2017年7月31日月曜日

生死を分かつ瞬間の認知情報処理(大上 渉 先生)

 平成29年度第6回目の「教員記事」をお届けします。心理学の大上 渉先生です。人間が生と死の瀬戸際で発揮する認知能力について、その内容と理由をわかりやすく解説していただきました。



生死を分かつ瞬間の認知情報処理

   
     大上 渉(心理学

 19歳だったか20歳だったか、一度死にかけたことがある。クリスマスの夜遅く、小倉の魚町にあるバイト先から八幡にある自宅までバイク(ヤマハTZR)で帰宅していた時だった。自宅近くの「岸の浦」の下り坂を走行中、脇道から飛び出してきたタクシーの横っ腹に衝突した。それと同時にバイクから放り出され、空中を数回転して地面に叩き付けられた。身体は一部強打したものの、運よく受け身の姿勢がとれ、骨折など大きなけがはせずに済んだ。

 この時、不思議な経験をした。空中に放り出されたのはほんの一瞬だったが、時間がとてもゆっくりと進んでいるように感じた。時間の感覚だけでなく、周りの世界もスローモーションで動いているように見えた。空中に放り出されながら見た夜空のことは、今でも覚えている。星の瞬きまでしっかりと見えた。

 このエピソードは私自身の体験であるが、心理学における事例研究からも、生死を分かつ瞬間にスローモーション的知覚がなされることが報告されている。どうも緊急時に起動する認知情報処理システムのようだ。

 生と死の瀬戸際に起動する認知情報処理システムについて詳しく調べるには、個人が見舞われた危機的状況時に、知覚や認知にどのような変化が生じたのか、多くのエピソードを収集し、それぞれの共通点や相違点などを整理することにより、仮説を導き検証することができるかもしれない。

 しかしながら、それは簡単なことではない。なぜならば、体験者の性別や年齢、職業、また危機的出来事の詳細(例えば、同じ絶体絶命の状況であっても、交通事故と自宅の火災では質的に著しく相違する)には多くの相違点がみられることが予測され、さまざまな条件がそろったデータを得ることは難しいからだ。

 また、実験室において危機的状況を設定し、知覚・認知にどのような変化が生じるのか、測定することも方法論的には可能ではあるものの、実験参加者に死を予感させるまでの状況を再現することは、技術的にも倫理的にもほぼ不可能という大きな問題が残されている。

 そこで、参考になるのは米国の警察官に対して行われた調査である。日本とは異なり、米国では、武装した麻薬密売組織や銃乱射犯を制圧する際に銃撃戦となることも多い。その際、警察官は死をも覚悟する強烈な情動的ストレスに曝される。そこで、銃撃戦を経験した警察官を調査対象とすることで、個人属性や危機的状況がある程度統制された、比較対照しやすいデータが得られることになる。

 米国の警察心理学者であるアートウォール(Artwohl)は、1994年から1999年にかけて、米国の法執行機関に所属し、銃撃戦を経験した警察官に対する質問紙調査を行った。総勢157人のデータを分析したところ、次のような結果となった(表1参照)。
 157人のうち、筆者がかつて経験したようにスローモーション体験をした者が62%、またそれ以外にも、著しい視野狭窄(トンネル視)の経験をした者が79%、遠方の細部まではっきり見える鮮明な視覚経験を報告した者が71%、聴覚抑制を経験した者が84%おり、出来事の記憶が一部欠落した者が52%いた。

 アートウォールの調査で報告された心理現象について、もう少し補足する(スローモーションについてはすでに述べたので割愛)。まず、視野狭窄とは、視界が著しく狭くなり、周辺にある事物の知覚が難しくなる現象をいう。あたかもトイレットペーパーの芯からのぞいているように見えたとの報告もある。鮮明な視覚経験とは、あまりに細かすぎて普段では決して見えない細部が鮮明に知覚される現象である。例えば、拳銃の引き金に掛かった犯人の指や、拳銃の弾倉に格納された弾丸(リボルバー式であれば)まではっきりと見えたという。また聴覚抑制とは、銃撃戦であれば発砲音が鳴り響いているにもかかわらず、何も聞こえない現象をいう。最後の出来事の記憶の欠落とは、出来事の記憶のうち、どうしても思い出せない空白部分が生じることであり、自分が行った行動や言動について他人から指摘されても覚えていないし、なぜそのようなことを行ったのか説明できないという。

