前回、一月上旬の開催から長い休止をはさみ、三月三〇日月曜日、久しぶりに哲学カフェが開催されました。今回のタイトルは「ニセモノの自分、ホンモノの自分?――『彼氏彼女の事情』で哲学する」。満開の桜を階下に眺めつつ、A703教室に学生諸氏が約十名と、教員が二名。
今回の素材は『彼氏彼女の事情』の一場面。「僕の中にはもうひとり、『ホンモノ』がいるんじゃないのか……」と悩む男子高校生。「どうして隠そうとするの?」と尋ねるヒロインに対して、「最低の人間だったらどうする!」と彼。その彼をヒロインが「うりゃー」と右フックで殴り倒し、「なんてことすんだよ――ッ」と怒る彼を「これが本当のありまくん」と指さす……。
ニセモノの自分とは何か、ホンモノの自分とは何か。そもそも自分をニセモノと感じるような場面はあるのか、という問いから始まり、某教員がバーのカウンター席で無理に明るく振舞ったエピソードを告白。その自分はニセモノだった? 或いは、緊張する相手の前でかしこまっている自分、周囲のイメージ通りに行動しようとする自分、つまり演じている自分。しかし、演劇で与えられた役を演じた際に「初めて自分が出せた」と感じる人もいるらしい。
誰かと一緒にいるときの自分はニセモノで、誰の視線も意識していない自分がホンモノ? 例えば、部屋で独りの自分。いや、ONの自分とOFFの自分の違いがあるだけで、どちらもホンモノの自分……?
体調の良いときと悪いとき。好きなことができているときと我慢しているとき。素面の自分と泥酔した自分。欲望を理性で抑えているときと、欲望のままに行動しているとき。それぞれ、どちらがホンモノなのか。或いは、どちらもホンモノなのか。
子供のときの自分がホンモノで、大人になった自分はニセモノ? ならば成長とは、ニセモノへの階段を上ること? いやいや、むしろアイデンティティに悩み始めるのは思春期で、そこから様々な役割を経験し、ホンモノの自分を選んでいくのだ……。
ところで、ホンモノの自分は一つ、複数? 様々な役割の中で核になっているような一つの自分が? それとも、それぞれの役割一つ一つが全部ホンモノの自分?
多くの論点が飛び出し、瞬く間に時間が過ぎ去った結果、思わず司会役の教員が「後五分だけ、十分だけ!」と延長を懇願する、というルール違反も。
さて今回は、春休み明けのいわばリハビリのようなもの。また四月から本格的に、毎月少なくとも一回のペースで哲学カフェを。次回は新入生歓迎の特別企画が……? ちょっとのぞいてみるだけでも構いません。ぜひ。
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