2021年11月5日金曜日

昆虫食の心理学

「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、心理学の錢琨先生です。


 文化学科の錢琨(せん こん)です。下の名前「琨」は常用漢字ではないので,いつも人を困らせています。ただし,この漢字をぜひ覚えてください。文末にオチがあります。

さて,みなさん,虫を食べたことありますか?授業に間に合わなく,一生懸命チャリを漕ぐ時に口に飛び込んだ虫とは違って,お料理として食べる虫(=昆虫食)のことです。今日は,昆虫食について少しお話しします。

私は,中国北部にある山東省の出身です。授業で話したように,中国北部はばりばりの麦作社会です。毎年のちょうどこの頃になりますと,小麦の収穫が終わり,麦畑では食料と隠れ場を無くし,戦々恐々とするいなごが大量にいました。麦畑ですから,正確にはいなごではなくてむぎのこ?と思いますがまあようはバッタのことです。私が小学生だった頃,この季節になると週末はじいちゃんちで過ごし,その近くにある広大な麦畑でバッタ狩りに夢中しました。獲れたバッタのマフラーの部分(学名では前胸背板)を麦穂やネコジャラシで通し,2,3時間かかればもう大漁の串になります。家に帰ったら,みんなでワタを抜いて,ばあちゃんに素揚げしてもらいます。サクサクアツアツの状態で食べるのは私の定番でしたが,じいちゃんはお酒と一緒につまんで,ある種の虫取り合戦でした。



図1. ネコジャラシで串になったバッタの仲間たち

バッタは漢字で書くと「飛蝗」,いなごは「蝗」なのですが,「蝗」という字はすごいじゃないですか。虫の王者よりもさらに偉い,虫の皇帝のような存在ですね。昔は別の文字が使われましたが,歴史の中で「蝗」という文字が定着されてきました。その原因は,バッタは,皇帝以上に怖いからです。天災と聞いたら,みなさんは何を思い浮かべますか?古代中国では,「水旱蝗」との3つの天災が怖がれました。いま中国と呼ばれる地域でのコメやキビの栽培は,紀元前10000年から8000年頃に開始され,21世紀の今日まで農耕社会の歴史が続いています。この農耕社会に最も致命的な自然災害は,水害,干ばつ,そして蝗害です。去年や一昨年にも,中東,アフリカ,アメリカで蝗害のニュースを聞きましたね。そのニュースを見ると,昆虫食はいま流行っているから食べればいいじゃんという発想はあるかもしれませんが,そう簡単にはなりません。現代社会では,蝗害と戦う主な手段としてはやはり農薬ですが,いったん農薬に関わったバッタは口にすると危険です。蝗害は,いわゆるワタリバッタなので,その壮絶な旅の中で農薬と関わったことがないとは誰でも保証できません。微量の農薬成分なら,少し食べても問題がわからず,食べ続けた途端に中毒症状が出るのは怖いですね。だから,蝗害を起こしたワタリバッタは勝手に食べることができないのです。そもそも,蝗害の陣を一度見れば,これは私のような昆虫食大好きがいくら集まって頑張って食べても敵わないなと,途轍もない絶望感が湧くはずです。

ワタリバッタは怖いのですが,そこら辺の田んぼで自然発生したバッタは昔から楽しまれて,貧しい生活の食卓を彩る貴重な存在でした。この食習慣は中国や,日本といえば昆虫食王国と言われる信州のみならず,実は日本各地に存在していたのです。稲作の副産物として簡単に入手できるタンパク源ですし,遊ぶ楽しさと食べる楽しさを両方満たしてくれるものは昔そんなになかったので,子どもにとっては食玩のような存在だったかなと思います。

