2020年9月15日火曜日

「悲心の器」と「悲の器」

 「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、宗教学の岸根敏幸先生です。


 私は文化学科の専門科目で「宗教文化論」(旧カリキュラムでは「アジア宗教文化論Ⅰ」)の授業を担当しており、その授業で扱っているテーマの一つとして「仏教における業と輪廻」というものがあります。このテーマで中心になっているのは地獄です。地獄というものが、様々な宗教で語られている通りに存在していると思っている人は、(私を含めて)そう多くはいないでしょうが、それでも、地獄について考えることには、生きるということの本質につながるものがあるのではないかと、強く惹かれるのです。それについては授業でも多少話していますし、機会があれば、ある程度まとまった文章を書いてみたいとも思っています。

 それはともかくとして、授業でこの地獄を説明する際に典拠としているのが、平安時代中期に活躍した源信の著書『往生要集』です。この書は、極楽浄土への往生について、様々な仏典の記述を渉猟して、要点をまとめているのですが、注目されるのは、冒頭から、これでもかと言わんばかりに、地獄のおぞましさを延々と描き出している点です。端的に言えば、地獄をはじめとする六道輪廻がこんなにもひどい場所なのであるから、できるだけ早く立ち去って、極楽浄土に往生しなさい、という論理なのですが、地獄のおぞましさについて、微に入り細に入り、執拗(しつよう)なまでに描き出そうとする異常さに圧倒されるのです。

 仏教ではいくつかの地獄が説かれていますが、最も知られているのは八熱地獄(「八大地獄」とも言います)です。『往生要集』もこの八熱地獄に基づいて地獄の説明をしています。そして、ようやく本題に入っていくことになりますが、八熱地獄で四番目に登場する叫喚地獄の説明で、以下のような記述が登場するのです。それは、罪人と、その罪人に容赦なく拷問を科す閻羅人(閻羅王、すなわち、閻魔王の手下で、罪人を監督する地獄の番人)との間で交わされたやりとりです。

罪人、偈(げ)を説き、閻羅人を傷恨して言(いは)く、
 汝、何ぞ悲心なき また何ぞ寂静ならざる 我はこれ悲心の器 我に何ぞ悲なきや
 (汝何無悲心 復何不寂静 我是悲心器 於我何無悲)
時に閻羅人、罪人に答へて曰く、
 己(おのれ)、愛羂(あいけん)に誑(たぶら)かされて 悪・不善の業を作り
 今、悪業の報ひを受く 何が故ぞ我を瞋(いか)り恨むる
 (己為愛羂誑 作悪不善業 今受悪業報 何故瞋恨我)

 三番目の地獄までは、拷問で苦しめられる罪人の様子が淡々と描写されていたのですが、叫喚地獄の場面になってはじめて、苦しめられる罪人の心情が吐露されています。なぜ私をこれほどまでに苛(さいな)むのか、私は悲心の器なのだと。「悲心」は仏教の概念であり、苦しむ者を憐(あわ)れみ、その苦を取り除こうとする心です。大乗仏教ではその意義が強調され、「大悲心」と呼ばれることもあります。

 仏教において衆生(人間のみならず、生きとし生けるすべての生命)とは、それ自体で慈(いつく)しまれるべき存在なのであり、そのような悲心を受け取る資格をもった存在であるという意味で、罪人は自らを「悲心の器」と言ったのです。しかし、閻羅人はそのような訴えにまったく取り合おうとはしません。仏教における行為の基本原則と言える自業自得という立場を示し、いくら嘆いてみても、その苦しみは自らが招いた結果であると突き放すだけなのです。

 ところで、これに関連して、『往生要集』のこの記述を冒頭に掲げている興味深い小説があります。それは、作家にして中国文学の研究者でもあった高橋和巳(昭和6年~昭和46年、39歳で没)が著した『悲の器』(昭和37年)です。随分昔に人から勧められて読んだように記憶しています。正木典膳という著名な刑法学者にして、日本を代表する大学の法学部長の要職にある人物が、自らの招いたスキャンダルに翻弄されて、自滅していくという内容になっていて、その過程で展開される、人生経験に裏打ちされた主人公の独白に大きな衝撃を受けたものです。

 この小説の特色について、ここで深く論じるつもりはありませんし、そもそも、論じうるような洞察力を私がもち合わせているとも思えません。私が問題にしたいのは、「悲心の器」と「悲の器」という表現上の違いと、それが意味するものについてです。『悲の器』という小説では、冒頭で前掲の『往生要集』の一節を引用し、それに基づいて、小説のタイトルも「悲の器」としているのですが、『往生要集』の記述では、先ほど言及したように、「悲の器」ではなく、「悲心の器」となっているのです。『往生要集』が引用している元の『正法念処経』という経典の記述を確認しても、やはり「悲心の器」なのです。

