2014年7月31日木曜日

真昼の悪魔(小笠原史樹先生)

「教員記事」をお届けします。第七回は中世哲学の小笠原史樹講師です。



真昼の悪魔

 真昼のことである。
 酷く蒸し暑い。研究室の中、窓とドアを開け放ってはいるものの、風が吹いてくれるわけでもない。仕事机の横では小さな卓上扇風機が騒音を発しつつ、生暖かい空気をひたすらかき回している。
 文化学科ブログ用の原稿を書かなければ。しかし、何も思いつかない。
 目の前のパソコン画面には、白紙の文書ファイルが映し出され続けている。身体が重く、眠い。何度も時計に目をやるが、針が完全に止まってしまっているように見える。夜までの時間が、まるで50時間も残っているかのように感じられる。
 もうダメだ。気分転換に部屋を出て、散歩でもしよう。クーラーの効いた図書館で本でも眺めるか、古い映画のDVDでも観るか、或いは昼寝でも……。
 不意に、気づく。
 いくら何でも尋常な倦怠感ではない。誰かの仕業――何かの仕業に違いない。
 慌てて室内を見渡す。

 見れば、部屋の中央、来客用の黒いソファにアケディアが腰かけている。四世紀エジプトの砂漠で名を馳せた、怠惰の悪魔である。一応は人間らしき姿をしているが、定まらない。老人のようでもあれば少年のようでもあり、少女のようでもあれば老婆のようでもある。
 彼――と呼んでおこう――は僕の視線に気づくとニコリと微笑み、ああ、どうぞおかまいなく、と言って頷いてみせた。
 両手を高く上に伸ばし、大きなあくびをして、しかしまあ、と続ける。
 しかしまあ、この暑いときに熱いお茶を飲むというのも、それはそれで一興でしょうなあ。
 そう言ってアケディアはゴロリと寝転がり、狭いソファ上で器用に身体を丸め、僕を見上げてフフフと笑う。
 僕は慌てて立ち上がり、部屋の片隅に置かれた電気ケトルの埃を払った。ドア近くの洗面台で水を汲み始めた僕に、背後からアケディアが、おかまいなく、おかまいなく、と声をかけてくる。
 インスタント・コーヒーしかありませんよ?
 致し方ないことです。
 コーヒーの入ったマグカップを彼に差し出すと、アケディアはゆっくりと身を起してカップを受けとり、一口飲んでフウと息を吐いた。
 ソファの傍に椅子を引いて座り、自分のカップにお湯を注ぎながら僕は、それを飲んだら帰って下さいね、と嘆息する。
 帰る? どうしてまた?
 原稿を書かなきゃいけないんです。
 アケディアはわざとらしく顔を歪めて、おやめなさい、おやめなさい、と首を振った。
 でも、締切が……。
 締切が何です。そんなものが何です。
 いや、締切は守らなきゃいけないので……。
 さっきからその、なきゃいけない、がいけません。そんなものは今すぐ捨てておしまいなさい。
 僕が、そういうわけにもいきませんよ、と呻くと彼はハハハと笑い、まあ、のんびりいきましょうと言って、さも美味しそうにコーヒーをすすった。
 暑さで朦朧とした頭で僕も、まあ、のんびりいこう、と椅子に深く腰かけ直す。

 昔は、真昼の悪魔、と呼ばれていたとか。
 おお、懐かしいことを。
 旧約聖書の『詩編』では次のように歌われている。

   神はあなたを救い出してくださる/仕掛けられた罠から、陥れる言葉から
   神は羽をもってあなたを覆い/翼の下にかばってくださる
   神のまことは大盾、小盾
   夜、脅かすものをも/昼、飛んで来る矢をも、恐れることはない
   暗黒の中を行く疫病も/真昼に襲う病魔も(『詩編』91編3-6節、新共同訳)

