2019年10月5日土曜日

LC哲学カフェ開催:『急に具合が悪くなる』を読んで哲学する(一)

昨日、10月4日の夕方、LC哲学カフェが開催されました。今回は下記の本がテキスト。

 宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』、晶文社、2019年
 https://www.amazon.co.jp/dp/4794971567/(外部サイト)

参加者は学生さんが5名、卒業生が1名、教員が1名の計7名。予め論点を絞ることなく、本の感想や、この本を読んで考えたこと、印象に残っている箇所などについて自由に話す、というスタイルでスタート。


時に沈黙しつつ、様々な話が出ましたが、以下、その一部です。

.読み始めるのを躊躇していたが、実際に読んでみると、著者は二人とも前を向いている。想像していたのと違い、感傷的な内容ではない。ただし、最後は涙が出る。最後の二通くらい、宮野先生の文体がそれまでと少し変わっている気もする。

.教員の知っている宮野先生の姿と、学生の知っている宮野先生の姿には、ズレがある。授業での宮野先生は「厳しい人」という印象。ピリッとしていて、学生にも自分にも厳しい。メリハリがある。この本を読んで、宮野先生が泣いていた、と知った。そんなに具合が悪いようには見えなかった。

.宮野先生のお父さんについて書かれている部分が、読んでいて辛い。宮野先生はお父さんに腹立たしさを覚えたり、主治医に対するお母さんの質問に苛立ったりしている。なぜ「先生の家族が同じ状態だったら、どうしますか?」という質問が禁じ手なのか、よくわからないし、三つのセクターの話も難しい。

.「100パーセントの患者になりたくない」というタイプの話は、はじめて読んだ気がする。テレビの中の「ガンが治ったら一番に何がしたいですか?」という質問やその答えに「今すりゃええやんか」と呟く箇所が印象的。世の中で当たり前に受け入れられている「患者」の扱い方や「物語」に、宮野先生は苛立っている。この本は「24時間テレビ」的なものとは違う。

.前回の哲学カフェで、宮野先生のような生き方はできるのか、という話が出た。この本でも「自分の人生を取り返す」と書かれているが、難しい。宮野先生は「心がムキムキ」。でも、キツそう。後半で、「患者になってしまえば楽」という意味のことも書かれている。


.「恋愛の偶然に身を委ねることと、自分が病になって周りを巻き込むことはけっこう違う」と書かれているが、どう違うのか。宮野先生は、恋愛を偶然性のポジティブな面、病をネガティブな面、と捉えていたのかもしれない。でも、恋愛でも周囲を巻きこんだり、周囲に迷惑をかけたりすることはあるはず……。

.宮野先生は野球を、偶然性について考えながら観るのか、と思った。「偶然性」が理由で野球が好き? いや、サッカーの偶然性について話したとき、宮野先生は全く興味を示さなかった。偶然性にかかわらず、とにかく野球が好きなのだろう……。

.「勝ちに行く」と書かれている。何に勝つのか、何と戦っているのか。死や病と戦っている。患者になってしまうことなく、哲学者として自分を賭ける。あるいは、この本を書くこと自体が、宮野先生と磯野先生にとっての勝負なのかもしれない。言葉を記し、世界に届ける、という勝負。

.宮野先生は「哲学の基礎Ⅰ」の授業で、「してあげる人と、される人」という仕方で、役割や関係が固定されてしまうことについて論じていた。しかし、役割や関係が固定されることの、何が悪いのか。丸裸の個人がぶつかるのは大変だし、キツい。役割もある程度は必要。宮野先生も、お店の店員さんは「店員さん」として扱っていたはず。あるいは、その関係を超えて、仲良くなっていた……?

10.授業での宮野先生は、100パーセントの「教員」だった? いや、教員100パーセントならば言わないはずのことも、言っていた。「カープが負けて悔しい」など。あえて役割を固定しないことで、そこから生まれるものを大切にする。決めつけることなく、満ち溢れる可能性を妨げない――。

その他にも色々な話題が少しずつ積み重なっていく中、19時半を告げるチャイムと同時に強制的に終了。その後、お腹を空かせた参加者たちは、大学近辺の某居酒屋へ。


当初は、この本のどこかを輪読する時間を設ける予定でしたが、今回は見送りました。この本は引き続き扱っていくつもりで、今度は最初から「輪読会」のような形式にしてみる、という案や、あるいは、この本の参考文献を読んでみる、という案も出ています。

今後、できれば11月と12月に一回ずつ、哲学カフェの開催を。詳細が決まり次第、このブログ上、及びツイッター(https://twitter.com/lccafephilo)で告知しますので、少しお待ち下さい。

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