2018年3月7日水曜日

平成29年度提出の卒業論文題目一覧


 平成29年度提出の卒業論文題目一覧をお届けします。末尾に卒業論文関係の記事も載せていますので、そちらもぜひご覧下さい。


平成29年度提出の卒業論文題目一覧

大上 渉 准教授(犯罪心理学)
・事故と血液型との関連性からみるパーソナリティ
・行動的・パーソナリティ的指標に基づいた趣味的活動の量的類型化
・グリコ・森永事件の犯行声明文について―テキストマイニングを用いて―
・毒物を用いた殺人事件の犯行特徴と犯人特徴について

佐藤基治 教授(認知心理学)
・あした、なに着ていく?
・低音では時計が遅れる 速さは時計を遅くする

一言英文 講師(感情心理学、比較文化心理学)
・思春期の自閉症児を対象とした社会的交流活動と幸福感に関する心理学的研究
・日本の文化は個人主義化しているのか


2)芸術学・美術史
植野健造 教授(日本の美術)
・花鳥画~伊藤若冲と円山応挙~
・仏像の美~千手観音像について~

浦上雅司 教授(西洋の美術)
・ウェス・アンダーソン監督の箱庭的世界観について
・近代建築の日本における受容 ル・コルビュジェと前川國男を通して
・シャガールとステンドグラス―ザンクト・シュテファン教会を中心に―


白川琢磨 教授(宗教人類学)
・太宰府の観光と信仰―文化資源としての重層性―
・日本人の宗教観の独自性に関する一考察
・宗像における神と仏

宮岡真央子 教授(文化人類学)
・化粧におけるジェンダー
・日本人の遺体観


平井靖史 教授(近現代フランス哲学)
・タイムトラベルの可能性
・人工知能の哲学

・なぜダメ男製造機系女子がうまれるのか?
・これからの日本における家族の役割について


岸根敏幸 教授(日本の神話と宗教、仏教、インド哲学)
・古事記神話における統治者の正統性について―アマノオシホミミの位置づけ
・「千と千尋の神隠し」における神々


磯田則彦 教授(人口地理学)
・私たちはなぜファッションを楽しむのか



2018年3月2日金曜日

拝観料とは何か?観光寺院とは何か?(藤村健一先生)

 平成29年度第14回目の「教員記事」をお届けします。地理学の藤村健一先生です。今回は、京都や奈良、鎌倉の寺院で拝観料の値上げが相次いでいることを受けて、観光寺院には宗教空間、観光施設、文化財の3つの側面があり、しかしその相互関係は必ずしも簡単ではないことを指摘されています。



拝観料とは何か?観光寺院とは何か?
   
     藤村健一(地理学

 昨年某日、朝日新聞大阪本社の岡田匠記者から取材依頼の連絡が入った。岡田記者とは一面識もなかったので、何事かと思いながら依頼書を読んだ。これによれば最近、京都・奈良や鎌倉の寺院で拝観料の値上げが相次いでいるとのこと。ついては「藤村先生に拝観料について、色々と教えて頂きたい」と書かれていた。

 私は2016年、「京都の拝観寺院の性格をめぐる諸問題とその歴史的経緯」(『立命館文学』645)という論文を書いたので、たぶん記者がこれを読んで依頼してこられたのだろうと考えた。けれども、“拝観料の専門家”だと思われていたとは意外だった。

 たしかに当時は観光寺院(拝観寺院)について調べていて、同年には「上海における仏教の観光寺院の空間構造・性格・拝観」(『E-journal GEO』11-1)という論文も書いた。しかし、自分の専攻分野はあくまでも宗教地理学だ(と思っている)。宗教地理学では、宗教に関わる空間の構造・意味・変化などについて明らかにする。そのため、これらの論文では、観光寺院の建物配置や、人々の観光寺院に対する意味づけ(イメージ)、歴史などを分析した。拝観料についてもこの中で触れているが、私自身、別段拝観料に詳しい訳ではないし、最近の値上げについてもよく知らない。岡田記者にはそのようにお伝えしたが、結局、求めに応じて私見を述べさせてもらった。その内容は、昨年11月14日の『朝日新聞』朝刊記事(岡田匠「大寺院の拝観料 相次ぐ値上げ」)の中で、私のコメントとして掲載された。

 ただ考えてみると、拝観料を専門としている研究者はたぶんいない。これに関する既往研究も僅かしかない。だから、この問題についてコメントできる者が私くらいしか見当たらなかったのだろう。「鳥なき里のこうもり」の心境である。