 あれはもう、三千年も前のことになりますかな。いやあ、月日の経つのは……。
 その後は砂漠で、随分と修行者たちをいじめられた、とか。
 いじめるだなんて、そんな。
 アケディアは不満げに頬を膨らませて、私はそんな悪いことなんて何もしちゃあいませんと言い、悪いことなんて、悪いことなんて、と繰り返す。
 そもそも悪魔だとか、死に値する罪だとか、頭となる罪だとか、呼ばれる筋合いはないのです。
 だって現に今、僕の邪魔を……。
 邪魔? 邪魔なんかしちゃあいません。
 私はただ、とアケディアは一際大きく微笑み、何かをしなきゃいけないとか、こうでなきゃいけないとか、そういうことは止めにしましょう、と。
 で、のんびりいきましょう、と。
 のんびりですか。
 コーヒーを一口飲み、僕もフウと息を吐いてみる。
 ……たまには、いいものですね。
 たまにでなくとも、いいものです。

 椅子の背もたれに深く身をあずけ、気だるく天井を眺めながら、でも、休んでばかりもいられませんよと言う僕に、アケディアが首を傾げて、どうしてまた、どうしてまた、と尋ねる。
 だって、限られた人生ですから……。
 ああ、そうやって……そうやって皆。
 と、彼は突然コップを置き、静かに立ち上がった。
 そうやって私を追い払おうとするんだから。
 アケディアは悲しそうに僕を睨み、唇をとがらせて右手の拳を振り上げ、しかしすぐに手を下ろし、クルリと身を翻してドアへ向かう。
 あれ? 帰るんですか?
 そりゃあ、死の話をされたらねえ。
 さらに口の中でブツブツと、だって死を想い出されちゃったら、時間を間延びさせることができなくなりますからねえ、反則ですよねえと呟く彼の背中に、でも僕は、と声をかける。
 でも僕は、あなたのこと、本当は嫌いじゃないんですよ。
 ちょうどドアを開けたばかりのアケディアは、そこで一旦動きを止め、肩ごしに振り返って、私はね、と言う。
 私はね、回転寿司屋さんで売っているような、紙パックの安いお茶が好きです。
 そしてフフフと笑い、まあ、夏は長いですからね、と言い残して部屋を出ていく。

 後を追って廊下に飛び出してみたが、もう彼の姿はどこにもなかった。
 肩を落として研究室に引き返すと、いくらか風が出てきたようで、窓から涼しい空気が入りこんでくる。
 僕は仕事机に戻り、弛緩した視線で外を眺めた。
 ……ああ、そうだ。ここから歩いて二十分くらいの場所に、確か回転寿司屋がなかっただろうか。それとも、どこかの大きなスーパーへ? あれこれ考えているうちに、さっきまでの重苦しさが消散していく。
 やがて僕はパソコンの画面に向かい、少しの間だけ目を閉じ、それからキーボードを叩き始めた。
「真昼のことである。
 酷く蒸し暑い。研究室の中、窓とドアを開け放ってはいるものの、風が吹いてくれるわけでもない。……」

 参考文献:
 ウェンディ・ワッサースタイン『怠惰を手に入れる方法』(屋代通子訳)、築地書館、2009年。
 小笠原史樹「アケディア試論」、『福岡大学人文論叢』第46-1号所収、2014年、23-55頁。

2014年7月14日月曜日

FESTINA LENTE (浦上雅司先生)

