2015年4月30日木曜日

故宮博物院展(石田和夫先生)

「教員記事」をお届けします。本年度第二回は中国思想の石田和夫先生です。



故宮博物院展

 今からおよそ半年前のこと。太宰府の九州国立博物館で台湾の故宮博物院展が開催された。門外不出、どこの国にも貸し出されたことのなかった中国の秘宝が初めて海を渡って国外に出るという。それもわが福岡の地に。授業中にこの話をしたところ何人かの学生が興味を示したので、日時を決めて、一緒に出かけることになった。

 そもそも故宮と言えば古の宮殿、すなわち今日の北京にある紫禁城のこと。現に北京の紫禁城内には故宮博物院という同じ名前の博物館がちゃんと存在している。二つの故宮博物院。この複雑な現状を招来するにあたっては、実は日本も深くかかわっているのだが、それはともかく、台北と北京、どちらの故宮博物院により価値があるかといえば、もちろん台北。極端な話、北京については見るべきものは建物以外ないという人もいるほど。その台湾の故宮博物院の収蔵品が直接目にできるというのだから、出かけない手はない。

 東京と福岡の二か所で開催された今回の展覧会。東京では翡翠で作った白菜が目玉として開催から一週間特別展示されたが、残念ながら福岡には来なかった。福岡の目玉は同じ翡翠でできた肉型石。故宮所蔵品の中でも別格の秘宝、あの翡翠の白菜はもちろんのこと、展示会の最終日近くに行ったので、肉型石も目にできなかったが、さすが台湾故宮博物院。中国皇帝が愛でた数々の名品は私を魅了した。個人的な感想を述べさせてもらうなら、宋・明の時代精神をそのまま伝える青白磁器・赤絵・染付などの焼き物コーナーは圧巻。特に今まで写真でしかお目にかかることのなかった宋代の青磁器との出会いは強烈なインパクトを私に植え付けた。一緒に行った学生諸君もそれぞれの関心に応じて博物館を満喫したようであった。

 紅葉真っ盛りの秋の太宰府。博物館鑑賞の後、天満宮の裏手にある茶屋で、今度は紅葉の鑑賞。太宰府の茶店と言えば、なぜだか知らないけれど「お石茶屋」に決まっている。緑茶をすすりながら、太宰府名物の梅が枝餅に舌鼓。アー、それにしても餡子はやっぱり粒あんに限る。心身ともにリフレッシュした一日であった。

 台湾の故宮博物院は多分二度と来ない。お目にかかるには台北まで自分で出かけるほか手はない。しかしさすが国立博物館。どの展覧会も中身のレベルは高い。福岡の人は恵まれている。その上、福岡に住む大学生であれば、国立博物館に限らず、学生証を提示するだけで県内の博物館・美術館の類で特別の割引が受けられる。この特権はおおいに活用すべし。国立博物館と太宰府天満宮。セットにすれば福岡から日帰りのピクニックとして絶好のコース。新緑がまぶしい五月に出かけられてみてはいかが? 因みに、九州国立博物館の現在の展覧会テーマは、『戦国大名―九州の群雄とアジアの波濤―』。

石田和夫

2015年4月29日水曜日

第六回「マンガde哲学」開催


四月二八日火曜日の夕方、A610教室でLC哲学カフェが開催されました。「まあっもったいない?――『ミノタウロスの皿』で哲学する」が今回のタイトル。時間帯が悪かったのか、学生諸氏の参加者は僅か三名、教員が二名。

題材は藤子・F・不二雄の短編。地球から飛び立った主人公が不時着した星では、人間と牛の立場が逆転しており、ズン類(牛)がウス(人間)を食べている。「牛が人間を食うなんて、そんなベラボーな!」と憤る主人公に、美しいウスの少女ミノアは「まあっもったいない」。「ただ死ぬだけなんて……なんのために生まれてきたのか、わからないじゃないの」。

或る参加者の、「郷に入りては郷に従え」なので問題ない、という意見からスタート。地球では人間が支配者、この星ではズン類が支配者。支配者の方が知能が上のはず。知能が上のものは下のものを食べても良い……?

