2019年7月31日水曜日

サークルに入っていなくても学生生活は楽しめる!

LC17台   T・M


皆さんは大学生の学生生活といえば、どんなものを想像しますか? 学業や授業の単位はもちろんですが、アルバイトや一人暮らしなど様々なことを思い浮かべると思います。その中でも多くの人が思い浮かべるのが「サークル」なのではないでしょうか?

「大学生活の楽しみといえばサークル!」と考えている人は多くいるでしょう。実際、私自身も大学に入るまではそう考えていました。現在、福岡大学には約170もの部活・愛好会があります。ではサークルに入っていなければ大学生活を楽しめないのか? そんなことはありません。サークルに入っていないからこそできる大学生活もあります。ここでは私自身の経験も交えて、サークルに入っていない学生の学生生活を紹介していきたいと思います!

サークルに入っていないことの最大のメリットは、自分の自由な時間が持てることです。ではその時間をどのように活用しているのでしょうか。

サークルに入っていない学生の大半は、アルバイトをしています。アルバイトをするメリットを大きく3つあげます。1つ目は広い交友関係を持つことができる点です。アルバイト先では様々な人が働いています。そこには同じ大学の学生が働いているかもしれません。違う学部だったので今まで話すことがなかったものの、アルバイトを通して仲良くなることができたということがよくあります。加えて、違う大学の学生と仲良くなることができ、同じような年代の人がどのような勉強をしているかなどを知ることができます。それだけではなく、幅広い年代の人々と関わりを持つことができます。同じ年代の人ばかりがいる学校生活とは違って、社会に出ると様々な年代の人と付き合うことになります。アルバイトは、まさに社会で働くための予行演習となるのです。 

2つ目はアルバイトでの仕事を通じて、高校生活までではできなかった色々な社会経験ができ、視野を広げることができます。どのような経験ができるかは仕事の内容によって変わってくると思いますが、接客業であれば、人とのコミュニケーションや仕事に対する責任感など様々なことを学べます。

そして3つ目のメリットはお金を貯めることができる点です。サークルに所属していない分、長時間アルバイトができるので、その分多くお金を稼ぐことができます。では、そのお金をどう活用するのでしょうか?

お金の活用としては、長期の休みを使って留学したり、旅行をしたりする人もいます。私の趣味は旅行なので、長期の休みだけでなく空いた日にちがあれば旅行しています。去年だけでも10回以上旅行しました。観光するのはもちろんですが、私は旅行先でその都市の街並みを見比べるのが好きです。最近関心を持ったのは、都市ごとの交通手段についてです。長崎ではバスと路面電車、京都はバスや地下鉄、名古屋や札幌ではバス、地下鉄、路面電車が、観光客の交通手段として利用されています。このように路面電車が走っている都市と走っていない都市、地下鉄のある都市とない都市など、都市ごとの土地活用などを意識しながら旅をするのも面白いかもしれません。

(左から長崎、京都に行った時の写真です)

その他には、自由な時間を使って勉強に集中することができます。サークルに所属していると、活動日数の多いサークルによっては、授業で出された課題やレポートのための時間が取れなくなることもありますが、サークルに入っていなければ自分だけの時間を持てるので、自由に活用することができます。例えば、福岡大学では授業以外にも、資格取得やスキルアップのための様々な講座が開設されています。TOEICや簿記検定、秘書検定の対策講座や、公務員採用試験やエアライン就職対策講座などが開設されており、授業では学べない色々なことを身につけることができます。かくいう私も、公務員採用試験対策講座を受講しており、現在、筆記試験や面接等の対策を行っています。

また、夏には企業が主催したボランティアツアーに参加しました。東日本復興ボランティアとして宮城に行き、女川にある神社の復興作業と奉仕作業のお手伝いをしました。ツアーには高校生から社会人まで幅広い年代の方々が参加していたので、参加しようと思った理由やそれ以外にも様々なお話をすることができました。そして政教分離により、国からの支援を受けることができないので復興のためのお金がないことや、修繕作業中も自然災害(土砂崩れ等)に襲われるため、破壊と修繕の繰り返しになることなど、復興の現状や神社が復興に取り組むことの難しさなど様々なことを学ぶことができました。


