2020年9月15日火曜日

「悲心の器」と「悲の器」

 「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、宗教学の岸根敏幸先生です。


 私は文化学科の専門科目で「宗教文化論」(旧カリキュラムでは「アジア宗教文化論Ⅰ」)の授業を担当しており、その授業で扱っているテーマの一つとして「仏教における業と輪廻」というものがあります。このテーマで中心になっているのは地獄です。地獄というものが、様々な宗教で語られている通りに存在していると思っている人は、(私を含めて)そう多くはいないでしょうが、それでも、地獄について考えることには、生きるということの本質につながるものがあるのではないかと、強く惹かれるのです。それについては授業でも多少話していますし、機会があれば、ある程度まとまった文章を書いてみたいとも思っています。

 それはともかくとして、授業でこの地獄を説明する際に典拠としているのが、平安時代中期に活躍した源信の著書『往生要集』です。この書は、極楽浄土への往生について、様々な仏典の記述を渉猟して、要点をまとめているのですが、注目されるのは、冒頭から、これでもかと言わんばかりに、地獄のおぞましさを延々と描き出している点です。端的に言えば、地獄をはじめとする六道輪廻がこんなにもひどい場所なのであるから、できるだけ早く立ち去って、極楽浄土に往生しなさい、という論理なのですが、地獄のおぞましさについて、微に入り細に入り、執拗(しつよう)なまでに描き出そうとする異常さに圧倒されるのです。

 仏教ではいくつかの地獄が説かれていますが、最も知られているのは八熱地獄(「八大地獄」とも言います)です。『往生要集』もこの八熱地獄に基づいて地獄の説明をしています。そして、ようやく本題に入っていくことになりますが、八熱地獄で四番目に登場する叫喚地獄の説明で、以下のような記述が登場するのです。それは、罪人と、その罪人に容赦なく拷問を科す閻羅人(閻羅王、すなわち、閻魔王の手下で、罪人を監督する地獄の番人)との間で交わされたやりとりです。

罪人、偈(げ)を説き、閻羅人を傷恨して言(いは)く、
 汝、何ぞ悲心なき また何ぞ寂静ならざる 我はこれ悲心の器 我に何ぞ悲なきや
 (汝何無悲心 復何不寂静 我是悲心器 於我何無悲)
時に閻羅人、罪人に答へて曰く、
 己(おのれ)、愛羂(あいけん)に誑(たぶら)かされて 悪・不善の業を作り
 今、悪業の報ひを受く 何が故ぞ我を瞋(いか)り恨むる
 (己為愛羂誑 作悪不善業 今受悪業報 何故瞋恨我)

 三番目の地獄までは、拷問で苦しめられる罪人の様子が淡々と描写されていたのですが、叫喚地獄の場面になってはじめて、苦しめられる罪人の心情が吐露されています。なぜ私をこれほどまでに苛(さいな)むのか、私は悲心の器なのだと。「悲心」は仏教の概念であり、苦しむ者を憐(あわ)れみ、その苦を取り除こうとする心です。大乗仏教ではその意義が強調され、「大悲心」と呼ばれることもあります。

 仏教において衆生(人間のみならず、生きとし生けるすべての生命)とは、それ自体で慈(いつく)しまれるべき存在なのであり、そのような悲心を受け取る資格をもった存在であるという意味で、罪人は自らを「悲心の器」と言ったのです。しかし、閻羅人はそのような訴えにまったく取り合おうとはしません。仏教における行為の基本原則と言える自業自得という立場を示し、いくら嘆いてみても、その苦しみは自らが招いた結果であると突き放すだけなのです。

 ところで、これに関連して、『往生要集』のこの記述を冒頭に掲げている興味深い小説があります。それは、作家にして中国文学の研究者でもあった高橋和巳(昭和6年~昭和46年、39歳で没)が著した『悲の器』(昭和37年)です。随分昔に人から勧められて読んだように記憶しています。正木典膳という著名な刑法学者にして、日本を代表する大学の法学部長の要職にある人物が、自らの招いたスキャンダルに翻弄されて、自滅していくという内容になっていて、その過程で展開される、人生経験に裏打ちされた主人公の独白に大きな衝撃を受けたものです。

