2021年5月10日月曜日

鶴瓶さんに学ぶフィールドワーク術

 

「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、地理学の伊藤先生です。


テレビ番組のなかには大学の学びにつながるものもあります。

例えば、近年、地理学者が学生におすすめするテレビ番組の代表格は「ブラタモリ」ではないかと思います。「ブラタモリ」はタモリさんが、案内人とともに街歩きをしながら、テーマに沿ってその土地の特徴や成り立ちを解き明かしていくNHKの人気番組です。

地理学ではこのように案内者と一緒に地域を歩き、地域を知るための行いを「巡検」と呼んでいますが、ブラタモリはまさに巡検そのものです。タモリさんの博識さと絶妙な案内人とのやり取りなどがあいまって、地理学の要素を気軽に楽しめる番組になっています。地理学関係者も案内人として多く出演しているこの番組は、日本地理学会賞を受賞していたり、雑誌「地理」で特集が組まれていたりと、学術コミュニティーの内部でも評価が高い番組です。しかし、地理学を専攻している学生やフィールドワークを研究手法とする分野で学んでいる学生に、私が「ブラタモリ」とともにおすすめしているのは、「鶴瓶の家族に乾杯(以下、家族に乾杯)」です。同じくNHKが放送するこの番組は、笑福亭鶴瓶さんとゲストの2人が、日本の様々な地域を対象にして「ぶっつけ本番」で地元の人びとに出会い、家族に関する話を聞いていく番組です。

鶴瓶さんは落語家であり、多数のトーク番組を仕切るなど、話芸の達人とも言える人です。「家族に乾杯」においても、番組を支えているのは、初対面のはずの相手とも会話をはずませ、市井の人びとから興味深い話を引き出す鶴瓶さんのキャラクターとコミュニケーション能力であるといっても過言ではありません。

しかし、「名人芸」にも見える鶴瓶さんの人との接し方のなかには、フィールドワークの中で研究者がよく出くわすような場面も数多く含まれています。そのため、この番組はフィールドワークにおける相手とのコミュニケーションの取り方や関係性の築き方などを学生に考えさせる際、示唆に富むのではないかと常々思ってきました。今回は、番組の一ファンであり、フィールドワークをすることが生業となっている私の視点から、この番組からどのようなことが学べるのかを書いてみたいと思います。

1)非日常感を崩す

私は2006年からザンビアの研究をしています(注1)。ザンビア南部に位置するルシトという農村部が主な調査地であり、村の人と一緒に生活をしながら調査を進めるスタイルで研究を行ってきました(写真1)。

写真1 私が調査を行っている村の様子

農村部からの出稼ぎ労働について調査をしていたときのことです。調査助手と一緒に、調査村の人びとがよく働きに行く地方都市を訪れ、都市に居住している調査村出身者への聞き取り調査を行うことにしました(写真2)。

写真2 調査村の人びとがよく出稼ぎに行く地方都市の様子

日本人で研究者の私が滞在していることが周知の事実となっている調査村と異なり、地方都市で出会った彼らは、最初「なぜこの外国人は自分のところにやってきたのか」と、訝しんでいました。しかし、私が、村にいる彼らの家族や親族とのエピソードを話すと、彼らの警戒心がほぐれ、まるで旧知の人と話すかのようにいろいろと話を聞くことができました。

このように、フィールドワークでは、相手の緊張感をほぐし、日常にいかに入り込めるかが鍵となることがよくあります。相手にとって「調査をされる」という経験は非日常です。ましてや、私は遠い日本からザンビアにやってきた外国人研究者です。自分が何者であるかを説明し、調査への協力を依頼するわけですが、それでも緊張感がなかなかほぐれないことがよくあります。こういったとき、共通の知人の話題を出すことは、相手の緊張を解すと同時に、自分に対する信頼感を高める効果もあると思います。

このような場面は、「家族に乾杯」でも多く見られます。鶴瓶さんは芸能人であり、どの地域へ行っても、老若男女に知られています。テレビ番組が地元にやって来ることも、鶴瓶さんに話しかけられることも、相手にとっては非日常です。こうした非日常感を、鶴瓶さんは素早く崩す様子がよく見られます。例えば、Aさんに鶴瓶さんが出会い、この辺でBさんという面白い人がいるから会いに行ってみてと言われ、Bさんに会いに行ったとします。もちろんアポ無しで突撃された相手は、「あ、鶴瓶さんだ!」と大物芸能人を見た喜びで興奮します。そのさなか、鶴瓶さんは「Bさん、いまAさんに聞いてきましたんや。〜なんやって?」といったように、直前に出会ったAさんの名前(地元の人が呼んでいるニックネームなどもよく使われます)や地域の話題を出し、すぐに相手を日常に引き戻そうとします。鶴瓶さんは無意識的に行っているのだと想像しますが、こうした鶴瓶さんの非日常感を崩す姿勢が、芸能人ではない「ふつうの」人びとの素を引き出すことに一役買っているのではないかと思います。「人と話すのが苦手」という学生は、大抵の場合、聞き取り調査で緊張していて、自分の聞きたいことをいの一番に聞いてしまいがちです。しかし相手も同様に緊張感があるため、まずはそれを崩していくことが、聞き取り調査では大切なのです。

2)流れに乗る

私はフィールドワークにおいて「流れに身をまかせる」ということが、ときに大切だと思っています。例えば、調査をしていると、インタビューの相手やその友達などたくさんの人に出会います。その人達から「今日これから○○に行くのだけど、一緒についてくる?」と誘われることがあります。私は、たいていの場合、信頼している相手の場合には、このような誘いにのることにしています。自分の調査の目的に関係があるかどうかは、あまり考えていません。

