2016年9月26日月曜日

領域別研究チーム「善と悪に関する思想的研究」研究会のご案内


 以前にも紹介しましたが、文化学科の先生たちは分野に応じていくつかの「研究チーム」なるものを運営しています。お互いの研究などを持ち寄って、発表したり討議したりすることは、研究活動を進めていく上でとてもよい刺激になっています。
 下記の研究チーム発表会を、学生の皆さんに公開いたします。普段の授業での「教員としての顔」とは違う、「研究者としての顔」を見られるチャンス。また今回は、特別企画としてお二人の先生からお話を伺います。宮野真生子先生からはご専門の九鬼周造と和辻哲郎について、岩隈 敏先生からはカント哲学について。今年度で退職される岩隈先生のお話が聞ける最後のチャンスでもあります。

 文化学科の皆さんは参加自由です。参加したからと言って発言の強制などもありませんので、安心して(?)聴講に来てみるといいですよ。

「善と悪に関する思想的研究」研究チーム代表 平井靖史



領域別研究チーム「善と悪に関する思想的研究」
平成28年度 第4回研究会

・日時:1月31日(火)、14:00-17:10
・場所:A605 教室

プログラム
14:00-15:30:宮野真生子先生「間柄と倫理―九鬼周造と和辻哲郎」(質疑含む)
15:40-17:10:岩隈 敏先生「カントの経験の理論」(質疑含む)

2016年9月21日水曜日

平成28年度LCガイダンスゼミナール

9月17日土曜日、中央図書館の多目的ホールを主な会場として、今年度のLCガイダンスゼミナールが開催されました。当初は4月開催の予定でしたが、地震のために延期。後期の開始直後、9月の開催となりました。

今年度のテーマは「文化学科で考える『しあわせ』」。せっかくの土曜日、しかも三連休初日の朝から図書館に集められ、一日中ゼミに参加させられて何が「しあわせ」だ、という怨嗟の声も聞かれる中、冒頭、二つの講義からスタート。

機材トラブルでブログラム記載の順番が変更になり、最初は文化学基礎論(一年生必修の講義、前期開講)の担当教員による講義から。課題は「最も幸せな人生とはどのようなものか?」。前期の文化学基礎論の授業内容を復習しながら、各教員がこの問いを考えるためのヒントを。最も幸福な人生を送るためには最も不幸な人生を経験しなければならない? 幸福は相対的か普遍的か、幸福と時間の関係、永遠の命は必要か不要か、美術表現に見る幸福、等々。

続けて二つ目は、文化人類学の髙岡先生による講義。鮭の加工場に注目したドキュメンタリ番組を題材に、「フィールドワーク」という調査方法について説明され、「幸福をテーマにテレビ番組提案票をつくってみよう」という課題が出されました。

同じ「しあわせ」というテーマに、一つ目の課題が抽象的な仕方でアプローチしようとしているのに対し、二つ目の課題は具体的な現場に注目。講義後、この二つの課題が一年生たちの各グループに割り当てられ、それぞれのグループが図書館内の指定された場所に移動して、グループ作業が始まりました。昼休みを挟みつつ、サポートの上級生と一緒に、タイムリミットまでに発表(10分間)の準備を。なかなか意見が出ずに苦しんだり、逆に様々なアイディアが出てまとまらなかったり。中には、常に笑い声の絶えないグループも。


午後2時半、再び全員が多目的ホールに集合し、まずは前半、髙岡先生からの課題に取り組んだグループが発表。手書きのレジュメをスクリーンに映しながら、日本人と外国人の休日の過ごし方を比較する、元暴力団の人々にインタビューする、インドにある日本人宿「久美子の家」を取材する、お笑い芸人に関するドキュメンタリを作る、等々の番組企画が説明され、質疑応答が行われました。