 この小説の特色について、ここで深く論じるつもりはありませんし、そもそも、論じうるような洞察力を私がもち合わせているとも思えません。私が問題にしたいのは、「悲心の器」と「悲の器」という表現上の違いと、それが意味するものについてです。『悲の器』という小説では、冒頭で前掲の『往生要集』の一節を引用し、それに基づいて、小説のタイトルも「悲の器」としているのですが、『往生要集』の記述では、先ほど言及したように、「悲の器」ではなく、「悲心の器」となっているのです。『往生要集』が引用している元の『正法念処経』という経典の記述を確認しても、やはり「悲心の器」なのです。

 これは引用する際に、「心」という語をうっかり見落としてしまったということではないでしょう。というのも、前掲の『往生要集』の記述と『悲の器』に引用された『往生要集』の記述とでは、それ以外にも多くの違いが見られるからです。『往生要集』で「閻羅人」となっている部分は、『悲の器』では二箇所とも「閻魔王」になっていますし、「悪・不善の業」は単に「悪業」となっていますし、さらに大きな違いとして、「また何ぞ寂静ならざる」と「何が故ぞ我を瞋り恨むる」という二つの句が『悲の器』の記述には存在していないのです。『往生要集』(というより、引用元の『正法念処経』)では、罪人と閻羅人が韻文の体裁をとった偈頌(げじゅ)でやりとりしていて、それが漢訳仏典で五字を一句とし、四句で一まとまりになっていたのですが、『悲の器』では、もはや偈頌の形を留めてはいないのです。

 これらは、おそらく著者が意識してそのような記述に改めたのでしょう。『悲の器』という小説は、一般の読者を念頭に置くものであって、仏教に関する専門的な知識を前提にしているものではありません。「閻羅人」と言われても、一般の読者には何のことか分からないので、誰もが知っている「閻魔王」に改めたということが考えられます。さらに言うならば、「閻羅人」のままにして、巻末に注解を付けておけば、それで済むことなのかもしれません。しかし、あえてそうしなかったのは、演出上の効果を意図していたのではないでしょうか。閻魔王の手下ではなく、閻魔王自身と直接やりとりする方が、罪人の罪深さを思い知らせるという点で、はるかにインパクトがあると思えるからです。『悲の器』で引用される『往生要集』の一節は、もはや叫喚地獄でのやりとりとは切り離され、地獄という極限の状況で、裁かれる者と裁く者が鋭く対峙する緊迫感に満ちた場面に仕立てられていると言えるのです。

 それでは、「悲心の器」を「悲の器」と改めることにどのような意図があるのでしょうか。小説のタイトル、すなわち、主題につながるものと言えるので、それを解き明かすことは難しい問題であると思いますが、「悲心の器」が本来、悲心によって救われるべき存在であるのに対して、一般の読者を念頭に仏教の専門的な知識を前提としないかぎり、「悲の器」というのは文字通り、救いようのない悲しい存在ということになるでしょう。著者は主人公をそのような存在として描きたかったのに違いありません。だからこそ、「愛羂に誑かされて(羂は捕獲用のわな、つまり、愛欲の虜になったということ)」地獄に堕ちた罪人が苦しむ『往生要集』の記述を引用し、そのような存在を主人公と重ね合わせて、小説のタイトルにしたのです。

 この『悲の器』という小説は、病気で妻を失った主人公の正木典膳が某大学名誉教授令嬢との再婚話を進めていたところ、それまで情交関係をもっていた家政婦に、不法行為(婚約不履行)による損害賠償請求で告訴されるというところから始まります。そのスキャンダルは新聞報道によって衆目の知るところとなり、同僚たちの嘲笑を含んだ噂話、学生たちによる授業ボイコット、女子学生からの「卑劣漢」という罵倒、カトリックの神父である実弟がおこなった公の場での糾弾、さらに騒動が大きくなって、学長からの退職勧奨という事態に至り、主人公は散々に打ちのめされます。

 しかし、彼は刑法学者として身につけてきた知識と理論によって、それらの事態を冷静に分析し、自らの行為を反省するどころか、ひたすら正当化しようとしています。これだけの説明だと、この主人公のあまりにも自己中心的な在り方が際立ってしまいかねませんが、この小説を実際に読んでいると、そういう捉え方にはならず、むしろ、主人公のもつ独特な魅力に引き込まれてしまうのです。

 著者の高橋和巳はこの主人公を、まさに「愛羂に誑かされ」た悲しい存在として断罪するつもりだったのでしょう。しかし、この小説が主人公の独白という形をとる以上、著者自身が主人公を突き放すことができなくなり、結果的には、主人公の思想や生き方を描き出す作品へと仕上げてしまったのです。読者はこの小説を通して、極めて知性的でありながら、それでも生身の人間の感情を引きずり続けた正木典膳という存在の魅力に触れることでしょう。この小説の中で特に印象に残っている文章を引用しておきます。それは、28歳も年下の前述した令嬢が述べた言葉です。

