2017年4月30日日曜日

孔子の爪―中江藤樹記念館を訪問して―(中村未来先生)

 平成29年度第2回目の「教員記事」をお届けします。4月に赴任された哲学の中村未来先生です。



孔子の爪―中江藤樹記念館を訪問して―
   
     中村未来(哲学

 本年度より福岡大学に参りました、中村未来です。これからどうぞ、よろしくお願いいたします。

 今年の2月、雪の降りしきる中、滋賀県高島市にある日本陽明学の祖・中江藤樹(1608~1648)の書院跡と記念館とを訪問しました。


 どちらの施設でも、スタッフの方が丁寧に解説してくださり、中江藤樹の事績とそれを支えた人々について、詳しく知ることができました。陽明学や中江藤樹についての知識は、それなりに書物で得ていますが、やはり当時使用されていた書籍や器物を目の当たりにし、実際にその土地を歩いてみると、より一層その生き様や思いが伝わってくるようでした。


 付近には、墓碑の後ろに盛土がなされた中江藤樹の儒式の墓や、関連書籍などを販売している休憩所「良知館」もあり、非常に有意義な時間を過ごすことができました。

 ただ、この参観において、一つだけとても気になることがありました。それは、記念館に展示された孔子の肖像画の爪が驚くほど長かったことです。
 これまで、あまり孔子画像の爪について気にすることはありませんでしたが、同じく山形県鶴岡市にある庄内藩校「致道館」所蔵の孔子「聖像」(下記【参考】URL参照)の爪や、玉川大学教育博物館(東京都)が所蔵している「孔夫子之像」の爪も非常に長く描かれているという特徴があることを知りました。
 孔子画像(および玉川大学所蔵の「孔夫子之像」)については、次のような解説がなされています。


上の前歯が出て、手指の爪が伸びた状態に描かれるのが図像表現上の特徴で、聖人思想家のイメージからは少々ずれる。本図は出っ歯ではないが、やはり右手親指の爪が長く描かれている。
(菅野和郞・解説、玉川大学出版部『全人』2010年9月号)


 孔子は中国古代、周王朝の権力が衰退した春秋時代末期(紀元前551年、あるいは紀元前552年)に生まれ、仁や孝、礼といった徳目を説いた思想家です。そのため、この長い爪を見ると、どうも礼儀作法からは外れた粗野な印象を受けてしまいます。
 礼拝像(仏画)の「長い爪」については、「道教的・土俗的」(井手2011)と捉えられることもあるようですが、儒家の祖と言われる孔子の爪が長いのは、一体どのように考えれば良いのでしょうか。
 この謎に向き合う時、恐らく、中国思想に少し関心をもっておられる方は、まず始めに儒家経典『孝経』にある「身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり」(開宗明義章)という一文が想起されるのではないでしょうか。親から授かった体は、髪や皮膚(爪)に至るまで傷つけてはいけない、それが「孝」の始めだとされている有名な言葉です。

 また、孔子の尊崇した古代聖人・周公旦は、幼い成王が病に倒れた時、自身の爪を切り黄河に沈め、身代わりとなることを祈ったと言われています(『史記』魯周公世家、蒙恬列伝)。
 さらに、始皇帝が絶賛した法家の書『韓非子』内儲説上篇には、切った爪をわざと隠し、それを臣下に探させる韓の昭侯の話が載っています。この記事に対して、江戸時代の学者・太田方は「人主の爪は汚れた場所には捨てず」、「生きている時はそれを集めておいて(捨てず)、死して後、小袋を作ってこれを盛る」のだと解説しています(『韓非子翼毳』内儲説上篇)。このことから、少なくとも爪には、古代より自身の体の一部であるという認識が強く含まれており、それが親との繋がり(孝)や体の一部を用いて行う呪術的な儀式などへと展開していったのであろうことを窺うことができます。

 ただし、南宋の学者・朱子は、書院で孔子を祭る際、塑像を造る必要はなく、その時々に臨んで席を設ければよいと述べています(『朱子語類』巻3)。ここには、大切なのは「像」ではなく、その「気」の同調性だと説く朱子の主張が込められていると考えられます。
 なるほど、そうであれば、孔子像の爪が長いことを現代的な感覚で不気味に思うことと同じくらい、儒家的だ儒家的でない等と古代思想史の知識だけで論ずるのは危険であるし、ナンセンスなのかもしれません。この謎は謎のまま、もう少し楽しみたいと思います。


