2019年2月27日水曜日

平成31年度 文化学演習所属希望調査について(再掲)

文化学科学生各位

《重要》平成31年度 文化学演習所属希望調査について(再掲)


◆平成31年度 新2年生(LC18台)・再履修者各位
 平成31年度の文化学演習Ⅰ、文化学演習Ⅱの所属希望について、下記の要領で提出してください。

◆平成31年度 新3年生(LC17台)・新4年生(LC16台)・再履修者各位
 平成31年度の文化学演習ⅢⅣ、文化学演習ⅤⅥの所属希望について、下記の要領で提出してください。

  1. 演習Ⅰ・Ⅱ(LC18台および再履修者)については、配布された「演習所属希望調査票」を前期と後期で各1枚提出してください(再履修を除くと、各自2枚提出)。
  2. 演習Ⅲ-Ⅳ、Ⅴ-Ⅵ(LC17台・LC16台)については、配布された「演習所属希望調査票」を前・後期通じて合計1枚提出してください(再履修を除くと、各自1枚提出)。ただし、再履修の場合は1科目(半期)ごとに1枚提出してください。
  3. 提出先は文系センター棟低層棟1階のレポート提出ボックスです(下記案内図参照)。
  4. 提出期間は 平成31年3月15日(金)~19日(火) 16:00  <厳守> です。提出がない場合や期限に遅れた場合は、教務・入試連絡委員が所属を決定します。 ※何らかの事情で上記の期間中に提出できない場合は、事前に教務・入試連絡委員(本多・林)へ相談してください。
  5. 決定した演習の所属は、3月22日(金)までにFUポータルと人文学部掲示板で発表します。
  6. 演習所属に関する問い合わせは、教務・入試連絡委員(本多・林)まで。

※注意事項


  1. 演習ⅢとⅣ、ⅤとⅥは前期と後期で同一教員の演習に所属することになります。
  2. 演習の所属は原則として本人の希望に基づいて決定します。ただし、希望人数が定員を超える場合は、平成30年度の成績に基づいて調整します。
  3. 各演習の内容については、3月上旬以降にFUポータルでシラバスを閲覧することができます。『文化学科 教員紹介』も参考にしてください。
  4. 登録制限科目を履修する場合、所属する演習の開講曜日・時限と重複しないように注意してください。
  5. 学芸員を志望者する3年生 (LC17台)は、必修の「博物館資料保存論」(火曜5限<前期>)が、火曜5限<前期>の文化学演習Ⅲと重なっています。学芸員必修科目を履修する場合、火曜5限の文化学演習Ⅲ・Ⅳは履修できませんので注意してください。
  6. 再履修が必要な場合、必要な用紙を別途用意し、「再履修」欄に必要事項を記入して提出してください。
  7. 「演習所属希望調査票」が手元にない場合は、下記もしくはFUポータルからダウンロードしてください。ダウンロードした用紙は、配布したものと色が違う場合がありますが構いません。


2019年2月15日金曜日

共感的に理解しようとすることの大切さ(藤村健一先生)

 平成30年度第13回目の「教員記事」をお届けします。地理学の藤村健一先生です。研究のみならず、現代の社会を生き抜く上でも、まずはその対象や相手に共感的な態度で臨むことが、根本的に必要であり重要であると、論じられています。



共感的に理解しようとすることの大切さ
   
     藤村健一(地理学

 昨年11月のLCアーベントでは、宗教地理学の観点から現在、天皇陵古墳に付与されているさまざまな意味についてお話ししました。このなかで、天皇陵古墳を神聖視する人々に対して、まずは共感的な態度で接し、その考え方を理解しようとする態度が、調査に際して必要であると述べました。

 こうした態度の重要性は、現代宗教研究全般に関しても指摘することができます。宗教の調査では、インフォーマント(調査対象者)である信仰者の語る内容が常識的には理解しがたいことも珍しくありません。そうした場合でも、調査者が自分の見方や価値観にとらわれずにインフォーマントを共感的に理解することが必要だとされています(磯岡哲也「信頼できる情報とは何か」井上順孝編『宗教社会学を学ぶ人のために』世界思想社、2016年、237頁)。

 ただし、宗教研究者がつねにこうした態度をとるべきであるとは限りません。1995年の地下鉄サリン事件のあと、オウム真理教に関する複数の宗教学者の記述や発言が「オウムに擁護的」と非難を浴びました。このことは、それまで研究者の多くが宗教を肯定的に理解しようとする態度だったことに反省を促しました(磯村健太郎「オウムとは 宗教研究者の模索」『朝日新聞』2018年7月18日付朝刊)。