「教員記事」をお届けします。第六回は西洋美術史の浦上雅司教授です。




FESTINA LENTE

711日の時点で福岡大学図書館のホームページを見ると冒頭に表題の言葉が大きく載っており、「急がずに、休まずに」という日本語が添えられている。和文の下の出典にあるように、このラテン語の格言は、16世紀の偉大な人文主義者エラスムスの『格言集(Adagia)』第二巻の冒頭にあるもので、エラスムスが長文のコメントをつけている。
Cf. W. Barker “The Adages of Erasmus” London 2001 p.132 – 155
 バーカーによって『格言集』の記事を見ると、エラスムスは、この格言が古代ギリシアの詩人アリストファネスの喜劇『騎士』にある「speude tacheos [propera propere] 急いで急げ」という言い回しに由来するのだが、この前辞反復[anadiplosis]が反語表現[enantiosis]に変えられて生まれたのだと推測している。エラスムスに言わせれば、簡潔にして要を得たこの格言は人間生活のあらゆる側面に当てはまるもので、聖堂や君主の館などあらゆる公共の場所で人目につくところには金文字で刻まれるべき格言である。
 エラスムスは続けて、この格言がローマ皇帝アウグストゥスとウェスパシアヌスの二人にとって重要だったと指摘し、前者についてはスエトニウスの『ローマ皇帝伝』の記事を引用している。

スエトニウスの著作は岩波文庫に入っていて(岩波文庫 青440-1)手元にあるので、さっそく見ると、第二巻(アウグストゥス伝)25節に
「〔アウグストゥスは〕完璧な将軍にとって、軽挙妄動や猪突猛進ほど不似合いなものはないと考えていた。そこで常日頃から好んで次のような文句を口にしていた。
「ゆっくりと急げ」「大胆な将軍より慎重な将軍の方がましだ」「なんでも申し分なく立派にやりとげたら、申し分なく早くしたことになるのだ」
 被害の恐れよりも、勝つ見込みの方が大きいと確信できない限り、アウグストゥスはどんな合戦も戦争も受けて立とうとしなかった。」とある。

他の二つの文句もあわせて理解すると「ゆっくり急げ」は、「ゆっくり」の方に重点があることがわかる。アウグストゥスは慎重さ、注意深さを求めているのである。

ウェスパシアヌスについてエラスムスは、友人であるヴェネツィアの出版業者アルドゥス・マヌティウス(Aldus Manutius)からこの皇帝の銀貨(図1)を見せてもらったことを伝える。この銀貨は表に皇帝の横顔が刻まれ、裏に碇に巻き付くイルカが描かれる。
図 1
この「碇に巻き付くイルカ」が「ゆっくり急げ」を意味することは、古代エジプトのヒエログリフからわかるとエラスムスは続ける。もちろん彼が生きていた16世紀初頭、ローマにあったオベリスクに刻まれた碑文などからヒエログリフそのものは知られていたが、解読は成功していなかった。エラスムスは、ヒエログリフとは「特にエジプトの神学者たちが叡智の奥義を普通の文章で記述して、秘法を伝授されていない一般人に悟られることがないようにした」ものだと述べる。「様々な動物や事物の形象を用いて、たまたまそれを目にした人が解読できないよう工夫した」のだという。解読するには、個々の図像の意味を知り、描かれた事物の特別な性質を理解する必要がある、というのである。

図 2



ここで、エラスムスは図版(図2)を挙げる。「円」と「碇に巻き付くイルカ」で構成される「ヒエログリフ」である。
始まりも終わりもない「円」は、エラスムスによれば永遠を意味する。「碇に巻き付くイルカ」は、海洋生物で最もすばしこいイルカと、船を動かなくさせる碇が組み合わされており、「ゆっくり急げ(Festina lente)」を意味するとエラスムスは解釈してみせる。この「ヒエログリフ」は全体として「常にゆっくり急げ(Semper festina lente)」の意味だと言う(ちなみにこの図像は、エラスムスにヴェスパシアヌスの銀貨を見せた友人の出版業者アルドゥス・マヌツィウスが1499にヴェネツィアで出版した豪華本『ポリュフィロスの狂恋夢(Hypnerotomachia Poliphili)』 に登場する)。
この格言の解説で、ひとしきり、上掲の「ヒエログリフ」に登場する三つの要素について述べた後、エラスムスは、「碇に巻き付くイルカ」をアルドゥス・マヌツィウスが商標に用いていることに言及し(図3)、この出版業者を延々と賞賛する。これは、エラスムスも認めるように「格言」についての注釈からの大きな逸脱だが、『格言集』を出版してくれた友人への謝辞でもある。