【参考】
庄内藩校致道館HP(2017年4月30日確認)
・菅野和郞(解説)「孔夫子之像」(玉川大学出版部『全人』742、2010年9月号、43頁)
・井手誠之輔「礼拝像における視覚表象 : 宋元仏画の場合」(『死生学研究』16、2011年10月、221頁)




LC哲学カフェ開催のお知らせ


今年度第一回目の哲学カフェ、詳細が決まりました。下記の通りです。

 【新入生歓迎特別企画】
 友情をめぐるビブリオバトル

 日時 5月8日(月)16:30-18:00
 場所 A706教室

今回は特別企画として、新しくLCに加わった一年生を歓迎すべく、上級生たちがビブリオバトルを繰り広げます。

バトルのテーマは「友情」。広い意味での「友情」に関わる小説、マンガ、映画、アニメなどから、発表者(5名程度)が好きな作品を一つ選び、5分間でプレゼン。数分の質疑を経て、次の発表者へ。すべての発表が終わった後、どの作品が一番読んでみたくなったか/観てみたくなったか、という観点から教室中の全員が投票し、「チャンプ作品」を決定。優勝者には豪華な賞品が……?

なお、参加者の自己紹介は行いませんし、無理に発言する必要もありません。途中入室、途中退室も自由。ちょっとだけ見物してみてすぐに退室、でも構いません。

特に新入生の皆さんは、ぜひ気軽にのぞいてみて下さい。ちょうど連休明けの初日で、五月病の対策にもなるはず。


ビブリオバトルの発表者は随時、募集中。興味のある人は、宮野先生か小笠原まで連絡を。

※上記二枚の写真は、昨年の12月5日に開催された「「君の名は。」で哲学する、再び」の模様です。

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2017年4月21日金曜日

平成29年度 文化学科ガイダンスゼミナール&新入生歓迎会 が開催されました

 4月15日(土)に中央図書館多目的ホールで、新入生を対象とした文化学科ガイダンスゼミナールが開催されました。本年度のテーマは「文化学科で考える<環境と人間>」。まず林誓雄先生が「地球なんて捨てて宇宙へ行こう!?—環境問題を哲学する」、藤村健一先生が「自然環境と地域性—県民性研究・風土論・地誌学の視点」と題してミニ講義をおこないました。

 林先生は講義の冒頭、「いやぁ、まだまだ地球って寒いよね、もっと温かくなってもいいよね。地球温暖化万歳じゃない?」と挑発的な態度に出ます。さらに、「そもそも、どうして私たちは地球環境を守らないといけないのだろうか。今や別の惑星をテラフォーミングすることが現実味を帯びてきているのだから、地球の環境がダメになったら、宇宙に出て、どんどん宇宙で使える星を見つけて、人類の存続を図った方がかしこいんじゃないの?」とたたみかけます。もちろん、それは学問的な挑発。そして、新入生には、この林先生の挑発的意見に、どうやって「論理的に」「正当な根拠をもって」反論するか、ということが課題として出されました。


 一方、藤村先生の講義は、最近テレビでよく見る県民性というのは、信用に値するのかという問いかけから始まりました。山陰は日照時間が少ないから、陰気な性格になりやすい、というけれど、じっさいの日照時間を調べたら・・・とマスメディアを賑わす疑似科学を暴く一面も。さらに、和辻哲郎の風土論も実証的なものではない、という指摘などもあったうえで、単に地形や気候だけでなく、地域の文化や宗教、産業や生活の様々な側面をデータに基づき多角的にみていく地理学の手法についての紹介されました。そして、新入生には日本の諸地域を地理学の手法で読み解き、そこから県民性として何が導出できるのか考えてみよう、という課題が出されました。


 新入生たちは、グループごとにこの二つの課題のいずれかが割り当てられ、3時間に及ぶグループ討議と発表準備の時間が与えられました。図書館で資料を調べたり、ひたすらに議論したり、発表の形式に悩んだり・・・あっという間に時間は過ぎます。サポートの上級生の手を借りつつ、なんとかレジュメを作り終えたのは、どのグループもほぼギリギリの時間でした。

