2015年5月22日金曜日

国境を渡る風・満洲里(磯田則彦先生)

「教員記事」をお届けします。本年度第三回は地理学の磯田則彦先生です。



国境を渡る風・満洲里
―異文化の接触地帯インナーモンゴリア2―

 こんにちは。文化学科教授の磯田則彦です。私の専門は、人口研究と異文化の接触地帯の研究です。両者ともに複合領域的な研究になりますが、それぞれに非常に魅力的な分野です。

 まず、人口研究についてですが、具体的には人口移動研究と人口問題研究が中心になります。前者については、日本・北アメリカ・北・西ヨーロッパを中心に研究してきました。人は生まれてから死ぬまである場所に定住し、一切別の場所に移ることがなくてもよいのでしょうが、実際にはライフステージの要所要所で移動を行う人が大勢います。果たして、「その人たちは、どのような属性で、どういった理由で移動を行うのでしょうか?」。以前から、そんなことが気になってしまいます。
 また、後者については、非常に大まかな表現を許していただければ、「人口が停滞から減少へ向かいつつある社会」(現時点では、概して先進諸国の一部や東欧諸国に多く見られます)や、「短期間に人口が急増している社会」(概して、後発開発途上国とイスラーム諸国に多く見られます)を対象として研究を行っています。出生と死亡に影響を与える社会経済的要因や政策などが中心的なテーマです。

 次に、異文化の接触地帯の研究ですが、このトピックスについては、文化学科で専門のゼミや講義を担当し、学生諸君の卒業論文の指導を行う中で身近になってきた分野と言えるかもしれません。前回に続き、今回も私のフィールドの中から「インナーモンゴリア」(前回のアーティクルをご参照ください)についてご紹介いたします。





 ダーシンアンリンを抜けると、やがて目の前には草原が広がってきます。長い長い列車の旅です。目的地の満洲里は、ヘイロンジャンの省都ハールビンから西北西に1,000km近く、最寄りの海岸線から直線距離にして千数百キロメートルも内陸に入り込んだところにあります。乾いた空気と藍い空がとても印象的です。島国の日本にこのような場所はありません。広い広いインナーモンゴリアの北東端にあるこの街は、中国・ロシア・モンゴル3か国の国境地帯に位置しています。ダーシンアンリンを抜けてから数時間、車窓には延々と大草原が続きます。日本ではとかく動物園で見る機会が多い馬・牛・羊、何とラクダ(このあたりは「フタコブラクダ」が多い)の群れを随所に確認できます。沿線は世界有数の放牧地帯になっています。ハールビンを出発して十数時間、大草原の中に美しい街並みが見えてきました。満洲里です。この典型的な異文化の接触地帯についてご紹介しましょう。


 満洲里は人口およそ20万人、漢族・モンゴル族・ロシア人をはじめとして、多くの民族が暮らす街です。古くは「ルービン」(ロシア風の都市名)と呼ばれ、「マンジョウリー」はロシア語で「マンチューリア」を意味します。中国最大の陸運の貿易都市であり、ここを拠点にロシア・東欧諸国との貿易が行われています。中国とロシアを結ぶ国際列車は、ここを通ってバイカリア方面に向かいます。ロシア側の隣街・ザバイカリスクとはこの鉄路や道路で結ばれており、人々の往来も盛んです。一方で、モンゴルとの国境地帯は草原や湿地になっており、人の往来もかなり少なくなります。街中ではロシア人を多く見かけ、店の看板には、漢字・モンゴル文字と並んでキリル文字を至るところで見かけます。店頭のスピーカーからは、中国語とともにロシア語が響きます。買い物にもルーブルが使える店が多く、中国の土産物をはじめとして、ロシアのマトリョーシカ・チョコレート・装飾品やモンゴルの干し肉・チャイ(ツァイ)などが所狭しと並べられています。ここの食文化の特徴は、3か国の食材と調理法が並存しているところにあり、一般的な中国料理に加えて、羊肉料理やロシア料理を楽しむことができます。








 


 ところで、皆さんは国境線を見たことがありますか?前述のとおり、満洲里は国境地帯にある街です。街外れには「グォメン」のように観光資源化された国境もありますが、一般的には、草原の中にフェンスや有刺鉄線が張られたものとなります。国境警備に当たる兵士が立ち、厳重な警戒態勢が敷かれているところもあれば、ただ「仕切り」だけが延々と続くところもあります。私たち島国に生まれ育った人間には、普段国境線はあまり意識されず、また目にする機会もありません。ただ、これは山々や大草原のように自然に存在するものではありません。あくまで、人工的なものです。昔から中国とロシアの間では、互いの領土を巡って争いがしばしば発生してきたと聞いています。しかし、もともとはこの地帯に国境の概念はなく、丘陵性の山々が並び、草原が広がり、その中をゆっくりと河が流れていただけです。いつから、バイカリア・モンゴリア・マンチューリア間の人間の移動に制限が加わったのでしょうか?今回、私が見た大草原の中の国境線では、その上をさわやかな風が吹き抜け、鳥たちが自由に行き来していました。(終)


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