2015年8月17日月曜日

氷が解けると春になる(鴨川武文先生)

「教員記事」をお届けします。本年度第七回は地理学の鴨川武文先生です。




photo by Katrin Lorenzen
前回のブログ記事では、「大学(人文学部)で学ぶということ、役に立つ学問とは何か」について私の思いを書きました。今回は、私の専門とする人文地理学、中でも経済地理学について研究の一端をご紹介しようと思います。その前に今回のブログのタイトルですが、「氷が解けると春になる」としてみました。小学校・中学校・高校で学んできた学生の皆さんは「氷が解けると水になる」とすぐに正答を答えることができます。でも春でも正解ですね。春先に北海道に出かけると、冬の間、接岸していた流氷が解けて海が開けると、漁師は「氷が解けた。春が来たぞ。さあ漁を始めよう」と言うのです。正解というのは必ずしも一つではなく、問題に対する別解探究が大学での勉強といってもいいでしょう。

 本題にもどりますが、私が専門とする地理学の分野は、経済地理学です。経済学部にも経済地理学という科目がありますが、地理学でいう経済地理学と経済学でいう経済地理学は必ずしも同じではありません。それよりも全く異なる学問といえるでしょう。難しいことはともかく、あえて違いをいうならば、前者は人間の経済的な活動、たとえば農業や工業などについて地域を事例とした実証的研究、後者は経済理論についての研究といえるでしょう。私は地理学の経済地理学を専門にしていますので、地域で見られる経済活動についての実証的研究をしています。

 私は、しばらく、陶磁器製造業について研究をしてきました。ひらたくいえば焼き物(陶磁器)を焼く窯元の研究です。陶磁器製造業というよりも地場産業としての焼き物というほうが学生の皆さんにはなじみがあるかもしれません。地場産業とは地域に根付いた産業で、福岡県の博多織や博多人形、福岡県八女市の仏壇仏具などもその例です。焼き物産地としての佐賀県有田町は日本国内ばかりでなく、世界的にも有名ですね。

 私がいわゆる地場産業の研究に興味をもったのは、恩師とともに水産加工業の研究を行った時に始まります。当時、今から約30数年前になりますが、かまぼこを製造する小さな加工場を訪れて、フィールドワークを行いました。従業員が10人ほどの小さな加工場で、10人全員が女性、しかも比較的高齢の女性がかまぼこ製造に従事していました。女性たちは皆、加工場近くに居住していましたが、地場産業は地域の人々によって支えられている、すなわち、地域が地場産業を支え、地場産業が地域を支えているという思いを強くもちました。それはかまぼこ製造に限らず、牡蠣養殖業でも同じでした。牡蠣の養殖は波静かな湾で行われています。いい牡蠣が育つためには海水が栄養豊富であることが条件ですが、その栄養分は湾の背後に広がる森からもたらされます。ですから豊かな森が存在して初めて牡蠣養殖業は成り立ちます。牡蠣養殖業でも牡蠣の殻を開けて私たちが食べるカキを取り出しているのも地元の女性たちでした。ただ、残念なことに私が訪れた水産加工場と牡蠣養殖筏(いかだ)は2011年 3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で壊滅的な被害を受けました。

 私の地場産業の研究に転機がおとずれることになりましたが、それが福岡大学への着任でした。着任後、陶磁器製造業の研究を始めました。フィールドとして佐賀県有田町と長崎県波佐見町を取り上げました。有田町は世界的にも有名な陶磁器産地、一方、波佐見町は有田町の陰に隠れるような知る人のみが知る陶磁器産地です。両町とも陶器市では大変賑わいますが、普段は静かな産地です。学生の皆さんはものづくりというとどのようなイメージをもっているでしょうか。おそらく機械を駆使してものづくりが行われているとお思いでしょう。ものによってはそうですが、それこそものによっては機械では作ることのできないものもあります。焼き物でいえば、お茶を飲む(いれる)時に使う急須はその例です。急須は機械で作ることができないのです。すべて手作業です。簡単に紹介しましょう。では急須をイメージしてください。一般的に、急須は、本体・ふた・ふたの中央にある「つまみ」・お茶を湯呑みに注ぐときに握る取手・注ぎ口から成り立っています。これらをすべて手作業で作ります。ふた・取手・注ぎ口のいずれもが独特の形状をしていますので、機械では作ることができないのです。さらには急須の本体を見ると、お茶の葉が湯呑みに注がれないよう本体内部に、穴が開いた茶こしが有りますね。あれも手作りです。こうして急須の各部分が作られたら、急須の形状になるようにそれぞれを接着しなければなりませんが、この時、接着剤の役割をするのが陶土を水で溶かした泥漿です。見事に各部品をつなぎ合わせることが可能です。接着剤の役割を果たしている泥漿とは全くの驚きです。こういうことを知ることができるのもフィールドワークの強みでしょう。また、水産加工業や牡蠣養殖業と同じように窯元でも多くの高齢者がものづくりに従事しています。