(ボランティアツアーで撮った写真です。島にある神社なのですが、境内には神様のお使いとされる野生の鹿がいました。)

自由な学生生活の楽しみ方の例として、アルバイトや勉強、旅行、ボランティアなどをあげてきましたが、私と同様に、サークルに入っていない友人が行なっている学外活動についても述べていきたいと思います。ここでの学外活動は主に企業が主催する活動に参加することです。内容としては、子供たちが参加するキャンプにサポートスタッフとして参加することや、参加者が学生中心のイベントの企画・運営に携わることなどがあります。活動の実施日は、イベントの当日まで、平日の夜にミーティングを行うという長期間のものや、月に数回、週末に行う短期のものなど様々です。活動を行なってみて、コミュニケーション能力がついたことや、子どもや社会人の人など様々な年代と交流できること、その交流を通して自分を見つめ直すことができたのでよかった、楽しかったということを話してくれました。

サークルに入っていない学生の学生生活を紹介してきましたが、サークルでしか出会えない人々、経験ももちろんあります。しかし、サークルに入っていないからこその出会いや経験、楽しみもあるということが伝われば幸いです。大学の学生生活はとても自由ですが、自由だからこそどう活用するのかが重要です。これまであげたことを参考にして、皆さんも自由な学生生活を楽しんでみませんか?

2019年7月27日土曜日

LC哲学カフェ開催のお知らせ

しばらくお休みしていたLC哲学カフェですが、来週、久しぶりに開催します。詳細は下記の通りです。

 【LC哲学カフェ】
 旅行と日常を哲学する

 日時 8月1日(木)18:00-20:00
 場所 A803教室 ※当初は24Jの予定でしたが、教室を変更しました

定期試験最終日、試験終了後の夕方です。いつもより30分、時間を長く設定してみました。

今まではマンガ作品などを多く扱ってきましたが、今回は下記のエッセイ(当日、コピーを配布する予定)を手がかりに、議論をスタートさせてみたいと思います。

 宮野真生子「旅と日常と偶然性」、『福岡大学人文学部 文化学科ジャーナル』所収、2010年11月

冒頭、小笠原がこのエッセイの内容について少し話し、その後は自由に、全体で議論を。

事前の登録などは不要。発言を強制されることはありませんし、途中入室、途中退室も自由他学科、他学部の学生さんはもちろん、卒業生や学外の方々も歓迎します。興味のある人は誰でも、ぜひ当日、気軽にA803教室をのぞいてみて下さい。

参考までに、このエッセイの一部を以下に引用しておきます。

「なぜ、私はこの世に、このような形で生まれ落ちたのか。そんな問いに対して私たちは絶対的な正解を出すことはできません。さらにいえば、この世界それ自体があるということの理由に対しても。九鬼が生涯見つめ続けたのは、まさにこのような無根拠さ――「私」という存在の偶然性、世界の原始偶然――でした。そんな彼からすれば、「私」という存在も、そして「私」が営む「生活」もまた偶然性にゆらぐものでしかなかったはずです。なのに、人は「私」をたしかなものと信じ、「日常」を「当たり前」と錯覚してしまう。それは錯覚にすぎず、九鬼には、世界に対する不遜な態度と映ったはずです。世界はいつも偶然に動き、人はあらゆる可能性に対して開かれている。その不安定な動性こそ、彼が見つめ、愛したものでした。」


「そもそもLC哲学カフェって何?」という方は、次の記事をご参照下さい。

 LC哲学カフェって何?