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 しかし、京都・奈良などの有名寺院を見るには拝観料が必要だから、支払ったことがある人は多いはずだ。また京都では1980年代、拝観料に上乗せする「古都保存協力税(古都税)」が社会問題になった(88年廃止)。最近でも、朝日報道以降、『読売』(「社説」2017年11月26日朝刊)や『日経』(「拝観料 相次ぎ値上げ」2018年1月11日朝刊)など各紙が相次いで拝観料の値上げ問題を取り上げている。にもかかわらず、仏教学や観光学などの関連学界では(古都税問題が起きた80年代を除いて)拝観料が注目を集めることはない。その背景には、拝観料の性格のあいまいさがあるとみられる。

 朝日記事の中で、私は「拝観料には宗教行為のお布施と、文化財を見ることへの対価の両方がある」とコメントした。拝観料は、拝観者の大多数を占める観光客にとっては、文化財の入場・見物のための定額料金である。一方、寺院側は建前ではそれを拝観者の自発的な寄進(お布施)だと捉えている。とはいえ、不特定多数の拝観者(観光客)に対する教化に熱心な寺院は少ない。それゆえ、これを観光産業の文脈のみで論じることはできないが、かといって仏教教学の立場で論じることも容易ではない(ただし、観光寺院が加盟する京都仏教会は、古都税問題以降、拝観行為の教義的な正当化に努めている)。

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 拝観料を徴収する観光寺院もまた、あいまいな存在である。同記事で、私は宗教地理学の立場から「観光寺院は宗教空間、観光施設、文化財の3つの側面がある」とコメントした。これらの側面(性格、意味)については『立命館文学』の拙稿で詳述し、今年度の「文化地理学」の授業でも説明したが、ここではこれら3つの相互関係について手短に述べたい。

 「観光施設」というのは、観光産業や観光客の側からの意味づけである。観光産業はビジネスである以上、営利目的であり、観光客は支払う対価にみあったサービスを求める。しかし、観光寺院といえども教団や僧侶、信者(檀家)にとっては「宗教空間」であり、営利目的の施設ではないという認識がある。拝観料も、宗教活動に伴うお布施とされ非課税である。観光寺院の僧侶であっても、自分たちの寺が単なる観光施設とみなされることにはしばしば抵抗感をもっている。

 このように、「宗教空間」と「観光施設」の側面は、あまりしっくりいかない関係にある。そこで観光寺院としては、不特定多数の観光客に拝観させることを教義的に正当化する必要が生じる。朝日の記事には「山川草木すべてに仏があり、境内に入れば宗教心を感じる。拝観は宗教行為だ」という清水寺幹部の声が紹介されているが、これはその一例といえる。

 一方、多くの寺院では、お堂や仏像などが「文化財」に指定されることに対し、さほど抵抗感をもっていない。しかし「文化財」は行政が選定するものなので、「文化財」と「宗教空間」の関係は政教関係の文脈で捉えることもできる。憲法の政教分離原則のもと、両者の関係は潜在的に対立要素をはらんでいるともいえよう。

 これらの関係に比べれば、「観光施設」と「文化財」の関係は親和的である。観光施設に「文化財」という公的なお墨付きが与えられれば、集客力が向上する。文化財保護を担当する行政機関としても、観光を通じて文化財への国民の理解が進むことが期待できる。しかも、昨年3月に閣議決定された『観光立国推進基本計画』には、文化財を観光振興に積極的に活用していく政府方針が明示されている。しかしその翌月、山本幸三・地方創生担当大臣が「観光マインドがない学芸員はがんだ」という趣旨の発言を行った際には、文化財保護を担う学芸員から反発の声が上がった(佐藤丈一・岸達也「学芸員 怒り心頭」『毎日新聞』2017年4月20日朝刊)。

 このように、観光寺院の3つの側面は、宗教界、観光業界(観光客)、行政の関係者が、それぞれ異なる立場から寺院を意味づけた結果として生じている。同時に複数の側面を併せもつがゆえに、「観光寺院」はあいまいでどことなく違和感を抱かせる概念となっている。

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 さきほど、「宗教空間」と「観光施設」の関係はしっくりいかないと述べた。それでは、「宗教」と「観光」の関係はどうだろうか?