 ところで学生の皆さんが焼き物を買うということなど全くないといっても過言ではないでしょう。その通りです。また、家庭の中で自分自身が使う茶碗や湯呑みなどは決まっていますね。両親や兄弟姉妹が、日常、使用している茶碗や湯呑みを使うことはありません。さらに、焼き物は一度買うと、次に買うことはほとんどありません。そうです。焼き物はなかなか売れないのです。なぜなら家庭には有り余るほどの焼き物があるからです。それでも窯元は作り続けています。知恵とアイデアで。9月の連休中に、是非、窯元巡りをして日本の伝統文化に触れていただきたいと思います。地場産業は私たちの生活に根差した産業ですから、私たちの生活様式が変化すれば消滅する地場産業もありますので、存在しているうちにその特色を記録することが私の務めだと思っています。

死と不死をめぐる合同ゼミ (宮野真生子先生)

宮野先生と原口花恵さん(2013年度入学)から、7月17日に宮野ゼミと林ゼミが実施した「死と不死についての合同ゼミ」の紹介記事をいただきましたので、お届けします。



  きっかけはひょんなことだった。林先生と焼き鳥をつまみに飲みながら、「お互いのゼミ同士、仲の良い学生さん多いけど、ゼミの時間が一緒だから、互いのとこにもぐれないのが残念だよねー」と話をしていたのだ。で、ふと私の口から出たのが「じゃぁ、合同でゼミやってみる?」。そこからはあれよあれよと話が進んで、テーマは「死ぬのが怖いというのなら、死ななければいいんじゃない?」、つまり、「必ず死が訪れる人生か、不死のまま人生を謳歌する生き方か」。不死というと、多くの人がイメージするのが「病み衰えて死ねないなんて、苦痛じゃないか」とか「ずっと続くなんて退屈じゃないか」ということだろう。しかし、心配ご無用。今回の「死vs不死」には、条件設定がついていて、それは「不死」の場合は、「自分の好きな年代を生きることができる(たとえば、40歳の自分を生きたあとに、20歳に自分を選ぶことができる。年齢設定自由)」というもの。これなら、何度でも楽しい体験ができて、しかも、死の恐怖を味わう必要もない、お得!というわけ。
 
 もちろん、これは哲学のゼミ。小難しい死の害悪をめぐる論文や人生の意味についての資料をみんなで議論しつつ、発表の準備をする。当日の模様はゲスト聴講をしてくれた3年生の原口さんのレポートを参照していただきたいが、「20代を何度も繰り返すことで、一度の経験におけるかけがえのなさが薄まってしまう」「そんなことはない。卒業式は何度も経験したけどそれぞれに素晴らしい経験だった」だの、「死があるから人生を大事にするんだ」とか「いや、人生の意味というのは、死によって形づくられるものではない」など、「死」を考えることは「人生」について深く考えることに参加者が気付いたようで、仕掛け人としては嬉しくなったりしたのでした。

この合同ゼミについての学生記事はこちら:宮野ゼミ×林ゼミ「死と不死」(LC13 原口花恵さん)


宮野ゼミ×林ゼミ「死と不死」(LC13 原口花恵さん)

 去る7月17日金曜日、A701教室では熱い議論が繰り広げられていた。宮野ゼミと林ゼミの学生による、「死と不死」をテーマに行った合同ゼミの発表会である。私は友人から合同ゼミのことを聞いて興味を持ち、見学を申し出たが、その際の宮野先生の快諾っぷりは、そのまま発表会の(すなわちゼミの)開放感を体現していた。私が明らかに浮いた様子で教室内に居ても、誰もが「ああ、見学ね」といった様子で、鷹揚に迎えてくれて安堵したのも束の間だった。