何か暗い、頼りなげな、それでいて近寄る者を完膚なきまでに破壊してしまいそうな。
はじめて父とお訪ねしたときにもそう思いましたわ。危険な方だなあって

 かなり重厚な内容で、文庫本でも600ページを超える長編作品ですが、インテリゲンチャ(知識人)という存在の内実を考える上でも、とても価値のある作品と言えるので、ぜひとも読んでもらいたいと思います。


2020年9月8日火曜日

おじさんの十字架

 「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、社会学の開田奈穂美先生です。


こんにちは、2020年4月に着任した開田奈穂美です。私は大学入学以降の15年ほど東京で暮らしていましたが、元々出身は長崎県長崎市(旧外海地区)です。今回は自己紹介も兼ねて、私の実家で起こったちょっとした出来事について書いてみたいと思います。

私の実家がある長崎市の旧外海地区は、長崎市の中心部から車で一時間ほどかかる場所にあります。旧外海地区の一部の集落は、2018年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連施設」として世界遺産に登録されました。世界遺産に登録された集落からは外れていますが、私が住んでいた集落にも、多様な宗教的バックグラウンドを持つ人たちが暮らしています。まず、キリスト教が禁止されていた時代から「隠れキリシタン」として密かに信仰を持ち続け、今でも独自の信仰を守っている人たち。そして明治に禁教の時代が終わって以降、キリスト教徒として教会に通っている人たち。そして隠れキリシタンやキリスト教徒を先祖に持ちながら、現在では仏教徒としてお寺の檀家になっている人たちです。

私の実家は仏教徒であり、私も隠れキリシタンとキリスト教の慣習やしきたりには詳しくありません。数年前に父方の祖父が亡くなった際には仏教式の葬儀が執り行われました。これは祖父の一周忌の法要が終わった後の出来事です。

法要とその後の会食が終わった後、すでに酔っぱらっていた私の父が、親戚のおじさん(祖父の弟で、父の叔父にあたる人です)を連れて蕎麦屋に行くと言い出しました。お酒を飲んでいない母が運転し、私やおじさんを含めて6人ほどで車に乗って蕎麦屋に行きました。しばらくしてから、父と同様にかなり酔っぱらっていたおじさんは、自分が蕎麦屋にいることに気づき、財布を持ってきていないと言って騒ぎだしました。もちろん父はおじさんに勘定を持たせるつもりはなく、ねぎらうつもりで蕎麦屋に連れてきたのでしょうが、父の意図は全く伝わっていません。彼は酔っぱらいながら必死に「ごめんなさい、すみません許してください」と言い、次の瞬間に自分の手で額に軽く触れ、その手をおへそのあたりに持っていき、さらに肩をさわり、反対の肩もさわりました。つまりキリスト教式の十字架を切ったのです。私は驚いて隣に座っていた母と顔を見合わせました。おじさんとは親戚の集まりでよく顔を合わせていましたが、十字架を切るのを見たのは初めてでした。

実は、亡くなった祖父の生家は敬虔なキリシタンの家でした。しかし祖父は自分の両親とは縁を切って若くして結婚したようです。最初の結婚でできた長女(私の伯母にあたる人です)にはキリスト教式の洗礼名があるので、その当時はまだキリスト教徒だったらしいということがわかります。しかしその後、私の祖母にあたる女性と再婚した時には棄教していたようです。このような事情があるため、祖父の葬式は仏教式で執り行われました。しかし、祖父の弟であるおじさんは今でもキリスト教徒です。キリスト教徒はこの集落で別に珍しくありませんが、神父でもない普通のキリスト教徒の人が日常の場面で十字架を切るのを目にする機会は私にはありませんでした。

起きた出来事は、酔っぱらったおじさんが十字架を切る、というただそれだけのことです。しかし、なぜその出来事が私にとって驚くべきことだったのか、そのことを説明するためには、そもそも私の故郷が持っている宗教的・歴史的な背景を踏まえていなければなりません。さらに祖父の個人史的な出来事や、それを支えていた社会情勢についても知る必要があるかもしれません。例えば、伯母と祖父との年齢差から、祖父に第一子が生まれたのは彼がわずか17歳の時のことだとわかります。祖父が生きていた時代と今現在では、学歴や結婚、仕事に対する考え方が全く違ったことは想像にかたくありません。祖父は生家と縁を切る形で独立し、しかしその後も弟であるおじさんとは交流を続けていました。この不思議な関係は、祖父個人の選択であったとともに、そうせざるを得ないような社会的・地域的な事情があったのではないかと思います。