 宗教学者の岡本亮輔氏は、2015年の著書『聖地巡礼』(中公新書)の「序章」で、両者の関係の変化を次のように分析した。


“近代以降は、聖地巡礼と観光はひとまず別の現象として語られてきた。”
“そして場合によっては、巡礼(者)と観光(客)は対立するものとしてとらえられている。”
“ただ、その様相は、現在また変わろうとしている。”
“現在起きているのは宗教と観光の融合である。” (下線引用者)


 さらに「第3章 世界遺産と聖地」の中で、現在の両者の関係を次のように評価した。


“これは単に宗教文化が観光用の商品として加工され、販売されているということではない。宗教と観光が融合しながら、従来とは異なる仕方で互いを位置づけ直し、新しい距離感を持って存在し始めているのである。”
“こうした状況においては、世界文化遺産制度は、宗教が社会の中に新たな位置取りをするための重要なルートになっている。世俗の基準と評価を意識しながら、宗教は、見るに値すべき文化として再び価値を与えられているのである。” (下線引用者)


 一方で岡本氏は今年2月、講談社のウェブサイト「現代ビジネス」に「日本で急速に進む『宗教の観光利用』の危うさに気づいていますか」という論文を発表した。この中では近年、日本で宗教の観光資源化が目立っており、自治体と宗教法人の「政教連携」によってその促進が企図されている現状を紹介したうえで、次のように懸念を示している。


“神社仏閣は歴史的に地域の核となってきた場合が多く、有力な観光資源になりうる。そして現在、観光も地域全体で取り組むべき重要課題とみなされるようになっている。”
“つまり、宗教と観光が一体となって地域を動員する形が生まれやすくなっているのだ。”
“しかし、筆者はすぐに軍靴の音が聞こえてくるタイプではないつもりだが、政教分離という近代国家の基本原則が観光化という意外な文脈でなし崩しに侵されることには注意を払う必要があると考える。” (下線引用者)


 これを読むと、やはり宗教と観光の関係は簡単ではないとあらためて感じる。

 結局のところ、聖地や寺院、神社などの宗教的な空間をめぐって、宗教界・観光業界・行政が、互いの立場の違いに配慮しつつ、一定の距離を置いて関わるのが望ましいといえるだろう。



2018年2月12日月曜日

いぬなっじ(平田 暢先生)

 平成29年度第13回目の「教員記事」をお届けします。社会学の平田 暢先生です。今回は、犬を飼うとアフリカで貧困問題に苦しむ子どもが助けられる可能性が高まるのでは、というお話です。



いぬなっじ
   
     平田 暢(社会学


 12月の教員記事で、林誓雄先生が「忘年会に、いくべきではない理由」というタイトルで大変面白い倫理学的な思考実験を紹介されています。トロッコ問題(trolley problem)と言われるもので、暴走してくる機関車に対して線路を切り替えると子どもを救えるが、その代わりに自分の愛車Bugattiは破壊されてしまう状況でどうすべきか、という問題です。線路を切り替えなければかなりの確率で子どもは轢かれますが、愛車は助かります。

 つい、色々と考えてしまったのですが、自分の選択によって犠牲になるもの(=愛車のBugatti)、救われるもの(=線路で遊んでいる子ども)の属性が気になるところです。犠牲になるものがBugattiではなく新車のFerrariだったら、5年落ちのAlfaRomeoだったら、車ではなく自宅だったら、車に自分の親が乗っていたら、配偶者だったら、自分の子どもだったら、あるいは見知らぬ外国人の男性だったら・・・。救われるべきものも同様に様々なバリエーションが考えられます。今年は戌年ですし、どっちかが犬やったらどうすんねん、ということも気になります。

 ちなみにBugattiですが、1909年創業のBugattiと、現在3億円也のChironというモデルを生産しているBugattiは、実態としてはまったく別の会社のようです。上記トロッコ問題の主人公であるボブさんが購入したのは、「珍しく高価なクラシックカー」となっているので、恐らくもともとのBugattiが生産していたモデルだと思われます。貯金をはたいて購入し、きちんとレストア、メンテナンスをしていれば将来的に価格は上がるはずなので、老後のための投資になる可能性はありそうです。とか思いながらネットで探してみると、1930年代のモデルの日本での落札価格が11億円!。あびっくりした。モデルと車の状態によっては数百万円くらいからあるようですが、他方で現行モデルの新車価格が安く思える価格がつくこともあるようです。という訳で、ボブさんがどの程度のお金持ちかはほとんどわかりません・・・。