 このような警察官に生じる心理現象は、アートウォール以外の研究においても繰り返し報告されており、米国の法執行機関の第一線で活躍する警察官にはよく知られた現象のようである。

 緊急事態時に生じる視野の狭窄については、警察官ばかりでなく、事件・事故の目撃者にも生じることが知られている。かつて筆者も実験的方法によりこの現象を検証したことがある(大上ら,2001)。1970年代ころより、心理学者は諸条件を厳密に統制した実験的手法を用いて目撃証言の信頼性を吟味する研究に取り組んでいる。筆者が行った実験の目的は、恐怖や驚きなどの情動が喚起されると目撃者に視野狭窄が生じるか否かを明らかにすることであった。

 実験手続きとしては、まずディスプレイ前に実験参加者を着座させ、ビデオを提示する。このビデオは、実験参加者の情動を操作するための刺激であり、恐怖・驚きの情動に誘導する情動ビデオと、情動には影響を及ぼさない中性ビデオの2種類があった。実験参加者はこのビデオを観察するのだが、恐怖や驚きの情動が喚起される場面において、ディスプレイ画面の4隅のうちいずれかに数字が一瞬(0.5秒)出現する(図1参照)。
 ビデオ観察直後に、実験参加者に数字の出現に気付いたか尋ね、その数字の検出成績について、情動ビデオ観察群と中性ビデオ観察群とで比較した。もし、恐怖や驚きにより、視野狭窄が生じるのであれば、情動ビデオ群の方が、中性ビデオ群よりも、画面隅に出現する数字に気付かず、見逃してしまうことが予測される。実験結果は、予測したとおり、中性ビデオ観察群よりも、情動ビデオ観察群の数字検出成績の方が低く(図2参照)、ネガティブな情動により視野が縮小したものと考えられた。
 では、生と死が紙一重となる極限状態では、なぜわれわれの知覚・認知機能に抑制、ないしはある指向性を持った鋭敏化が生じるのであろうか。

 認知心理学的なレベルでは、処理資源モデルによる説明が行われている。自動車のエンジンを動かすにはガソリンが必要なように、われわれの認知情報処理システムを稼働させるには処理資源と呼ばれる精神的エネルギーのようなものが必要となる(芳賀,2000)。個人が利用できる処理資源量は一定で、限りがある。

 従って、幾つもの課題を同時に行うと、それぞれへの処理資源の割り当てが少なくなり、精緻な課題処理が行えず、誤りも多くなってしまう。ゲームのプレイやスマホの操作に夢中になると、話し掛けられても返事が上の空になってしまうのはそのためだ。

 生死を分かつような緊急事態に際しては、生存に必要な情報の「選択と集中」が行われているものと考えられる。有用な情報が多く含まれる視覚情報に少しでも多くの処理資源を振り向けるために聴覚は抑制・遮断される。また、できる限り視野を狭くすることにより、クリティカルな一点の情報処理に集中させる。そのような情報処理の集中化に伴い、膨大な視覚情報が精緻に深く処理されることから、日常では経験できない鮮明な知覚経験をし、同時に時間知覚にも変化が生じるものと考えられる。

 このように、われわれは、生と死の瀬戸際で驚くべき認知能力を発揮する。これらは人間の生に対する執着と、これまでの適応の歴史を反映した機能なのかもしれない。

参考文献
  • Artwohl, A (2002). Perceptual and memory distortion during officer-involved shootings. FBI Law Enforcement Bulletin, 71, 18-24.
  • Grossman,D. & Christensen, L.W  (2004). On Combat. The Psychology and Physiology of Deadly Conflict in War and in Peace. International, Armonk, NewYork, 安原和見(訳),2008 「戦争」の心理学 二見書房
  • 芳賀繁(2000). 失敗のメカニズム―忘れ物から巨大事故まで―日本出版サービス
  • 大上渉・箱田裕司・大沼夏子・守川伸一(2001). 不快な情動が目撃者の有効視野に及ぼす影響 心理学研究, 72, 361-36.