10分の休憩後、後半は、文化学基礎論の課題に取り組んだグループの発表。幸福を感じるためには不幸を感じることが必要、永遠の命は不要、ストレスあっての幸せ、幸福は相対的なもの、「幸福>不幸」であることが幸福、等々の主張がされ、質疑応答。お互いの主張が対立しているように見えた二つのグループが、少し議論した結果、直ちに「同じです」と合意に達する場面も。

すべてのグループの発表が終わった後、残り時間で全体討論。或る教員から、仮に「幸福を感じるためには不幸を感じることが必要」と言えるならば「不幸を感じるためには幸福を感じることが必要」とも言えるのか、「幸福を感じる」と「幸福である」は等しいのか、という二つの問題が提起され、一年生や上級生が何とか答えようと挑戦。

その後、講義を担当した教員たちが講評のコメントを述べ、一日がかりの長いゼミもようやく終了。例年、このゼミの後には新入生歓迎会が待っているのですが、今年度の新入生歓迎会は既に6月に開催されたため、そのまま解散となりました。

発表の10分を使いきれずに苦戦したグループも多く、また、テレビ番組の企画を「しあわせ」に結びつけることや、「最も幸せな人生」の「最も」という部分について考えることにも苦戦したようで、色々と課題は残ったかもしれません。しかし一日中、ともかく一つの課題に取り組み続けた、この経験には十分な意義があります。かつ、このゼミはあくまでも「ガイダンス」。これから文化学科で何をどのように学んでいくのか、参加者に幾らかでもイメージをつかんでもらえたならば、このゼミは成功だったことになります。

未だ大学生活は始まったばかり。古人曰く、Festina Lente(ゆっくり急げ)、です。

最後に、ゼミを手伝ってくれた9名の上級生に心から感謝を。一年生の皆さんは来年度以降、今度はぜひサポートの側でこのゼミに参加して下さい。

平成28年度 卒業論文相談会が開催されました

 3年生対象の、平成28年度卒業論文相談会が9月21日(水)に開催されました。今年も例年と変わらず多くの3年生が参加しました。

 この相談会は、教員と3年生が一堂に会して行われます。複数の教員と話をすることで色々なヒントが得られたことでしょう。この相談会を出発点として、卒業論文のテーマと指導教員が決まっていきます。

 これから1年以上をかけて、どのような個性豊かな卒業論文が生まれてくるのか、力作を期待しています。




2016年9月16日金曜日

「魚釣り」という文化(小林信行先生)

「教員記事」をお届けします。2016年8回目は小林信行先生です。



「魚釣り」という文化    
     小林信行(哲学

 文化学科は文化の総合的理解を目指している。ところが「総合的」ということばには分かりやすい側面とそうではない側面とがある。「分かりやすい」というのは、玩具として有名なLEGOのように、さまざまなパーツを思いのままに結合させて一つの全体像を作り上げればよいというイメージが浮かびやすいからであり、他方で「分かりにくい」というのは、どんなにパーツを結合させても、そこに何か総合的な観点が成立しなければ、パーツはただの寄せ集め、焦点のない単なる集積物になってしまうからである。

 あまりなじみのない人もいるだろうが、ここで「魚釣り」が総合的に理解されるものであることを紹介してみたい。これはプラトン『ソピスト』という著作に述べられている議論で、やや面倒な紹介であるが少し我慢して欲しい。まず、魚を釣ることも一つの技術であるが、それは大きく言うと何かを作る技術ではなくて、何か獲得する技術だ。しかし獲得の仕方にも、誰かと競って獲る場合と自分で狩猟して獲る場合(ハンティング)とがあり、魚を釣ることは後者に属する。そして狩猟するにしても、相手が無生物の場合(たとえば鉱物ハンター)と生物の場合(一般的なハンター)とがあって、釣りはこの後者である。だが、生物相手と言っても、陸生と水棲とがいるから、魚釣りは水棲生物相手と言わなければならないが、鳥などにも水辺に住むものがいるので、魚類を相手にする狩猟が釣りだと規定しなければならない。また、魚を釣ることは魚を網などで獲る漁とは区別されるので鉤[つりばり]漁と言わねばならず、しかもそれは銛[もり]のように上から下を狙って獲るではなくて、下から上に釣り上げて獲るものだ。おまけに、昼間だけではなくて夜釣りのことも考慮しなければならないだろう。

