2021年12月7日火曜日

中国古代における「記憶」とは?――石に刻み、体に刻み、心に刻む

 「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、哲学の中村未来先生です。


 昨年度より、「記憶と社会に関する思想的研究」というテーマで、哲学・倫理学領域の先生方との研究会に参加しています。「記憶」というテーマは、中国古代では、あまり取り上げられることのなかったテーマのように思われますが、今回、古典を読み直すことで、新たな気づきがありましたので、ここに少し紹介したいと思います。

 儒家の祖と言われる孔子の言行録『論語』には、次のような言葉が見えます。(注1)

・子曰く、黙してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人に誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや。(老先生の教え。〔理解したことを〕黙って心に刻んで記憶し、学んで厭きるということがなく、人に教えて倦むこともない。それらは、〔他人と異なり〕この私において問題はない。〔これ以外、私に何があるだろうか。〕)(『論語』述而篇)
・子曰く、蓋(けだ)し知らずして之を作る者有らん。我は是れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択びて之に従う。多く見て之を識(しる)すは、知るの次なり。(老先生の教え。思うに、〔その問題について〕本当に理解することなくして、新説を作り出す者がいる。しかし、私はそういうことはしない。まず可能なかぎり多くを学んで、その内のこれぞというもの・ことを選び取り、それに従う。〔作り出したりしない。また、〕可能なかぎり多く資料に当たり、それらを記憶するというのは、理解する(知る)ことの前段階なのである。)(『論語』述而篇)

 また、道家の思想書『荘子』山木篇にも、荘子の論敵・楊朱の言葉として、「弟子 之を記せ。行ない賢にして自ら賢とするの心を去(す)つれば、安(いず)くに往くとして愛せられざらんや(弟子たちよ、よく覚えておくがよい。すぐれた行ないをしながら、わが行ないをすぐれたものと誇る心を捨て去れば、どこへ行ってもきっと人から愛される)」(注2)という内容が見られます。
 これらの記述を考えてみると、中国古代において、「記・識(しるす)」という漢字には、「心に深く刻む=記憶する」という意味があったことが窺えます(ちなみに、現代中国語でも覚えている・記憶していることを「記得」と言います)。

 儒教の重要な経典「五経」には、それぞれ古代聖王の言行や祭祀・儀礼に関する記録が収められていますが(注3)、中国古代の人々は、これら経書に記述された言葉を畏敬し、暗記して政治や自己修養の指針にしていました。後に、経書はその正しい内容(テキスト)を人々に示し、後世に長く伝える目的で、何度も石に刻まれることになります(石経)。(注4)
 また、「功名を竹帛に垂る」(『後漢書』巻十六、鄧寇列伝)という言葉があるように、功績を立てて、後世まで名を残すことは当時の為政者や知識人にとっては、大きな関心事でした。恐らく、中国古代の人々にとって「記す」という行為は、単に字面で控えるメモ(記録)のようなものではなく、「遥か時空を超える記憶」(=永遠性)に繋がるものでもあったのだろうと想像されます。

 「臥薪」「嘗胆」のような、怨みを鮮明に覚えておくために、薪に寝たり、苦い胆を嘗(な)めるといった行為は、まさに「体に刻み」「身体(苦痛)と記憶とを関連付ける」行為であると言えますが、中国における記憶の主体となるのは、やはり「心」であったと思います。

 儒家を初めとする多くの思想家や知識人が、記憶し伝承するために、言葉を駆使して必死に「記」そうとしたのに対して、道家の思想家である荘子は「忘れることの必要性」を説きました。「忘」という漢字自体、「心」を「亡」くすと書きますが、これは思考・認識器官である「心」が無い状態、つまり知識や意識・記憶のない状態を表しているのだろうと考えられます。
『荘子』の中には、「忘仁義」「忘礼楽」「忘其言」「忘其身」「忘心」などと、徳目を忘れ、言葉を忘れ、体(形)を忘れ、しまいには心(知の働き)をも捨て去って、道と一体となる境地が描かれています(坐忘)。世俗的な名声や人々の記憶から離脱して、荘子は何者にも拘束されない自由な精神を目指しました。

 記憶と忘却。全く真逆の行為ですが、どちらも人間にとって大切な働きのように思われます。

 

↑泰山石刻「唐摩崖」


(注1)『論語』の訓読・現代語訳は、加地伸行『論語 全訳注』(講談社学術文庫、2007年)を参照しました。
(注2)『荘子』の訓読・現代語訳は、福永光司・興膳宏『荘子 外篇』(ちくま学芸文庫、2013年)を参照しました。
(注3)例えば、『漢書』芸文志(中国における現存最古の図書目録)には、古(いにし)えの王者には代々史官がいて、王者の言行は必ずこれを記録したと語られており、王の行動を記録したものが『春秋』であり、王の言葉を記録したものが『尚書(書経)』であるとされています。
(注4)有名なものに、後漢の熹平石経、曹魏の三体石経、唐の開成石経などがあります。また、秦の始皇帝は天下統一の後、自身の権威を人々に誇示するために、各地(7箇所)に石碑を建てたと言われています。

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