2023年11月29日水曜日

映画館へ行くこと、目的を持たないこと

「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は,哲学・宗教学の小笠原史樹先生です。


映画館へ行くこと、目的を持たないこと

小笠原史樹(哲学・宗教学)

2023年11月18日土曜日

ありがたい言葉

 「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は,文化人類学の中村亮先生です。



ありがたい言葉

中村亮(文化人類学)

 文化人類学のフィールドワークは、肉体的・精神的につらいものである。しかし私が、20年以上もフィールドワークを続けてこられたのは、現地の人びとの知恵や技術、その生き様に魅了されてきたからだ。人びとから学ぶことのなんと多いことか。そのなかでときおり、自分の価値観をくつがえすような、もしくは、謎が一気にとけてゆくような、「ハッ」とする言葉に出会うことがある。これがフィールドワークの魅力である。
 そのうちの一つが「海女がつくる里海」に書いた、福井県の海女さんの「海も畑と同じように耕さないとダメになる」という言葉である。この言葉に「里海の思想」を見いだせた気がして感動したことを覚えている。ここではもう一つの例として、私が学生時代にカルチャーショックを受けた一言について書いてみたい。それは、タンザニア南部のキルワ島でのフィールドワーク中に出会った言葉である。

 人口1000人ほどのキルワ島は、島民全員がムスリムのイスラーム社会である。私は、マングローブとサンゴ礁に囲まれたこの島の漁民文化について調べている。文化人類学のフィールドワークでは、村社会に溶け込むために、一般家庭に居候させてもらうのが常である。私もキルワ島では、モハメド家に居候させてもらっている。モハメドさんは、私が2000年に初めてキルワ島を訪れた際に出会った、20年来の大親友である。

 2003年にモハメドさんが家を建てたときに、ありがたいことに私用の部屋を作ってくれた。それ以来、モハメド家にお世話になっている。当時モハメド家は、モハメドさんと奥さん(仮にAさんとする)と子供3人の、仲の良い5人家族であった。Aさんはとても明るい性格で、働き者で、料理上手な人である。とくに私は、Aさんが毎朝ポットいっぱいに作ってくれる生姜入りの紅茶が大好物であった。朝食後に紅茶を飲みながら調査ノートをまとめる。最高の居候先である。

 平和なモハメド家に事件が起きたのは、忘れもしない2004年12月のことであった。なんと、モハメドさんの不倫が発覚したのである。仕事で頻繁に対岸の町に行くモハメドさんは、そこで一人の女性と知りあい深い仲になってしまった。狭い社会である。不倫の噂はそのうちAさんの耳に届いた。
 
 Aさんに問い詰められたモハメドさんは、最初はしらを切っていたが、やがて不倫を認めた。それからは夫婦喧嘩の日々である。家には不穏な空気がながれた。普段は優しいAさんが、「リョウも知ってたんでしょ!」とすごい剣幕でつめ寄ってくる。「僕は知らなかったよ」と、情けなく自分の部屋に逃げ込んでしまうことしかできない。

 険悪なムードがつづいた何日目かのことだった。リビングで言い争う声に目が覚めた。その日のAさんの怒りは激しかった。私は「もしも離婚することになったら大変だ、一体どうなるんだろう」と、自室の扉の前で聞き耳を立てていた。その時、Aさんがモハメドさんに言ったのである。「不倫するくらいならその女と結婚しろ!」と。

 扉越しにこの言葉を聞いた時に、「ああ、ついに離婚するんだ」と落胆した。しかしその勘違いにすぐに気がついた。Aさんは「自分と離婚して不倫相手と結婚しろ」と言ったのではない。「第二婦人として不倫相手と結婚しろ」と言ったのである。そのことが理解できた時に、私は少なからぬショックを受けた。

 キルワ島はイスラーム社会なので一夫多妻婚が認められている。頭ではそのことを分かっていた。だが、私の一夫多妻理解は「一人の男性が四人まで同時に妻をもつことができる婚姻制度」という辞書的なものであった。しかし、Aさんの言葉で、一夫多妻とは何かについて、生活者の視点から理解できた気がした。それは「人間関係を断ち切ることを回避することができる婚姻制度」であったのだ。

 現代日本のような一夫一婦制社会で不倫が発覚した場合、その結末は、不倫相手と別れる・妻と離婚する・妻と不倫相手のどちらからも愛想をつかされる、などだろう。有名人の不倫の場合は、社会的に制裁されることもある。いずれにせよ、どこかしらの人間関係を切るしかなく、その後に残った人間関係も気まずいものになってしまう。つまり「発覚した不倫」から人間関係が広がることは無いのである。

 しかし一夫多妻制社会においては、不倫相手を第二婦人とするという選択肢がある。この場合、妻とも不倫相手とも人間関係を正式に保つことができるのである。不倫の結末が、一夫一婦制と一夫多妻制とでは大きく異なることがあるのだ。実際に翌年、モハメドさんは不倫相手を第二婦人として結婚した。もちろんこれでAさんの怒りが完全におさまったわけでも、モハメドさんの不倫の罪が消えたわけでもないが、モハメド家の親族関係が広がったことは確かである。

 この出来事を文化人類学的に考えてみる。モハメドさんが不倫相手に貢ぐことは、モハメド家のお金が外部(他人)に流れることを意味する。しかし第二婦人に貢ぐのであれば、それは内部(親族)のために使ったお金となる。お金の意味が変わるのだ。また、Aさんの3人の子供は、対岸にある第二婦人の家に居候しながら対岸の中学校に通った。島に住むモハメドさんの父親が病気になった時も、病院に近い第二婦人の家から通院した。つまり、不倫相手を第二婦人としたことで、モハメド家の人的・経済的な相互扶助の輪が、島を超えて対岸にまで広がったのである。

 あの時、Aさんは離婚を要求することも考えただろう。しかしそこをぐっとこらえて「その女と結婚しろ!」と言ったのだ。私はその言葉に本当に感謝している。Aさんの英断のおかげで、モハメド家は離散することなく、逆に、人間関係と相互扶助の輪を広げることができたのだ。そして私は、あれから20年たった今でも、Aさんの美味しい紅茶を飲みながらフィールドワークを続けることができているのである。