2015年1月9日金曜日

第四回「マンガde哲学」 (哲学カフェ) 開催結果(宮野先生)

先日ご案内した「第四回マンガde哲学」が開催され,宮野真生子先生よりそのご報告をいただきましたので,以下に掲載いたします。


 第四回マンガde哲学「好きになるってどんなこと?ー『ハチミツとクローバー』から考える」が17日(水)に開催されました。この日は後期の講義が終わり「予備日」という、ようするに何もない日。学内も閑散としており、人が集まるのかと心配していましたが、教員たちのお土産(生八つ橋と「もろこし」という謎の秋田土産)のおかげか(?)学生さん15名と教員2名、お菓子を食べつつ和やかにカフェがスタートしました。

 配付された資料に描かれているのは、「ある人の前だと、緊張してご飯を食べるのもうまくいかない、トイレに行きたいとも言えない」という状態。そんな「物を飲み込むのも苦しいような気持ち」こそ、「恋」である?そもそも、「人を好きになる」ってどんな状態なのだろう?

 そこでまず女子陣から出たのが、いわゆる「ギャップ萌え」。たとえば、ちょっと不良っぽい人が猫に優しくしていると、「いいな」となる。意外性に人は惹きつけられる。ふだん私たちは人と付き合うときに、事前に相手をある意味で値踏みしていて、その期待値との関係で人の魅力は増減するという話。ところがこれに対して、男子陣から「それじゃぁ、人にポイントつけて評価してるってこと?」との反論が。そこから、たしかに私たちは人とのつきあいで、相手を色んな角度から評価しているけれど、この人が「好き」ってときには、そうした評価の軸それ自体が役に立たなくなる。それくらい「特別」な存在として相手を見て、条件や評価軸が吹っ飛んだとき、「好き」になるんだと。では、その「好き」の感情はどんなものなのか。それは単なる「好印象」とは違うはずで、たとえば、全くタイプじゃない人を好きになる場合だってある。では、「トキメキ」が好きという感情なのか、それとも「一緒にいてラクだ、安心する」というのが好きなのか。そこで出たのが、「好きは色々ある」説。そのときの自分が求めているもの(ドキドキ感か安心感か)によって、「好き」という感情の中身も変わるという意見。毎日のご飯はホッとするし、特別な外食はテンションがあがる。やっぱり両方欲しい。でも、一般的に「好き」っていうと、「ドキドキ」「特別」をイメージしがちで、毎日のごはんや安定はイメージが悪い。それって「倦怠期」って問題?! でも、「慣れ」っていう好きのかたちもあるんじゃないの・・・?
 
さらに、「物」を好きになるのと、「人」を好きになるのは違うのかという質問に、多くの学生さんたちが「やっぱり人を好きになると相手の目が気になる・・・(オムライスが好きでもオムライスにどう見られているかは気にならない)」と、人を好きになるときの、相手との関係性に言及。でもそれって、「自分が好き」って話から、「相手に好かれたい」というふうに「好き」の方向が変わってない?どうしてそんなふうに変わるんだろう・・・?それは、「相手に嫌われたくない」「自分が傷つきたくない」という「守りの態度」があるからで、結局のところ、「自己チュー」「自分勝手」な欲望じゃないかという指摘が飛び出し、議論が紛糾。「好き」は、単なる自分のためのことなのか、いやでも、相手の幸せを祈る他者への純粋な思いもあるはずだ、でも、「告白」するときって結局、「自分の気持ち」を伝えればいいだけじゃないか・・・とワイワイやっている間にタイムアップ。終わってからも、「結局好きって何なんだ−」という叫びが飛び出したり、新年早々熱い時間になりました。

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