もう十年以上も前のことである。目の前に聳える油山が山火事に襲われた。大学側から見えるかなりの部分の樹木がこれによって失われ、いわゆるはげ山の状態がそれからしばらくの間つづいた。しかし今これを仰ぎ見るに、その痕跡はつゆも認められず、山は樹木に覆われ、山全体に青々とした緑が光り輝いている。自然の生命力の強さと美しさ、これを目の当たりにして思わず冒頭の一句が口を衝いて出た。
美しい緑といえばもう一つ、どうしても忘れられない話がわたしにはある。それはある雲水(行雲流水という言葉の略で禅の修行僧の呼び名)の次のような体験談。禅宗には庭詰という儀礼があるが、入門者はまず禅堂の玄関先で終日頭を下げてひたすら座り.願心の強さを示して入門の許可を得なければならないのである。大方の場合入門の許諾については、当事者同士であらかじめ話はついており、そういう意味で形骸化した儀礼なのだが、決まりがある以上仕方がない。クリアしないわけにはゆかないのである。早朝からこの儀礼に挑戦し始めた彼。時間はなかなか経たないし、窮屈な姿勢は次第に身体を痛めつける。見るな、しゃべるな、聞くな、一切の自由を奪われ、身心ともに極限状態に至らんとした夕暮れ時、彼の目にふっと飛び込んで来たのが傍らに生えた雑草。普段見向きもしないありふれた雑草。その緑のあまりの美しさに彼は思わず息をのんだという。これが禅で言うところの覚りなのか、その辺の事情は定かではない。しかし忙しさにかまけてついついやり過ごしてしまう日常のありふれた事柄、その一つ一つの中にこそ、かけがえのない価値が含まれている、そのことにあらためて気づかされるのが禅の教えの一つの効用であることだけは間違いない。「平常心是道」なる禅語もその意味するところはほとんどこれと異ならない。
さてその禅であるが、日本で最初に道場が開かれたのは実はここ福岡の地。地元の人でもこの事実はあまり知られてないようだが、地下鉄祇園駅からほど近いところに建つ聖福寺がそれであり、境内に入ると後鳥羽上皇の手になる「扶桑最初禅窟」の文字が彫り込まれた扁額が山門に高々と掲げられている。開山は宋から帰国したばかりのあの栄西。以降数々の名僧を生んだ古刹であるが、なかでもひときわ名高いのが江戸期に活躍した仙涯義凡。仙涯さんの呼び名で博多の庶民に親しまれた仙涯は数多くの書画を今日に残している。アザラシであったり、蛙であったり、選ぶ題材は自由自在。おおらかな画風は見るものの心を強くひきつけてやまない。この仙涯の書画、日本初のコレクターが実は、『海賊と呼ばれた男』(百田尚樹)の主人公出光佐三。学生時代から仙涯の書画の収集を始めたという佐三はその後も収集をつづけ、ついには日本一の仙涯収集家に。門司港レトロ地区に移転した出光美術館。こんにちこれがその収集品を引き継いでいる。
行楽にはもってこいの時候。門司港は少し遠いかもしれないが、たまにはスマホを家に置き、ときには油山や聖福寺の散策に出かけてみてはどうだろう。博多で育まれた文化がくたびれかかった現代人の心を、多少なりとも癒してくれるかもしれない。
油山の緑は輝いてますか。
新緑の頃 文科学科 石田和夫
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