸員になるためには、学芸員資格が必要になります。資格をとるためには大学の博物館学芸員課程を履修することが一番メジャーな方法だと思います。(学芸員課程がない大学もあります。)

わたしは、大学生のうちに何か資格を取りたいと思い、博物館や美術館に興味があったので学芸員課程を履修することにしました。

福岡大学では、人文学部の文化学科と歴史学科、理学部で学芸員課程が開設されています。
わたしは文化学科に所属しているので、文化学科の視点から学芸員課程を説明していきたいと思います。

1. 博物館学芸員課程の説明
では、博物館学芸員課程について説明していきます。

博物館学芸員課程の履修は2年生から始まります。1年生の間は、学芸員課程の授業はありません。3年生の後期と4年生の前期には博物館実習があり、実際の博物館で経験をつむことができます。

どのようにして学芸員の資格をとっていくのかというと、大学を卒業するために必要な単位に加えて、学芸員になるために必要な博物館に関する科目の単位を取得していかなければなりません。そのため、学芸員課程を履修していない学生よりも多くの講義を受け、単位を取得する必要があります。この点は学芸員課程の大変なところだと思います。

3年生になる前に、コース選択があります。人文学部では芸術、民俗、歴史の3つに分かれます。一度決めたコースは途中で変更することができないので、慎重に選ばなければなりません。文化学科で学芸員課程をとっている人は、だいたい芸術か民俗のどちらかを選びます。
文化学科でも歴史を選択することはできるのですが、あまりお勧めはしません。なぜなら歴史を選択するのは歴史学科の学生が多く、また、歴史学科では学科の授業で、学芸員過程のコース選択をする前から専門的なことを勉強しているそうなので、歴史学科の学生が歴史を選択するのと、文化学科の学生が歴史を選択するのとでは、かなりの差があるからです。そのため、歴史系の学芸員になりたい方は歴史学科に進学するのがよいでしょう。

2. 博物館学芸員課程の授業内容
ここからは学芸員課程の授業内容について、説明していきたいと思います。

学芸員課程の授業では、博物館法などの博物館にかかわる法律を学んだり、博物館資料を扱うときに気をつけなければならないことや展示の仕方、実際の出土資料の保存処理などについても学ぶことができます。また、学校の中で授業を受けるだけではなく、九州国立博物館などの学外施設に行き、グループで施設の中や展示物を見て回り、話し合ったことをポスターにまとめて発表したりする授業などもあり、様々です。

(見せていただいた九州の出土物)
(九州国立博物館の見どころマップ)

学芸員課程には、現役の学芸員の方や前に学芸員をされていた方などが福岡大学まで来て教えてくださる授業がたくさんあり、リアルなお話を聞くこともできます。

将来、学芸員になりたいと思っている人や、博物館や美術館が好きな人はもちろん、わたしのように何か資格をとりたいという人も、博物館学芸員課程の履修を考えてみてはいかがでしょうか?

2019年10月24日木曜日

第8回 LCアーベント開催のお知らせ

昨年の12月以来、しばらく活動を休止していたLCアーベントですが、第8回目の開催が決定しました。日程と場所、提題者は次のとおりです。

 【LCアーベント】
 日時 12月3日(火)16:20-17:50
 場所 A715教室
 提題者 一言英文 先生(心理学)
 題目 「心と文化の根深い関係」

12月の第一週、火曜5限の時間帯です。昨年の第2回に引き続き、心理学がご専門の一言先生にご発表いただきます。

事前の登録などは不要です。ぜひ気軽にご参加下さい。

関連記事
 LCアーベント開催のお知らせ
 第1回 LCアーベントが開催されました
 第2回 LCアーベントが開催されました
 第3回・第4回 LCアーベントが開催されました
 第5回 LCアーベントが開催されました
 第6回 LCアーベントが開催されました
 第7回 LCアーベントが開催されました

2019年10月5日土曜日

LC哲学カフェ開催:『急に具合が悪くなる』を読んで哲学する(一)

昨日、10月4日の夕方、LC哲学カフェが開催されました。今回は下記の本がテキスト。

 宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』、晶文社、2019年
 https://www.amazon.co.jp/dp/4794971567/(外部サイト)

