2021年2月9日火曜日

コロナ禍に『文明としての教育』を考える

「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、地理学の藤村健一先生です。


 昨年8月、劇作家の山崎正和さんが亡くなりました。評論家としても高名ですが、かつて中央教育審議会の会長を歴任し、教育界でも名の通った方です。

 私は地理学が専門ですが、教職科目である「教育実習事前・事後指導」も毎年担当しています。偶然にも、亡くなられる3か月ほど前の授業で、山崎さんの著書『文明としての教育』(新潮新書、2007年)の一節を示し、受講生の皆さんにこれに関するレポートを書いてもらいました。

 この科目は教育実習を行う4年生以上の学生を対象としていますが、今年度前期はコロナ禍でほとんどの中学・高校で教育実習が延期になり、この授業が行われた時点では実施時期が未定の受講生が大半でした。当時、大学でも対面授業がほとんど行われないばかりか、キャンパスへの入構すらほぼ認められない状況にあり、受講生は教育実習の準備もままならず、不安と焦りを感じていたと思います。

 こうした中でレポート課題として本書を取り上げたのは、コロナ禍にあった当時の教育現場の状況と、山崎さんのいう「教育の原風景」には通じるものがあると考えたからです。本書は次の文章で始まります。


「序章 荒廃のなかの教室

    昭和二十年八月十五日・満州

昭和二十年八月十五日、当時小学校六年生の私は満州の奉天(現在の瀋陽)で第二次世界大戦の終わりを迎えました。敗戦とは、満州では一国が丸ごとなくなることを意味していました。しかし、それでも悲惨きわまる環境のなか、その年の秋から学校教育は続けられました。私は昭和二十二年五月に本土に引き揚げるのですが、その間に受けた教育こそ、私にとっては「教育の原風景」と呼びうるものであったような気がします。」

 

 敗戦後の無政府状態にある満州の学校で、山崎さんが受けた特異な教育の内容については、紙幅の関係で詳述しません。その代わりに、本書を課題にした私の意図と解説を記した、翌週の授業レジュメの一文を以下にそのまま転載します。


◎ 前回の授業内容課題レポートについて

 この回で取り上げた山崎正和のように、教育を文明とみなす立場は、現在の教育界や教育学界ではおそらく一般的ではない。ゆえに皆さんもやや面食らったかもしれない。山崎は大阪大学教授や中央教育審議会会長などを歴任したが、教育学の専門家ではない。本業は劇作家であり、評論家としても著名な人物である。

 この課題で私が皆さんに考えてほしかったのは、敗戦直後の無政府状態にあった満州において、なぜ人々は「「宗教的」とすらいえる執念」(p. 9)をもって教育に固執したのかということである。至る所に死体が転がり、それを野犬が貪っている最中、多くの人々は衣食住にも事欠き、動物同然の生活を強いられていた。本来であれば、教育どころではなかったはずである。だがむしろ、そのような極限状況であったからこそ、人々は教育をとおして普遍的な「文明」に触れ、それによって人間としての尊厳を何とか維持しようとしたのではないだろうか。

 「文明」は多義的な概念だが、ここでは「野蛮」の対義語として、世界人類の文化の精髄といった意味で使われている。教育を受けなければ人は野蛮になる。それゆえ教育は文明であり、教師は「文明の伝道者」(p. 195)なのだというのが山崎の考えである。

 山崎は、校舎も黒板もない満州の学校で自身が受けた教育を高く評価しているが、それは教師たちの指導方法が優れていたからではない(彼らの多くは素人同然だった)。授業をする側と受ける側がそれぞれ「文明としての教育」の価値を十分に認識し、異様なまでの熱意をもってそれに取り組んでいたことによる。

 戦後憲法により「健康で文化的な最低限度の生活」が保障された現在の日本では、あからさまな「野蛮」が影を潜める一方で、「文明」の有難みを感じる機会も失われた。今では「教育を受けなければ人は野蛮になる」と考える人は稀であり、むしろ「画一的な学校教育が人間性を損なう」という見方のほうが教育学界では一般的かもしれない。

 ところが現在、世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルスによって、多くの人々が突如として生命の危険にさらされることになった。日本でも多くの学校が閉鎖され、にわかに教育が機能不全に陥った。皆さんのような大学生も含めて、多くの子どもや若者が自宅に逼塞することを余儀なくされ、十分な学校教育を受ける機会を奪われた。

 こうした状況にあるからこそ、今あらためて教育の本質的価値について考える意味があるのではないだろうか。山崎は「荒廃のなかに(中略)閉じ込められていることによって、逆に私たちは「普遍」という世界につながっていたのではないか」(p. 15)と記したが、皆さんはこの文章をどのように読むだろうか。

 

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