副産物としての昆虫食といえば,カイコを思い出します。私の故郷では,秋になるとバッタは獲れますが,年中楽しむことができ,しかも最近は地域の名産物になった昆虫食があり,それはカイコのさなぎです。ちなみに,韓国はあまり昆虫食の国という印象がないかもしれませんが,カイコのさなぎは食用されています(번데기,ポンテギと呼ばれます)。それはなぜでしょう。実は私の故郷は昔養蚕業・製糸業が盛んでした。養蚕の起源は中国大陸にあり,漫画『キングダム』に描かれた秦の統一までは,中国の企業秘密として,国外への持ち出しは固く禁じられましたが,漢代の頃に朝鮮半島に伝わり,近代まで朝鮮半島の養蚕業・製糸業が大いに盛んでした。この産業の副産物といえば,絹を取り終わった後のカイコのさなぎとなります。これを初めて食べた人は天才だなと思いました。もちろん,見た目はバッタ以上にグロいので,なかなかの勇気だなとも思いましたね。しかも,そういった天才×勇者は世界各地で生まれたかもしれません。なぜならば,中国や韓国だけではなく,タイの北部や日本など,養蚕業のある地域であれば,さなぎを食する文化も必ず発生します。日本でカイコのさなぎが食用されたのは長野県と群馬県です。その原因は言うまでもないですね。ただし,養蚕場や製糸工場の稼働が減れば副産物も当然少なくなりますので,この2県での食蚕習慣は戦後急に衰退しました。

 

図2. 私のふるさと,中国山東省淄博市の生鮮市場で販売されるカイコのさなぎ。昆虫食材は,どの国でも魚介類と同じブースで販売されることが多いです。不思議ですね。


カイコもいなごも,近現代の日本で一番食べられるのは戦時中と終戦直後の食糧難の時代でした。また,海の幸に恵まれる日本では,昆虫食の伝統があるのはごく一部の地域であり,そのほとんどは内陸部・山間部です(昆虫食王国の長野県は日本最大の内陸県ですね)。この経緯は,日本で昆虫食を推し進める最大の問題にもつながります。昆虫食=食糧難,貧困,ど田舎,そのようなマイナスな印象を持つと,気軽に食べることができなくなります。はい。私が考える昆虫食推進の最大の問題は,こころの問題です。昆虫食は栄養のバランスが良いとか,育成の効率が良いとか,未来の食料とかSDGsとか,そういった理屈を重々承知しても,最後の決断=虫を口に運ぶにはやはり人間のこころが全てです。これは,昆虫食の心理学研究を始めるきっかけでした。そもそも口にしないのはもちろん昆虫食は進まないですが,肝試し的に一口食べて無理やり呑み込んだりおえーと吐き出したり,猟奇的に色々と探して食べてなるほどねと思ったりすることも,持続的な昆虫食の推進につながらないなと思います。もちろん,最大の難関は,やはり昆虫食に対するネガティブな固定観念=ステレオタイプです。私はこれまでの調査で,昆虫食の伝統が根強い東南アジアの国(タイ・ラオス),昆虫食の伝統がほとんどないヨーロッパの国(フィンランド・ドイツ)と,昆虫食の伝統が中途半端にある東アジアの国(日本・中国)の間で,昆虫食の食経験と受容度(受け入れる態度)を調べたところ,東アジアはヨーロッパに比べて,食経験が多いにもかかわらず,受容度が著しく低い,との結果がわかりました。昆虫食の流通が法的に解禁されたばかりのフィンランドは,昆虫食の強豪ラオスよりも受容度が高く,虫という新しい食材にウキウキしているフィンランドの人々の顔が目に浮びました。

 

図3.タイの食料品市場では調理済みの昆虫食が大人気です。このまま持って帰ればおかず一品増えますね。さなぎの炒め物はやはり定番でした。

文化間の比較研究の他に,昆虫食の原因について,行動免疫システムの視点から探る研究もやりました。人間の行動免疫システムは,コロナ禍でも大役を果たしていますので,また別の機会でお話しをさせてください。

ちなみに,子どもの頃,毎年の秋にバッタ狩りに夢中した私は,大人になった今は毎年のこの時期に長野県周辺で昆虫食の調査を行っています。時代が変わって,今は年中いなごの佃煮や蜂の子の缶詰を簡単に買えますが,食の伝統としては,やはりこの秋頃になると肉付きが良くなったいなごを食べたくなるという気持ちになるでしょう。秋は「天高く,虫肥ゆ」ですからね(笑)。今年も2週間の授業を遠隔実施に戻し,信州の秋に馳せ向かいます。私の授業を履修している方々には大変申し訳ないのですが,必ずいいお土産話を実物付きで持って帰ります!

ちなみに×2,最近はパソコンの文字入力がおかしくて,「こんちゅうしょく」を打つと自動的に「琨昼食」が表示されるようになりました…

図4. な,なぜか…




0 件のコメント:

コメントを投稿