 午後の前半は林先生の課題に当たったグループから、手書きのレジュメをスクリーンに映しながら発表をおこないました。そもそも、別の惑星をテラフォーミングするというけれど、それは一体どれくらいの時間がかかるのか、また金額はどれくらいになるのか、という実際的な問題から、地球の人すべてが移住した場合「国」という概念がなくなり、言語や文化の違いを越えて共生することには難しさがあるのではないかといった意見や、林先生がいうところの「姥捨山戦略」は対象を「モノ」のように扱っているが、地球は単なるモノなのか、という意見など。しかし、なかなか林先生にクリティカルヒットするものは出ず・・・、「人としてどうかと思う」という新入生のコメントも飛び出しました。

 休憩を挟んで後半は、藤村先生の課題を担当したグループの発表となりました。宮城・静岡・大阪・山口が取り上げられ、それぞれ地形・気候・地域の成り立ちと歴史・産業形態などが紹介され、そこから県民性を探っていくという取り組みでしたが、一口に「県」といってもかなりの広がりを持つもので、統一的な県民性を見つけ出すということなかなか難しい課題だったようです。ただ、じつはそんなに簡単に統一的な特徴など存在しないんだ、ということがわかっただけでも学術的には大きな進歩だったのではないでしょうか。

 最後の総合討議では、小笠原先生一言先生の質問が呼び水となり、新入生の皆さんから積極的な発言が飛び出し、熱いバトルが繰り広げられました。学術的な議論とは、一体どういうものなのかを少しでも垣間見てもらえたとすれば、とても嬉しいのですが、どうだったでしょうか?


 そして、ラストは新入生歓迎パーティー。一日勉強し尽くして疲れ果てた新入生の皆さまはともかくよく食べる(笑)美味しいご飯やケーキを片手に同級生や、先生たちとガイダンスゼミの感想(愚痴?)を言いつつ、笑いながら、あっという間に閉会の時間を迎えました。

 新入生のみなさんは、まさに学問の扉を開けたところです。今回のガイダンスゼミがその指針になることを祈っています。

 最後になりますが、この会を開催するにあたってサポートを担当してくれた上級生の皆さまに心より御礼申し上げます。

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2017年4月18日火曜日

人生と美術史と(落合桃子先生)

 平成29年度最初の「教員記事」をお届けします。本年度は落合桃子先生(美術史)、中村未来先生(哲学)、縄田健悟先生(心理学)、一言英文先生(心理学)の4名の先生方を新しく文化学科にお迎えしました。
 「教員記事」最初の4回は、この4名の先生方にご寄稿いただく予定です。
 第1回目は美術史の落合桃子先生です。



人生と美術史と
   
     落合桃子(美術史

 このブログは、どのような方が読んでくださるのでしょうか。大学生の皆さん、文化学科に興味を持ってくださっている高校生の皆さんが多いのでしょうか。それならば、自分の高校・大学時代のことから、話を始めるのがよいのかもしれません。

 神奈川県に生まれ、地元の幼稚園と小学校に行った後、東京都内にあるキリスト教系の中学・高校で学びました。昨今ヒットした映画『君の名は。』の主人公の一人、立花瀧が住んでいる(という設定の)駅の近くに私の通っていた学校がありました。映画では主人公たちが電車に乗っている場面がよく出てきますが、私も同じようにJR線などで学校に行っていました。満員電車での通学がストレスだったのか、あるいはカトリックの厳格な校風に馴染めなかったのか、中高生時代には、自分とは何者なのか、人生とは何なのか、そんなことを悶々と考えてばかりの日々でした。

 その頃によく聴いていたのが、PEALOUT(ピールアウト)という日本のロックバンドの音楽でした。「April Passenger」「Summer’s gone」「Winter」といった季節や時間をテーマにした曲が多く、人生とは時間の流れであって、季節の移り変わりのようなものなのだろうとイメージをするようになりました。『GYRO』というマキシシングルのCDジャケットには後ろ姿の人物も登場しています。今になって思えば、この時期に漠然と考えていたことが、後の美術史研究のテーマにつながっていくことになったようです。

 大学生になり、初めは心理学を志すものの、美術史という分野があることを知り、美術史を学ぶようになりました。今日まで研究を続けていることを考えれば、正しい選択だったのでしょう。大学生の頃は、時間があれば美術館に行き、分野や時代、ジャンルを問わず、多くの展覧会を観るようにしていました。

 卒業論文では、第二外国語がドイツ語だったこともあり、ドイツ・ロマン派の風景画家として知られるフリードリヒ(Caspar David Friedrich, 1774-1840)を取り上げました。後ろ姿の人物の描かれた作品で有名な画家でもあります。自分の関心とリンクしていたようで、大学院の修士論文と博士論文でも同じ画家の作品研究を行うことになります。

