2015年9月7日月曜日

最近の研究について(岸根敏幸先生)

「教員記事」をお届けします。本年度第八回は神話学・宗教学の岸根敏幸先生です。



  わたしが担当する今回の教員記事では、最近、取り組んでいる研究について紹介したいと思います。それは『古事記』と『日本書紀』の神話を比較研究するというものです。

 一般に「日本神話」と言いますと、『古事記』や『日本書紀』の最初の部分にある神話(以下では、それぞれを「古事記神話」「日本書紀神話」と呼びます)をイメージする人が多いと思いますが、そのほかにも、地域の伝承を記している『風土記』、特定の氏族の伝承を記している『古語拾遺』『出雲国造神賀詞』、神に対して奏上する文章である「祝詞」、さらに日本各地にある神社創建の由来を記している「御由緒」などにも神話的な記述が含まれている場合があります。その意味で、日本神話は実に多様であると言えるでしょう。

 とは言うものの、天(あめ)と地(つち)が分離して世界が始まるところから、初代の天皇となるカムヤマトイハレビコが誕生するまでを、壮大なスケールで描いている点で、古事記神話と日本書紀神話が他の神話を圧倒していることは疑いようのない事実であり、この二つの神話が「記紀神話」と総称されて、日本神話を代表するものとして位置づけられてきたわけです。

 しかし、この古事記神話と日本書紀神話ですが、それぞれの記述を比較してみると、実に多くの違いが見られます。そのことに触れるまえに、まず日本書紀神話に見られる特異な構成について話しておく必要があります。

 日本書紀神話は二本立てになっていて、編纂者が正式に認める神話(以下では、これを「本文神話」と呼びます)と、それ以外の神話(以下では、これを「別伝神話」と呼びます)から成り立っています。そして、日本書紀神話を構成する全11段のそれぞれで、本文神話のあとに別伝神話が付随するという形をとっているのです。なお、各段にある別伝神話が一つとは限りません。たとえば第五段には実に11種類もの別伝神話が付随しています。分量的に見ても、別伝神話は日本書紀神話全体の75パーセントも占めているのです(漢字の数から概算)。本文神話と別伝神話は基本的に内容が異なっており(同じであれば、わざわざ別伝神話として記載する必要はないですから)、また、別伝神話どうしでも様々な違いが見られます。

 日本書紀神話はなぜこのような構成になっているのでしょうか。その編纂作業は、総裁である舎人親王(天武天皇の皇子)と当時の学者たちが、様々なルートを通じて収集した神話を取捨選択するという形でおこなったと推測されますが、なんらかの理由によって――たとえば学者的な良心とか、特定の神を記録から抹消してしまうことに対する罪悪感、あるいは、祟りへの恐れとか――、正式には採用しなかった神話にもそれ相応の価値を認め、保持しようとする意図がはたらいたという可能性も考えられるでしょう。

 このような事情があるので、日本書紀神話の特色について厳密に考えようとする場合、編纂者が正式に認めている本文神話だけを対象にしなければなりません。たとえ日本書紀神話のなかに含まれていても、別伝神話は編纂者が正式に認めている神話ではないのです。それを混ぜ合わせて捉えようとすると、日本書紀神話を編纂した人たちの意図を見誤ることになるでしょう。この点に関して一例をあげるならば、死に関わる黄泉つ国という世界は別伝神話に出てくるだけで、本文神話にはまったく登場しません。つまり、『日本書紀』の編纂者は黄泉つ国を正式には認めなかったのです。したがって、「『日本書紀』の神話に登場する黄泉つ国」というような表現には十分注意する必要があるでしょう。

 さて、元に戻って、古事記神話と日本書紀神話――特に本文神話――を比較してみますと、前述のように、天と地が分離して世界が始まるところから、初代の天皇となるカムヤマトイハレビコが誕生するまでという神話全体の進行はほぼ同じなのですが、記述の全般にわたって様々な違いが見られます。大本が同じなのだから、そのような違いは枝葉末節の問題であると思うかもしれませんが、その違いのなかには、たとえば「高天原」という天上の世界をどう位置づけるか(日本書紀神話は高天原という世界を正式には認めていないと指摘する先行研究もあります)、アマテラスとタカミムスヒのどちらを皇祖神(天皇家の先祖神)と位置づけるか、スサノヲという神をどのように捉えるか、オホナムヂと出雲神話をどのように位置づけるかなどのように、日本神話の根幹に関わるような違いも見られるのです。

 わたしはこの二つの神話を、似てはいるが、まったく別の独立した神話として捉えるべきであると考えています。その点から見ますと、前述した「記紀神話」のように、古事記神話と日本書紀神話の記述を混ぜ合わせるような捉え方では、古事記神話と日本書紀神話の違いを矮小化してしまい、それぞれの神話の特色を見失わせてしまう危険性があるでしょう。さらに、そのような捉え方をするかぎり、一見、同じように見える二つの神話が、おそらくそれほど離れてはいない時期に相次いで成立し、そのあとも併存し続けているという謎は永久に解明されないでしょう。

 ということで、数年ほど前から、古事記神話と日本書紀本文神話の記述を徹底的に比較して、一致する点や異なる点を調べ、それらをもとに、それぞれの神話のもつ特色を明らかにしてゆくという研究を行っています。その研究成果は来年に一冊の書物としてまとめる予定です。

 最後に一言。わたしは元々、日本神話の研究者ではなかったのですが、いつの間にか日本神話の面白さに取りつかれて、今日に至っています。講義、ゼミ、卒論指導などを通じて、その面白さを伝えることができればと思っています。

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