2018年6月2日土曜日

第2回 LCアーベントが開催されました


今週火曜日、5月29日の夕方、第2回目のLCアーベントが開催されました。参加者は学生諸氏が約30名、教員が8名、と盛況。

今回の提題者は一言英文先生で、ご専門は比較文化心理学と感情心理学。提題のタイトルは「文化と感情の交点:幸福と文化の心理学」。

まずは冒頭、人の感情を理解するとき、我々は周辺の文脈を使って意味づけることではじめて理解している、ということが実例と共に示されました。そのような「意味の体系」は主に文化の内部で共有されるため、文化が異なると、特定の表情や声がどのような感情を意味しているのか、理解できない場合もある。意味の体系が違うと、伝わらない。

絵文字に関する研究が示しているように、人の表情から感情を読みとるときも、目に注目するのか口に注目するのか、日本の学生とアメリカの学生に違いが出たりする。言葉の意味と語調という二つの刺激に関して、日本の学生は語調の判断が得意で、アメリカの学生は言葉の意味の判断が得意、という実験結果もある。これらの違いから、相手の目や語調を気にして和を保とうとする、という日本人の人間像が見えてくる。どの情報に注目するのかという違いの背後には、「自己のあり方」の文化差があるのだろう――。

いよいよ話は、比較文化心理学へ。文化には価値観の次元があり、個人の権利や自由をより平均的に重視する国(個人主義)と、主に所属集団に頼って自分の労働や生き方を判断する国(集団主義)との違いがある。ただし、きれいに東西二つに分かれるわけではなくバラついているし、中間の国も多い。

さて、幸せも感情。幸福感にも文化的な側面があり、意味づけの違いがあるはず。アメリカの学生は「幸せ」の連想語として、肯定的な快の経験や、個人的な達成感を表す単語を多く挙げる。日本の学生は「幸せ」の連想語として、アメリカ人と同様の言葉も挙げつつ、長くは続かない、実体がない、周りが見えなくなる、妬まれるなどの言葉も多く挙げる。とすれば、個人的な達成感を問うだけでは、幸せの測定として不十分。協調的幸福感を測定するような方法が必要になってくる。

人間関係が重視される文化では、幸せの意味は協調的幸福感とより深く関わっているのではないか。実際、データをとって比べてみると、日本の学生の場合はアメリカの学生より、自尊心よりも協調的幸福感の方が幸せと相関性が高い、とわかる。

同じような相関性をポーランド、フィリピンについても調べて日本と比べてみると、やはり文化によって自尊心や協調的幸福感と幸せとの関連性が違う、とわかってくる。個人主義の国では自尊心との結びつきが強く、集団主義の国では協調的幸福感との結びつきが強い、と解釈できるデータが出てくる。

最近は国の違いだけでなく、地域や職業の違いについても研究が進んでいる。地域レベルでも個人主義と集団主義の違いはあり、アメリカの州や日本の県でも違いがある。つまり国内でも比較ができて、この場合、翻訳の問題が減るので研究がしやすい。アメリカの州ごとに比べてみると、個人主義的な州では幸せと協調的幸福感はあまり関係がなく、集団主義的な州では関係が強い。他方、個人主義的な州では幸せと自尊心は関係が強く、集団主義的な州ではあまり関係がない。日本の県でも比べてみると、個人主義的な県と集団主義的な県で同じような違いが出てくる。

幸せの意味づけは、地域によって異なる。個人主義か集団主義かによって、幸せの意味が左右されているのだろう、と解釈される。幸せの全国ランキングが発表されたりしているが、東京と他の県で幸せは同じなのか。おそらく全く一緒ではない。文化差があるはず、性質が違うはずなので、単純に量的な比較はできないだろう――。

さらに、他の国に関する研究、加齢と幸福の関係、タイの都市部や農村での調査、都市生活が幸福感に与える影響などについて述べられたところで、一旦発表は終了となり、残りの時間は質疑応答。

この幸福感に関する研究は社会にどのように寄与するのか、個人主義化によって人々はより幸せになっていくのか。「あなたは幸せですか」と質問する方法がすでに西洋的? 快としての幸せ、善としての幸せ、心理学的な「リッチネス」としての幸せ、それらをどのように測定していくのか。同じ都市部でも色々な人がいるはずだが、その違いをどのように考えていくのか。地域によって違いが生まれる理由は何か、生きていく上で必要な日常の行動・課題が人の心を変えるのではないか、等々、さらに議論が重ねられ、やや時間を超過して終了となりました。

※以上はあくまでも小笠原の理解に基づく要約。細かい言葉遣いなど、実際の発表と異なる部分もあります。


同じ「幸せ」でも文化ごとに意味づけが異なる、というのは、言われてみれば「成程、確かにその通り」と気づかされるものの、普段は忘れがちなことかもしれません。17世紀の思想家であるブレーズ・パスカルは「人間は、死と不幸と無知を癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした」と書き残していますが(『パンセ』、中公文庫、113頁)、この「幸福」という言葉でパスカルは何を意味していたのだろう、と、ふと考えてみたりしました。

さて、次回と次々回のLCアーベントは、6月12日火曜日と7月2日月曜日に決定。文化人類学の宮岡先生、犯罪心理学の大上先生にご発表いただけることになりました。詳細については、このブログ上の告知記事をご参照下さい。

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