 このように、とりわけ社会問題化した宗教について研究する際には、教団や信者に共感的態度でアプローチするだけでなく、教団への批判者も含むさまざまな人々の考えに耳を傾ける必要があります。たとえば北海道大学の櫻井義秀さんは、統一教会(世界基督教統一神霊協会から世界平和統一家庭連合に名称変更)について研究するなかで、現役信者・脱会信者双方へのインタビューを中心とした「トライアンギュレーション」(三角測量)という調査方法を確立しました(櫻井義秀「カルト問題と宗教社会学」鳥越皓之・金子勇編『現場から創る社会学理論―思考と方法―』ミネルヴァ書房、2017年、35~45頁)。

 以上のように近年、宗教調査においては信仰者への共感的理解に基づく調査だけでは不十分であり、ときには彼らの立場から距離を置いて客観的な視点から調査をすることが求められるようになっています。

 しかし2011年の東日本大震災以後、さらに状況が変わりつつあるようです。東京工業大学の弓山達也さんは、震災のあと、宗教研究者と宗教者が協働して被災地支援にあたったり、臨床宗教師のような資格制度の整備に双方が関わるようになったりしたことで、両者の距離が再び縮まっていると指摘しています(弓山達也「デタッチメントを越えて」『中外日報』2018年12月14日付)。

 このように宗教研究者にとって、対象(教団、宗教者、信仰者)との距離の取り方は一筋縄ではいかない問題です。今後もおそらく、研究者の試行錯誤が続くと思います。しかし私は、やはり他者を共感的に理解しようとする態度が根本になければ、宗教調査は成り立ちがたいのではないかと考えています。

 だがその一方で、そもそも他者を本当に理解できるのか、と疑問視する向きもあるでしょう。「人の気持ちなぞ理解できなくて当然だ。理解しあえると思うことこそ傲慢である。」これは、私が最近みたドラマ「家売るオンナの逆襲」第3話(日本テレビ系2019年1月23日放送)での主人公・三軒家チーフのセリフですが、たしかに他者の気持ちを理解しようとしてもなかなかできるものではありません。

 けれども、他者を共感的に理解する態度を端から放棄することで、他者への偏見や不寛容が生じやすくなります。たとえば昨今、各地で問題化しているヘイトスピーチは、相手をはじめから同じ人間としてみようとしない態度から発しているといえるでしょう。

 じつは、他者に共感したり同情したりする能力は、人類にはじめから備わっていたわけではありません。共感や同情の対象範囲は、人類の長い歴史のなかで徐々に拡大してきました。とくに大きく広がったのが18世紀の啓蒙主義の時代です。この頃から人々は、自分以外の人間の多くに同情の念を抱くようになり、他者の苦しみに無関心でいられなくなっていきます。そして、以前は当たり前だった死刑・体刑や奴隷制が批判されるようになり、人々が残虐性を求めることも減っていきました。ハーバード大学の心理学者スティーブン・ピンカーさんは、こうした変化を「人道主義革命」と呼び、これが人類の大いなる進歩であったと主張していますが(スティーブン・ピンカー著、幾島幸子・塩原通緒訳『暴力の人類史 上巻』青土社、2015年、245~346頁)、私もまったく同感です。

 しかし残念なことに今日、他者への共感を拒むヘイトスピーチまがいの言動はYouTubeやTwitter、Yahoo!ニュース(コメント欄)のように、われわれにとってごく身近なメディアにもあふれています。現在ではインターネットの発達によって、一般の人々が広く社会に向けて気軽に意見を発信できるようになっていますが、それによって社会が野蛮化していくとすれば困ったことです。

 話がいくぶん脱線してしまいましたが、他者を共感的に理解しようとすることが、宗教研究のみならず、現代の社会全体にとっても大切であることをご理解いただければ幸いです。

2019年2月5日火曜日

卒業論文発表会に参加してみて(LC17台 峰咲良さん )

文化学科2年生の峰さんが,卒業論文発表会に参加した感想を書いてくれました。



卒業論文発表会に参加してみて

LC17台 峰咲良

みなさんこんにちは。人文学部文化学科2年の峰です。

平成31年1月29日火曜日、文化学科の卒業論文発表会がありました。福岡大学に在籍して2年経ちますが、卒業論文発表会に参加するのは初の試みでした。場所は文系センター棟15階だったこともあり、文系センター棟高層階に縁ない私は行くことに気後れしてしまい、プラザ50で30分ほど時間を潰しながら直前まで行くか迷っていました。しかし、何事も挑戦ということで参加してみました。

