2018年12月26日水曜日

第7回 LCアーベントが開催されました


12月17日月曜日の夕方、第7回目のLCアーベントが開催されました。

今回の発表者は私(哲学・宗教学)で、タイトルは「物語られる生の諸相――生命倫理・神話・映画」。参加者は学生さんが5名程度に、教員2名。

まずは前半、J・レイチェルズの生命倫理・医療倫理の議論を踏まえて、生物学的な生命と区別される「物語られる生」という概念を導入(私の恩師は「物語られるいのち」という言葉を使っています)。さらに、自分が自分の生について物語る場合(物語られる生①)、他者がその生について生物学的生命の範囲内で物語る場合(物語られる生②)、他者がその生について生物学的生命の範囲を超えて物語る場合(物語られる生③)を区別。生物学的生命が続いていても「人生」はすでに終わっていると見なされるケースや、逆に生物学的生命が終わっていても「人生」は未だ続いていると見なされるケースなどについて、少し検討してみました。

その後、話は一挙に神話の世界へ。『ギルガメシュ叙事詩』を中心に、ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』とも比較しながら、生物学的生命を賭して死後の名声(物語られる生③)を求めるような「英雄的人生観」、生物学的生命の永続を求める「死の恐怖と永生希求」、名声や生物学的生命の永続を求めず、生物学的生命の範囲内で楽しもうとする「現世享楽主義」、という三つの人生観について検討(これら三つの区別は、月本昭男氏の整理に依拠)。

最後に、少しだけ映画について。「ライフ・イズ・ビューティフル」や「ビッグ・フィッシュ」などの作品を参照しながら、「物語られる生」という捉え方の射程、可能性について付言し、とりとめのない発表が終了。

質疑応答では、生命倫理と宗教学との関連、死後の「神格化」の問題、英雄的人生観と現世享楽主義は両立するのではないか、キリスト教的な「永遠の命」の意味、脳死・臓器移植の問題などが問われ、議論が交わされました。

※なお、質疑応答の際、「スピリチュアル・ペイン」や「スピリチュアル・ケア」などの言葉を、宗教的な信仰に関わる痛みやそのケア、という意味で使ってしまいましたが、これらの言葉は狭い意味での「宗教」だけではなく、人生の意味に関する苦痛など、より広い意味でも使われます(「宗教的ケア」と「スピリチュアル・ケア」を明確に区別する立場もあります)。訂正してお詫びを。

「ギルガメシュよ、自分の腹を満たすがよい」という『叙事詩』の言葉に従い、終了後は近所の某居酒屋へ。先程の発表はどこへやら、ハリウッドのアクション映画やB級映画の話で盛り上がってしまいましたが、それもまた一興……。


さて、四月からスタートしたLCアーベントですが、一月以降の開催はスケジュール的に難しいため、今年度は以上で終了。来年度の予定は全くの白紙ではあるものの、異なる分野の教員が集まって議論する機会は、ぜひどこかで設けたい、と考えています。

完全な「見切り発車」で慌ただしく始めた研究会でしたが、多くの方々のご協力を得て、何とか計7回、開催することができました。ご参加いただいた皆さま、開催にご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

関連記事
 LCアーベント開催のお知らせ
 第1回 LCアーベントが開催されました
 第2回 LCアーベントが開催されました
 第3回・第4回 LCアーベントが開催されました
 第5回 LCアーベントが開催されました
 第6回 LCアーベントが開催されました

0 件のコメント:

コメントを投稿