図 3

本論に戻ってエラスムスは、この格言には三つの用途があるとする。
一つ目は、何か仕事を始める前に慎重に考えるよう指摘する用途、二つ目は、感情を、よく言われるように理性によって制御するよう指摘する用途、三番目は、ほんのちょっとした遅延でも手遅れになると考えるせっかちな人たちに対して、どんな仕事でも、無鉄砲に突進するのは避けるべきだと指摘する用途、である。
これら三つの用途は、いずれにしても慎重に事をおこなうよう戒める内容であり、前掲した『ローマ皇帝伝』の(アウグストゥス伝)の記述と同様の内容をエラスムスが敷衍しているとわかるのである。

Festina lente」という格言は、柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』(岩波文庫赤123-1)では、第199番に「ゆっくり急げ」というタイトルで載っている。
そこでは、この格言そのものの説明に加えて「最後の文句はラテン語だが、最初の二つはギリシア語の金言だったのをアウグストゥスが愛していたのだ」と書かれている。スエトニウスの原文を見ると、なるほど最初の二つはギリシア語で、最後の一つだけラテン語である。
古代ローマの上層階級の人々がラテン語だけでなくギリシア語も話せたことは有名であり、カエサルがルビコン川を渡る際に発したと伝えられる「賽は投げられた(Iacta alea est)」という言葉も、実はギリシア語での発言だったとプルタルコスは語っている。ちなみにプルタルコスは『英雄列伝』中の「カエサル伝」で、カエサルは「賽を投げよ(anerriphtho kybos: iacta alea esto)!」とギリシア語の命令法でこの言葉を発したという。「一か八か、やってみよう!」というのだ。ところが、スエトニウスの「カエサル伝」では「賽は投げられてしまった(Iacta alea est.)」と完了形になっている。これは、転記の際に間違って最後のoが落ちてしまったというのが定説のようである。

Festina lente」という本題に関係のある記述を、ぶらぶらと脈絡なく訪れてメモをとるような「ポレポレ」な文章になってしまったが、元に戻って、Festina lente[festino festinare:急ぐ] という動詞の命令形、lenteは「ゆっくり」という副詞だから、「ゆっくり急げ」という和訳が適切だと思われる。
では、福岡大学図書館HPの「急がずに、休まずに」という「和訳」はどこから来たのだろうか。
インターネットが発達した現在、グーグルなど使って検索すると簡単に見つかる。ゲーテの言葉である。
ゲーテの原文は「Ohne Hast aber ohne Rast」であり、この言い回しは、「穏やかな風刺その2(Zahme Xenien II)」という詩にある。詩節の全体は「Wie das Gestrin / Ohne Hast / Aber ohne Rast, / Drehe sich jeder / Um die eigne Last」となっているが、これは「ゆっくりと、だが休むことなく〔北極星を中心として周回する〕星辰のように、誰も自分の荷物(なすべきこと)に集中してうまずたゆまず進んでいけ」というような意味で、つまり、Ohne Hast aber ohne Rastは、粘り強さ(constantia)を求める標語である。
一方、同じゲーテは、恋愛叙事詩『ヘルマンとドロテーア』第五歌で「Eile mit Weile(時間をかけて急げ)!」という標語を使っているが、これがFestina Lenteの意味であることは、「これは皇帝アウグストゥスの標語だった」とゲーテが続けているから確かである。
福岡大学図書館では、学生に、慎重に行動すること(prudentia)と、コツコツ地道に努力すること(constantia)と、どちらを訴えたいのだろうか。もちろんどちらも大事なことだが、大学図書館としては「コツコツ地道に勉強するように」促したかったのだろうと推察する。だとしたら原文にもゲーテの言葉を掲げるべきだったようにも思える。ただ、Festina lente(ゆっくり急げ)はあまりにもよく知られる格言なのである。