 今ではもっと精密で適切な説明が可能であろうが、しかしとにかく紀元前に示された素朴な項目の羅列からだけでも、魚を釣るという一見したところ単純な行為がいかに複雑きわまりないものであるかを感じ取ってもらえるのではないか。このようなこともまた総合的理解と呼びたいのだが、大事な点は、すでに存在している漠然とした何らかの全体像を改めて総合的に捉え直なおす、というところだ。一般的には総合によって何か斬新な全体像が期待されることが多い。しかしそのようなものが釣りの場合に現れてくるわけではないし、そもそもこれまでの釣りのイメージに代わるような全体像が求められているわけでもなく、ただ魚釣りというものの見直しが行われているだけである。

 「総合的な見方」にはそれが求められる脈絡や時代状況がつきまとっている。社会的要請と呼ばれるものがその典型である。あまりにものごとが細分化された現代社会では、何か問題が生じた場合、その問題を一つの総合的な観点から見ようとする試みが社会的要請となり、時代の要請となっている。要するに、「総合的理解」が求められるとき、無理をして新しい像を作り出すばかりではなく、むしろ漠然としていた既知の文化について、より内実のある全体像を提示してもよいのではないか。釣りは一つの仕事として安定した社会的要請をもつ文化であるから、二千年以上の昔に上のような釣りの考察がなされていたとしても何ら不思議はないが、現代では現代の要請に応じて釣りについてのプラトンより充実して豊かな総合的全体像を明らかにすることも可能だろう。

 ところでプラトンを例として挙げたのは、「総合的理解」の方法について重要な手がかりを与えてくれるからである。それは、プラトンが「魚釣り」を一つの技術として扱っている点だ。どのように獲得しているか、その対象は何か、といった細部を解明しているのは、そこに人間の知的活動があるからだ。鯛と平目を釣る場合は同じ鉤でよいのか、網で獲る魚を鉤で釣れるのか、夜行性の魚をどうやって昼間に釣るのか、といったことに知性をはたらかせていることが魚釣りの技術というものである。文化とは自然発生的に見えても、上のようにこまごまとした知性活動の集合と考えうるものであり、その活動を丁寧に細部にわたって再構成することが当の文化の全体を理解させることになるのではないか。つまり、総合的理解ということで意味されているものは、実は「分析的理解」と表裏一体であるのではないだろうか。

 □小林先生のブログ記事
年寄り趣味で申し訳ありませんが
I like Music or I love Music ?

2016年9月15日木曜日

LC哲学カフェ開催のお知らせ

今月末のLC哲学カフェ、下記の通り、詳細が決まりました。

  LCガイダンスゼミナール連動特別企画:
  最も幸せな人生とはどのようなものか?

  日時 9月26日(月) 16:30-18:00
  場所 A605教室


今回は今までの「マンガde哲学」と異なり、マンガの作品を題材にするのではなく、一つの問いを掲げることからスタート。そしてこの問いは、今週土曜日に開催される、LCガイダンスゼミナールの講義②の問いでもあります。

ガイダンスゼミに参加した一年生が、この問いについてさらに深く考えてみるもよし、二年生以上の学生諸氏が、初めてこの問いに取り組んでみるもよし、です。この問いからスタートして、全く違う話題へ展開していくのも可。

参加者の自己紹介は行ないませんし、無理に発言しなくても構いません。途中入室、途中退室も自由ですので、ぜひ一度、気軽にのぞいてみて下さい。

2016年9月14日水曜日

卒業論文中間報告書の提出について

卒業論文中間報告書の提出について
(LC13台以上/4年生対象)

