2019年9月15日日曜日

LC哲学カフェ開催:夜の動植物園で哲学する


昨日、9月14日土曜日の夕方、LC哲学カフェが開催されました。

今回は新企画として、福岡市動植物園へ。「夜の動植物園」をめぐりながら、その場その場で哲学の議論をする、という試み。参加者はLCの学生さんが2名、他大学の学生さんが2名、教員1名の、計5名。

主に話題になったのは、次の三つ。

第一に、檻について。普段は入ることのできないゾウ舎が特別に公開されていて、中に入ることができたのですが、ゾウの檻は、棒と棒の間隔が広く、人間は自由に出入りが可能。この檻は、ゾウにとっては檻でも、人間にとっては檻ではない。つまり何かが「檻」であるかどうかは相対的に決まることでしかなく、同じものが檻だったり、檻でなかったりする。確かに、人間の檻も、虫やネズミなどは自由に出入りが可能。したがって、檻ではない……?

第二に、「価値」について。植物園で、一年に二日(?)しか花を咲かせない「オオオニバス(?)」を鑑賞。しかし、「一年に二日」という希少性が価値を持つのはなぜか。例えば、結婚。誰かと結婚して、毎日一緒に暮らす、とする。すると、その誰かと一緒にいることの希少性は下がる。ならば、結婚とは、相手の価値を下げることなのか。一年に二日しか会わない相手と、毎日会う相手とでは、どちらの方が価値があるのか。あるいは、希少性と親密度は異なる? 両者は矛盾する、それとも矛盾しない……?

第三に、動物の「裸」について。動物たちは裸なのに、なぜ見ていて「セクシー」とは感じないのか。単に種が違うから? あるいは、動物たちは裸でいることが普通だから? 動物たちにも服を着せるのが普通ならば、裸でいる状態を「セクシー」と感じるようになるかもしれない。逆に人間も、もし皆が毎日裸で生活していれば、性的なものを感じなくなる? いや、服を着て生活している現在でも、裸を直ちに「セクシー」と感じるとは限らない。セクシーさは裸そのものではなく、裸を隠すことから生まれてくる……?

……以上のように書いてみると、何だか、哲学談義に終始していたような印象を与えるかもしれませんが、実際には、動植物園を素直に楽しんでいる時間がほとんどで、哲学談義はごく一部。歩きながらの議論はなかなか難しく、「哲学カフェ」としては課題が残ったものの、緩やかで、心地好い時間となりました。


次回については何も決まっていませんが、いずれまた、どこかで何かを。諸々、このブログ上でお伝えしますので、続報を気長にお待ち下さい。

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