過去の活動記録は次の通り。

 2014年9月27日 『ハンナ・アーレント』でかたらんと?
 2014年10月31日 ペンギンは白と黒なのがかわいい?――『よつばと!』で哲学する
 2014年11月26日 どの石がボクを好き?――『ぼのぼの』で哲学する
 2014年12月10日 それは数字の8? それともちっちゃな雪だるま?――スヌーピーと哲学する
 2015年1月7日 好きになるってどんなこと?――『ハチミツとクローバー』から考える
 2015年3月30日 ニセモノの自分、ホンモノの自分?――『彼氏彼女の事情』で哲学する
 2015年4月15日 紙の本を読みなよ――ビブリオバトルで決める大学生必読のマンガ
 2015年4月28日 まあっもったいない?――『ミノタウロスの皿』で哲学する
 2015年5月23日 私はあの時どんな顔をすればよかったのだろう――『空が灰色だから』で哲学する
 2015年6月27日 平等な審査をお願いします?――『聲の形』で哲学する
 2015年7月11日 あなたがこの10名のリーダーだとしたら?――『沈黙の艦隊』で哲学する
 2015年11月4日 人間であるために最低限必要な部品?――『攻殻機動隊』で哲学する
 2015年12月9日 忘れられるって死んでるのと同じ?――『ヘルタースケルター』で哲学する
 2016年1月6日 一緒に帰った子は友達?――『ニトロちゃん』で哲学する
 2016年9月26日 最も幸せな人生とはどのようなものか?
 2016年11月15日 「君の名は。」で哲学する
 2016年12月5日 「君の名は。」で哲学する、再び(※告知記事のみ、報告記事無し)
 2017年5月8日 友情をめぐるビブリオバトル
 2017年6月12日 愛情の搾取?――『逃げ恥』から考える家族
 2017年7月10日 娘よ、ギリシアのためにおまえを生贄に?――ギリシア神話で哲学する
 2017年9月27日 なぜこのマンガは怖いのか?――ホラーを哲学する

2019年7月26日金曜日

「宮野先生のご業績を語る会」開催のお知らせ

去る7月22日に亡くなられた宮野真生子先生のご業績をめぐって、在学生・卒業生・教員が集い語らう場として、以下のイベントを学科主催にて開催いたします。

宮野先生のご業績を語る会
日時:9月21日(土)14:00〜17:00
場所:福岡大学図書館多目的ホール

身近な問題から切り込んで、広く豊かな哲学の思索へとしなやかに、しかし時に厳しく導く宮野先生の教えに、どれほど多くの福大生たちが感化されてきたことでしょう。
哲学を通じての出逢いを重視し、それを「出逢いの哲学」にまで昇華された宮野先生のお仕事を巡って、学生・卒業生の皆さんと共に思いを重ねる時間にできればと思います。

宮野先生の代表的なご業績としては、単著である『なぜ、私たちは恋をして生きるのか——「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』(ナカニシヤ出版、2014年)、共編著である三巻本の『愛・性・家族の哲学』(ナカニシヤ出版、2016年)があり、さらに20199月には博士論文を基にした単著『出逢いのあわい九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理』(堀内出版)、磯野真穂先生(国際医療福祉大学大学院)との共著書、計二冊を刊行予定でいらっしゃいます。

詳細については、追って告知いたします。

宮野先生の教員個人ページ

2019年7月25日木曜日

宮野真生子先生ご逝去

 文化学科准教授の宮野真生子先生が令和元年7月22日午前9時過ぎに他界されました。

 日本哲学および愛・性・家族の哲学をご専門とする宮野先生は、研究者として極めて独創的かつ精力的な活動をなさっていたばかりでなく、学科教員としても、学科の必修科目である「哲学の基礎」「文化学演習」、専門講義科目である「日本の思想」等を担当され、文字通り学科教育を牽引する立場を担っておられました。学生のみなさんからの信頼も篤く、多くのゼミ生から卒業後も長く慕われる、まさに余人をもって代え難い先生でした。

 学科を代表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

文化学科主任・平井靖史

★宮野先生の教員個人ページ

2019年7月21日日曜日

映画研究ゼミへの招待(小笠原史樹先生)

本年度第5回目の「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、中世哲学・宗教哲学の小笠原史樹先生です。



映画研究ゼミへの招待

小笠原史樹(宗教学

あるSF映画の前半に、次のような場面があります。

地球から遠く離れて航行する宇宙船の中、長い冷凍睡眠から覚めた乗組員たち。彼らの前に二人の考古学者が立ち、様々な古代文明の図像が共通して、宇宙空間のある座標を指していることがわかった、と説明。そこには太陽があり、生命が生存可能な惑星が一つだけある。
 「そして我々は今朝、この惑星に到着した。」
 「じゃあ、お前ら二人が洞窟で見つけた地図のせいで、俺たちはここに居るってことか?」
 「違うわ。違う、地図じゃない。招待状よ。」

