小林先生は講義の冒頭、課題・問題へのそもそもの取り組み方について解説をされて、「知性を活性化する」方法のひとつとして、「疑問をもつ」ことを、具体的には、What?, Why?, When?...などの日常生活の中で無意識に使っている疑問詞を活用することを、試みて欲しいとお話しされました。その上で、これから課題として新入生たちにしてもらう「定義」とは、What? の問いに答えようとするものであり、先ほどミニペーパーで実際にやった(a)「事例のリストアップ」と、それらを眺めてみて浮かび上がってくる(b)「共通特徴の発見」にチャレンジしてみようということで、実際に、小林先生なりの暴力の定義を、二つ提示されました。
次に、縄田先生の講義では、心理学研究が目指すもののひとつである「因果の法則性の解明」について説明され、人間行動の原因について、今回の場合は、人間が暴力をふるうその原因について考えてみよう、と課題を設定されました。とくに、社会心理学の視点から、行為者が置かれる状況に注目する事例の一つとして、有名な「ミルグラムの服従実験」を取り上げて、個人の行動は、本人の性格だけでは説明できず、むしろ誰もが、社会的状況からの様々な影響を受けており、そしてその影響には逆らいがたいということが指摘されました。そうした、社会状況的な要因も含め、暴力の中核的な原因と考えられるものは何なのか、それが中核的な原因であると考える理由は何なのかも含めて考えてみよう、という課題が出されました。
新入生たちには、グループごとにこの二つの課題について考えてみるため、3時間に及ぶグループ討議と発表準備の時間が与えられました。図書館やインターネットで資料を調べたり、ひたすらに議論したりして・・・あっという間に時間は過ぎます。サポートの上級生の手を借りつつ、全グループが締切時間どおりに、発表会場に戻ってきました。
午後の前半は全8グループのうちの4グループから、手書きのレジュメをスクリーンに映しながら発表をおこないました。発表時間が10分にもかかわらず、5分持たずに発表を終えてしまうグループもあれば、10分ギリギリまで使って発表をするグループも。ほとんどのグループの発表内容で印象的だったのは、「暴力」の定義のなかには「精神的な苦痛」が中心的に入っていたこと。たしかに、昔は「指導」の一環として許されていたのかもしれない「体罰」も、今では問答無用で「悪いこと」として叩かれ炎上する時代。身体的・物理的な「暴力」を目にしたり体験することはほとんどなく、むしろいま問題なのは、セクハラ・アルハラ・スメハラ・モラハラなどの精神的な苦痛ばかりで、そういうものこそが「暴力」だと考えるのは、当然のことなのかもしれません。
そんななか、休憩を挟む形で後半にかけては、「価値観の押し付け」が「暴力」であり、その原因として「価値観の違い」をあげるグループが出てくるなど、学術的に少し掘り下げた議論の跡が見えてくることもありました(なお、「価値感」と記述していたレジュメがいくつか見られましたが、それは間違いです。正しくは「価値観」ですので、今後は気をつけましょう)。全グループの発表が終わったあとの総合討議、最初は新入生からの質問が出てこなかったのですが、「暴力」のなかに「悪い暴力」と「良い暴力」があるのではないか、いや「暴力」はすべて「悪い」。良い悪いというなら、その線引きを示すべき、などの小笠原先生と林先生の提案と反論が呼び水となり、新入生の皆さんからも積極的な発言が飛び出し、熱いバトルが繰り広げられました。これから、文化学科で学ぶことは何なのか、そして学術的な議論とは、一体どういうものなのかということを、新入生の皆さんに少しでも垣間見てもらえたのだとすれば、それはとても嬉しいのですが、どうだったでしょうか?
ゼミナール終了後は、お楽しみの新入生歓迎パーティー。一日勉強し尽くして疲れ果てて、お腹もペコペコなのでしょう。用意した料理や飲み物は、あっという間になくなってしまいます。そんななか、一人の先生を囲んでのミニ講演会がひらかれていたり、恋に悩でいる新入生に恋愛相談会がひらかれていたりと、美味しいご飯やケーキを片手に同級生や、先生たちとガイダンスゼミの感想や愚痴(?)を言いつつ、笑いながら、あっという間に閉会の時間を迎えました。
新入生のみなさんは、まさに学問の扉を開けたところです。今回のガイダンスゼミがその指針になることを祈っています。
最後になりますが、この会を開催するにあたって、講義を引き受けてくださった小林先生と縄田先生、司会の平井先生と一言先生に、そして、サポートを担当してくれた上級生の皆さまに心より御礼申し上げます。
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