さて「ゆっくり急げ(Festina lente)」は、古代ローマで「国父(Pater patriae)」と呼ばれたアウグストゥスが好んだ標語だったこともあって、ルネサンス時代の以後の君主たちにも愛好された(最近ではオバマ大統領もその一人とか)。


よく知られているのは初代トスカーナ大公メディチ家のコジモ1世(15191574)の場合である。彼がフィレンツェを支配する君主となって住んだヴェッキオ宮殿は、フィレンツェ共和国時代に政府庁舎として用いられており、共和国を倒して君主となったコジモ1世は、宮殿に籠もる共和国時代の歴史を可能な限り払拭しようとした。
図 4


宮殿の内部装飾にも力を入れたが、そこでは図4のようなイメージが散見される。
見てわかるようにプットー(小童)が亀の回りにたくさんいて、ひもを付けて引っ張ろうとしたり背中に帆を張ろうとしたりしている。これも、実は、「ゆっくり急げ」の図解なのである。ただし、ヴェスパシアヌスの銀貨に見られる図像は、本来すばやいイルカが碇によって制御されているのにたいして、コジモ1世のエンブレムでは、逆に、本来は遅い亀を何とかもっと早く動かそうとしている。格言の本来の意味を考えれば、本末転倒のきらいもあるだろう。

Festina lenteを巡っていろいろ述べてきたが、学生諸君も、社会に出ると急がされることの方が多いだろうから、ゆっくり、じっくり、物事を考えたり行ったりすることも可能な大学の4年間を、有効に活用されること祈念してこの文章を終えることにしよう。(14-07-14)

2014年7月11日金曜日

授業紹介:高岡ゼミ(LC11 坂本敬佑くん)

学生さんによる記事です。以前「基礎演習Ⅰ・Ⅱ」の講義内容を紹介した坂本敬佑くんが,今回は高岡ゼミ(民俗学)について報告します。大分県臼杵市でフィールドワークの経験もなされたようです。


 私が所属しているのは髙岡弘幸先生が開講している民俗学に関するゼミです。民俗学というと聞きなれない言葉かもしれません。詳しく説明するととても長くなるので、一言でまとめますと、日本の習慣や文化についてそれが担ってきた役割について学ぶ学問です。

 このゼミでは『昭和史世相編』、『民俗のふるさと』という二冊の本を用い、その習慣や文化について学んできました。文化学科には哲学や心理学、社会学など様々なゼミが開講されていますが、この民俗学ゼミの特徴の一つは「なんでもあり」というところです。上の二冊について書かれていることならば比較的学生の自由に調査、発表をさせてもらえます。具体的に学生の発表例を挙げると……

  ・環境問題と民衆活動
  ・県民性の持つ役割
  ・日本の葬送儀礼の歴史
  ・食べ物と観光の関係性
  ・結婚制度がもたらしたもの
  ・日本人にとっての妖怪文化

など、ジャンルも多岐に渡ります。

 また、もう一つこのゼミを特徴づけるものとして
「フィールドワーク」があります。これは何かというと、ゼミで調べたことの裏付けやさらなる情報を求めに外へ赴き、現地の方にお話を伺ってくるということです。

 


昨年(2013年度)は大分県の臼杵市で前期と後期(大学は二学期制です)に2回、聞き取り調査を行いました。これがどう重要なのかというと、必ずしも文献だけでは見つからない「生」の情報を得られるということです。時には文献とは全く異なる情報を得られることもあり、民俗学や近接分野の文化人類学、社会学、地理学では重要な調査方法の一つです。


 もちろん、調査ばかりでなく、現地の特産品など、おいしいものを食べられることもメリットの一つですね。少しは伝わったでしょうか。興味を持ってみたらまずは自分の地元から調べてみることをオススメします。自分の知らなかった「裏」の歴史を知ることができるかも知れません。

LC11台 坂本敬佑