 それはともかく、犠牲になるのがBugattiではなく、15年飼い続けた老犬だったらどうすべきなのでしょうか。私のところの犬も1月で15歳になったので(結構うれしかったりする)。ちなみに、一般社団法人ペットフード協会の調査によると、日本における犬の平均寿命は14.2歳だそうです。15歳では確かに残された時間は長くはないし、犬は人よりも存在として劣るのであれば、やはり子どもを救うべきなのでしょう。

 伝統的なキリスト教的価値観に従えば、犬には魂がないことになっているので、優劣は自ずと明らか、ということかもしれません。しかしながら、日本では多くの人が犬にも魂があると思っているようですし、2代前のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は「動物も魂を持っている」、現教皇フランシスコは「天国は神が造られたすべての生き物に開かれている」と発言していて、どうも色々と議論になっているようですが、もしこれらの発言を肯定すると犬にも魂がある、ということになりそうです。魂の格、のようなものがあるのか否かわかりませんが、善良さの点ではどうも犬の魂の方が人間の魂よりも格上のような気がします。地上にはそのような魂の持ち主が大勢いた方がよいのであれば、犬を救うべきなのかもしれません。

 それもともかく、以下では救われるものの方に焦点を当ててみたいのですが、その子どもを救うべきか否か、という生身の個人の判断には社会的距離(social distance)というものが関わっていそうです。社会的距離とは他者に対する親密さや共感できる程度のことで、相手の社会的距離によって我々の感情のあり方、反応は違います。社会的距離の近い相手の方が自分にとって大事で価値があるということが普通なので、線路で遊んでいる子どもが自分の孫である場合、ボブさんは躊躇なく線路を切り替えるはずです。しかし、何となく知っている近所の子どもの場合、あるいはまったく知らない子どもの場合では、切り替えはしても、決断するまでにかかる時間は長くなるかもしれません。

 実は冒頭の思考実験のポイントは、線路で遊んでいる子どもと貧困に苦しむアフリカの子どもは同じであり、愛車Bugattiを犠牲にして線路で遊んでいる子どものを救うのであれば、余分なお金すべてをアフリカで貧困に苦しむ子どもに寄付すべき、というさらに大きな問いを投げかけることにあるようです。しかしながら、生身の個人の感覚、あるいは感情から考えると、貧困に苦しむアフリカの子ども、というのは確かに危機的な状況にあると言う点で線路で遊んでいる子どもと同じかもしれませんが、自分の目が直接届く範囲にはおらず、無論親戚でもなく、社会的距離は随分と遠い存在です。目に見えて危機的状況にある子どもと、遠い異国の地で危機的状況にある子どもは、生身の個人から見ると同一のものとしては見なせないはずです。


 このように考えて図1を作ってみました。選択者であるボブさんと線路で遊んでいる子どもとの社会的距離を横軸に、ボブさんにとってのその子どもの価値を縦軸におき、両者の関係を表してみたものです。ボブさんにとって、社会的距離が遠くなるほど相手の価値は下がると考えられるので、社会的距離と価値の関係は右下がりの減少関数になると思われます。もちろんこの線はボブさんに固有のものです(図1-1)。人によっては水平の線になったり、右上がりになることもあるかもしれません。さらにそこにBugattiである自分の車の価値を書き込むと、自分の車の価値を示す横線との交点が出てきます(図1-2)。この交点の左側は、子どもの価値が車の価値を上回っているのでボブさんは線路を切り替えて子どもを救い、右側では車の価値が子どもの価値を上回るのでボブさんは線路を切り替えないで車を救うと考えられます。


 このような状態で子どもを救う可能性を広げるにはどうしたら良いでしょうか。1つのアイデアは車の価値を変えることです。もし図2のように、自分の車が何者にも代え難い至上の価値を持つと、孫であっても救わないということになってしまいます。しかし、図3のように車の価値を低く見ることができれば、どんな社会的距離にある子どもでも、つまりすべての子どもを救うことになります。

 ここでは子どもの価値と自分の車の価値とで見ていますが、子どもと対比されるものは何でもよく、それこそ15年間飼っている犬でも良いわけです。車であれば環境に良くないとか、事故の可能性とか色々と理屈をつけて価値を下げることは比較的できそうですが、現に生活をともにしている、しかも魂が格上の(?)犬の価値を下げることは大変難しい気もします。また犠牲になりうるものは無数にありますし、いちいち見ていくのも大変です。


