2018年12月12日水曜日

第6回 LCアーベントが開催されました


11月20日火曜日の夕方、第6回目のLCアーベントが開催されました。

今回の提題者は、芸術学・美術史がご専門の落合桃子先生。「近代ドイツにおけるマルティン・ルターのイメージ」というタイトルで、ご発表いただきました。

ルター(1483年から1546年)の生涯に関する説明の後で、生前に描かれたルターの肖像画の話からスタート。ルターの肖像画は八つに分類できて、すなわち、①修道士としてのルター、②博士帽を被ったルター、③騎士ヨルクとしてのルター(カトリック教会からの破門後、ルターはヴァルトブルク城で「騎士ヨルク」としてかくまわれた)、④夫としてのルター、⑤説教師としてのルター、⑥大学教授としてのルター、⑦牧師としてのルター、⑧臨終のルター。同じルターでも、帽子を被っていたり被っていなかったり、着ている服が違ったり、様々。

ルターの死から約250年を飛び越え、いよいよ舞台は19世紀のドイツへ。この時期、ルターが改めて注目され、記念碑が建立されることに。複数の案の中から選ばれて、1821年、ヴィッテンベルクに建てられたのが、ヨーハン・ゴットフリート・シャドウによる「マルティン・ルター博士記念碑」。この彫像が後のルターのイメージを決定づけた、と考えられる。

他にも19世紀ドイツでは、銅版画や壁画として、ルターの生涯が絵画化された。ヨーハン・エルドマン・フンメルの銅版画集『マルティン・ルター博士礼賛』(1807年)や、ヴァルトブルク城「宗教改革の部屋」の壁画(1872年から1882年)、等々。

また、ドイツでのナショナリズムの盛り上がりに伴い、政治的な文脈の中で、ルターは歴史上の偉人、宗教改革者として重要視されるようにもなる。例えば、古代にローマ軍を撃退した英雄ヘルマン(=アルミニウス)と、ローマ教皇庁と戦ったルターが対比される。さらに20世紀前半、ナチスが台頭する中で、「ヒトラーの戦いとルターの教えがドイツ民族を守るのだ」というポスターも作られ(1933年)、ナチスのシンボルと共にルターが描かれたりもする――。

以上のように、近代ドイツでルターのイメージが再生産され、強化されていくプロセスについて、豊富な絵画資料などが示されながら、話は進みました。途中、落合先生ご所蔵の銅版画集が置かれた机を皆で囲み、一枚一枚の絵をじっくりと鑑賞する場面も。

ご発表後の質疑応答では、ルターの表情の描き方や、帽子や服の意味に関する質問、なぜ1821年の銅像のイメージが長く維持されているのか、等々の質問が出て、議論が交わされました。研究会の終了後、教室から出て歩いている最中も、なかなか話は尽きなかった模様。

私個人は、キリスト教の思想について勉強する過程で、ルターの著作を以前から読んではいたものの、ルターの絵画的なイメージについて考えることは全く怠っており、今回、多様な描かれ方の実例にはじめて触れることができて、色々と刺激を受けました。特に上記④のタイプの、家族と一緒にいるようなルターについては、あまりイメージしてみたことがなかった、と気づかされ、反省すること頻り。

残念ながら参加者は少なく、5名程度。幾つかの専門科目などと時間割が重なってしまってもいたようで、この点も反省中……。日程の決め方など、今後、工夫していきたいと思いますので、何か要望があれば、ぜひお聞かせ下さい。

さて、次回は来週月曜、17日の夕方の開催

 第6回・第7回 LCアーベント開催のお知らせ

私が発表者のはずですが、このブログ記事を書いている現時点で、準備は半分、あるいは三分の一程度。しかし、発表者の準備が終わろうが終わるまいが、非情にも、この会は予定通りに開催されます。

すっかり寒くなった師走の夕方、何か、温かい飲み物でも片手に、ぜひ月曜日、LCアーベントへ。

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