他方、知能ではなく感覚に注目すべき、という意見も。道徳にとって重要なのは知能ではなく感覚。苦痛を伴うような行為は許されない。ウスも痛みを感じるだろうから、そのウスを食べることは許されない……?

知能と感覚、どちらが大切なのか。或いは、崇高な存在は食べてはいけない? しかし、崇高さとは何か。神?

ところで、もし地球でも牛と会話できたならば? もう牛を食べなくなる? しかし、ズン類とウスが会話できるこの星で、ミノアは食べられることを名誉に思っている。そのように思わせているものとは何か。

牛の意志を確認しない地球での肉食と、ズン類とウスが「ふかーい友情」で結ばれているこの星での肉食と、どちらの方が残虐なのか。人格、ピーター・シンガー、種差別、数、歴史、聖なるもの、美しい生と死、ソクラテス、等々の言葉が次々と繰り出された挙句、最後は某テレビ番組の、知能を持つイカが君臨する未来の話で終了。


今回は残念ながら、今までで最も少ない参加人数。しかし、道元曰く「衆の少なきを憂うること莫れ。身の初心なるを顧みること莫れ」。たとえ細々とでも、哲学カフェは続きます。ただし、次回は別の時間帯に――。哲学に興味のある人もない人も、ぜひ一度、LC哲学カフェへ。

2015年4月21日火曜日

模擬講義一覧

文化学科教員で対応可能な模擬講義のタイトルの一覧です。



文化学科 模擬講義タイトル一覧



模擬講義タイトル
担当教員
「『嘘も方便』ということは認められるか」
岩隈 敏 教授
「アジアのなかの日本」
宮岡真央子 准教授
「モナリザはなぜ傑作か:微笑みの裏側」
浦上雅司 教授
「ユーモアのセンスを身につけて人生を拓く」
高下保幸 教授
「ルーヴル美術館の秘密」
浦上雅司 教授
「異文化からみる自分」
宮岡真央子 准教授
「環境に関する倫理的問題」
岩隈 敏 教授
「驚異のコレクション:ウィーン美術史美術館」
浦上雅司 教授
「空気を読むってなんだろう-日本的な考え方の特徴―」
宮野真生子 准教授
「芸術学入門-街の中のアートを楽しむ-」
植野健造 教授
「現代社会学―社会問題に学ぶ」 
本多康生 講師
「再非行防止プログラムSEL-8Dの実践」
大上 渉 准教授
「災害と社会」
本多康生 講師
「時間論と心の哲学」
平井靖史 教授
「社会学とはどのような学問か」
平兮元章 教授
「社会的行為の意図せざる結果-社会学的ものの見方入門-」
平田 暢  教授
「社交の倫理学」
林 誓雄 講師
「狩猟採集という暮らし」
宮岡真央子 准教授
「儒教と現代社会」
石田和夫 教授
「集団の心理学-集団の中で人の「心」はどのような影響を受けるのか?-」
池田 浩 准教授
「人、人に出会う心理学」
高下保幸 教授
「世界の様々な結婚」
磯田則彦 教授
「生命に関する倫理的問題」
岩隈 敏 教授
「先住民と生きる」
宮岡真央子 准教授
「台湾という隣人」
宮岡真央子 准教授
「地理学的にみた都市」
藤田 隆  教授
「哲学への入口」
関口浩喜 教授
「頭の中の地図(メンタルマップ)と実際の地図、都市のイメージ」
鴨川武文 准教授
「日本の神話」
岸根敏幸 教授
「日本の農業とユネスコの無形文化遺産への登録を目指している日本食和食について」
鴨川武文 准教授
「日本の妖怪文化」
高岡弘幸 教授
「日本人の宗教観」
岸根敏幸 教授
「犯行パターンからみた組織的犯罪グループの分類」
大上 渉 准教授
「犯罪心理学からみたコミュニティと地域活動」
大上 渉 准教授
「犯罪心理学入門」
大上 渉 准教授
「犯罪捜査と心理学」
大上 渉 准教授
「犯罪統計の見方」
平兮元章 教授
「美術史を楽しむ-福岡と九州の美術家たち-」
植野健造 教授
「百聞は一見に如かず? 視覚の仕組み」
佐藤基治 教授
「文化人類学への招待」
白川琢磨 教授
「北部九州のパワースポット入門」
白川琢磨 教授
「目撃者の心理学」
大上 渉 准教授
「理由なしに誰かを愛することはできるのか?――中世ヨーロッパ思想入門」
小笠原史樹 准教授
「恋愛とプラトニックラブ」
小林信行 教授







