日本美術史、博物館学担当教員の植野です。
三重県立美術館 2020年1月17日撮影 |
左図・中図「関根正二展」2019-2020年、三重県立美術館会場チラシ 右図「関根正二展」1999年、愛知県美術館会場チケット |
「村山槐多展」2009年、渋谷区立松濤美術館チラシ
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スペイン風邪は、1918(大正7)年から1920年にかけて世界各国で極めて多くの死者を出したインフルエンザによるパンデミックの俗称である。第一次世界大戦時に中立国であったため情報統制がされていなかったスペインでの流行が大きく報じられたことに由来、スペインが発生源というわけではないとのことである。1918年1月から1920年12月までに世界中で5億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。死者数は1,700万人から5,000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘されるなど人類史上最悪の感染症の一つであるという。(Wikipedia、他参照)
一方、結核は細菌、おもに結核菌により引き起こされる感染症。結核菌は1882年にロベルト・コッホによって発見された。日本では、明治初期まで肺結核は労咳(癆痎、ろうがい)と呼ばれていた。 日本での結核感染率・発病率・死亡率は第二次世界大戦後に医学の発達や衛生面の改善によって著しく減少していった。しかし、明治、大正、昭和戦前期において結核はほとんど打つ手のない死に至る病として恐れられた。一例として文学者の正岡子規は結核を病み、喀血後、血を吐くまで鳴きつづけるというホトトギスに自らをなぞらえて子規(漢語でホトトギスの意)という号を用いた。病没前に床で書かれた『病牀六尺』は名著である。(Wikipedia、他参照)
関根正二と村山槐多の二人の生涯を簡単に記しておこう。
関根正二(せきねしょうじ 1899~1919)は福島県白河市に生まれた。本名はまさじ。1908年上京し深川に住む。小学校卒業後、同級生だった伊東深水の紹介で東京印刷株式会社に就職、そこでオスカー・ワイルドの思想に触れて傾倒した。1915年会社を辞めた関根は知人と信州に旅行、洋画家の河野通勢と出会い影響を受け、ほぼ独学で絵画を学んでゆく。同年16歳の時に描いた《死を思う日》が第2回二科展に入選。1918年第5回二科展に出品した《信仰の悲しみ》が樗牛賞に選ばれた。関根はこの頃より心身ともに衰弱し、翌年結核により20歳で死去した。
村山槐多(むらやまかいた 1896~1919)は神奈川県横浜市に生まれ京都市で育った。母方の従兄に洋画家の山本鼎がいる。10代からボードレールやランボーの作品を読み耽り詩作もよくした。1914年上京し小杉未醒宅に寄寓、美術に目覚めて日本美術院に通い、院展や二科展に作品発表する。貧しさや失恋による心の痛みなどを抱えたデカダン的な生活を送った。1919年流行性感冒(スペイン風邪)による結核性肺炎で急死した。
この二人に限らず、明治、大正、昭和戦前期には若くして亡くなった才能ある画家が少なくない。若くして亡くなることを夭折(ようせつ)という。「夭折」という語には、「早逝(そうせい)」「若死(わかじに)」などとは微妙に異なるニュアンスがあってこの用語をつい使いたくなるところがある。
最後に日本近代美術史上の夭折の画家たちを列挙して、その冥福をあらためて祈りたい。あわせて現在のコロナウィルスの感染が収束に向かうことも祈念する。
夭(よう)は「若くて美しい。若々しく、なよなよしているさま。」折は「おる。おれる。わかじに。」夭折、夭死、夭没、夭逝はほぼ同義で「わかじに。」を意味する。夭札(ようさつ)も「わかじに。」夭は「寿命を全うしないもの。」札は「流行病で死ぬもの。」
夭折の美術家たち
[洋画] 百武兼行 1842-1884 (天保13-明治17) 42歳没
国沢新九郎 1847-1877 (弘化4-明治10) 30歳
原田直次郎 1863-1899 (文久3-明治32) 36歳
青木 繁 1882-1911 (明治15-明治44) 28歳
萬 鉄五郎 1885-1927 (明治18-昭和2) 42歳
中村 彝 1887-1924 (明治20-大正13) 37歳
小出楢重 1887-1931 (明治20-昭和6) 44歳
遠山五郎 1888-1928 (明治21-昭和3) 40歳
片多徳郎 1889-1934 (明治22-昭和9) 44歳
岸田劉生 1891-1929 (明治24-昭和4) 38歳
古賀春江 1895-1933 (明治28-昭和8) 38歳
村山槐多 1896-1919 (明治29-大正8) 22歳
前田寛治 1896-1930 (明治29-昭和5) 34歳
佐伯祐三 1898-1928 (明治31-昭和3) 30歳
佐分 真 1898-1936 (明治31-昭和11) 38歳
関根正二 1899-1919 (明治32-大正8) 20歳
三岸好太郎 1903-1934 (明治36-昭和9) 31歳
靉光 1907-1946 (明治40-昭和21) 39歳
飯田操朗 1908-1936 (明治41-昭和11) 28歳
野田英夫 1908-1939 (明治41-昭和14) 30歳
小野幸吉 1909-1930 (明治42-昭和5) 21歳
松本竣介 1912-1948 (大正1-昭和23) 36歳
石井茂雄 1933-1962 (昭和8-昭和37) 28歳
有元利夫 1946-1985 (昭和21-昭和60) 38歳
[日本画] 西郷孤月 1873-1912 (明治6-大正1) 39歳没
菱田春草 1874-1911 (明治7-明治44) 36歳
今村紫紅 1880-1916 (明治13-大正5) 35歳
橋口五葉 1880-1921 (明治13-大正10) 40歳
池田輝方 1883-1921 (明治16-大正10) 38歳
池田蕉園 1886-1917 (明治19-大正6) 31歳
小茂田青樹 1891-1933 (明治24-昭和8) 42歳
速水御舟 1894-1935 (明治27-昭和10) 41歳
落合朗風 1896-1937 (明治29-昭和12) 41歳
[彫刻] 荻原守衛 1879-1910 (明治12-明治43) 30歳没
戸張孤雁 1882-1927 (明治15-昭和2) 45歳
中原悌二郎 1888-1921 (明治21-大正10) 32歳
橋本平八 1897-1935 (明治30-昭和10) 38歳
※この一覧表作成あたっては、本ブログ筆者も展覧会企画開催に携わった「青木繁と近代日本のロマンティシズム」展の開催記念美術講座として、2003年6月28日石橋美術館で行われた富山秀男先生(当時・ブリヂストン美術館館長・石橋美術館館長)による「青木繁と近代日本美術の流れ」と題する講演の際の配布資料を参照しました。
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