「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、哲学・倫理学の林誓雄先生です。
忘年会のシーズンである(書き出しが、毎年同じような気が…)。しかし、ご存知の通り、コロナ禍のため、我々国民は旅行自粛や会食自粛の日々を送っている。その一方、国民の模範となるべき(?)某首相は、少なからぬ人数での会食を行う日々を過ごしているようだ。もちろん、国民として、自身の自由を犠牲にして他者に迷惑や危害を及ぼすのを避け、他者の、そして自身および自身の大切な人たちの命を守る行動を取ることは、至極当然のことであり、それこそ倫理的にも妥当なことだと思われることだろう。倫理学者児玉聡は、コロナ禍における社会による個人の(行動の)自由の制限について、それが次のように正当化されると主張している。
あなたが確実に別の人に感染症をうつすというわけではないが、あなたを含め、あなたと似たような状況にある人口集団が自由に行動したならば、一定数の人が感染症にかかって重症ないし死ぬリスクがあるから、あなたには協力をしてほしい。自発的に協力できないならば、人々の健康や生命を守るためにあなたの協力を強制的に求めることも正当化されうる。(児玉[2020])
このように、人々の健康や生命を守るために、「生存」という価値を理由・根拠として、哲学的・倫理学的な見地から、個々人の「飲み会に行く自由」の制限が正当化され、そしてひたすら「忘年会を開催する自由」という価値が、「生存」の価値によって制限される状況が続いている。