参加者は学生さんが5名、卒業生が1名、教員が1名の計7名。予め論点を絞ることなく、本の感想や、この本を読んで考えたこと、印象に残っている箇所などについて自由に話す、というスタイルでスタート。


時に沈黙しつつ、様々な話が出ましたが、以下、その一部です。

.読み始めるのを躊躇していたが、実際に読んでみると、著者は二人とも前を向いている。想像していたのと違い、感傷的な内容ではない。ただし、最後は涙が出る。最後の二通くらい、宮野先生の文体がそれまでと少し変わっている気もする。

.教員の知っている宮野先生の姿と、学生の知っている宮野先生の姿には、ズレがある。授業での宮野先生は「厳しい人」という印象。ピリッとしていて、学生にも自分にも厳しい。メリハリがある。この本を読んで、宮野先生が泣いていた、と知った。そんなに具合が悪いようには見えなかった。

.宮野先生のお父さんについて書かれている部分が、読んでいて辛い。宮野先生はお父さんに腹立たしさを覚えたり、主治医に対するお母さんの質問に苛立ったりしている。なぜ「先生の家族が同じ状態だったら、どうしますか?」という質問が禁じ手なのか、よくわからないし、三つのセクターの話も難しい。

.「100パーセントの患者になりたくない」というタイプの話は、はじめて読んだ気がする。テレビの中の「ガンが治ったら一番に何がしたいですか?」という質問やその答えに「今すりゃええやんか」と呟く箇所が印象的。世の中で当たり前に受け入れられている「患者」の扱い方や「物語」に、宮野先生は苛立っている。この本は「24時間テレビ」的なものとは違う。

.前回の哲学カフェで、宮野先生のような生き方はできるのか、という話が出た。この本でも「自分の人生を取り返す」と書かれているが、難しい。宮野先生は「心がムキムキ」。でも、キツそう。後半で、「患者になってしまえば楽」という意味のことも書かれている。


.「恋愛の偶然に身を委ねることと、自分が病になって周りを巻き込むことはけっこう違う」と書かれているが、どう違うのか。宮野先生は、恋愛を偶然性のポジティブな面、病をネガティブな面、と捉えていたのかもしれない。でも、恋愛でも周囲を巻きこんだり、周囲に迷惑をかけたりすることはあるはず……。

.宮野先生は野球を、偶然性について考えながら観るのか、と思った。「偶然性」が理由で野球が好き? いや、サッカーの偶然性について話したとき、宮野先生は全く興味を示さなかった。偶然性にかかわらず、とにかく野球が好きなのだろう……。

.「勝ちに行く」と書かれている。何に勝つのか、何と戦っているのか。死や病と戦っている。患者になってしまうことなく、哲学者として自分を賭ける。あるいは、この本を書くこと自体が、宮野先生と磯野先生にとっての勝負なのかもしれない。言葉を記し、世界に届ける、という勝負。

.宮野先生は「哲学の基礎Ⅰ」の授業で、「してあげる人と、される人」という仕方で、役割や関係が固定されてしまうことについて論じていた。しかし、役割や関係が固定されることの、何が悪いのか。丸裸の個人がぶつかるのは大変だし、キツい。役割もある程度は必要。宮野先生も、お店の店員さんは「店員さん」として扱っていたはず。あるいは、その関係を超えて、仲良くなっていた……?

10.授業での宮野先生は、100パーセントの「教員」だった? いや、教員100パーセントならば言わないはずのことも、言っていた。「カープが負けて悔しい」など。あえて役割を固定しないことで、そこから生まれるものを大切にする。決めつけることなく、満ち溢れる可能性を妨げない――。

その他にも色々な話題が少しずつ積み重なっていく中、19時半を告げるチャイムと同時に強制的に終了。その後、お腹を空かせた参加者たちは、大学近辺の某居酒屋へ。


当初は、この本のどこかを輪読する時間を設ける予定でしたが、今回は見送りました。この本は引き続き扱っていくつもりで、今度は最初から「輪読会」のような形式にしてみる、という案や、あるいは、この本の参考文献を読んでみる、という案も出ています。

