「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、文化人類学・民俗学の中村亮先生です。
タンザニアのキルワ島という小島で足掛け20年間、文化人類学のフィールドワークをしている。その間にいろいろな経験をした。嬉しかったり、腹が立ったり、怖かったりなど。マラリアで死にかけたこともあったが、今ではどれも「思い出」である。しかし一つだけ、いまだにきちんと消化できない、とても不思議な出来事があった。それについて書こうと思う。
福岡大学人文学部文化学科の公式ブログでしたが,2024年3月末をもって停止いたしました。記載情報は2023年度までのものですので,ご注意ください。 2024年度以降の学科の情報は「https://www.hum.fukuoka-u.ac.jp/department/lc」をご覧ください。
「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、文化人類学・民俗学の中村亮先生です。
タンザニアのキルワ島という小島で足掛け20年間、文化人類学のフィールドワークをしている。その間にいろいろな経験をした。嬉しかったり、腹が立ったり、怖かったりなど。マラリアで死にかけたこともあったが、今ではどれも「思い出」である。しかし一つだけ、いまだにきちんと消化できない、とても不思議な出来事があった。それについて書こうと思う。
「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、哲学の中村未来先生です。
・子曰く、黙してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人に誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや。(老先生の教え。〔理解したことを〕黙って心に刻んで記憶し、学んで厭きるということがなく、人に教えて倦むこともない。それらは、〔他人と異なり〕この私において問題はない。〔これ以外、私に何があるだろうか。〕)(『論語』述而篇)
・子曰く、蓋(けだ)し知らずして之を作る者有らん。我は是れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択びて之に従う。多く見て之を識(しる)すは、知るの次なり。(老先生の教え。思うに、〔その問題について〕本当に理解することなくして、新説を作り出す者がいる。しかし、私はそういうことはしない。まず可能なかぎり多くを学んで、その内のこれぞというもの・ことを選び取り、それに従う。〔作り出したりしない。また、〕可能なかぎり多く資料に当たり、それらを記憶するというのは、理解する(知る)ことの前段階なのである。)(『論語』述而篇)