 そこで、もう1つのアイデアは減少関数である右下がりの線の形を変えられるか、ということになります。たとえば図4のように、社会的距離が遠くなると急激に相手の価値が下がってしまう人の場合、ごく近い相手しか救わないことになります。逆に、図5のように社会的距離が遠くなってもゆっくりとしか相手の価値が下がらなければ、救われる子どもの割合は高くなります。このように、線の下がり方を緩やかにする工夫はないものでしょうか。

 工夫、と言いましたが、昨年来「ナッジ(Nudge)」という言葉を耳にした人も多いと思います。ひょっとすると、今後人々がよく知る言葉になるかもしれません。昨年ノーベル経済学賞を受賞したR.セイラーと共同研究者のC.R.サンスティーンが、人々が適切な選択ができるように促す方法として提唱している言葉です。ナッジとは、本来「ひじでそっと突つく」という意味で、規則で禁止したり、強制したりではなく、余りコストをかけずにまさに「促す」ための工夫を言います。

 オランダのスキポール空港は、男性用トイレの床の汚れがひどかったのですが、ナッジを利用して清掃費を8割減らした、という有名な話があります。「飛び散らないように注意しましょう」という張り紙をしたのでも、小便器を総取り替えしたのでもありません。小便器の内側に1匹のリアルなハエのシールを貼っただけです。ぱっと見本物のハエに見えるので、つい狙ってしまうのですね。その結果、飛散が減ったのです。

  子どもの貧困対策で考えると、World Vision(ワールド・ビジョン)という、緊急人道支援や開発援助を行っている規模の大きな国際NGOの「チャイルド・スポンサー」という仕組みが思い浮かびます。これは、支援を必要としている特定の子どものスポンサーとなる形で自分の寄付を使えるというもので、漠然とした支援を必要とする「誰か」ではなく、顔と名前を持った「この子」を支援するというのは、社会的距離が近くなるため、より寄付行為を促せるのではないかと思います。よく考えられた仕組みだと思います。

 で、犬の話なのですが。

 スタンレー・コレンという、犬に関する著作も多数ある心理学者によると、家に犬がいる子どもは社交的で思いやりも深いことがわかっているそうです。犬と仲良くなるには、犬の表情やボディランゲージ、行動を観察し、犬の出している社会的信号を読み取らねばなりません。たとえば、あくびをするのはむしろ緊張や不安のサインである、口が軽く開いているのはリラックスしているとき、前足を伸ばしてお辞儀するような格好で尻尾を振っているのは遊ぼうのサイン、などなどです。人の話を何も聞いていないように見えるときの犬は人の話を何も聞いていない、はそのままですね・・・。

 そのような経験は、人との関係でも生かされ、犬を飼っている子どもは言葉によらないコミュニケーション能力や仲間とのふれあいといった社会的能力が高くなります。犬の生存と幸福が自分にゆだねられていることを知り、ひいては他者への共感能力も培われるということのようです。これもコレンの著作で知ったのですが、イギリスで初めて動物虐待禁止条例を可決させたリチャード・マーティン(1754-1834)というアイルランド人政治家は、宗教的迫害を受けたカトリック教徒やナポレオン戦争で家を失った難民に私財をなげうって自分の土地と新築家屋を無償で提供したそうです。それも千戸以上。アメリカにおける動物愛護協会の創始者ヘンリー・バーグ(1811-88)も、児童福祉活動を本格化させるきっかけを作った人だったようです。また、冒頭のトロッコ問題を紹介し、貧困に苦しむ子どもへより多くの寄付を呼びかけているピーター・シンガーという倫理学者は、貧困の問題もさることながら、動物の権利を強く主張する動物解放論者として知られており、『動物の解放』という有名な著作があります。

 犬を飼うことで他者への共感能力が高まるとすると、それはおそらく身近な人だけではなく、遠くの見知らぬ人へも及ぶようになるということでしょう。つまり、時間はかかるかもしれませんが、犬を飼うことがナッジとして機能し、そのような人が増えれば貧困にあえぐアフリカの子どもが救われる可能性は高まると考えられます。

 無論、他者への共感能力を高める、という効果があれば、飼うのは犬である必要はなく猫や他の動物でも良いはずです。あるいは、そもそも何も飼わなくても、多くの人と楽しくお酒を飲むことで同様の効果が期待できるかもしれません。