今後、できれば11月と12月に一回ずつ、哲学カフェの開催を。詳細が決まり次第、このブログ上、及びツイッター(https://twitter.com/lccafephilo)で告知しますので、少しお待ち下さい。

2019年9月28日土曜日

LC哲学カフェ開催のお知らせ

次回のLC哲学カフェ、詳細が決まりました。下記の通りです。

 【LC哲学カフェ】
 『急に具合が悪くなる』を読んで哲学する(一)

 日時 10月4日(金)18:00-19:30
 場所 2号館ゼミ室24J

今回は下記の本をテキストに、皆で議論を。

 宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』、晶文社、2019年
 https://www.amazon.co.jp/dp/4794971567/(外部サイト)

当日はこの本を持参し、かつ事前に読んできてもらうのが理想的ですが、まだ読んでいない、本を入手していない、という人でも、何も持たずに参加してもらって構いません。途中、本の一部を輪読する時間なども設ける予定です。

タイトルに(一)とつけたように、この本については今後も、引き続き扱っていくつもりです。

途中入室、途中退室は自由自己紹介などの必要はなく、発言を強制されることもありませんので、ぜひ気軽にご参加下さい。

2019年9月22日日曜日

日本と韓国のカフェ文化

このたびの学生記事は、「情報処理入門」を受講している交換留学生さん(文化学科ではない学生さん)の記事です。


ES19台 イ・ヒョジョン

1 「カフェ文化」とは?
昔から人はコーヒーをむためにカフェに行きます。しかし、にコーヒーをみに行くだけでなく、カフェをしむために行く人もだんだんえています。また、食堂で食事をした後、カフェに向かいもします。これらはすべてカフェ文化と呼べるでしょう。ここでは、カフェ文化について、私が感じた日本と韓違いべることにします。

2 日本のカフェ
まず、日本のカフェはあまり大きくなくこぢんまりとしていますが、コーヒーだけでなく様々なメニューを提供しています。外国人の私には、その点が一番の驚きでした。日本のカフェでは食事をしたり、デザートを食べたりすることができます。



→日本のこぢんまりとしたカフェの内部


        →日本の様々なカフェメニュー

]コーヒーのメニューを見ると、日本のカフェ文化がわかります。豆乳を入れた「ソイラテ」は、日本でよく見られますが、韓国ではほとんどありません。豆乳とコーヒーがミックスされた香ばしい味が大好きで、日本に来てから、よく飲むようになりました。また、日本のコーヒーサイズは韓国より小さいです。まず、コーヒーをオーダーして提供されるコップが小さいです。量が多すぎて残らないように、初めから安い値段で少ない量のコーヒーを提供しているのではないかと思います。有名なコーヒーチェーン店の場合、韓国やアメリカなど他の国にはないもっと小さいサイズの「ショート(S)」もあります。しかし、外国人の私には、量が少ない感じがあって2杯飲んでもよいくらいだと思いました。

3 韓のカフェ
のカフェはコーヒーのための空間が多いです。しかし最近、コーヒーだけではなく、パンやデザートを中心に業するカフェもだんだんえています。それでも、日本のように食事ができる場所ではありません。食堂で食事が終わった後、デザートを食べたりもっと話したりするためにカフェを探して行く場合が多いです。また、勉や簡な業務をするためにカフェにる人もいます。特に大の試期間になると、私たちのような大生がカフェに集まって試をすることが多く、大や塾の近くにあるカフェでは、このような「カフェ勉族」が迷惑になることもあります。一方、カフェ勉族がだんだん増えて、そうした人々のための「スタディーカフェ」も出現しました。

