2018年5月1日火曜日

ハルビンとロシア風の街並み ―時とともに松花江は流れ行く(異文化の接触地帯5)― (磯田則彦先生)



 平成30年度第1回目の「教員記事」をお届けします。地理学の磯田則彦先生です。「異文化の接触地帯」をテーマに毎年ご寄稿いただいています。今年はその第5回目になります。




ハルビンとロシア風の街並み

―時とともに松花江流れ行く(異文化の接触地帯5)― 


磯田則彦(地理学)


 こんにちは。文化学科教授の磯田則彦です。私の専門は、人口研究と異文化の接触地帯の研究です。両者ともに複合領域的な研究になりますが、それぞれに非常に魅力的な分野です。

 まず、人口研究についてですが、具体的には人口移動研究と人口問題研究が中心になります。前者については、日本・北アメリカ・北・西ヨーロッパを中心に研究してきました。人は生まれてから死ぬまである場所に定住し、一切別の場所に移ることがなくてもよいのでしょうが、実際にはライフステージの要所要所で移動を行う人が大勢います。果たして、「その人たちは、どのような属性で、どういった理由で移動を行うのでしょうか?」。以前から、そんなことが気になってしまいます。
 また、後者については、非常に大まかな表現を許していただければ、「人口が停滞から減少へ向かいつつある社会」(現時点では、概して先進諸国の一部や東欧諸国に多く見られます)や、「短期間に人口が急増している社会」(概して、後発開発途上国とイスラーム諸国に多く見られます)を対象として研究を行っています。出生と死亡に影響を与える社会経済的要因や政策などが中心的なテーマです。

 次に、異文化の接触地帯の研究ですが、このトピックスについては、文化学科で専門のゼミや講義を担当し、学生諸君の卒業論文の指導を行う中で身近になってきた分野と言えるかもしれません。過去4回、インナーモンゴリア・香港・回民についてご紹介してまいりましたが、今回は「東洋のモスクワ」(东方莫斯科)と言われるハルビン(哈尔滨)〔「ハァービン」とカタカナ転写した方が原音に近いように思われます〕についてご紹介いたします。

ハルビンは中国東北部黑龙江(ヘイロンジャン)省の省会で、东北(ドンベイ)平原の北東部に位置する大都市です。「冰城」とも呼ばれます。人口は、市区人口がおよそ590万人、近郊の市や県をふくめたそれは1,000万人近くにもなります。街の中心部を大河・松花江(ソンホヮジャン)が流れており、現在、新しい都心(街区)が対岸に建設されています。日本からは、一部の都市から直行便や乗り継ぎ利用で比較的アクセスしやすい状況にありますが、「高铁(CRH)」の発着地点になっているので、北京(ベイジン)や大連(ダーリエン)などから鉄路で快適にアクセスすることができます。いわゆる「マンダリン・チャイニーズ」が一般的に話されているところで、中国語を勉強するには良い場所と思われます。の路線も順次拡張されており、沿線には本学の海外協定校である黑龙江大学やハルビン理工大学などもあります。


ハルビンは19世紀末にロシアが鉄道建設に着手したのを機に、交通(鉄道輸送)の要衝としての機能を有するようになり、人口が急増し、経済も発展しました。この時代には多くの異国風建造物がつくられ、街の景観を特徴づけるようになりました。代表的な観光スポットとなっている聖ソフィア大聖堂はとくに有名です。また、市民の憩いの場として知られる中央大街(ジョンヤンダージエ)は長さ1キロメートル以上に及ぶアジア最大級の石畳の街路で、沿道にはヨーロッパ風の建築物や、キリル文字併記の店の看板を至るところで見かけます。ハルビンを代表する老舗ロシア料理店や(ホテルの)アイスクリーム店もここにあり、毎日多くの客で賑わっています。また、ちょっとした広場では小さな音楽会も開催されており、素敵な音色が道行く人々の足を止めています。路地に入り少し進むとシナゴーグ(ユダヤ教会堂)があり、ロシア極東部との距離の近さに改めて気づかされます。このような雰囲気は、中国の他の街ではまず経験できないでしょう。


一方で、ハルビンには中国少数民族の歴史と文化をしっかりと見て取ることもできます。観光地としての知名度は必ずしも高くはないのでしょうが、同市の郊外・阿城(アーチャン)には12世紀から13世紀にかけて存在した(ジン)の遺構があります。12世紀の中頃には燕京(イェンジン)〔現在の北京に遷都されますが、オリジンは当地にあったのです。そもそも、ハルビンという地名が少数民族の言葉に由来する地名であるという説があります。たしかに、「哈尔滨」という漢字は漢族が見てもその意味をくみ取れません。音を表した(模した)漢字の使用例だからです。私たちは、とかく近代以降のハルビンに目を向けがちですが、その姿は遠い昔から脈々と受け継がれているのです。

街の中心部をとうとうと流れる松花江は、バルビン観光の一大スポットであると同時に、市民の憩いの場でもあります。ロープウェイで結ばれた中島の太阳岛(タイヤンダオ)は冬の風物詩である「氷祭り」(「哈尔滨国际冰雪节」)の主会場の1つであり、毎年多くの観光客を内外から集めています。また、スターリン公園や河岸には年間を通じて多くの人々が集まり、真夏には水泳を楽しむ人の姿も見られます。この川は、遠く朝鮮半島との国境山間地帯に源を発し、省内で黑龙江と交わり、ロシアとの国境地帯をオホーツク海に向かって流れて行きます。そこは、古来少数民族が暮らす地であったと同時に、かつて両国の争いの地でもありました。この豊かな地は、現在では人々が行き交い、活発な社会経済的交流が見られる場所となっています。黑龙江は、ロシアではアムール川と呼ばれます。同一の河川に対する2通りの呼称は、異文化の接触を物語っているようです。
 



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