*なお,この記事は,福岡大学の総合学術機関誌『七隈の杜』第12号(2016年1月19日発行)に掲載された随筆を,本学広報課の許可を得て転載したものです。

 

2017年7月28日金曜日

平成29年度 オープンキャンパスのご案内

 今年度オープン・キャンパスの文化学科関係のお知らせです。
 文化学科の模擬講義、個別相談には右のポスターを目印にどうぞ。たくさんのご来場をお待ちしています。


◆模擬講義「文化学科で考える<時間>」

 会場  8号館2階 826教室

1)「時間地理学で考える生活時間と生活空間」
  講師  鴨川武文 先生
  時間  11:30 ~ 12:10

2)「タイムトラベルを哲学する」
  講師  平井靖史 先生
  時間  14:00 ~ 14:40


◆教員・在学生による個別相談
  会場  A棟6階 A615 教室
  時間  10:00 ~ 16:00


 また、ご来場頂いた方には、各界で活躍する文化学科の卒業生や在学生を紹介した『文化学科卒業生・在学生名鑑』(2017年版)をプレゼントします。卒業生24名、在学生10名の記事に加えて、文化学科の行事や就職先の情報も載っています。文化学科の学生が手作りで製本しました。

 250部限定です。品切れの際はご容赦下さい。





昨年のオープン・キャンパスの様子はこちらをご覧下さい。
オープン・キャンパスが開催されました








一昨年の文化学科のオープン・キャンパスの様子を学生が記事にしてくれました。


大学全体オープンキャンパスの案内はこちらをどうぞ。
 http://nyushi.fukuoka-u.ac.jp/event/oc/

2017年7月24日月曜日

学生生活~ひとりでも楽しむには~(LC11台 北原楓さん)

 今年度第4回目の学生記事をお届けします。LC11台の北原楓さんが「大学生といえば、友達がいないと楽しめない」という考えに一石を投じたい、とひとりでも大学生活を楽しむための3つの方法を紹介してくれました。



学生生活~ひとりでも楽しむには~
LC11台 北原 楓

 皆さんは、「ソロ活」という言葉をご存じだろうか。ソロ活とは、ひとりご飯、ひとり映画、ひとりカラオケ―――などといったような、ひとりで物事を楽しむ事である。自分のペースで、自分の好きなことを、自分で選んで出来ることが、ソロ活の魅力だ。

 大学生といえば、サークルに所属したり、アルバイトに勤しんだり、大学で出来た仲間たちと、楽しい青春を過ごすというイメージを持つ人も多いと思う。確かに、大学校内やその周辺地域では複数人で過ごすことを前提とした施設やサービスが充実している。それも大学生の生活の一面ではあるが、しかしながら、ひとたび別の視点を持ってみると、ひとりでも楽しめるような要素が、意外と多いことにも気づく。今回は、「大学生といえば、友達がいないと楽しめない」という考えに偏重しがちな昨今の状況に、一石を投じたい。私の考える、ひとりでも大学生活を楽しむ3つの方法を、この記事で紹介しようと思う。

1. お気に入りの場所を見つける

 誰しも、自分が落ち着く場所を持っているのではないだろうか。大学の中でも、自分のお気に入りの、リラックスできる場所を見つけられたのなら、より活き活きとした大学生活を送ることが出来るであろう。そんな場所を見つけるには、福岡大学はたいへん恵まれていると言っても過言ではない。福岡ヤフオク!ドームの、フィールド面積約45個分の敷地を有する福岡大学の中には、講義が行われる校舎をはじめ、図書館、食堂、売店など、様々な施設が設けられている。また、大学周辺には、昔ながらのカフェや、ラーメン屋、食事処など、学生にやさしい場所も多く存在する。