発表は口頭発表が4題、ポスター発表が27題あり、聞き応えも見応えも質問しやすさもありました。私は哲学系の分野に興味があり、普段の授業では哲学や宗教学などを中心に受けていたので、社会学や地理学の授業はあまり受けていませんでした。そのため個人的には哲学系の発表を楽しみに参加していました。もちろん、哲学、宗教学の分野だけでなく、社会学や地理学などの私が普段授業であまり受けていない分野の発表も充実していました。私はただ哲学、社会学、文化人類学と大まかに理解していたのですが、その中でも観光面からみた地理学や、ギャンブルについての文化人類学など、さらに細分化して研究がなされていることを学びました。同じ心理学のくくりでも、発表者によって発表内容はかなり異なっていました。しかし、皆さんが自分の一番好きなことや興味あることを、自分らしくまとめていることがわかりました。

行って良かった点は、自分の興味外だった分野について知ることができたこともありますが、一番はたくさんの4年生や先生方と話すことができた点です。私は小心者なので口頭発表の時には質問できなかったのですが、ポスター発表のところには発表者の先輩方がいらっしゃったので、小心者の私でも心置きなく質問することができました。疑問を持って質問して、意見を持って交流することで、知らなかったことを知ることができたり、もっと疑問が生まれたりしました。そのような交流が、その日の中で一番楽しくて、一番価値あることでした。


卒業論文発表会の後には飲み会があり、そこにも参加させていただきました。その場で何人かの先生に今日の発表でどのテーマが一番心に残っているか聞かれましたが、私は答えることができませんでした。来年こそは質問にしっかり答えられるようになりたいです。

平成30年度卒業論文発表会に参加して( LC16台 田才実来さん)

 文化学科3年生の田才さんが,卒業論文発表会に参加した感想を書いてくれました。




平成30年度卒業論文発表会に参加して
  LC16台 田才実来
   
1月29日、文化学科の卒業論文発表会が開催され、私は初めて足を運びました。本年度は口頭発表とポスター発表の2つの形式で行われ、先輩方へ質疑を行ったり、自分の意見や感想を述べて議論することができ、大変有意義なものとなりました。

口頭発表で印象に残ったものは、人間と人工知能の境界線について、将棋を題材に哲学の観点から考察した論文です。発表者は、その境界線は能力と感覚であり、経験や時間、意識などの違いにも結び付いていると述べられていました。しかし、発表後の質疑応答で、感覚は脳の部分で制御できない、言語的に表現できない部分が現れたものであり、人間と人工知能との違いは、その感覚を進化で獲得し身体化してきたかどうかであると、心理学の観点から感想を述べられた先生もいらっしゃいました。発表者は、質疑に対して自分の考えを筋道立てて自信を持って応答されていたので、その立ち振る舞いが大学生活の集大成を物語っているように思いました。

発表会全体の中で私が一番印象に残ったものは、心理学の観点から考察した、「食品の色彩が食品の評価に与える影響」というテーマの論文です。食品の色彩には自然性は影響しておらず、典型性が大きく影響していると考察されていました。例えば、自然性のあるブドウやリンゴは紫色や赤色といった所有の色だけではなく、黄緑色のブドウや黄色のリンゴでも美味しそうと感じ、色彩の許容範囲が広いです。それに対し、典型性を持つ加工食品は色彩の許容範囲が非常に狭いです。例えば、プリンは黄色のみを美味しいと感じ、黄色以外の色(ピンク色や青色など)のプリンは不味そうだと感じます。このような食品への評価について、紫色のプリンを提供されたら不味そうと感じるのに、「紫芋使用」と表示されていたら、色彩に関わらず美味しそうと感じるのは典型性があっても不思議だと、発表者と意見を交わしました。

また、テーマ設定の動機やデータをどのように収集して分析したのか、やりたかったけれど出来なかった事などもお話しして下さいました。

文化学科の卒業論文の特徴は、自分の好きな事や興味・関心のある事について、哲学、宗教、美術など多様な分野・角度から考察できることであると考えます。そのため、この卒業論文発表会は、その分野からの観点で考察をするゼミとは異なり、多様な視点や思考を持っている人が一堂に会し、議論をするので、興味・関心の幅が広げられる貴重な会だと思います。また、あらゆる物事を1つの面からだけでなく、多方面から様々な角度で捉えることにより、可能性が広がること、探求心や好奇心が深まること、凝り固まった思考に刺激を与えて新たな発見と知識・思考を構築することの大切さや楽しさを改めて実感しました。

大学生活の集大成である卒業論文を納得のものが執筆できるよう、そして、私も来年には同じ発表会の場に立つよう頑張ります。