 さきほどのペットフード協会によると、日本全国の犬の推計飼育数は892万匹で、ここ数年減少傾向にあるそうなのですが、犬を飼うことを促すという意味では、犬と接する機会を増やすこともナッジになると考えられます。そこで、ペット可の施設を増やすのはどうでしょう。たとえばスウェーデンでは、電車やバスにペット可の車両があり一目でわかるようになっているそうなのですが、一般のオフィスでもペット可のところが数多くあるようです。同時にスウェーデンは、よく知られているようにもっとも有名な高福祉国家でもあります。ただし、スウェーデンは動物保護・管理の面でもきわめて厳しく、犬を6時間以上監視なしで1匹だけにさせてはいけないなど細かい規制も多く、簡単に犬を飼える社会ではないようですが・・・。

 犬を飼う、というのはそれなりにコストがかかるので、もっと手っ取り早い(?)方法としては、貧困問題への寄付を募るポスターをペットショップや動物病院に集中して貼る、というのも効果的かもしれません。

 と、いうことで林先生、みなさんと飲みに行く機会を増やして下さい。犬を飼いませんか。


参考文献

・R.セイラー・C.R.サンスティーン,遠藤真美(訳),2009, 『実践行動経済学』,日経BP社.
・S.コレン,木村博江(訳),2002,『相性のいい犬、悪い犬』文春文庫.
・S.コレン,木村博江(訳),2002,『犬語の話し方』文春文庫.
・S.コレン,木村博江(訳),2011,『犬があなたをこう変える』文春文庫.
・一般社団法人ペットフード協会ホームページ[http://www.petfood.or.jp/index.html]
・国際NGOワールド・ビジョンホームページ[https://www.worldvision.jp/]

2018年2月6日火曜日

平成29年度卒業論文発表会が開催されました

1月29日(月)に卒業論文発表会が開催されました。今年は口頭発表が2名、ポスター発表が17名でした。


 まずは、福澤萌さんが「化粧におけるジェンダー」というタイトルで発表をおこないました。化粧の位置づけの変化を日本の歴史からたどったうえで、西洋式の化粧が入ってきた後の近代日本における化粧について紹介したうえで、その特徴を分析。質疑応答では、「大正時代のモボ(モダンボーイ)はどうだったのか」「身だしなみと化粧の線引きは?」など、論文の根幹にかかわる問いも投げかけられました。

 次は、大学院社会・文化論専攻の長谷川正太郎さんによる修士論文「日本の人名に関する文化人類学的考察ー統合と差異化の原理を中心に」の発表でした。日本の人名、とくに名前の付け方が現代日本でどのように変化してきているのか、じっさいの名付け本を紹介しながら、お話してくださいました。教員もみんな興味津々。多くの質問が飛び交い、発表が終わったあとも、発表者を呼び止めて議論が続いていました。

そして、後半はポスター発表。二つの部屋に分かれて、色とりどり様々なデザインのポスターが並びました。自分のポスターの前でプレゼンするのはちょっと恥ずかしい・・・と初めは思っていた学生さんも気づくと堂々と質問に答えるようになって、多くのポスターの前で議論が勃発。発表を聞きに来ていた下級生たちは、来年は自分たちがと気を引き締める一幕も。

卒業論文は、4年間文化学科で学んだことの集大成。ここに学生生活が詰まっていると言っても過言ではありません。 ぜひみなさん卒論を書きましょう!

2018年1月31日水曜日

平成30年度文化学演習の所属希望調査について(連絡)

文化学科学生各位

《重要》平成30年度 文化学演習所属希望調査について


◆平成30年度 新2年生(LC17台)・再履修者各位
 平成30年度の文化学演習Ⅰ、文化学演習Ⅱの所属希望について、下記の要領で提出して下さい。

◆平成30年度 新3年生(LC16台)・新4年生(LC15台)・再履修者各位
 平成30年度の文化学演習ⅢⅣ、文化学演習ⅤⅥの所属希望について、下記の要領で提出して下さい。