 これは引用する際に、「心」という語をうっかり見落としてしまったということではないでしょう。というのも、前掲の『往生要集』の記述と『悲の器』に引用された『往生要集』の記述とでは、それ以外にも多くの違いが見られるからです。『往生要集』で「閻羅人」となっている部分は、『悲の器』では二箇所とも「閻魔王」になっていますし、「悪・不善の業」は単に「悪業」となっていますし、さらに大きな違いとして、「また何ぞ寂静ならざる」と「何が故ぞ我を瞋り恨むる」という二つの句が『悲の器』の記述には存在していないのです。『往生要集』(というより、引用元の『正法念処経』)では、罪人と閻羅人が韻文の体裁をとった偈頌(げじゅ)でやりとりしていて、それが漢訳仏典で五字を一句とし、四句で一まとまりになっていたのですが、『悲の器』では、もはや偈頌の形を留めてはいないのです。

 これらは、おそらく著者が意識してそのような記述に改めたのでしょう。『悲の器』という小説は、一般の読者を念頭に置くものであって、仏教に関する専門的な知識を前提にしているものではありません。「閻羅人」と言われても、一般の読者には何のことか分からないので、誰もが知っている「閻魔王」に改めたということが考えられます。さらに言うならば、「閻羅人」のままにして、巻末に注解を付けておけば、それで済むことなのかもしれません。しかし、あえてそうしなかったのは、演出上の効果を意図していたのではないでしょうか。閻魔王の手下ではなく、閻魔王自身と直接やりとりする方が、罪人の罪深さを思い知らせるという点で、はるかにインパクトがあると思えるからです。『悲の器』で引用される『往生要集』の一節は、もはや叫喚地獄でのやりとりとは切り離され、地獄という極限の状況で、裁かれる者と裁く者が鋭く対峙する緊迫感に満ちた場面に仕立てられていると言えるのです。

 それでは、「悲心の器」を「悲の器」と改めることにどのような意図があるのでしょうか。小説のタイトル、すなわち、主題につながるものと言えるので、それを解き明かすことは難しい問題であると思いますが、「悲心の器」が本来、悲心によって救われるべき存在であるのに対して、一般の読者を念頭に仏教の専門的な知識を前提としないかぎり、「悲の器」というのは文字通り、救いようのない悲しい存在ということになるでしょう。著者は主人公をそのような存在として描きたかったのに違いありません。だからこそ、「愛羂に誑かされて(羂は捕獲用のわな、つまり、愛欲の虜になったということ)」地獄に堕ちた罪人が苦しむ『往生要集』の記述を引用し、そのような存在を主人公と重ね合わせて、小説のタイトルにしたのです。

 この『悲の器』という小説は、病気で妻を失った主人公の正木典膳が某大学名誉教授令嬢との再婚話を進めていたところ、それまで情交関係をもっていた家政婦に、不法行為(婚約不履行)による損害賠償請求で告訴されるというところから始まります。そのスキャンダルは新聞報道によって衆目の知るところとなり、同僚たちの嘲笑を含んだ噂話、学生たちによる授業ボイコット、女子学生からの「卑劣漢」という罵倒、カトリックの神父である実弟がおこなった公の場での糾弾、さらに騒動が大きくなって、学長からの退職勧奨という事態に至り、主人公は散々に打ちのめされます。

 しかし、彼は刑法学者として身につけてきた知識と理論によって、それらの事態を冷静に分析し、自らの行為を反省するどころか、ひたすら正当化しようとしています。これだけの説明だと、この主人公のあまりにも自己中心的な在り方が際立ってしまいかねませんが、この小説を実際に読んでいると、そういう捉え方にはならず、むしろ、主人公のもつ独特な魅力に引き込まれてしまうのです。

 著者の高橋和巳はこの主人公を、まさに「愛羂に誑かされ」た悲しい存在として断罪するつもりだったのでしょう。しかし、この小説が主人公の独白という形をとる以上、著者自身が主人公を突き放すことができなくなり、結果的には、主人公の思想や生き方を描き出す作品へと仕上げてしまったのです。読者はこの小説を通して、極めて知性的でありながら、それでも生身の人間の感情を引きずり続けた正木典膳という存在の魅力に触れることでしょう。この小説の中で特に印象に残っている文章を引用しておきます。それは、28歳も年下の前述した令嬢が述べた言葉です。

何か暗い、頼りなげな、それでいて近寄る者を完膚なきまでに破壊してしまいそうな。
はじめて父とお訪ねしたときにもそう思いましたわ。危険な方だなあって

 かなり重厚な内容で、文庫本でも600ページを超える長編作品ですが、インテリゲンチャ(知識人)という存在の内実を考える上でも、とても価値のある作品と言えるので、ぜひとも読んでもらいたいと思います。


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