さて、このブログ記事も、招待状のようなものです。今年度、私は二年生対象の「文化学演習Ⅰ・Ⅱ」を担当しているのですが、それぞれ「映画の哲学①:神とは何か」、「映画の哲学②:人間とは何か」と題し、専門ゼミでの新しい試みとして、映画に関する哲学的な研究を行っています。略して、「映画研究ゼミ」。

このゼミの参加者に求められるのは、ゼミのテーマに関連する映画を10本鑑賞し、その10本を研究対象として1万字以上の論文を書くこと。今年度の前期は「神とは何か」がテーマなので、広い意味での「神」に関わる作品を10本鑑賞して、1万字以上の論文を執筆。

いきなり「映画を10本」、「1万字以上の論文」と聞くと、ハードルが高すぎるように感じられるかもしれませんが、半期15回の授業を通して、このゴールを目指して少しずつ作業を進めていくので、最初の印象ほど大変ではない……はず。

具体的に、ゼミは次のように進みます。

映画を10本、と書きましたが、10本すべてをゼミ内で扱うわけではなく、また、ゼミの時間内に映画を観るわけでもありません。ゼミ内で扱うのは10本中5本のみで、かつ、それらの作品は授業前に予め、各自で観ておくことが前提。

今年度の前期、授業で扱ったのは次の5作品です。

 「十戒」(アメリカ、1957年、セシル・B・デミル監督)
 「裁かるゝジャンヌ」(フランス、1928年、カール・ドレイエル監督)
 「沈黙 サイレンス」(アメリカ、2016年、マーティン・スコセッシ監督)
 「もののけ姫」(日本、1997年、宮崎駿監督)
 「2001年宇宙の旅」(アメリカ、1968年、スタンリー・キューブリック監督)

上記の5作品は、図書館のDVDコーナーに置いてあるものの中から選定。つまり、すべて図書館で観ることができます。

これら5作品に各2回ずつ、授業の時間をあてます。例えば「十戒」の1回目は、「十戒」に関する全体討論の回。誰か発表者を決めてレジュメを作ってもらう、という進め方はせず、参加者全員が各自で予め「十戒」を観て、「神とは何か」という問いとの関連でこの作品を分析し、800字程度のコメントを作成してゼミの前日までに提出。当日、参加者全員のコメントを資料として配布し、この資料に基づいて全体で討論。自分の書いたコメントについて説明したり、他の参加者のコメントに質問したり、その場で提起された問題について議論したり。

翌週が「十戒」の2回目で、グループ討論の回。全体討論での議論を踏まえて、私が出題。幾つかのグループに分かれて(今年度は参加者が少ないため、大抵、二つのグループ)その問題に取り組み、授業の後半、チーム毎に5分ずつ発表して質疑応答。「十戒」に関しては、旧約聖書『出エジプト記』14章(有名な、海が二つに分かれるエピソードの箇所)を参考資料にして、「『出エジプト記』14章において、神はどのような存在として描かれているか、説明せよ」という問題を出しました。

以上2回で、「十戒」に関する授業は終了。次は「裁かるゝジャンヌ」について2回、その次は「沈黙」について2回、という仕方で、ゼミが進んでいきます。

毎回の授業の課題をこなしつつ、並行して、参加者は各自で論文を執筆。授業で3本の映画を検討し終えた段階で、まず、論文の前半を提出してもらいます。授業で扱った3本に、さらに自分で自由に選択した2本を加えて、計5本の映画を扱い、字数は4000字以上。すでに授業内で「3本×800字=2400字」の下書きは終わっているので、同じ作業を自由選択の2本に関しても行い、1600字。それらを合わせて、計4000字以上。提出された論文は私が添削してコメントをつけ、修正要求と共に返却。最終論文の段階で、この修正要求などに応じて書き直してもらう、というわけです。


レポートや論文を書く際、やはり重要なのは、一度書いて終わりにするのではなく、何度も繰り返し書き直す、ということ。通常の講義の場合、参加者が多く、なかなか全員のレポートにコメントを付して返却し、書き直して再提出してもらう、というのは難しいのですが、少人数のゼミの場合は別。一度完成させたものを再び壊して作り直す、という作業は案外大変なものですし、せっかく必死で書いたものを、教員からの一方的な指示に従って修正する、というのも苦痛かもしれませんが、それがゼミの「醍醐味」でもある……はず。