→カフェで勉する「カフェ勉族」


→勉のためのカフェ「スタディーカフェ」

最近、目立つ変化が2つありました。1つ目は、韓国のカフェでは、もう使い捨てコップを使うことができません。昨年8月に改定された環境法によって、プラスチックの使い捨てコップや袋の使いが禁止されたためです。したがって、全部グラスとマグカップに変わったり、ストローも紙で作られたのを使ったりしています。カフェのゴミ排出は目立って少なくなり、国民全員が環境保護に参加しています。2つ目は、現金が使えない店の出現です。主に現金を使う日本と違い、韓国は現金の利用が目立って減っています。現金の代わりにクレジットカードを使ったり、モバイルペイを使ったりしているためです。だんだん現金を使わなくなって、とうとう現金が使えない店もできました。特に、飲食店では、いろいろな人の手が触れてきたお金は、衛生的に良くないと言われています。







ガラスとマグカップを使っている韓国のカフェ

4 おわりに
最後に、この記事をんでいる日本人の友達に伝えたいことがあります。韓国のカフェに行くと、飲み物が使い捨てコップではなく、グラスやマグカップで提供されます。日本より韓国の方が飲み物の量が多いので、十分に楽しんでください。飲みきれないときは、お店から出るときに、グラスやマグカップを持ってレジに行って、「テイクアウトザンウロバクォジュセヨ(使い捨てコップでもらいたいです)」と言うと、喜んで使い捨てコップに入れてもらえます。

以上、日本と韓国のカフェ文化を比較して、どんな違いがあるかを述べてきました。このような文化をよく知ったうえで両国のカフェに行くと、コーヒーの味や雰囲気をより楽しむことができると思います。

*「スタディーカフェ」以外は自分で撮った写真です。

外国人旅行者から留学生になって変わった食文化

このたびの学生記事は、「情報処理入門」を受講している交換留学生さん(文化学科ではない学生さん)の記事です。


 

ES19台 チェジヒョン

みなさん、こんにちは。人文学部の留学生のチェジヒョンです。みなさんは、天神や博多でお店に韓国人がたくさん並んでいるのを見たことがありますか? 最近、福岡に訪れる韓国人がどんどん増えていて、みなさんもそうした場面を見ると気になると思います。私は韓国人ですが、福岡を含め日本の色んな都市を旅行した経験があり、今年の4月から福岡大学の人文学部で留学生活をしています。そこで今回は、日本に旅行で訪れる韓国人と、日本に住んでいる留学生の食文化について、紹介します。

「旅行者である時の食文化」
まず外国人である韓国人が、日本へ旅行に来た場合の食文化について話したいと思います。この場合、ほとんどがホテルなどに泊まり、滞在期間もあまり長くありませんので、自分で料理を作る時間も場所もありません。そして多少高くても、日本の料理を体験しようとお店で食事をします。

1.和食に慎重なアプローチ
 日本と韓国は、食材や味が西洋の料理より似ているため、日本の料理への挑戦は難しくありませんが、それでも万が一食べられなかったら困るので、韓国人にもなじみがあるような料理のお店が人気だと思います。全員が気軽に食べられる肉料理の「極みやハンバーグ」や、味噌ソースのように韓国人も慣れている色んなソースのある「天神ホルモン」は、韓国人に人気があります。そして、福岡の有名な料理の豚骨ラーメン屋さんの「一蘭ラーメン」も韓国人には不慣れな味ですが、味の段階を調節できるサービスがあって、たくさんの韓国人が訪れています。
 

▲天神ホルモン(※写真はいずれも筆者撮影)   一蘭ラーメン▲
2.新しい形の食文化にビックリ
韓国のコンビニは日本より発達していないので、日本のコンビニに行った韓国人は全員驚きます。色んな味の「ほろよい」をはじめ、ローソンの高品質の「もち食感ロール」と「たまごサンドイッチ」、カップ麺なのにおいしいうどんまであるため、みんな必ずコンビニに行きます。食事の後に、間食とか夜食で食べることが多いです。
日本の自動販売機も、韓国人には新しい形の食文化の一つです。どこでも自動販売機に出会い、いつもキラキラしていて人目を引きます。それと種類も飲み物からアイスクリームまで様々で、飲み物も冷たいものから温かいものまであって必ず買ってしまいます。
            