卒業論文を提出する予定の4年生は、指導教員と相談の上、下記の期間中に中間報告書を提出して下さい。

 提出期間 9月23日(金)から9月30日(金)まで
 提出場所 人文学部事務室

中間報告書の分量や形式は、指導教員の指示に従って下さい。

教務・入試連絡委員 大上渉・小笠原史樹

2016年9月12日月曜日

【再掲】卒業論文相談会の開催について

卒業論文相談会の開催について(再掲)
(LC14台/3年生対象)


 文化学科では、10月上旬の「卒業論文指導願」提出期限に先立ち、3年生を対象に卒業論文の相談会を開催します。個々の教員に個別具体的な相談ができる貴重な場です。卒業論文を書くかどうか迷っている人も、是非とも足を運んでみましょう。
 また、この相談会に先立ち、自分の研究テーマについて本を読んだり資料を集めたりといった具体的作業を進めておくことも推奨します。


■日時:2016年9月21日(水)16:30~18:00
■場所:文系センター15階 第5会議室

 *『2016年度版 文化学科教員紹介』を持参してください


 なお、卒論相談会に出ないと指導が受けられないということではありません。

 教員とオフィス・アワーやeメール等を利用して、積極的にコンタクトをとり、テーマを決定して10月3日(月)~10月14日(金)に人文学部事務室宛に「卒業論文指導願」を提出してください。

 卒業論文を書くにあたっての具体的手続は、『2016 年度版 文化学科教員紹介』の24-31頁「卒業論文を書くために」を参照してください。

 下記の卒業論文関係の学科ブログ記事もよい参考になります。

平成27年度提出の卒業論文題目一覧
平成27年度卒業論文発表会に参加して(LC13台 佐野主季くん)
平成27年度卒業論文発表会
卒業論文発表会のお知らせ
卒業論文

教務・入試連絡委員 大上 渉・小笠原 史樹

2016年9月1日木曜日

私のゼミについて (岸根敏幸先生)

「教員記事」をお届けします。2016年度第7回目は、岸根敏幸先生です。



私のゼミについて

岸根敏幸(宗教学)

 文化学科にはすべての教員が担当する「文化学演習」(以下、「ゼミ」と呼びます)という少人数制の授業があります。この授業をどのようにおこなうかは担当教員によって様々であり、たとえばテキストを輪読したり、通常の講義とほぼ同じような講義をしたり、グループに分かれて発表やディベートをしたり、共同でなにかを制作したりと、色々な形があろうかと思います。私のゼミでは従来、日本神話に関連した課題を学生にあらかじめ割り当てて、一回の授業を一人で(場合によっては二人共同で)担当してもらい、発表とそのあとの質疑応答に対応してもらう、という形をとってきました。発表が不十分で、出席者が質問するのをためらってしまうような場合もありましたが、しっかり準備がなされた発表の場合、そのあとの質疑応答も充実していたように記憶しています。

 このようなゼミに取り立てて不足を感じていなかったため、これまで長く続けてきたわけですが、数年前から別の形に改めた方がよいのではないかと思うようにもなりました。その大きな理由として、学生は自分に割り当てられた発表については一生懸命調べ、発表資料を作成してくるのですが、他の人の発表に対しては、必ずしも十分な予習をしていない、ひどい場合には、なにも予習をしてこないことさえあるという点が挙げられます。自分の発表さえ乗り切れば、あとは質疑応答に加わって、発表者が作った配布資料を見ながら、それなりに発言すれば、ゼミの時間をやり過ごすことができてしまうのです。たとえ一度であっても、きちんと準備をして発表し、質疑応答にも責任をもって対応できたならば、それでよしとするという考え方もあるでしょうが、様々な事柄に注目しながら、日本神話についてより深く探究してゆくという私のゼミの目的からすると、割り当てられた一つの事柄だけを調べればいいというわけでないのです。