このように、とても身近な一つの出来事を理解するために、宗教や地域、社会や歴史といった様々な知識や切り口が必要になります。逆に言えば、世界を知るのにわざわざ遠くに行く必要は必ずしもありません。みなさんは自分の家族について、住んでいる地域について、その歴史について、どのくらい知っているでしょうか?とりたてて特徴もないし、書くべきこともないというのは単なる思い込みで、単に知るきっかけがないだけかもしれません。そして、一般的には役に立たないと言われてしまいそうな学問も知識も、私たちが「自分」という枠から一歩外に出て、より深くこの世界を理解する手助けをしてくれます。実現できているかはわかりませんが、私は大学での教育を通じて、みなさんがそうした経験をする手助けがしたいと常に思っています。
長崎県長崎市旧外海地区

また、自分の研究上の関心についていえば、私は長崎県の諫早湾干拓事業について研究してきました。そこでは、ずっと当たり前に存在し続けてきた海や川のありようが変わってしまったために、人生を変えられてしまった人たちがいます。そして一部の人の生活のあり方を、元には戻らないほど変えてしまっても、地域社会は一見なにごともなかったかのように存続し続けます。一部の人の人生を決定的に変えながら、それでも社会が続いていくという意味では、今回のコロナ禍にもそうした側面があるかもしれません。この「一見なにごともなかったかのように」見える身近な場所を対象にして、そこに生きる人たちが何を考えて生活しているのか、その意味は何なのかを明らかにしていくというのが、研究者である私にとっての課題の一つであると思っています。

ちょうどこの9月の頭に、長崎県諌早市とそのお隣の雲仙市を対象としたアンケートを発送しました。これは他大学の先生方と一緒に作ったものです。手前味噌ですが、このアンケートについての新聞記事を紹介して、この記事を終わりにしたいと思います。

西日本新聞2020年9月4日長崎県版18面

朝日新聞2020年9月4日長崎県版23面


長崎新聞2020年9月4日22面






2020年9月2日水曜日

古代哲学における「意志の弱さ」(模擬講義)

  今回は哲学の岩田直也先生による模擬講義の映像をご紹介します。残念ながら2020年のオープンキャンパスは中止になってしまいましたが、福岡大学でどんな講義が行われているのか、ちょっと覗いてみましょう。

2020年8月26日水曜日

オンライン・オープンキャンパス

 今年、残念ながら中止になった 福岡大学オープンキャンパス2020。その代わりには足りないかもしれませんが、人文学部文化学科のHPを探検してください。HPにこれだけの内容を持つ学科は他にはあまりありません。
きっと文化学科の魅力に気づくはずです!

探 検1 どんなひとが文化学科に向いている?

 Q1.文化について幅広く学びたいですか?  YESNO
 Q2.社会のあり方・あるべき姿に関心がありますか?  YESNO
 Q3.人の心のメカニズムについて考えたいですか?  YESNO
 Q4.人の生きる意味を考えたいですか?  YESNO
 Q5.ものごとをいろいろな角度から考えることが楽しいですか?  YESNO


探 検2 文化学科でどのようなことを学ぶ?

 そもそも文化学科って? と思っているあなたはこちらへ。
 文化学科には大きく分けて7つの領域があります。それぞれの中身を知りたいあなたはこちらへ。

哲学・倫理学    宗教学     芸術学・美術史
社会学       心理学     地理学      文化人類学・民俗学

 文化学科ではどんな授業を受けられるの?と思っているあなたは、哲学の岩田直也先生による模擬授業の動画もぜひご覧ください。




探 検3 文化学科の学生たちが体験したことや考えていることって?