授業の後半では、論文前半の課題に続き、授業で扱った残りの2本に、自由選択の3本を加えて、同じく4000字以上の論文後半を提出。同様に、コメントと修正要求を付して返却。この時点で、10本の映画作品を扱った、計8000字以上の下書きが準備できたことになります。これに、序論と結論を約1000字ずつ加えると、1万字以上の論文が完成。

いよいよ大詰め。授業では、論文の結論に向けて全員でアイディアを出したり、論文の結論部分の草稿を提出して、その草稿に基づいてグループ毎に議論したりなど、今までの成果をまとめるための作業をします。今年度の前期は、様々な映画の中で描かれている神について、それらすべてに共通する「神であるための条件」はあるのかどうか、あるとすれば何か、という問題や、様々な「神」を分類するとすれば、どのような分け方があるのか、という問題などについて議論しました。「神」を分類する基準として挙がったのは、目に見える形があるかどうか、人間の言葉を話すかどうか、特別な力を持っているかどうか、人間を救済するかどうか、人間によって理解可能かどうか、等々。

上記のようなまとめの作業を踏まえて、序論と結論を書き、今までの原稿を修正して、ついに最終論文が完成。これを提出して、ゼミの課題はすべて終了。提出された論文は一つのファイルにまとめ、ゼミの論集として参加者全員に送ります。(この場を借りて、ゼミ生各位へ最終論文の提出締切は明日の正午です。締切までに必ず提出を……。)

以上が、今年度の映画研究ゼミの概要です。

昨年度までのゼミでは主に、聖書や『歎異抄』、『ギルガメシュ叙事詩』などの古典を扱っていて、今年度、専門のゼミでは初めて映画を扱いました。やはり古典を地道に読む作業が恋しく感じられる一方、様々な映画作品を通して新しく気づかされることも多く、現時点ではかなりの手応えを感じています。後期は「人間とは何か」。来年度、私は三・四年生対象のゼミを担当する予定で、その場合は通年のため、もし引き続き映画研究を行うならば、一年をかけて、映画20本で2万字以上の論文を……? あるいは、同様の進め方で古典を読むかもしれず、映画と古典を組み合わせるかもしれず、いずれにせよ、未定。

ところで、冒頭で言及したSF映画、実はホラーです。「招待状」に応じて降り立った惑星で待っていたのは、陰惨な出来事の数々……。私のゼミも、この招待に応じて入ってしまうと、そこに待っているのは、大量の課題と論文執筆に苦しむ苛酷な日々かもしれません。

ただし、このSF映画の場合、主人公たちは確かな情報なしにその惑星に降り立つわけですが、私のゼミの場合、このブログ記事を読んでもらえれば、大体の雰囲気はつかめるはず。「絶対に入りたくない!」という人は、ゼミの希望票で「小笠原」を最下位にしておけば、一安心。ゼミの希望票を提出しないと、機械的に私のゼミに回されてしまう恐れがあるので、希望票は必ず締切までに提出を。

なお、このSF映画には続編があり、その作中、ワーグナー作曲の「ヴァルハラへの神々の入城」という曲が流れる場面があります。「ヴァルハラ」とは、北欧神話に登場するオーディンの宮殿。戦場で死んだ戦士たちはヴァルキューレたちによってヴァルハラに導かれ、この宮殿で豪華な酒宴の日々を過ごす、とされています。ゼミで「戦死」してしまうのは好ましくありませんし、ヴァルハラ宮殿の酒宴には遠く及びませんが、ゼミの合間と最後には、ぜひ酒宴を。

しかし、今年の参加者は未成年が多く、その点はやや残念なところ……。ヴァルハラの酒宴は来年の楽しみにして、私は独り、天神のオクトーバーフェストへ。

※上記の写真の内、最初の3枚は、広い意味での「神」に関連するもの。1枚目と2枚目は、郷里の秋田県に帰省中、秋田駅やその近辺で撮影。3枚目は、去年のゼミ合宿の際、長崎市内で撮影した、諏訪神社の鳥居。4枚目は、昨年度の卒業式の日、ゼミ生たちからもらったお花(改めて、ありがとう)。5枚目は、今年のオクトーバーフェストで撮影。

