2020年2月25日火曜日

植野ゼミと長崎ゼミ旅行

LC17台 黒山愛莉

 みなさんこんにちは。人文学部文化学科3年の黒山愛莉です。この記事では、私の所属する植野ゼミと、6月8日(土)に行われたゼミ旅行について、紹介していきたいと思います。

 日本において「美術」という言葉は、いつ作られたか知っていますか? 実は1872(明治5)年になって初めて作られた言葉です。また、通史としての日本美術史も、明治になって初めて岡倉天心によって講じられました。中学校の社会科や高校の日本史の授業などで、お雇い外国人のフェノロサや岡倉天心の名前は聞いたことがあると思います。

 植野ゼミでは、岡倉天心著『日本美術史』(平凡社、2001)をテキストとして用い、芸術・美術史に対する理解を深めています。この本は、岡倉天心が1890(明治23)年から1892(明治25)年にかけて東京美術学校(現在の東京藝術大学)で行った「日本美術史」の講義を、当時の学生が筆記したノートを基に、編集されました。私たちはまず、『日本美術史』に関する関連論文を講読するなど、背景を理解するための作業を進めています。

 また、植野ゼミではプレゼン発表も行います。今学期は、植野先生が先陣を切り発表をされました。先生は、いくつかのロックバンドのライブを見に行くのが趣味で、そのバンドがHPやTwitterに掲載する、ライブ終了後の集合写真に、自分の姿が写り込んでいる画像を収集されているそうです。その画像の蓄積を紹介する、「アーティストのウェブ画像に写り込むプロジェクト Found in Artist’s Events」というタイトルで報告をされました。

 学生が発表したテーマとしては、「デザインからみる御朱印」「万華鏡」「能楽」「スーパー戦隊における色」「辰野金吾と東京駅」など多種多様です。それぞれが好きなテーマに関するプレゼン発表を行い、次に受講者が質問や疑問、意見や感想を出し合い、活発な授業が展開されています。

 

過去に、「ロゴマークとは?」というテーマで発表をされた先輩がいらっしゃいました。その際に制作されたロゴマークは、現在も、植野ゼミで大切に受け継がれています。

植野ゼミのポリシー
1. 打てど、響かず…。2. 笛吹けど、踊らず…。
 3. しかし、時には…、○○もおだてりゃ、木に登る。
 さあ、心おきなく、登りましょう。」

今年も、4年生の方が新しい作品を制作されました。色違いの植野先生です。本当にそっくりです。



芸術系のゼミでは合同で前期と後期に1回ずつゼミ研修が行われています。前期は6月8日(土)に、浦上ゼミと合同で長崎市にゼミ研修に行きました。

 前日はもしかしたら雨が降るかもしれないと不安でした。しかし、当日は曇りで晴天ではありませんでしたが、暑すぎず寒すぎずちょうど過ごしやすい気候でした。朝9時に福岡大学から長崎市に出発し、途中の大村湾パーキングエリア(恋人の聖地で有名)で休憩をとった後、お昼前に長崎市に到着しました。

 まず、はじめに大浦天主堂とその関連施設である旧羅典神学校と旧長崎大司教館を訪れました。学芸員の方に大浦天主堂の成り立ちや、その歴史について詳しくご説明をしていただき、キリスト教の伝来や禁教、信徒発見、キリシタン摘発(崩れ)などについて学ぶことができました。

 研修前のゼミでは、映像資料を鑑賞し、和洋折衷の大浦天主堂の建築特徴であるリブ・ヴォ―ルト天井などについて予習を行っており、私は、実際に見るのをとても楽しみにしていました。創建当時は黒地に白い格子の壁でしたが、現在は増改築がなされ、白い漆喰の壁になっており、天主堂の規模も大きくなっていました。
 また、ちょうど正午を知らせる鐘が鳴る場に居合わせることができ、貴重な体験をすることができました。




