「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、宗教学の岸根敏幸先生です。
私は文化学科の専門科目で「宗教文化論」(旧カリキュラムでは「アジア宗教文化論Ⅰ」)の授業を担当しており、その授業で扱っているテーマの一つとして「仏教における業と輪廻」というものがあります。このテーマで中心になっているのは地獄です。地獄というものが、様々な宗教で語られている通りに存在していると思っている人は、(私を含めて)そう多くはいないでしょうが、それでも、地獄について考えることには、生きるということの本質につながるものがあるのではないかと、強く惹かれるのです。それについては授業でも多少話していますし、機会があれば、ある程度まとまった文章を書いてみたいとも思っています。
それはともかくとして、授業でこの地獄を説明する際に典拠としているのが、平安時代中期に活躍した源信の著書『往生要集』です。この書は、極楽浄土への往生について、様々な仏典の記述を渉猟して、要点をまとめているのですが、注目されるのは、冒頭から、これでもかと言わんばかりに、地獄のおぞましさを延々と描き出している点です。端的に言えば、地獄をはじめとする六道輪廻がこんなにもひどい場所なのであるから、できるだけ早く立ち去って、極楽浄土に往生しなさい、という論理なのですが、地獄のおぞましさについて、微に入り細に入り、執拗(しつよう)なまでに描き出そうとする異常さに圧倒されるのです。