□小笠原先生のブログ記事
真昼の悪魔
スマホと空と攻殻機動隊
歌詞の中の神々
木曜日のラグナロク
映画から考える――おすすめ映画10選

2019年7月15日月曜日

西洋美術における「アジア」のイメージ


「教員記事」をお届けします。今回は西洋近現代美術史、ドイツ美術落合桃子先生です。


 ドイツに留学していた頃、自分は「アジア人」なのだと、いつの間にか思うようになっていた。積極的な意味ではなく、消極的な意味において、である。たしかに、韓国や中国、インド、キルギスやタジキスタンなど中央アジアの国々から来た人たちとも親しくなった。しかし、ヨーロッパにおける「アジア」とは、東方に位置する地域のことであり、つまり「ヨーロッパ」の外部(東側)にいる「他者」を指す言葉なのである。だから、しばしば自虐的に「私たちはアジア人だから」などと言うようにもなっていた。
10年ほど前のヨーロッパでは、イギリスがEU離脱を決定した今とは比較にならないほどにEU加盟国間の結束が強まっており、新たな「ヨーロッパ」が模索されていた。その一方で私は、そこから排除される「アジア」とはいったい何なのかと思い巡らせていた。
 そうした中、四大陸の図像について調べてみたいと思うようになった。西洋ではヨーロッパ・アフリカ・アジア・アメリカの四大陸を主題とした絵画や彫刻が作られてきた。こうした四大陸図像の中の「アジア」に注目することで、ヨーロッパにおける「アジア」観の変化が浮かび上がるのではないかと考えたのである。
1718世紀のヨーロッパで普及した擬人像の辞典『イコノロギア』(初版1593年、1603年)を見ると、「アジア」の擬人像は香炉を持ち、ラクダとともに描かれている。17世紀末のローマ・サンティニャツィオ聖堂天井画《聖イグナティウス・デ・ロヨラの栄光》(アンドレア・ポッツォ作、1691-94年)に描かれた四大陸の寓意でも「アジア」はラクダに乗った女性として表されている(図1)。一方、ベルニーニの彫刻《4つの河の噴水》(1648-51年)やルーベンスの油彩画《楽園の4つの河》(1615年頃)のように、四大陸はそれぞれの大陸を流れる大河と結びつけられることもあり、アジアはたいていガンジス川によって表現された。18世紀の作例にドイツ・ヴュルツブルクのレジデンツ「階段の間」天井画(ティエポロ作、1752-53年)があるが、ここではアジアを表す女性像がラクダではなく象の上に乗っている。19世紀後半に制作されたカルポーの彫刻《天球を支える世界の4つの部分》(186872年、1874年)では、(本来男性の髪型である)辮髪の女性像によってアジアが表わされている(図2)。
 このように「アジア」の擬人像は、元々ラクダと共に描かれていたが、18世紀には象に乗るようになり、19世紀後半になると辮髪姿にもなっている。ラクダは西アジアに、象は中央アジア・東南アジアに主に生息する動物であり、辮髪は清代の中国に普及した髪型であるという。ここにステレオタイプや偏見が含まれることはひとまず差し置くとしても、ヨーロッパにおける「アジア」の概念が、西アジアから中央・東南アジア、そして東アジアへと次第に広がってきたことが見えてくるのである。(写真はいずれも筆者撮影)

     図1


     図2

2019年7月9日火曜日

文化学科での学校生活と舞踏研究愛好会について

LC18台    重松あかね

みなさん、こんにちは! 文化学科2年生の重松あかねです。今回は、みなさんに、文化学科での学校生活と私の所属する舞踏研究愛好会についてお教えします。

文化学科は、名前を聞いただけでは、何を学んでいくのか分かりにくい学科かもしれません。しかし、人間・社会・文化を幅広く学び、心理学、社会学、哲学、宗教学、美術史、地理学、文化人類学など自分に合った学問を探しながら学びを広げていける学科となっています。