 魅力的な場所を探すのも、楽しみの一環だ。大学は、絶好の探検場所でもあるのだ。自分のお気に入りの場所を見つけて、ひとりでくつろぎ、楽しむ時間を過ごしてはいかがだろうか。

私のお勧めスポットは、レストラン『みつる』。
福大通用門から歩いてすぐ。
レトロな喫茶店のような雰囲気がたまらない。
軽食のほか、クリームソーダなどのドリンクメニュー
も豊富である。


2. 自分の興味のある講義を見つける

 大学の講義はとにかく幅広い。各々の学科特有の専門知識を学ぶ講義や、英語をはじめとする語学の講義や、「生涯スポーツ論」―――福岡大学における体育の講義など、学びの範囲は高校生の時に比べてより広く、専門的になる。講義を選び、時間割を作るのは学生に委ねられているのだが、よくある履修登録の決め手として「単位のとりやすさ」や「友達も同じ講義を取っているか否か」が挙げられる。確かに、講義の難易度については、新入生には不安があるかもしれない。友達も一緒に受けることで、わからないところを教え合ったり、万が一自分が講義を欠席した時に、フォローしてもらうことができるかもしれない。しかし、それらの決め手よりも「自分が、その講義に興味・関心があるか」を優先することがベストである。自分が元々興味のある分野についてより深く学ぶも良し、将来の夢のために、たとえ難しそうでも必要な知識を身に付けるのも良し、新たに興味のある講義を見つけ、視野を広げるのも良しだ。しっかりと自ら学ぶ意欲を持った上で受けた講義は、やがて実になるだろう。自分の意思を優先して、あえてひとりで受講する環境は、自らを育てるかもしれない。

3.「学生割引」を活用する

 人生における最後の学生生活が、大学生になる人も少なくないだろう。悪い言い方ではあるが、「大学生活は人生の夏休み」と揶揄されるように、大学生は自由な時間が大いにある。その時間を充実させるのも、空虚なものにするのも、自分次第なのだ。大学生である特権をフル活用できるのが、「学生割引」である。

 よくある学生割引は、カラオケ、ボーリング、食事、映画などが対象として挙げられる。ソロ活という観点から見れば、自分の好きな曲だけを、人目を気にせず歌える一人カラオケは、需要が高まりつつある。現在では一人カラオケ専門のカラオケ店の存在も珍しくないほどだ。

 また、福岡大学の学生は、九州国立博物館の「キャンパス・メンバーズ」会員であり、様々な特典を受けることが出来る。例えば、学生証を提示することで、九州国立博物館の平常展を、何度も無料で観覧できるのだ。文化や歴史に興味がある学生はもちろん、新たな体験をしてみたい学生も、この特典は見逃せない。これまで挙げたことは、娯楽のうちに過ぎないかもしれない。しかし、学生のうちに様々な経験をすることは、自らの糧になり得るであろう。ひとりでも、自分が興味のある事をたくさん経験していくことが大事である。

 「ソロ活」を推奨した私だが、友人と楽しむ学生生活を否定したわけではない。信頼できる友人を作ることも、大学生活の醍醐味である。そんな中で、しっかりと自分の意思を持ってほしい。ひとりで選択し、行動することは、自立への第一歩となる。


2017年7月23日日曜日

LC哲学カフェ開催:ギリシア神話で哲学する


7月10日(月)の夕方、本年度第三回目のLC哲学カフェが開催されました。はじめての試みとして、今回の題材はギリシア神話。タイトルは「娘よ、ギリシアのためにおまえを生贄に?――ギリシア神話で哲学する」。

メイン・タイトルは、エウリーピデース(古代ギリシアの作家)作の悲劇『アウリスのイーピゲネイア』の、次のようなアガメムノーンのセリフを踏まえたもの。「望もうと望むまいとギリシアのためにおまえを犠牲にしなければならない。/これに逆らう力は無い。ギリシアは自由でなければならない。/そのために、娘よ、おまえと私は力を尽すのだ」(高橋通男訳)。

参加者は学生さんが7名と教員が2名。前半は、このエピソードの内容についての確認や、違和感を覚えるポイントなどの話が中心。アガメムノーンはギリシア軍の総大将。兵士たちは、娘を犠牲にするような人間についていきたいと思うのか。逆に、私情を捨てて全体を優先する姿が総大将にふさわしく、頼もしく見える……?