2015年4月20日月曜日

心理学を学べば“人の心は読める”ようになる?(池田浩先生)

心理学を学べば“人の心は読める”ようになる?

池田 浩


 入学式も終わり、いよいよ授業が始まりました。新入生の皆さんは、高校までとは異なる学問に触れて知的な好奇心を抱いている人も多いのではないでしょうか。
 私は、心理学が専門で、毎年、共通教育科目で「心理学A」(後期は心理学B)を担当しています。前期の授業が始まり、既に2回ほど進行しましたが、毎年必ず初回で話題にするテーマを今回取り上げたいと思います。

 それは、心理学を学べば“人の心は読める”ようになるのか?という問題です。
 心理学は、人の“心”について学ぶ学問であることから、人が何を考えているのか、どんな気持ちなのか、自分のことをどう思っているのか、など分かるようになると一般的に考えられているようです。いわゆる「読心術」です。実際、私も職業を尋ねられて、大学で心理学を教えていると言うと、9割ぐらいの相手から「私が今何を考えているか、分かりますか?」と尋ねられます。

 あらかじめ、この問いに答えましょう。人の心は読めません!「心理学A」の授業では、心理学とは人の心を読む“読心術”ではなく、科学的な方法を用いて人の心のメカニズムを明らかにする学問であると教えています。

 ただし、人の心は読めないというのは、あくまでも“正確に”読めないということであり、我々が人の心を読んでいない!というわけではありません。私たちは、日々、相手の心(考え、気持ちなど)を推し量って生活しています。実際、そうした心を読む行為が、友人と友情を育み、恋人を作り、スポーツでチームワークを発揮したり、就職面接でうまく質問に答えることができるように、人間が社会生活を適応的に営む源になっています。最近では、よく“空気を読む”という言葉を使いますが、まさに相手の気持ちや考えを察して、それに相応しく振る舞うことが期待されていることの表れです。

 実際、他者の心の状態や意図、考えを推測できるようになるのは、だいたい4歳頃といわれています。心理学ではこれを「心の理論」と言います。こうした「心の理論」の発達と集団の形成には密接なつながりがあり、他者のことを推し量ることができるようになるために、集団を作り、そこで活動することができるようになります。

 しかし、4歳以降から心を読むようにはなりますが、それが必ずしも当てはまっているとは限りません。いつも誤解や齟齬が伴っています。
 例えば、ケニーとデパウロによる興味深い実験を紹介しましょう。彼らは、集団で一緒に働いている人達に、自分に対する他の人たちの評価を予測してもらいました。すると、集団全体が自分をどう評価しているかは、おおよそ予測することができていました。自分は総じてこんなイメージを持たれているんだろう、という予測はそれなりに的を得ているようです。
 ところが、集団の一人ひとりの評価をどれだけ正確に予測できるのかと言えば、ほとんど予測できていないことが分かりました。つまり、AさんやBさんが、自分のことをどう思っているかは、全く自分の予想とは外れていたわけです。

 このように、いくら心を推し量ったとしても、相手との間には齟齬が生じる可能性があります。それが、もしかしたら相手との仲違いを引き起こす原因かもしれません。例えば、相手が本当に嫌がっていることに気づかずにエスカレートするストーカー行為、相手が不快であることに気づかない各種のハラスメント、あるいは友人は余りに気にしていないことを過度に気にして落ち込んでしまうことも、心を読むことの誤解や齟齬から生じる問題と捉えることもできるのではないでしょうか。