私は高校時代、社会学に興味があったものの、心理学などにも少し興味があり、何を大学で学んでいくか悩んでいました。そんな時、福岡大学の文化学科では、大学に入学してから、様々な学問の中から学びたいと思ったものを選択できると知り、文化学科に入学することに決めました。

一年生の時は、「文化学基礎論」「文化学研究法」などの授業で、文化学科で学ぶことのできる学問について、それぞれの先生から講義を受けることができます。そのため、当初は興味がないと思っていた分野についても触れることができ、多角的に物事を考えることができるようになりました。

これらの講義ではレポート課題があり、ほとんどのものが4000字以上の目安となっています。「そんなに長い文章書けない」と、みなさん思うでしょう。私も最初は長い文章は書けないと思っていましたが、書いてみると、もちろん自分の考えを伝えることが難しいのに変わりはありませんが、書きたいことがどんどんと溢れてきて、すぐに文章を書くことに慣れました。

2年生以上になると、自分で好きなゼミを選択することができます。今年私は、社会学の平兮ゼミを選択しました。平兮ゼミでは、異性愛や同性婚などジェンダーについて学んでいます。毎回のゼミでそれぞれのテーマについて皆で話し合い、理解を深め合っています。

このように、文化学科は、自分の興味のある学問を学ぶことができる点が他にない特徴です。興味、関心や考え方が違う人が在籍しているため、学科の人たちと話し合うことで様々な考え方に触れ合うことができます。文化学科に入学した際には、様々な人と仲良くなり、楽しんでくださいね。

次に、私の所属する舞踏研究愛好会についてお教えします。みなさん、この名前を見ただけでは、私たちがどのような活動を行っているか分からないと思います。

舞踏研究愛好会は、競技ダンスを行うサークルです。競技ダンスとは、社交ダンスを競技化したものです。競技ダンスは、スタンダード(ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップ、ベニーズワルツ)、ラテンアメリカ(チャチャチャ、サンバ、ルンバ、パソドブレ、ジャイブ)の二種に分かれています。

スタンダードは、男女が手をつなぎ、組みながら踊ります。映画などの西洋の舞踏会などに見られるものです。ラテンアメリカは、男女それぞれがハツラツとした踊りをするものです。最近では芸人のキンタローさんがテレビで踊られ、おかげで多くの人に知られるようになっています。しかし、いまだに競技ダンスは知名度が低く、多くの人にとって近寄りがたい存在であると思います。



私自身も、社交ダンスはおじいちゃん、おばあちゃんが趣味程度に踊っているイメージがあり、最初は興味がありませんでした。また、私は高校時代からヒップホップをしていて、大学でもヒップホップのサークルに入ろうと思っていました。しかし、先輩方の踊りを目の当たりにして、競技ダンス特有の空気感、躍動感に魅せられ、私も踊りたいと思いました

福岡大学の舞踏研究愛好会は、月・水・金の週3日、18時~20時に活動しています。現在、部員は79人在籍しており、今年は31人の新入生が新たに仲間に加わりました。


練習はコーチが一人いますが、基本的には様々な大会で成績を残してきた先輩方から教わる形で行っています。全国大会で素晴らしい成績を収めた先輩方もおり、とても良い環境で、日々仲間たちと切磋琢磨しながら練習に励んでいます。また、練習以外にも、夏には部員全員で「シーキャン」という旅行に行ったり、「リーキャン」という他大学の競技ダンス部の方々と交流を深めるキャンプがあったり、先輩、後輩、大学関係なくみんなが仲良く、競技ダンスをしています。

今回は、私の文化学科での学校生活と舞踏研究愛好会について紹介しました。大学生活は、人生の中で唯一、自由に自分でやりたいことができる4年間であると私は思います。その4年間を悔いなく過ごすため、私は文化学科で様々な学問に接し、サークル活動にも励み、来年にはオーストラリアに留学もします。

高校生や新入生のみなさんも、自分が何が好きで、何に興味があり、何が必要であるかを考えて、大学生活に希望を抱き、充実した日々を送ってもらいたいです。

2019年7月4日木曜日

2019度(令和元年度)卒業論文相談会開催のお知らせ




卒業論文相談会開催のお知らせ
(LC17台/3年生対象)