しかしそもそも、女神アルテミスが怒った原因は、アガメムノーンがアルテミスの鹿を殺したから。自分の罪の償いのために娘を犠牲にするのは許されるのか。いやその前に、戦争の原因は、パリスが人妻のヘレネーを誘拐したこと。結局、すべてパリスが悪い。しかし、パリスがヘレネーを手に入れたのは、女神アプロディーテーの助けによるもの。アプロディーテーがそんなことをしたのは、黄金のりんごを手に入れるため。そのりんごを持ってきたのは女神エリスで、そしてエリスがそんなことをしたのは、結婚の披露宴にエリスを招待しなかったから。結局、エリスを招待し忘れた人が悪い……?

カタカナの名前ばかりでわからない、という嘆きの声も聞かれる中、「つっこみどころ満載」、「むしろ、つっこみどころしかない」などの感想も。

後半は一挙に、話題が様々な方向に展開。娘を犠牲にしてより多くの人々の利益を優先する、という話から、トロッコ問題やサバイバル・ロッタリーの議論へ。その他、最近の人工知能をめぐる問題、歴史は繰り返すのか一回限りなのか、不老不死の是非、ヴァーチャル・リアリティ、ユーコン川をカヌーで下る話、等々。何ら話がまとまる気配のないまま、いつものように六時のチャイムと共に、強制的に終了となりました。

マンガを題材にするのと比べて、聞きなれないだろう名前も多く、ややハードルは高かったかもしれません。登場人物や物語についての説明など、もう少し工夫が必要だったかもしれない、と反省しつつ、いずれどこかのタイミングで、この手の題材もまた扱ってみよう、と企んでいます。

さて、いよいよ定期試験も間近。その後には夏休みが待っています。哲学カフェも一旦お休みして、また夏休み明け、9月末頃から再開の予定です。引き続き、このブログ上で告知しますので、乞うご期待。次回はあのマンガ作品を……?

なお今回、ギリシア神話のストーリーに関してはブルフィンチの本を参照しましたが、物語の細部について、また違ったヴァージョンもあります。興味のある人には、ホメロスの叙事詩(『イリアス』と『オデュッセイア』)やギリシア悲劇などがおすすめ。長い夏休み、ぜひ古典に挑戦を。

参考文献
 『ギリシア悲劇全集9』、岩波書店、1992年
 トマス・ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話(下)』、大久保博訳、角川文庫、2004年(増補改訂版)

2017年7月8日土曜日

伝統芸能 筑紫舞について(LC17台 亀井南央さん)

 今年度第3回目の学生記事をお届けします。文化学科1年生の亀井南央さんが九州の伝統芸能である筑紫舞について、自らが関わることになった経緯や活動内容について紹介してくれました。亀井さんは千葉県の出身ですが、筑紫舞を学ぶために福岡の高校に進学し、この4月に文化学科に入学されています。


伝統芸能 筑紫舞について
LC17台 亀井南央

 私は幼少の頃より、九州が発祥の日本の伝統芸能「筑紫舞」を習っており、将来は筑紫舞の伝承者になりたいと思っています。この舞は、平安時代の「続日本紀」にも書かれているほど歴史があり、歌舞伎や能、狂言などの元となったといわれる素晴らしい舞です。始めたきっかけは、祖母が習っており、物心を付いたときにはすでに習い始めていました。中学時代までは千葉県に住んでいて関東の教室で筑紫舞を習っていましたが、ご宗家の勧めもあり、本拠地で本格的に習得しようと決め、高校入学を機に家族と共に現在の本部である福岡市東区に移住しました。


