2022年7月15日金曜日

急速に変貌してきた街・深圳 ―異文化の接触地帯9―

「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、地理学の磯田則彦先生です。

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急速に変貌してきた街・深圳
―異文化の接触地帯9―


 こんにちは。文化学科教授の磯田則彦です。私の専門は、人口研究と異文化の接触地帯の研究です。両者ともに複合領域的な研究になりますが、それぞれに非常に魅力的な分野です。

 まず、人口研究についてですが、具体的には人口移動研究と人口問題研究が中心になります。前者については、日本・北アメリカ・北・西ヨーロッパを中心に研究してきました。人は生まれてから死ぬまである場所に定住し、一切別の場所に移ることがなくてもよいのでしょうが、実際にはライフサイクルの重要なステージで移動を行う人が大勢います。果たして、「その人たちは、どのような属性で、どういった理由で移動を行うのでしょうか?」以前から、そのようなことが気になってしまいます。

 また、後者については、非常に大まかな表現を許していただければ、「人口が停滞から減少へ向かいつつある社会」(現時点では、概して先進諸国の一部や東欧諸国に多く見られます)や、「短期間に人口が急増している社会」(概して、後発開発途上国とイスラーム諸国に多く見られます)を対象として研究を行っています。出生と死亡に影響を与える社会経済的要因や政策などが中心的なテーマです。




 次に、異文化の接触地帯の研究ですが、このトピックスについては、文化学科で専門のゼミや講義を担当し、学生諸君の卒業論文の指導を行うなかで身近になってきた分野といえるかもしれません。過去8回、インナーモンゴリア・香港・回民・哈尔滨・广州・西安・天津についてご紹介してまいりましたが、今回は史上類を見ない急速な変貌を遂げてきた街・深圳(シェンジェン)についてご紹介いたします。


 深圳は、北京・上海・広州と並ぶ中国を代表する大都市(経済都市)のひとつであり、人口は1,300万人を上回ります(高齢化が進んでいない若い人口構造に特徴)。1970年代後半に始まる改革開放政策の原動力ともいえる経済特区のひとつでもあります。同時期に城市に移行し深圳となるまでは、宝安(バオアン)県と呼ばれていました。当時は小さな集落で漁業・農業など第1次産業が主たる産業でした。この深圳の南側には大都市・香港が隣接していますが、経済特区の設置には香港の存在が密接に関係しており、域外からの投資には同地域からのそれがありました。深圳は「世界の工場」と呼ばれてきた同国を牽引する存在であったと同時に、さらなる高付加価値型の産業の創出、育成に力を注ぎ、近年はICT産業の中心、金融センターの位置づけとなっています。この街の特徴を今回の記事との関係から2~3まとめてみると、次のようになります。①急速な産業の発展に伴う人口増加は、いわば「移民」(国内がほとんどですので移住者)によるものです。②歴史の長い同国諸都市のなかでは例外的に急速な変貌を遂げてきた街です。③外国人を含めて海外生活経験者や留学生を迎え入れ、高度人材を集めています。

 まず、1つ目の特徴についてみてみます。深圳は広東省にある街ですが、当地で広東話(広東語)を耳にする機会はほとんどありません(ただし、地下鉄の案内放送にはあります)。普通話(マンダリンチャイニーズ)がほとんどです。なぜなら、この街の人々の多くは広東省以外の地域から移住してきたからです。中国国内の言語の差異は非常に大きく、同じ漢族が話す言葉でも、たとえば北と南で相当異なります。メディアの普及もあり、たとえば広東省や福建省の方が普通話を理解することは多くなっていますが、その逆は難しいのが現状です。ただし、普通話といっても地域ごとの方言もあり、互いに聞き取りにくい状況にあります。数年前に訪れたときには、わたしの拙すぎる普通話(もはやマンダリンでも何でもない範疇)を何とか聞き取ろうとしてくださる努力(厚意)がひしひしと伝わってきました。他のマンダリン・エリアで「ティン ブ ドン」(わかりません/聞き取れません)といわれ続けてきた経験が嘘のように感じられました。この街は外国人に優しいなとうれしく思ったのを今でもよく覚えています。そのようなバックグラウンドのある街なのですね。

 次に、2つ目の特徴についてみてみます。この街は、中国のいずれの街も経験したことがないほどのスピードで同国屈指の大都市に成長してきました。かつてご紹介したハールビン(異文化の接触地帯5)なども比較的新しい大都市ですが、わずか40年余りで小さな集落が世界屈指の大都市に変貌したわけですから他に類を見ません。同じくかつてご紹介した西安(異文化の接触地帯7)とはまさに対照的です。当然のことですが、これほどまでの変貌ぶりには理由(要因)があります。経済特区であるから、もちろんそれも答えのひとつだと思います。ただし、経済特区はほかにも数か所あります。この街には「深圳に来れば、(あなたも/みんな)深圳人」という言葉があります。異質なもの、新しいものを拒まずに迎え入れる土壌が育まれています。これが深圳の一番の強みだと思われます。この街が「ベンチャーの街」、「スタートアップの街」、「中国のシリコンヴァレー」と呼ばれてきたことがそれを端的に物語っています。多分に意匠や技術は文化的な背景とオーバーラップすることがあります。そのバックグラウンドが多様で広ければ、創造性は高まることが期待できます。

 最後に、3つ目の特徴についてみてみます。外国からの高度人材の迎え入れについてですが、主に2つのルートが考えられると思われます。すなわち、外国からの労働者や留学生の受け入れと、華僑・華人に代表される海外生活経験者のそれです。ベースとなる文化的な背景や生活様式に違いはあるものの、多様なものが持ち込まれることに変わりはありません。経済特区として生まれ変わった深圳には、香港のみならず、華人社会が形成されているシンガポールの経験が密接に関わっています。そのシンガポールは世界中からの高度人材の受け入れを本格的に進めてきました。近年の深圳では、先進国と同様に洗練されたダウンタウンや都市のインフラとともに、住環境の整備に力が入れられています。きれいな都市公園の整備もその一環です。ヨーロッパトップクラスの先端技術産業都市が、自然景観の美しさや厚待遇で世界中から優秀な人材を集めたという話を思い出しました。

 深圳の街には世界最大規模の「電気街」ともいわれる華強北(ファーチャンベイ)があります。そこでは新たに考案される品々が店頭に並び、ここにないものは他にもないとさえいわれます。またこの街には「世界の窓」と名付けられたテーマパークがあり、広大な敷地のなかに世界の著名な建造物のミニチュアが配置されています。世界最大規模のベイエリアであり、中国最大規模の経済圏を形成している珠江(ジュージャン)デルタ地帯では深圳と香港、珠海・マカオを結ぶ架橋が建設、計画されています。多様なものを迎え入れ、結び付けて、発信する。一連のサイクルを考えたときに史上類のない大都市の形成と発展の輪郭が見えてくるように感じられます。深圳は前回までにご紹介してきた接触地帯とは異なって見えるかもしれません。しかしながら、(時間の尺度は大きく異なるものの)その根底にあるものは同じように思われます。


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