 文化学科では、10月上旬の「卒業論文指導願」提出に向けて、3年生を対象に卒業論文相談会を開催します。会場には文化学科の全教員が集合し、その場で個々の教員に、卒業論文について個別に相談することができます。卒業論文を書くかどうか迷っている人も、ぜひ参加してみて下さい。


 日時 2019年9月27日(金)16:30-18:00
 場所 文系センター棟15階 第5会議室

※当日は『2019年度版 福岡大学人文学部文化学科 教員紹介』を持参して下さい。

 なお、この相談会に参加しなくても、卒論の指導を受けることは可能です。

 卒業論文を書くために必要な手続きについては、『2019年度版 福岡大学人文学部文化学科 教員紹介』の24-30頁「卒業論文を書くために――卒業論文をめぐるQ&A」を参照して下さい。

教務・入試連絡委員       
林 誓雄、藤村健一 

 卒業論文関連の最近のブログ記事はこちら。
平成30年度卒業論文発表会が行われました
平成29年度卒業論文発表会が行われました
平成29年度卒業論文相談会が開催されました
卒業論文


2018年度提出の卒業論文題目一覧

 2018年度(平成30年度)提出の卒業論文題目一覧をお届けします。末尾に卒業論文関係の記事も載せていますので、そちらもぜひご覧下さい。


2018年度(平成30年度)提出の卒業論文題目一覧

平井靖史 教授(近現代フランス哲学)
・熟達化について
・人間と人工知能の境界線
・意識は人間の手で作り出せるのか
・脳と心の関係性

林誓雄 准教授(近現代哲学・倫理学)
・AIと責任
・帰結主義を擁護する


宗教学
岸根敏幸 教授(日本の神話と宗教、仏教、インド哲学)
・日本の神話・伝説と動物
・ユダヤ教の成立と展開
・世界の神話伝説と深層心理

小笠原史樹 准教授(西洋の宗教、宗教哲学、中世ヨーロッパ哲学)
・東南アジアの宗教
・マンガにおける死生観


芸術学・美術史
植野健造 教授(日本の美術)
・日本書道史~三筆と三蹟を中心に~

浦上雅司 教授(西洋の美術)
・ルートヴィヒ2世の理想世界とノイシュヴァンシュタイン城~3つの城を巡る考察~
・映画監督岩井俊二論~リップヴァンウィンクルの花嫁を中心に~
・小林賢太郎研究~舞台表現と笑いの関係性~
・自主制作映画の実践と映画理論~制作と鑑賞を通して見えたもの~
・荒木飛呂彦と『ジョジョの奇妙な冒険』
・ショービジネスにおけるデジタルテクノロジーと実演者の協働~Perfumeの例を中心として~

落合桃子 講師 (西洋近現代美術史、ドイツ美術)
・メタボリスト菊竹清訓によるまちづくり


社会学
本多康生 准教授 (比較社会学)
・認知症の家族介護が引き起こす家族の変化
・児童虐待の連鎖を断ち切るために


心理学
大上 渉 教授(犯罪心理学)
・介護殺人における加害者の特徴及び犯行特徴
・高校部活動の目標設定と実績との関連性について

佐藤基治 教授(認知心理学)
・唇が与える表情への影響
・化粧における色が人に与える影響
・心拍数がリズムの好悪に及ぼす影響

縄田健悟 講師 (社会心理学、集団心理学、組織心理学)
・ワークモチベーションと承認の関係について~「ほめ」が及ぼす効果~
・他者の投稿にネガティブ感情を抱く人の性格特性について

一言英文 講師(感情心理学、比較文化心理学)
・音楽選考と性格特性の心理学的研究
・「癒し」とは―視覚刺激を用いた癒しの喚起刺激分類
・Social Networking Service利用における賞賛獲得欲求と拒否回避欲求に基づく行動
・食品の色彩が商品の評価に与える影響


文化人類学・民俗学
髙岡弘幸 教授 (民俗学・文化人類学)
・美化と忘却~つくられた昭和30年代~

宮岡真央子 教授(文化人類学)
・発酵の力
・勝負の世界に生きる者の夢と現実
・捕鯨の記憶の継承


藤村健一 准教授 (文化地理学)
日本語と繁体字中国語のガイドブックの比較による福岡の観光イメージについて