 読心術は、人間関係を育む大事な営みではありますが、それをあまり過信せずに、お互いに心を開いて(変に心を読まなくてもいいように)信頼関係を築くことが必要かも知れません。
 
 今回のブログのテーマに興味のある方は、ニコラス・エプリー(2015)『人の心は読めるか?』(波多野理彩子 訳)早川書房 をご覧下さい。

参考文献
Kenny, D. A., & DePaulo, B. M. (1993). "Do people know how others view them? An empirical and theoretical account", Psychological Bulletin, 114, 145–161.
Epley, N. (2014). Mindwise: How we understand what others think, believe, feel, and want, New York, NY: Alfred A.(ニコラス・エプリー(2015)『人の心は読めるか?』(波多野理彩子 訳)早川書房)

2015年4月17日金曜日

林 誓雄 准教授


LC哲学カフェ開催のお知らせ

 今月末の火曜日、28日の夕方にLC哲学カフェが開催されます。
 前回の新入生歓迎特別企画を終えて、今回は通常の「マンガde哲学」。題材は、一年生必修の講義「文化学基礎論」でも取り上げられたあのマンガです。
 時間や場所は下記の通り。

  【マンガde哲学】
  まあっもったいない?――『ミノタウロスの皿』で哲学する

  日時 4月28日(火) 16:30-18:00
  場所 A610教室

  参考文献 藤子・F・不二雄『異色短編集1:ミノタウロスの皿』、小学館文庫、1995年、pp.168-175


 飲み物は各自で用意して下さい。
 参加者の自己紹介は行いません。また、無理に発言しなくても構いません。
 途中入室、途中退室も自由です。
 なお、終了後の懇親会等は予定していません。悪しからず。

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マンガ・ビブリオバトル開催

四月一五日水曜日の夕方、A615教室でLC哲学カフェが開催されました。参加者は学生諸氏が約二〇名、教員三名。

今回は新入生歓迎の特別企画、マンガ・ビブリオバトル。上級生五名が新入生のために、大学生必読のマンガを各五分間で紹介。タイマーが冷酷に時間を刻む中、五人が五人とも、それぞれ特徴的なプレゼンで白熱のバトルを。

一人目が取り上げたのは、鈴ノ木ユウ『コウノドリ』。生命倫理に関する問題提起から始め、妊娠・出産を巡る話で聴衆の興味を喚起しつつ、最後は母の日の話で締めくくり、見事に時間ピッタリで終了。

二人目が選んだのは、岡崎京子『リバーズ・エッジ』。「心が震える」と自分の感情を前面に押し出し、教卓の前を動き回ってプレゼン。本を開いて絵を示してみたり、文章を感情豊かに朗読してみたり。

三人目は新入生に「大学生になるとき、何を楽しみにしていましたか?」と問いかけることからスタート。恋愛や結婚の話に続けて、大暮維人『バイオーグ・トリニティ』を一種の恋愛マンガとして捉え直し、二人の登場人物の恋愛を比較。

四人目はニャンコ先生のぬいぐるみを取り出して、緑川ゆき『夏目友人帳』をプレゼン。言葉で説明できないことを絵で示している、静かに心が浄化されていく、等々。そして最後は黒板に、初期のニャンコ先生の姿を。

五人目が選んだのは、いくえみ綾『潔く柔く』。黒板前にマンガを持たせて七人を並べ、表紙に描かれている人物を示しながらストーリーを紹介。今までのプレゼンから一転、教室内が一種独特の、演劇的な空間に変わったような錯覚が。

五人のプレゼンと質疑応答を終え、「どの本が一番読みたくなったか?」という基準で投票。開票作業の間、飛び入りの六人目が浅野いにお『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』について熱く語る、というハプニングも。