▲コンビニのデザート        自動販売機の飲み物▲

「留学生である時の食文化」
 次は、4月から始まった留学生活の間に変化した食文化について話したいと思います。留学で日本に来たため、日本の料理を食べる期間が長くなりました。それでいつも外食するのは経済的に負担になって、自分で料理を作って食べることもあります。このパートでは4つに分けて書きたいと思います。

1.合理的な価格でちゃんとした和食を
外食をするお店が、旅行で来た時とちょっと違います。留学生である今は、日本人の友達もできて友達にすすめてもらうことが多いです。おすすめのお店は、実際に日本に住んでいる人から教えてもらったため価格が合理的です。そしてお好み焼きとか焼きそばのように、外国の味は一切入っていない料理まで種類が幅広くなります。長い期間、日本で生活するため、日本の料理に慣れようと思って頑張っています。

デザートも旅行者の時とは変わります。旅行では観光にも時間がかかるので、カフェに行ってのんびりしたりは、あまりしていませんでした。しかし留学生になった後は、授業が終わってから時間があれば、日本人の友達に誘われて一緒に行ったりします。デザートも、一人一個ずつ注文することにビックリしました。
         
▲福大近くのお好み焼き屋さん     白金茶房のパンケーキ▲

2.和風の洋食に挑戦
 日本にいる期間が長くなったので、日本の料理だけではなくピザとかパスタのような洋食も食べます。日本はそれぞれがメニューを注文することが特徴なのかは分かりませんが、ピザの場合は、韓国と違ってピザのサイズが小さくて、ピザを一個ずつ注文することになりました。また、外食のパスタは、色んなトッピングを入れることよりも、ソースにこだわっていると思いました。それで、パスタ麺とソースを買ってきて、韓国式でトッピングをたっぷり入れて手作りで食べる方が多いです。
     


      ▲ドミノピザ                     手作りのカルボナーラ▲

3.手作りで楽しむ韓食
 寮には日本人以外にも、韓国人を含め色んな国から来た外国人の友達がいます。それで韓国料理は、寮で韓国人の友達と一緒に作って食べることが多いです。食材をスーパーで買うたびに感じることは、食材と果物が一人前で分かれていて、とても便利だということです。賞味期限が短い食材もありますが、食べやすいように切られているので短いのだと思います。こんなふうに韓国料理を自分で作って食べるため、思ったより外で食べることは少なくなりました。そして韓国にいる時ほど野菜のおかずを食べることができなくなったので、サラダもたくさん買って食べます。
       
▲手作りのタッカルビ          手作りのホットク▲

4.コンビニと自動販売機の利用の変化
最後に、コンビニと自動販売機の利用について、どんな変化があったのか話してみようと思います。コンビニは、お弁当を買うために行くことが多くなりました。そして自動販売機よりスーパーで飲み物を買うほうが安いことを知って、急な場合を除いては使用しなくなりました。

この記事では、私が旅行者と留学生、この二つの立場で日本に滞在して感じた食文化の違いについて論じました。私は、文化の中で食文化が一番楽しいし、興味を持ちやすいと思います。みなさんも、この記事がきっかけになって文化に興味ができたら、文化学科についてもっと調べてみてはいかがでしょうか?

