今月もLC哲学カフェが開催されました。5月23日土曜日の夕方、場所はA811教室。タイトルは「私はあの時どんな顔をすればよかったのだろう――『空が灰色だから』で哲学する」。初めての土曜日開催だったものの、参加者は前回より増えて学生諸氏が7名、教員2名。A棟8階からキャンパスを見下ろしつつ、約10名で議論を。
今回の素材は阿部共実の短編集『空が灰色だから』。取り上げたのは、知る人ぞ知る名作、第16話の「金魚」。無表情な主人公によって繰り返される問い。「なんでみんなあんなにすぐ顔を変えることができるのだろう」「みんなはどんな顔をしていたのだろう」「私はあの時どんな顔をすればよかったのだろう」――。
なぜ顔を変えられるのか、なぜ顔を変えるのか。周囲とうまくやっていくため? 周囲に合わせて表情を作る。或いは、話しかけるな、というメッセージとしてあえて無表情を保つ。実際、無表情な人は何を考えているのかわからないので、話しかけづらい。しかし、仲良くならないと表情が出せない? 逆に仲良くなると、無表情でいても平気になる?
そもそも「顔」と「表情」の違いは何か。顔は自分のモードやキャラを示すもので、表情は自分の感情を表現するためのもの? もし顔や表情が他者の視線を意識して作られるものならば、誰もいないところでの顔や表情は? 人がいないからこそ泣けたり、笑えたりすることもあるはず……。
顔や表情が本当の感情を伝えているとも限らない。作っている顔と作っていない顔――。某教員が「自分の幼い頃の写真を見ると、作り笑顔ばかり」と言えば、もう一人の教員が「私の幼い頃の写真は、カメラの方をにらんでばかり」と応答。
作品それ自体に関しては、最後の一コマでの主人公の表情に関する議論が。主人公は笑っている? それとも、やはり無表情のまま? その他、この作品には感情を直接する表現する言葉がない、主人公は周囲の人々を別の生き物のように観察している、という指摘も。
それ以外にも話題は多岐にわたり、怒り方の作法、女性のナチュラル・メイクや男性の無造作ヘア、電話で話す場合と対面して話す場合との違い、等々。文化学科内部の男女関係にまで話が及んだ辺りで、チャイムが鳴って終了となりました。
未だ参加者は少ないものの、前回よりは回復。来月もまた、土曜日の夕方に開催される予定です。そして、次回は学生さんが進行役を。お誘い合わせの上、ぜひ気軽に御参加下さい。
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