開票の結果、チャンプ本は『コウノドリ』に決定。この本がLC哲学カフェの薦める、大学生必読のマンガとなりました。

初めての試みだったものの予想外の成功で、参加者の関心は早々に次のビブリオバトルへ。今度は恋愛やスポーツのマンガを? とにかく設定の奇抜なマンガを? 或いは、ビブリオバトルならぬシネマバトルを? 大学生必読のマンガとして他に何があるか、もし教員が参加していたならばどのマンガをプレゼンしていたか、と雑談に興じている内に、今回も時間切れで自動的に散会。

というわけで、新年度の哲学カフェも本格的に始動。さっそく今月末には、通常の「マンガde哲学」が開催されます。コーヒーと連休直前の解放感を味わいながら、ぜひ気楽なマンガ談義を。

2015年4月13日月曜日

平成27年度文化学科ガイダンスゼミナール&新入生歓迎会

 4月11日(土)に中央図書館多目的ホールで、新入生101名を対象とした文化学科ガイダンスゼミナールが開催されました。本年度は「文化学科で考える『食』」をテーマに、午前中は宮岡真央子先生岩隈敏先生岸根敏幸先生に講義をしていただき、午後は先生方から出された課題に8つのグループに分かれて取り組み、グループ別発表(発表10分・質疑応答5分)の後、全体討議を行いました(午前の司会:本多康生、午後の司会:小笠原史樹先生)。

午前の部では、まず文化人類学者の宮岡先生が「『食べ物』を考える―文化人類学の視点から」と題して、南西諸島や台湾先住民村落のフィールドでの経験をもとに、「ヒト/人にとっての食」の特徴や補食文化の現況について講義をしてくださいました。次に、岩隈先生が「肉食の是非について―動物の『道徳的資格』を問いなおす動物解放論」と題して、応用倫理学者のピーター・シンガーの議論を紹介しながら、動物を食すことの是非について環境倫理・生命倫理の視点から講義をしてくださいました。最後に、岸根先生が「日本神話における『食』」と題して、神話学・宗教学の立場から日本神話に登場する食物神や、稲の神による葦原の中つ国の統治について講義をしてくださいました。

 3人の先生方の課題は、「食文化の比較的視座から、私達が『食べ物』と考えている範囲についてまとめてみよう」(宮岡先生)、「動物を食べることは許されるのか、食べても良い種類と食べてはいけない種類の区別はあるのか、その理由・根拠を考えよう」(岩隈先生)、「新嘗祭・大嘗祭が行われる意味について考えよう」(岸根先生)というものでした。

講義・グループ別発表・質疑の様子

 午後は各グループが図書館のグループ学習室やラーニング・コモンズで、2時間以上議論や文献検討を重ね、発表の準備を行いました。その後の発表では、どのグループも議論の内容を論理的でわかりやすい発表に結びつけるために、模造紙の図を用いるなど、工夫を凝らしていました。ただ、文化や時代によって食べる/食べられる動物の範囲は変わるという表層的で相対主義的な発表に留まっているグループもありました。個別の質疑では、「遭難した時に私を食べますか?」というフロアからの問いかけと、「食い意地が張っているので食べます」という個人的な水準の回答が繰り返されるなど、午前中に聴講した専門的な講義内容を踏まえて取り組んだ発表が、的確に学問や思想の中に位置づけられているか、グループ内で積み上げた議論をうまく発表や質疑に生かせているかという点では、やや課題も残ったように思います。

 しかし、最後の全体討議では、「緊急避難として人を食べることは許されるか」(ひかりごけ事件)や、「愛するゆえに食べるのか」「可愛い動物は食べられないのか」など、様々な論点が提示され、アシスタントの上級生も交えて白熱した議論が展開されました。集合写真撮影時には発表をやり遂げた新入生の充実した表情が印象的でした。

 文化学科のコンセプトは、「文化の多角的・総合的理解」です。1年次の基礎演習や2~4年次の文化学演習などの少人数ゼミを通じて、他者と論理的に議論することに慣れ、自身の意見と他者の意見を共振させていくプロセスを学べば、よりインタラクティブな形で、倫理学・宗教学・人類学の理論や視座を踏まえた厚みのある議論を展開することが出来るのではないかと思います。今後の大学での学修を通じて、学生各自が領域横断的で専門性のある自身の答えを築き上げてくれることを願っています。