フィールドワーク中というのは、やはり自分の調査目的や知りたいことに集中しがちです。しかし、このような不意の誘いに乗っかってみると、普段自分中心に動いているだけでは辿り着かなかったところを見ることができ、新しい人や情報、ひらめきに出会えた経験が多くあります。そしてこうした新たな出会いは、フィールドでの気づきから生まれる新たな研究の種になったりします。

「家族に乾杯」においても、鶴瓶さんは「ほな、一緒に行きましょう」と相手の誘いにすんなり乗る場面が多く見られます。鶴瓶さんはその誘いの先におもしろいネタが待っているかどうか、というのはあまり考えていないように見えます。鶴瓶さんは自分から計画的に狙って行くのではなく、あくまでも、その場の流れに乗ることで相手の日常のなかに広がる景色やエピソードを積極的に見に行っているように思えるのです。こうして流れに乗って行く先では、それ以前に出会った人と知り合いだったりと、奇跡的な出会いが生まれており、それも番組の魅力のひとつとなっています。

知らずに見ていると、いわゆる「ヤラセ」とさえ思ってしまいそうな偶然の出会いは、まさに流れに乗ることによって生み出されています。これは、私自身、フィールドワークの現場で多く経験してきました。実際のフィールドワークでは、計画的に動くことももちろん大切なのですが、時間に余裕があるときには、周りに流される柔軟性を持っておくことの重要性を鶴瓶さんは教えてくれます。

3)人の多様性を慈しむ

番組をみていると、鶴瓶さんはどんな人の話でも、尊敬の念を持ち、楽しんで話を聞いていることが伝わってきます。これは、簡単なことのように思えて、案外難しいことなのかもしれないと思うことがあります。相手に興味がなければ、特定の話題にしか反応しなくなるからです。もしかすると、鶴瓶さんがもともと落語家であることとも関係しているのかもしれません。落語は、庶民の暮らしのなかにある人間のおもしろさを表現しているものだからです。

フィールドワークに行くと、私も同じようなことを感じます。ザンビアでも、国内の山間部で調査をしていても、出会ったすべての人に論文では伝えきれないようなおもしろいストーリーがあります。市井の人びとの人生からも多くを学ぶことができるという点で、この番組はフィールドワークの経験と共通します。


最後に、「ぶっつけ本番」について書いておきたいと思います。もちろん「家族に乾杯」はテレビ番組であり、鶴瓶さんは好感度の高い芸能人であるという前提は、研究者や学生が行うフィールドワークとは異なります。私たちは鶴瓶さんと同じことをできるわけではありません。地域や研究目的にもよりますが、フィールドワークでは、調査地に入るために事前の手続きや、許可をもらうことは当然の作業であり、決して「ぶっつけ本番」ではできないことがほとんどです。また、フィールドワークが調査地の人びとにとって迷惑になるといった問題も起こっていますので、研究であっても授業であっても、慎重に進めることが求められます(注2)

一方で、フィールドワークでしか得られない「生きた」学びがあることも事実です。そのために、準備をしながら、私のゼミでは少しでもフィールドワークの楽しさを味わってもらいたいと思っています。興味がある方は、ぜひ参加してみてください。


注1  私が行っているザンビアや日本国内でのフィールドワークについては以下の文献にも書かれています。より詳しく知りたい方はぜひご覧ください。

伊藤千尋2019.「行商やその利用者を調査しよう」荒木一視・林紀代美編『食と農のフィー  ルドワーク入門』pp.95-102, 昭和堂.

伊藤千尋2019.「ザンビアへフィールドワークに行ってみよう」荒木一視・林紀代美編『食と農のフィールドワーク入門』pp. 215-222, 昭和堂.

注2 宮本常一・安渓遊地2008.『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本』みずのわ出版.

1 件のコメント:

  1. コメント失礼いたします。
    文化学科卒業生、LC080020の伊藤 来と申します。

    記事の方を拝読させていただきました。

    自分もフィールドワーク…とまではいかなかったものの、
    大学学部・院と論文を書くために聞き取り調査、集団への潜入調査を行っておりました。

    振り返ってみますと、
    当記事で紹介された術と
    真反対のことをしてしまった気がします…。

    とある街おこしのイベントを行っている集団に潜入し、調査を行ったことがありますが、
    とにかく自分が調べたいことを聞き出したい一心で、ラポール(信頼関係)の構築など二の次でした。
    当時のやり取りのメールを見返しましても「ああ、自分、怪しく思われているな」と感じますし、
    ある方からはダイレクトに「空気が読めない子だねー」と言われてしまったこともあります。

    特に2)の流れに身を任せるというのはフィールドワークだけでなく、
    人とのかかわり方においても重要な点のように感じました。
    それもまた1)の「非日常感を崩す」につながることのように思います。
    老子の言葉「上善は水の如し」…「上善如水」という言葉を思い出しました。
    水は上に上にと行くのではなく、流れて下の方に溜まります。
    それと同じように、フィールドワークでは自分が自分がとなるのではなく、
    流されて、謙虚に。
    まさにフィールドワークは、水のような存在であることが大切なのだなと感じました。

    迷惑をかけてしまったこともございますが、
    先生がおっしゃる通り、フィールドワークは生きた学びになりますし、
    この経験が反面教師の部分も含め、生きる上での糧になっているように思っております。

    大変興味深い記事をありがとうございました。

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