 文化学科の学生ってどんな人たちでしよう。このブログは、学生も寄稿してくれています。ここでは人気の高かった3つほどを紹介します。
 ページの右にある「ラベル」の「学生記事」をクリックするとまだまだあります。
 学生による授業紹介もあります。そちらも是非読んでみてください(「ラベル」の「授業紹介」をクリック!)。

  学生ブログ1 「落語の魅力」LC18台 鳥巣はるか
  学生ブログ2 「植野ゼミと長崎ゼミ旅行 」LC17台 黒山愛莉
  学生ブログ3 「「大学での学び」はどのように役立つのか」LC17台 栗山あかり


探 検4 文化学科の学生たち実際に学んだことの集大成は?-卒業論文-

 卒業論文は、自ら「テーマ」を見つけて、さまざまな証拠(統計データや実験結果、文献資料、フィールドワークデータ etc.)を示しながら、結論へと導いていく一連のクリエイティブな作業をいいます。たとえば、時間について考えたい、エッシャーという画家の作品を掘り下げたい、人工妊娠中絶の是非を考えたい、危険ドラッグ使用者の心理的特徴を明らかにしたい、なぜ多くの人がディズニーを好きなのか明らかにしたい、などなどです。
 卒業論文に取り組むということは、初めて学問の分野で何かを生み出す、創造をすることに他なりません。文化学科の学生としての学びの集大成が卒業論文なのです。
 面白そうだ、と思える卒業論文が見つかったあなた、あなたは文化学科に向いています。

 卒業論文の題目一覧
 2019年卒業論文発表会の様子


探 検5 ところで、文化学科の教員ってどんな人たち?

  文化学科には現在22人の教員がいます(2021年4月からは24人)。どんな教員なのか覗いてみてください。

哲学・倫理学
岩田直也   関口浩喜   中村未来   林 誓雄   平井靖史   新任予定

宗教学
小笠原史樹  岸根敏幸

芸術学・美術史
植野健造   浦上雅司   落合桃子

社会学
開田奈穂美  平田 暢    本多康生

心理学
大上 渉   佐藤基治   縄田健悟   新任予定

地理学
磯田則彦   伊藤千尋   藤村健一

文化人類学・民俗学
高岡弘幸   中村 亮    宮岡真央子


探 検6 文化学科の教員が考えていることって?

  このブログは、毎月教員の記事が載っています。各教員のページからもリンクがありますが、ここでは人気の高かった4つほどを紹介します。
  ページの右上にある「ラベル」の「教員記事」をクリックするとまだまだあります。

  教員ブログ1 「パンデミックと美術」浦上雅司先生
  教員ブログ2 「「どうぞどうぞ」の社会心理学」縄田健悟先生
  教員ブログ3 「タンザニアで「父」になる」中村亮先生
  教員ブログ4 「忘年会に、いくべきではない理由」林誓雄先生


探 検7 文化学科のHPを自由に探検!

 上の探検をすべてクリアしたあなた、あなたはもう文化学科の学生です。でもまだこのHPには面白い記事がたくさんあります。
 今日だけでなく、また是非訪れてください。
2019年のオープンキャンパスの様子 来年は直接お会いしましょう!



YES→文化学科では、多様な価値観が共存する現代で活躍するための、広い視野と柔軟な発想力を併せもつ人材を育成します。
 祭りや儀礼、寺社仏閣、東西の思想、日本や海外の生活様式・都市デザイン、あるいは絵画や映画、アニメにマンガなどの「文化」、その「文化」を育む土壌である「社会」の構造やあるべき姿、そして、その「社会」で生きる「人間」の心のメカニズムや生きる意味に関心を持つあなたを、文化学科は待っています。
 カリキュラムなどはこちら(大学HP)から。






NO→残念!
でもQ1~Q5の中に1つでもYESがあれば、きっとあなたは文化学科に向いています。探検4の卒業論文も是非見てください。


2019年度提出の卒業論文題目一覧

  2019年度(令和元年度)提出の卒業論文題目一覧をお届けします。末尾に卒業論文関係の記事も載せていますので、そちらもぜひご覧下さい。



2019年度(令和元年度)提出の卒業論文題目一覧

関口浩喜 教授(現代英米哲学)
・クワインの「翻訳の不確定性」に関する一考察
・他者ー二人の哲学者と「他者問題」を手がかりにー

平井靖史 教授(近現代フランス哲学)
・アンドロイドは人間に恋をすることができるのか

林誓雄 准教授(近現代哲学・倫理学)
・管理社会の是非


宗教学
岸根敏幸 教授(日本の神話と宗教、仏教、インド哲学)
・イザナギより生まれ出づる神

小笠原史樹 准教授(西洋の宗教、宗教哲学、中世ヨーロッパ哲学)
・神話における友情論
・悪女考
・なぜ彼らは「一つになる」愛を求めたのか


芸術学・美術史
植野健造 教授(日本の美術)
・日本美術にみる生老病死
・日本美術に表現された猫たち
・VR表現の可能性
・能楽の世界
・東山魁夷についてー風景表現における立ち位置ー
・大正浪漫について