  それぞれのゼミ内で、「死」と「不死」の合計4グループに分かれて行われたそのディスカッションは、お気楽に構えていた私の甘い考えを初っ端から木端微塵にした。シンプルだからこそ重く難しいテーマでありながらも各々の個性が光る発表であったし、1グループが発表する毎に質問の時間が設けられているのだが、先輩も後輩も関係なく、気兼ねすることなしにストレートな意見が宙を舞った。それぞれの方法で、見方で、切り込み方で、自分たちの主張を展開していく姿は瑞々しく、議論が盛り上がる中で軌道が逸れる場面もあったものの、先生方の舵取りが入りつつ学生たち主導で熱く力強く進んでいった。

 
 実を言えば、議論が途切れてしまった場合、見学者として私の意見を聞かれるのではないかとハラハラしながら席に就いていたのだが、何のことはない、常に誰かが主張しており(笑)、途切れるどころか時間内では収まらないほどだった。その時私は、安心と同時に一握りの寂しさを抱いた。それほどに、意見を飛び交わしている学生たちの表情が生き生きとしており、楽しそうに見えたからだ(決してほのぼのとした議論とは言えないのだが)。刺激的で、(いい意味で)荒々しい議論を交わすことで、学生たちがお互いを高め合いながら成長していく上で重要な経験であり、「死」と「不死」という窓を通して生きることを見つめる機会でもあったと感じた。またこのような機会があれば、一介の見学者としてではなく、議論に加われるような立場で、際限なく意見を交わせたら、と思う。(先生方、何卒よろしくお願いいたします。)


LC13台 原口花恵

この合同ゼミの成立経緯についてはこちらをどうぞ:死と不死をめぐる合同ゼミ(宮野真生子先生)


2015年8月11日火曜日

文化学科ゼミ紹介(LC13 鎌田茉奈美さん)

今年度7回目の学生記事をお届けします。現3年生の鎌田茉奈美さんが、平井ゼミの報告をしてくれました。


 こんにちは。文化学演習、平井ゼミ三年の鎌田です。今回は私達がゼミで学んでいる内容について紹介させていただきます。

 私たちは基本、フランスの哲学者であるアンリ・ベルクソン氏の著書『物質と記憶』を教科書として用いています。そしてこの本の内容について理解を深めていくといった授業を行っています。


 前期で扱った本の内容としては、主に記憶と脳の話でした。具体的には、記憶には二種類あることや、そこから私たちが感じ取ったものをどうやって認識しているのか、さらに認識の間違い(「こんちには」がなぜ「こんにちは」と読めてしまうのかなど)はどのようにして起きるのか、などについてでした。これらを教科書で学びながら、難しいところはグループに別れて話し合いを行い、ゼミ生がお互いに意見を言ったり聞いたりすることで、より知識を深めていきました。さらにゼミの最終回には二班に分かれて、今まで学んできた内容についてのプレゼンテーションを行いました。



 三年生からのゼミの授業では、三年生と四年生の二学年合同になるので、授業中に違う学年間で教え合い、交流することが出来ます。これは他の普段の授業では無い、ゼミならではのことではないでしょうか。特に私たちの行ったプレゼンテーションは、班の三年生主体での発表でしたので、まだ哲学を始めて間もない私たちは、四年生の先輩方にとても助けていただきました。授業の時間外でも集まって、一緒に発表内容を考えていただき、より理解を深めた上で発表に臨むことが出来ました。

 この授業内容を聞く限りでは「え? 哲学のゼミ? やってることは脳科学では?」と思われるかもしれませんが(私もそうでした)、この前期の議論を踏まえた上で、時間の哲学や、心と身体の哲学を後期でやっていくはず、です。


 哲学書を読むのは難しそうと思われている方は少なくないと思います。私も哲学には興味がありましたが、難しそうな哲学書を読むことには抵抗を感じていました。しかしゼミで他の同輩や先輩と話し合いながら読み進めていけば、自分がどこが分かっていないかが分かり、さらに他のゼミ生に説明をすることで、自分の理解も深めることが出来ます。