新入生とアシスタント学生・若手教員で記念撮影

 ゼミナール終了後は、文系センター棟16階スカイラウンジに場所を移し、恒例の新入生歓迎会(LCフォーラム主催・立食パーティー)が実施されました。LCフォーラム会長の高下先生の挨拶で会が始まり、あちこちで和やかな歓談の輪が広がりました。

歓談する新入生と教員

 最後になりますが、新入生を惹きつける講義をしてくださった宮岡先生岩隈先生岸根先生、新入生全員の名札を作ってくださった高下先生、備品準備・ポスター・教員名札製作・写真撮影の労を執ってくださった平田先生、新入生歓迎会の準備をしてくださった鴨川先生、お手伝いをしていただいた学生の皆さん(田中里佳さん、植村日和さん、井上拓海くん、糸濱正晶くん、黒岩美咲さん、日隈美有希さん、船間あさひさん、本田愛梨沙さん)に心より感謝申し上げます。


2015年4月7日火曜日

LC哲学カフェ開催のお知らせ

 来週水曜日、15日の夕方にLC哲学カフェが開催されます。
 今回は新入生歓迎の特別企画、マンガ・ビブリオバトルです。上級生の発表者が新入生のために、大学生必読のマンガを紹介してバトルします。
 時間や場所は下記の通り。

   新入生歓迎特別企画
   紙の本を読みなよ――ビブリオバトルで決める大学生必読のマンガ

   日時 4月15日(水) 16:30-18:00
   場所 A615教室

 文化学科の新入生と上級生が顔を合わせる、ともすれば最初の機会です。新入生も上級生も、ぜひ奮って御参加下さい。


 マンガ・ビブリオバトル:
 1.発表者が一人五分で「大学生必読のマンガ」を紹介。
 2.それぞれの発表後、質疑応答。
 3.全ての発表終了後、「どのマンガが一番読みたくなったか?」という基準で、参加者全員で投票。最多票を集めたものを「チャンプ本」とする。

 飲み物は各自で用意して下さい。
 参加者の自己紹介は行いません。また、無理に発言しなくても構いません。
 途中入室、途中退室も自由です。
 なお、終了後の懇親会等は予定していません。悪しからず。

 関連記事 LC哲学カフェって何?

2015年4月6日月曜日

平成27年度 新入生対面式

 4月6日(月)に832教室において、文化学科新入生と学科教員の対面式が行われました。平田先生が撮影してくださった写真を公開いたします。
 宮野先生による司会進行のもと、小林学科主任からの歓迎の辞に続いて教員紹介がなされた後、新入生ひとりひとりが自己紹介をしました。それぞれ個性的な挨拶で、はやくも新しい友達の輪が広がっている様子でしたよ。


2015年4月5日日曜日

LC哲学カフェって何?


 カフェ? コーヒーとかケーキとか、売っているんですか?
 「カフェ」という名前ですが、残念ながらコーヒー屋さんを開いているわけではありません。飲み物は各自で用意を。たまに教員がコーヒーやお菓子を差し入れてくれることもあるような、ないような。


 哲学? 哲学の勉強会ですか?
 ちょっと違います。イメージとしては、誰かと映画を観た後でどこかのカフェに入り、その映画について雑談しているような、そんな感じです。単に自分の考えを話してみたり、他の人たちの意見を聞いたりしているだけのことで、なので「哲学」と呼ぶよりは「対話」と呼んだ方が正確かもしれません。


 人前で話すのが苦手なのですが……。
 無理に発言する必要はありませんし、指名されることもありません。黙って人の話を聞いているだけでも可。それもまた、一つの立派な対話です。自己紹介もなし。途中入室、途中退室もご自由に。

 どんな人が参加しているんですか?
 文化学科の学生さんが中心ですが、その学生さんたちがときどき、他学科や他学部の友人を連れてきてくれたりもします。卒業生が遊びに来ることも。