ゼミ写真 1

 また、このこととは直接関係しませんが、人文学部の学生に対するアンケート調査結果によると、文化学科の学生は他学科の学生に比べて、授業に対する準備学習の時間が著しく少ないという実態が浮かび上がっています。他学科とは異なり、文化学科の場合、特定の専門分野を積み上げてゆくようなカリキュラムにはなっていないため、それほど準備学習をしなくても、授業を乗り切れてしまう側面があることは否めません。しかし、それぞれの授業には、長年そのような研究に従事したことによって得られる面白さがあるはずであり、それをある程度理解するためには、やはり十分な準備学習をしてもらうという方向性が必要となるでしょう。

ゼミ写真 2
 ゼミの問題に加えて、以上のような文化学科が抱える問題もあって、ここ数年、どのような形でゼミをおこなったらよいのか思案していました。たとえばテキストを毎回の授業で少しずつ輪読してゆくという形をとれば、すべての学生が予習や復習をしてくるという点はクリアできるでしょうが、ゼミでテキストを読むというのは、私としてはどうも性に合わないので、踏み切れませんでした。そして、ようやくたどり着いたのが、今年度からおこなっている形です。それは、あらかじめ通知した授業の課題について、すべての学生が調査、および、問題の考察をおこなっておき、それを前提にして、授業で議論し、さらに理解を深めてゆくというものです。

 この形のゼミでは特定の学生が資料を配布して発表することはありませんので(ただし、熱心な学生が当日、自発的に資料を配布して、意見などを発表することは構いませんが)、自分で課題についてきちんと調べておかないと、議論についてゆくことはできないでしょうし、また、その課題について単に調べるだけではなく、どのような問題が存在するのかということを考えておかないと、議論を方向づけたり、展開させたりすることはできないでしょう。このように調査と考察を前提にしながら、議論の場において積極的に発言することがこのゼミでは強く求められるのです。成績評価もこの一点のみに重点を置いており、しっかりした準備学習に基づいて、議論で積極的に発言する学生は高く評価されるでしょうが、ただ単に座って、貝のように口を閉ざしている学生は、たとえ半年間すべての授業に出席したとしても、次年度に再履修という憂き目に遭うかもしれません。

 このようにして、15名の学生からなる私のゼミでは、前期に11の課題をめぐって議論をおこなってきました。扱った課題はつぎのようなものです。

①スサノヲ、②黄泉つ国、③サチ、④古語拾遺、⑤天つ神と国つ神、⑥失われた釣り針型神話、⑦トンボ、⑧オノゴロ嶋、⑨神の姿形、⑩三種の神器、⑪南九州の四神宮。
※ どの課題も正式には「日本神話における<課題>」または「日本神話と<課題>」という形になります。

 授業に先立つガイダンスでは、ゼミ用の準備学習ノートを用意し、予め通知した課題ごとに、自分で調査したことや考察したことを随時、書き記しておくようにアドバイスしました。ほとんどの学生がそのようなノートを用意して、授業に臨んでいます。

ゼミ写真 3
 半年間を振り返ってみると、議論がうまくいったときもあれば、そうでなかったときもありました。また時には、本来、黒衣(くろご)に徹すべき私がそのおしゃべりな性格と議論を盛り上げようとする過分な配慮から、熱弁を振るってしまうこともしばしばありました。課題についても、活発な議論ができるようにもう少し工夫すべき点があるでしょう。全体として改善の余地はまだまだありますが、様々な事柄に注目しながら、日本神話についてより深く探究してゆくという、私のゼミで掲げている目的に向けて歩みを進めることができたのではないかと思います。ということで、今後も引き続き、このような形でゼミをおこなってゆくつもりです。日本神話について深く探究したいと思う意欲的な学生はぜひとも私のゼミへ。

□岸根先生のブログ記事