 修士論文では、フリードリヒの晩年の代表作《人生の諸段階》の作品研究を行いました。バルト海に面した浜辺に、杖をついて外套をまとった後ろ姿の老人をはじめとする5人の人物が描かれています。背景の海には5隻の舟/船が見えています。薄雲のかかった夕焼けの空が広がっています。この絵について政治的・社会史的な解釈を提示しました。

フリードリヒ《人生の諸段階》1834-35年,ライプツィヒ美術館

 博士課程に進学してからは、一日の4つの時や四季、人生の諸段階を主題とした、複数の画面からなる連作形式の作品へと関心を広げました。フリードリヒの連作で一日の時と四季、人間の一生、そして宇宙の流れまでもが同じ連環のうちに捉えられているのはどうしてなのだろうと思ったのです。調査を進める中で、こうしたテーマは19世紀前半のドイツで大変好まれた画題であって、シンケル(Karl Friedrich Schinkel, 1781-1841)やコルネリウス(Peter von Cornelius, 1783-1867)といった同時代の多くの画家たちがこの主題の絵画作品を制作していたことがわかってきました。また18世紀末から19世紀前半のドイツでは、哲学者のヘルダー(『人類歴史哲学考』1784-1791年)やヘーゲル(『歴史哲学講義』1837年)が書いているように、人類の歴史が幼年期・青年期・壮年期・老年期という人間の一生として捉えられていました。こうした時代背景の中で、フリードリヒは絵を描いていたのです。

 フリードリヒという画家の絵について研究することで、実は自分の人生について考え続けていたのかもしれません。これまでの研究成果を博士論文としてまとめることができ、これからは新たなテーマにも取り組みたいと考えています。この春から文化学科で教育や研究ができることをうれしく思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


2017年4月7日金曜日

平成29年度 新入生指導懇談会(対面式)

 4月6日(木)、文化学科新入生と学科教員の対面式が行われました。

 今年度の新入生は転科生を含めて103名。教員も新任の先生4名をお迎えし、フレッシュな顔ぶれとなりました。

 林誓雄先生による司会進行のもと、学科主任の浦上雅司先生から歓迎の辞が述べられ、続いて教員紹介が行われました。その後、新入生ひとりひとりが自己紹介をしました。今年は「話しかけてください」アピールがやや多い印象でしたが、好きな音楽や得意なことなど、はきはきと話してくれた新入生もいて、あっという間の1時間でした。

 これからの4年間がクリエイティブで実り多いものとなることを期待しています。


2017年4月5日水曜日

平成29年度 文化学科ガイダンスゼミナールのお知らせ


4月15日(土曜日)に福岡大学中央図書館多目的ホールにて、新入生を対象とするガイダンスゼミナールが開催されます。

 このゼミナールは文化学科の新入生に、自分たちがこれからの4年間、「文化学科で何を、いかに学ぶか」を実際に体感してもらうための催しです。

 今回のテーマは「文化学科で考える<環境と人間>」です。このテーマについて、最初に2人の先生方が異なる角度から講義をします。その後、先生方から出された課題に、新入生がグループに分かれて取り組みます。最後に、各グループの成果を発表してもらい、参加者全員で議論します。

 当日は、必ず学生証筆記用具を持参して下さい。

 終了後には新入生歓迎会が行われます。





日時 2017年4月15日(土)9:00-17:30(8:50開場)
会場 福岡大学中央図書館1階多目的ホール

午前の部
 09:00 開会、趣旨説明
 09:10 講義① 林誓雄先生「地球なんて捨てて宇宙へ行こう!?‐環境問題を哲学する」
 09:45 講義② 藤村健一先生「自然環境と地域性‐県民性研究・風土論・地誌学の視点」
 10:20 グループ作業に関する説明
 (休憩10分)
 10:35 グループ作業①=課題をめぐる調査、議論、発表準備
 (適宜昼休み)

午後の部
 12:30 グループ作業②=課題をめぐる調査、議論、発表準備
 14:30 グループ別発表① 15分(発表10分、質疑応答5分)×4グループ
 (休憩15分)
 15:45 グループ別発表② 15分(発表10分、質疑応答5分)×4グループ
 16:45 全体討論
 17:30 閉会

 18:00 新入生歓迎会(文系センター棟16階スカイラウンジ)〈会費=1,000円〉



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