2019年9月18日水曜日

ことばがあなたの文化を豊かにしてくれるかも

「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、古代ギリシア哲学の小林信行先生です。


 
最近『イル・ポスティーノ』という映画を観た。もう70年くらい昔のイタリアを舞台にしたものだ。水にも不自由するようなイタリアの小さな島に住む青年と、島で亡命生活をするためにやって来たチリの有名詩人との友情物語といったらよいのだろうか。漁師の息子なのに漁には不向きで、定職もなく生きていた青年が、郵便配達をすることで知り合った有名な詩人から詩のことばを学びはじめる。そのことばの学習が青年にもたらすものを描き出す点にこの映画の面白さがある。感傷的な結末は物語特有の到達点であり、作品全体に効果的な印象を与えている。
 この映画を見終わって、同趣向の映画をいつか観たような気がして記憶をたどると、『小さな中国のお針子』という映画を思い出した。これも70年ほど前の中国の話。文化大革命と呼ばれる政治的混乱で多くの人たちが迫害されていた頃を舞台にした青春物語だったように思う。党からの指令で地方農村労働に従事させられた学生たちが困難な生活をしながらも、そこで出会ったお針子にバルザックなどを語り聞かせて青春を謳歌していた、といった話だったと思う。中国の辺鄙な農村にバルザックという組み合わせの面白さと、そんな時代を後になってから回想するという形式がこの作品の場合の効果的印象として残っている。
 郵便配達人の場合もお針子の場合も、ことばの力が重要なテーマとなっている。私たちはどんな環境下におかれても、それが自分の生命にとって深刻でもない限りはほとんどその環境に慣れてしまい、それなりに適応して生きてゆくようになるものだ。たとえば私たちが地底人であるとした場合、ぼんやりとした光さえあれば、そしてそれ以上の明るさというものを知らなければ、地底環境下での物事の認識にもとづいて生活をしてゆくことになるだろうし、それなりの文化もそこには形成されるだろう。ところがそのような世界にも奥行きと広がりはあり、自分の日常的な生活空間とは異質なものに出会い、いわゆる異文化経験をすることがある。その時ちょうど戸外の光に出会ったときのように、人は驚いたり戸惑ったり憤ったり恐怖を感じたりあるいは喜んだりする。それは異質なものが私たちの感覚を刺戟した結果であろうが、ことばとの接触によっても引き起こされることもある。
 この後者の経験内容は注目に値する。とくに言語的に未熟な場合がそうであるように、日本語がしゃべられているにもかかわらず、しかも知らないことばが羅列されているわけでもないのに、何が言われているのかさっぱり理解できない経験は誰しも思い当たるところがあるだろう。日頃用いている言語でさえも表現の仕方が変わると、途端に不可解になってしまうわけである。だが他方で、その難解な経験が思いもよらない形で世界の見方を教えてくれることがある。たとえば自分の愛する人が思いもかけず別の人と親密な関係をもっていると知ったときの不愉快さ、苦々しい気分、吐き気、呪詛の言葉を発するなどの経験が「要するにおまえは嫉妬しているのだ」と表現されたとき、そのことばによる自己理解は、その人を情念にまみれて懊悩しているだけの地底人であることを止めさせ、違う存在に変える可能性がある。これは単に使う語彙数の多寡の問題だというよりも、当事者が物事をどのように見たり感じたりするかの問題である。もしそのことばを学び知らなければ、ひとは自らの内面をも見ないままに相変わらず感情に翻弄されるばかりの生き方をすることになりかねない。郵便配達人はそのようなことぱを暗喩で学び、お針子はバルザックで学び、かれらは文学とか物語といったものを通じて違う世界に踏み出し始めるのである。その先に何が待っているかは人それぞれであるにせよ。
 できるかぎり物語り的であることから離れて、客観的で事実的な語りを無反省に重視する現代は、文学的世界をファンタジーという美名のもとに貧相な世界に変えてしまったり、少し読むだけでうんざりとしてしまう同語反復の世界に変えてしまっている。(この場合の同語反復とは、文学が自然風物についても人間関係についてもあれこれと同じのような言葉を何世紀にもわたって操っているにすぎないという意味。)物語や文学に真実はない、リアルはない、あるのはそのときどきの各人の思いに過ぎないという強い信念は、なにも現代人特有の思想基盤をなすものとは言えないだろうが、そのような認識は文学から真理への道を閉ざしてしまうという、やっかいな立場に片足を踏み込んでいる。ことばの豊かさは生半可な客観性を凌駕しており、リアルで真なる存在への道を切り開くこともある、という認識が文学の信条となるべきものであると思う。客観性や事実だけが文化の中心にあるわけではない。
 最後に、語彙貧困を嘆く若い人たちのために、穂村弘『短歌の友人』(河出文庫)というすぐれた現代歌論集を紹介しておきたい。スマホによる情報収集ばかりの人には最後まで読み通すことに困難はあるだろうが、時間をかけて熟読することに挑戦する人にとっては、ことばのさまざまな用法に気づかされ、文化との深い関係を知り、言語的教養の裾野を広げることができるだろう。