 お昼は角煮まんやカステラ、大浦天主堂のステンドグラスを表現したプリンを購入し、食べ歩きをしました。また、グラバー通りからの長崎の景色も堪能しました。



次に長崎県美術館を訪れ、開催中の企画展「奇蹟の芸術都市バルセロナ展」とコレクション展「荒木十畝(あらき じっぽ)展」を、それぞれの担当学芸員の方に説明していただきました。

 私は、バルセロナにはオリンピックとサッカーのイメージしかありませんでした。そのため、カタルーニャ独立運動が大きな問題となっているカタルーニャ州の州都であることや、ガウディ、ピカソ、ミロ、ダリ等々の巨匠を生んだ芸術都市であることを知りませんでした。

 ちなみに、私は猫が大好きで、展示を見る前にミュージアムショップに寄った際に、猫をモチーフにしたグッズが大量に販売されていたので、何の作品とどんな関係があるのだろうかと、わくわくしていました。実際には、パリ・モンマルトルの文芸キャバレー「黒い猫」(1881-1897年)に倣って、バルセロナにカタルーニャの画家ラモン・カザス(1866-1932年)やサンティアゴ・ルシニョール(1861-1931年)らによって開かれたカフェ・レストラン「四匹の猫」(1897-1903年)との関連でした。この「四匹の猫」では、展覧会や影絵、芝居、人形劇などが催され、芸術雑誌も刊行されました。ピカソが初めて個展を開いたのも「四匹の猫」であり、カタルーニャの芸術の発展に重要な役割を果たしたことが分かりました。

 企画展の展示方法も、いくつもの工夫がなされていました。バルセロナの街を上から見た大きな写真が入り口の壁一面に貼ってあり、展示の途中にも関係する写真が壁一面にありました。このことによって、想像力を高める空間的効果があるそうです。さらに、彫刻に照明を当てる際には、前面だけでなく、後面にも当てることによって、シルエットで彫刻をさらに魅力的に見せる方法、絵画を展示する際の適切な高さなどの展示方法、防火装置を目立たなくする方法、壁の素材、作品のセキュリティの厳しさなど、学芸員の方に多くのことを教えていただきました。
 


 次に、日本画家の荒木十畝(1872-1944年)について説明をしていただきましたが、私は荒木十畝だけでなく、名前が知られているらしい師匠の荒木寛畝(あらき かんぽ、1831-1915年)の名前すら知りませんでした。勉強不足を感じながらも、説明を聞きました。
 十畝は現在の長崎県大村市に生まれ、花鳥画で知られる荒木寛畝に入門し、近代日本画壇の重要な人物だそうです。十畝は旧派に属しながらも、守旧斬新主義ともいうべき立場をとり、伝統的な画法を基礎としながら、新たな表現を模索しました。学芸員の方によると、十畝の画風の変化には、①寛畝ゆずりの作風、②寛畝死後の琳派的な表現、③幽玄な世界観、という3つのポイントがあるそうです。

十畝は、大村の在郷軍人会の求めに応じて《松鷹図》(昭和3年)を製作したり、昭和10年代から勇壮な猛禽類による男性的な花鳥画を中心に描きだしたことから、戦前・戦中のナショナリズムの影響を強く受けています。このように、作品から製作者の思想や生き様、生きた時代背景を読み取る視点を持つことの大切さも学ぶことができました。

 16時に長崎を出発、18時頃には福岡大学に無事到着し、その後解散しました。ちなみに、後期のゼミ研修は、今のところ大分県か熊本県の予定らしいです。
 
 現在の植野ゼミは、4年生が持ち上がりの学年だったこともあり、連続して履修している方が多いため、先生との信頼関係がとても深く築かれているなと感じます。3・4年生のゼミは1年を通して一緒に学ぶので、4年生の素晴らしいところを見習いつつ、様々な技や知識を盗んでいけたらいいなと思います。また、既に述べたように、芸術系のゼミでは合同で前期と後期に1回ずつゼミ研修も行われていますので、履修選択の際の参考にしていただければいいかなと思います。

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