 筑紫舞は、パリなどの海外公演でも成功を収めており、私もいつか海外公演を実現し、この貴重な日本の伝統芸能を世界に発信して参りたいと考えています。その時のために私は、日本の伝統や文化、宗教を深く学び、それを直接海外の方々に伝えられるようになりたいです。この目標を達成するためには、多角的な視点から日本の歴史や文化を学ぶことができ、留学の制度をたくさん設けてくださっている、福岡大学の人文学部文化学科で、夢を実現するために学習していこうと思います。

 現在私は、筑紫舞の門下の中でも師範という位におり、毎年近隣の香椎宮や紅葉八幡宮、住吉神社などを始め福岡の多くの神社で、舞を奉納させていただいております。

 また年に一度、大濠公園の能楽堂にて奉納ではなく舞台というかたちでお披露目していて、五年連続で出演させていただいております。昨年の舞台は、五百人以上の方々に見ていただくことができ、今までで一番幸せで、達成感のあるものとなりました。近年では、他の高校や大学に筑紫舞の講義をしに行くことも増え、名取りとして学生達に教えに行く立場にもあります。

 どの伝統的なものの分野にも共通して言える課題として、若年層があまり興味を示さないということが挙げられます。私と同年代の門下生を増やしたいという理由もあり、今まで培ってきた経験を十分に生かして、福岡大学でもより多くの学生にこの九州発祥の素晴らしい舞の存在を知って、興味を持ってもらいたいです。また、自分が師範という立場にあるので、教える側になり、ぜひみんなに触れてもらえたらと考えています。

 私はこの舞を、生涯かけて伝承していく所存です。先代の宗家、西山村光寿斉先生は、「筑紫舞を無形文化財にしたい」とおっしゃっておりました。私もそれを目標に、過去の経験を生かしながら、今できることを少しずつでもして、精進します。

 8月5日(土)12時30分から、大濠公園能楽堂にて公演致しますので、お時間がありましたらぜひ観にいらしてください。



2017年7月7日金曜日

卒業論文相談会開催のお知らせ

卒業論文相談会開催のお知らせ
(LC15台/3年生対象)

10月上旬の「卒業論文指導願」提出に向けて、夏休み明けの9月下旬、3年生を対象に卒業論文相談会を開催します。

会場には文化学科の全教員が集合。その場で個々の教員に、卒業論文について個別に相談することができます。卒業論文を書くかどうか迷っている人も、ぜひ参加してみて下さい。

 日時 2017年9月29日(金)16:30-18:00
 場所 文系センター棟15階 第5会議室

当初は9月27日(水)開催の予定でしたが、諸事情により開催日を変更しました。ご注意下さい。
※当日は『2017年度版 福岡大学人文学部文化学科 教員紹介』を持参して下さい。

なお、この相談会に参加しなくても、卒論の指導を受けることは可能です。

卒業論文を書こうと考えている人は、ぜひ夏休み前に一度、論文のテーマや参考文献などについて、身近な教員(所属ゼミの教員など)に相談してみて下さい。相談した教員が直ちに指導教員となるわけではありませんので、どの教員に相談しても構いません。その上で、夏休みの時間を利用し、本を読んだり資料を集めたり、少しずつ作業を進めておくのがおすすめです

卒業論文を書くために必要な手続きについては、『2017年度版 福岡大学人文学部文化学科 教員紹介』の25-31頁「卒業論文を書くために――卒業論文をめぐるQ&A」を参照して下さい。

卒業論文関連の最近のブログ記事は下記の通り。

平成28年度 卒業論文相談会が開催されました
平成28年度 卒業論文発表会が行われました
卒業論文発表会に参加して
卒業論文執筆を終えて(LC13台 植田舞香さん)
平成28年度提出の卒業論文題目一覧

何か不明な点があれば、教務連絡委員の小笠原か本多先生まで。

教務・入試連絡委員 小笠原史樹・本多康生