 参加するためには、事前に登録を……?
 いえ、不要です。気が向いたらフラリと、開催場所の教室へ。ちょっと五分間だけのぞいてみる、というのでも構いません。毎回、時間になるとどこからともなく人が集まってきて終わると去っていく、という感じです。


 で、結局何をしているんですか?
 最近はずっと「マンガde哲学」と題して、マンガを素材に皆で議論しています。マンガの一場面を話の糸口にしながら、「かわいいって何?」とか、「人を好きなるってどういうこと?」とか。一応タイトルは決まっているものの、話していくうちにテーマがどんどん変わっていくこともしばしば。いずれマンガ以外に、小説や映画、絵や音楽なども取り上げていく予定です。


 次回はいつですか?
 次回は4月15日水曜日、5限の時間帯に開催する予定です。新入生歓迎の特別企画を……? 詳細が決まり次第、改めて告知します。

LC哲学カフェの開催記録
 2014年9月27日 『ハンナ・アーレント』でかたらんと?
 2014年10月31日 ペンギンは白と黒なのがかわいい?――『よつばと!』で哲学する
 2014年11月26日 どの石がボクを好き?――『ぼのぼの』で哲学する
 2014年12月10日 それは数字の8? それともちっちゃな雪だるま?――スヌーピーと哲学する
 2015年1月7日 好きになるってどんなこと?――『ハチミツとクローバー』から考える
 2015年3月30日 ニセモノの自分、ホンモノの自分?――『彼氏彼女の事情』で哲学する

2015年4月2日木曜日

台湾と沖縄 (宮岡真央子准教授)

「教員記事」をお届けします。第二二回は文化人類学の宮岡真央子先生です。



台湾と沖縄                       
宮岡真央子

距離
 学生のころ、宮古諸島での調査の往復に船をよく利用した。船は安いし、距離を実感できる。那覇から宮古・石垣を経由して台湾の基隆や高雄に向かう定期連絡船で、このまま乗っていたら台湾へ行けるなと思いつつ、ついぞ台湾までの船旅をすることはなかった。台湾と沖縄の距離を少しだけ実感したのは、その後、東京に留学中の台北出身の友人と宮古へ出かけたときのことだ。池間島で、漁師さんは「台湾は大きな島だよね」と言った。お年寄りは、戦時中台湾へ疎開したときの思い出と後日当時の知人と再会したときの喜びを語った。東京から来た友人は「ここは台湾にとても近い」とうれしそうに笑った。
 この近さは、八重山諸島へ行けばもっと顕著だ。最西端の与那国島から台湾までは約一一〇キロメートル、年に数日は台湾の大きな島影が望める。ただし、友人のいう「近さ」とは物理的距離の長短だけによるものではない。むしろそれは、人の往来や交流をともなう「親しさ」に近い感覚だったのだと思う。

半世紀間の往来
 かつて台湾が日本の植民地だった半世紀間、沖縄、とりわけ八重山の人たちにとって、台湾はもっとも身近な都会であり、多様な機会に恵まれた場所だった。進学、就職、資格取得などのため多くの人が台湾へ向かった。与那国島では、学校を卒業すると台湾で仕事に就くのが当たり前だった。沖縄各地の漁村からは、東部の漁村に移住がおこなわれた。現在の台湾東部の漁法や漁具には、沖縄漁民の技術が継承されている。他方、台湾から八重山への出稼ぎや移住もあった。西表島の炭鉱では過酷な労働が強いられた。石垣島には昭和期に台湾からの開拓者が数百人規模で入植した。台湾からもたらされた水牛やパイナップル栽培は今ではすっかり八重山の景観に溶け込み、台湾系住民のコミュニティも健在だ。また、池間島のお年寄りのように太平洋戦争末期に台湾へ疎開した人は、宮古・八重山を中心に一万人以上にのぼった。そして一九四五年、台湾と沖縄とのあいだには国境線が引かれた。その後数年間、この海域では「密貿易」が盛んにおこなわれ、その中継基地となった与那国島は空前の好景気に潤った。