  1. 演習Ⅰ・Ⅱ(LC17台および再履修者)については、配布された「演習所属希望調査票」を前期と後期で各1枚提出して下さい(再履修を除くと、各自2枚提出)。
  2. 演習Ⅲ-Ⅳ、Ⅴ-Ⅵ(LC16台・LC15台)については、配布された「演習所属希望調査票」を前・後期通じて合計1枚提出してください(再履修を除くと、各自1枚提出)。ただし、再履修の場合は1科目(半期)ごとに1枚提出してください。
  3. 提出先は文系センター棟低層棟1階のレポート提出ボックスです(下記案内図参照)。
  4. 提出期間は 平成30年3月16日(金)~19日(月) 16:50  <厳守> です。提出がない場合や期限に遅れた場合は、教務・入試連絡委員が所属を決定します。 ※何らかの事情で上記の期間中に提出できない場合は、事前に教務・入試連絡委員(小笠原か本多)へ相談して下さい。
  5. 決定した演習の所属は、3月22日(木)の9時までにFUポータルと人文学部掲示板で発表します。
  6. 演習所属に関する問い合わせは、文化学科の教務・入試連絡委員 小笠原か本多まで。

※注意事項
  1. 演習ⅢとⅣ、ⅤとⅥは前期と後期で同一教員の演習に所属することになります。
  2. 演習の所属は原則として本人の希望に基づいて決定します。ただし、希望人数が定員を超える場  合は、平成29年度の成績に基づいて調整します。
  3. 各演習の内容については、3月上旬以降にFUポータルでシラバスを閲覧することができます。『文化学科 教員紹介』も参考にして下さい。
  4. 登録制限科目を履修する場合、所属を希望する演習の開講曜日・時限と重複しないように注意してください。
  5. 学芸員を志望者する3年生 (LC16台)は、必修の「博物館資料保存論」(火曜5限<前期>)が、火曜5限<前期>の文化学演習Ⅲと重なっています。学芸員必修科目を履修する場合、火曜5限の文化学演習Ⅲ・Ⅳは履修できませんので注意して下さい。
  6. 再履修が必要な場合、必要な用紙を別途用意し、「再履修」欄に必要事項を記入して提出してください。
  7. 「演習所属希望調査票」が手元にない場合は下記からダウンロードしてください。文化学科のFUポータルからもダウンロードできます。ダウンロードした用紙は配布したものと色が違う場合がありますが構いません。






2018年1月18日木曜日

卒業論文発表会のお知らせ

 下記の日程で卒業論文発表会を執り行います。
 今年は第一部を口頭発表、第二部をポスター発表の形式で行います。4年生のみなさんはもちろん、これから卒論に取り組むことになる1年生から3年生も是非足を運んで、先輩たちの力作をその目で見、ぜひ質問し議論してください。



□日時 2018年1月29日(月)13:00〜16:00
□場所 文系センター棟15階 第5会議室、第6会議室、第7会議室

 詳しいタイトルなどは下のプラグラムをご覧下さい。

発表者は12:30までに来場し、ポスターの貼付を行ってください。


卒業論文発表会関連記事
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 平成27年度卒業論文発表会に参加して
 平成28年度卒業論文発表会が行われました
 卒業論文発表会に参加して


2018年1月11日木曜日

白川琢磨先生の最終講義が行われました

 明けましておめでとうございます。2018年最初の記事をお届けします。



白川琢磨先生の最終講義が行われました


 1月11日(木)に文化学科の教員として教鞭を執られてきた文化人類学・民俗学白川琢磨先生が最終講義を行われました。

  白川先生の福岡大学へのご着任は平成14年で、15年以上文化学科のみならず大学院の社会・文化論専攻、人文学部、福岡大学のために尽力されました。今年3月で65歳の定年を迎えられ、キャンパスを去られます。

 白川先生は、文化資源をめぐる地域共生戦略や宗教民俗形成における中世地方寺院の位置づけ、金毘羅信仰の歴史的動態といったテーマに精力的に、また幅広く研究をなさってきました。膨大な研究業績をお持ちです。また、福岡県文化財保護審議会専門委員や福岡県英彦山調査指導委員会副委員長、国立歴史民俗博物館の運営会議委員、大分県文化財保護審議会委員などを歴任され、数多くの社会的貢献もなさっています。白川先生の謦咳に接し、福岡市博物館の学芸員をはじめ各方面で活躍する卒業生も数多くおられます。


 今回の最終講義では、通常の授業の最終回も兼ねて「レヴィ=ストロースとエマニュエル・トッド」をテーマに講じられました。学科の学生にとっても駆けつけた卒業生にとっても、白川先生の講義を受ける最後の機会となり、皆、集中して聴講し、先生が講義されるお姿を心に焼きつけていたようです。

  講義終了後は、在学生と卒業生から感謝の言葉とともに花束が贈られ、教室からは大きな拍手が起こりました。