何よりも、授業を通して難しいことや、知らなかったことを徐々に理解出来ているという実感があることが、ゼミならではの醍醐味だと思います。「何だか難しくて大変そう」という理由でこういったゼミや授業を忌避するのは勿体無いような気がします。

 折角、大学という環境に居るのだから、様々なことに意欲的になることが大事なのではないでしょうか。それは他のゼミでも言えることだと思います。私も、そのことを意識して、この平井ゼミや、残りの学生生活を過ごしていきたいです。

LC13台 鎌田茉奈美

2015年8月1日土曜日

スマホと空と攻殻機動隊(小笠原史樹先生)

「教員記事」をお届けします。本年度第六回は中世哲学の小笠原史樹先生です。



スマホと空と攻殻機動隊

ゼミ生を相手に、或るとき次のように口走った。「スマホの画面を見ている時間と、空を見上げている時間とを比べて、もしスマホの画面を見ている時間の方が長い、と気づいたら、その瞬間にスマホを折れ!」。

さらに調子に乗って「人間の頭が上についているのは、スマホの画面を見下ろすためではなく、空を見上げるためだ!」と叫んだのだったか否か。しかしゼミ生から「ガラケーなら『折れ!』でいいでしょうけど、スマホの場合は『割れ!』でしょうね」と指摘されて言葉につまった。パキリと二つに折るからこそ気持ちがよいのに、「割れ!」では爽快感に欠ける……。

それにしてもスマホ、である。キャンパス内を歩いているといつも、スマホを操作している学生諸氏の、その圧倒的な数の多さに驚かされる。誰もが情報ネットワークに接続して常につながり続ける、という空想はSFの領域を超えて、少なくとも大学内では半ば現実化してしまった。後はサイボーグ技術さえ発達すれば、遂に「攻殻機動隊」の世界が……?

……いや、どこか違う気もする。映画「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」(押井守監督、1995年)に代表されるように、「攻殻機動隊」シリーズではしばしば「私」という在り方が、克服すべき制約として捉えられる。確かに、私は私でしかない。しかし、膨大な情報で構成されたネットと一体化することで、この制約が克服される。私は私であることから解放されて消滅し、より集合的な何か(?)へと変わっていく。「ネットは広大だわ……」、というわけである。

他方、学生諸氏にとってスマホは往々にして「私」を克服するツールとしてではなく、むしろ「私」を肥大化させるツールとして機能しているように思われる。スマホで量産されるのは「私」に関する言葉や画像であり、その意味で、スマホの画面を見ることは鏡を見ることに似ている。おびただしい自己言及の応酬の中、「私は他人からどのように見られているのか」という自意識ばかりが空転し、「私」だけがどこまでも膨らんでいく……とまで断じてしまうことは躊躇われるが。

ところで上記の映画には、キリスト教の聖典である新約聖書の、『コリントの信徒への手紙一』からの引用が出てくる。

「われ童子(わらべ)の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり」(13章11節、文語訳)

同じ箇所が、新共同訳では「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた」、田川建三訳では「幼児であった時には我々は幼児のように話し、幼児のように思い、幼児のように考えていた。だが私はすでに大人となったのだから、幼児のようなやり方を止めたのである」となっている。田川訳では、ギリシア語原典で前半が一人称複数、後半が一人称単数で書かれていることが示されていて興味深いが、この点には深入りしないでおこう。

映画「GHOST IN THE SHELL」では、童子が「私」に制約されている状態に、人(=大人)が「私」から解放された状態に比されている。私であること自体から解放されるべきか否かはともかく、大人になるためには過剰な自意識から解放されることが必要である、とは言えるだろう。映画の場合、「私」からの解放は広大なネットと一体化することによって成された。過剰な自意識からの解放もおそらく、「私」を超える広大なものに触れることで成される。

スマホを割れ、とは言わない。スマホの画面を見つめ続ける合間に、たとえ暑さに苛立ったが故であるとしても、少しは空を見上げてみてほしい。ネットと同様かそれ以上に、空もまた十分に広大である。


参考文献
 士郎正宗『攻殻機動隊』、講談社、1991年
 田川建三訳著『新約聖書 訳と註 第三巻:パウロ書簡 その一』、作品社、2007年