「近さ」の回復に向けて
 台湾でも沖縄でも、こうした時代を直接経験した人はもはや少なくなり、ことばも通じない。往来の記憶は遠いものになりつつある。しかし、これらの経験と記憶を頼りに自治体は交流の道を探り、台湾東部の花蓮市と与那国町(一九八二年)、蘇澳鎮と石垣市(一九九五年)、基隆市と宮古島市(二〇〇七年)のあいだで姉妹都市協定が締結されている。また石垣市は、二〇〇九年から台北のある国立大学と提携して留学生派遣を開始した。台湾東部と八重山・宮古地域間の経済活動促進を目的とする民間団体主催の会合も近年開催されている。
 残念ながらあの定期連絡船は、船会社が倒産し五年前に廃止された。しかしそれと相前後するように、今度は基隆から石垣・那覇への豪華なクルーズ船が往来している。いま、台湾と沖縄を結ぶ海域では、あらたな形での交流や人の往来、そして「近さ」の回復が模索されている。


出典:月刊みんぱく 平成25年9月1日発行 第37巻第9号(通巻第432号)[編集・発行]国立民族学博物館

2015年4月1日水曜日

第五回「マンガde哲学」開催

前回、一月上旬の開催から長い休止をはさみ、三月三〇日月曜日、久しぶりに哲学カフェが開催されました。今回のタイトルは「ニセモノの自分、ホンモノの自分?――『彼氏彼女の事情』で哲学する」。満開の桜を階下に眺めつつ、A703教室に学生諸氏が約十名と、教員が二名。

今回の素材は『彼氏彼女の事情』の一場面。「僕の中にはもうひとり、『ホンモノ』がいるんじゃないのか……」と悩む男子高校生。「どうして隠そうとするの?」と尋ねるヒロインに対して、「最低の人間だったらどうする!」と彼。その彼をヒロインが「うりゃー」と右フックで殴り倒し、「なんてことすんだよ――ッ」と怒る彼を「これが本当のありまくん」と指さす……。

ニセモノの自分とは何か、ホンモノの自分とは何か。そもそも自分をニセモノと感じるような場面はあるのか、という問いから始まり、某教員がバーのカウンター席で無理に明るく振舞ったエピソードを告白。その自分はニセモノだった? 或いは、緊張する相手の前でかしこまっている自分、周囲のイメージ通りに行動しようとする自分、つまり演じている自分。しかし、演劇で与えられた役を演じた際に「初めて自分が出せた」と感じる人もいるらしい。

誰かと一緒にいるときの自分はニセモノで、誰の視線も意識していない自分がホンモノ? 例えば、部屋で独りの自分。いや、ONの自分とOFFの自分の違いがあるだけで、どちらもホンモノの自分……?

体調の良いときと悪いとき。好きなことができているときと我慢しているとき。素面の自分と泥酔した自分。欲望を理性で抑えているときと、欲望のままに行動しているとき。それぞれ、どちらがホンモノなのか。或いは、どちらもホンモノなのか。

子供のときの自分がホンモノで、大人になった自分はニセモノ? ならば成長とは、ニセモノへの階段を上ること? いやいや、むしろアイデンティティに悩み始めるのは思春期で、そこから様々な役割を経験し、ホンモノの自分を選んでいくのだ……。

ところで、ホンモノの自分は一つ、複数? 様々な役割の中で核になっているような一つの自分が? それとも、それぞれの役割一つ一つが全部ホンモノの自分?

多くの論点が飛び出し、瞬く間に時間が過ぎ去った結果、思わず司会役の教員が「後五分だけ、十分だけ!」と延長を懇願する、というルール違反も。

さて今回は、春休み明けのいわばリハビリのようなもの。また四月から本格的に、毎月少なくとも一回のペースで哲学カフェを。次回は新入生歓迎の特別企画が……? ちょっとのぞいてみるだけでも構いません。ぜひ。