落合桃子 講師 (西洋近現代美術史、ドイツ美術)
・モネの風景画について


心理学
一言英文 准教授(感情心理学、比較文化心理学)
・他者コンパッションと協調的幸福感の相関関係の検討
・上半身の動作による魅力の要因
・テンポの操作が心理的なストレスに与える影響


文化人類学・民俗学
髙岡弘幸 教授 (民俗学・文化人類学)
・「妖怪」という「イメージ」ーその定型化と変容ー
・美しい水の国のミネラルウォーター〜飲料水の普及を中心として〜


宮岡真央子 教授(文化人類学)
・食生活改善推進員と郷土料理
・漫画に描かれた終末の日


藤村健一 准教授 (文化地理学)
・福岡市都心部の発展過程




卒業論文関係の記事
2019年度卒業論文報告会に参加して(学生記事)

2020年8月16日日曜日

スペイン風邪とムンク

 「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、美術史の落合桃子先生です。



 今から100年ほど前、インフルエンザが世界中で猛威を振るいました。スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)とよばれています。植野先生浦上先生のブログ記事にもあるように、1918年3月から翌年、翌々年にかけて、アメリカからヨーロッパ、アフリカ、アジア、そして日本にも広がり、多くの人々の命を奪いました。

 《叫び》で知られるノルウェーの画家エドヴァルド・ムンク(1863-1944)は1919年、56歳になる年に、スペイン風邪になった自分の姿を描いています。
 
ムンク《スペイン風邪にかかった自画像》1919年、油彩・カンヴァス、150 x 131 cm、オスロ国立美術館
ムンク《スペイン風邪にかかった自画像》1919年、油彩・カンヴァス、150 x 131 cm、オスロ国立美術館


 ベッドのある寝室で、黒いガウンを羽織った画家が安楽椅子に腰かけて、こちらを向いています。精気を失った画家の表情が、病気のつらさを物語っています。一説には、ムンクは自己診断でスペイン風邪と思い込み、本当は感染していなかったとも言われています。《叫び》に見られるように、ムンクは不安な気持ちを絵画で表現した画家です。スペイン風邪のパンデミックによる世の中の雰囲気を敏感に感じ取っていたのは間違いありません。

 植野先生のブログ記事に詳しく書かれているように、スペイン風邪で命を落とした画家も少なくなく、西洋美術ではエゴン・シーレ(1890-1918)などもこの病気で亡くなったことが知られています。一方、ムンクは無事に回復することができ、病み上がりの自画像も残しています。(《スペイン風邪後の自画像》1919年、59 x 73cm、油彩・カンヴァス、ムンク美術館 https://munch.emuseum.com/en/objects/2858/selvportrett-etter-spanskesyken)書斎でジャケットを着たムンクが描かれており、どうにか日常の生活に戻れた様子が伺われます。この絵は2018年秋から翌年1月まで東京都美術館で行われた『ムンク展―共鳴する魂の叫び』展にも出品されました。

 昨今、新型コロナウィルスの感染者(陽性者)数が急増しており、第二波の到来とも言われています。スペイン風邪の時には、1918年3月に流行が始まり、秋に第二波が押し寄せ、年明けに第三波が到来したようです。今回ご紹介したムンクの絵はいずれも1919年に制作されています。このように過去を鑑みることも、今の状況を考えるためには必要なのかもしれません。一日も早くコロナが終息することを願っています。

2020年8月3日月曜日

中世ヨーロッパにおける健康、あるいは医師としてのイエス・キリスト

「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、宗教学の小笠原史樹先生です。


昨年9月、九州産業大学で開催された某シンポジウムで登壇した際、「中世ヨーロッパにおける健康」について質問されて何も思いつかず、「今後の課題にさせて下さい」と答えた。「今後の課題にさせて下さい」とは、つまり「わかりません、ごめんなさい、許して下さい」という意味である……いや、このまま何もせずにいると、そのような意味になってしまう……。

もし今、改めてこの質問に応答しようと試みるならば、何が話せるだろう? 付け焼き刃に西洋史関連の本を紐解きつつ、知ったかぶりをして、例えば、次のように話してみることができるかもしれない。

「中世ヨーロッパにおける『健康』に関しては、月並みですが、とりあえず二つの文脈について考えてみる必要があります。一つ目は、古代ギリシアやイスラーム世界の影響を受けた、当時の医学です。宇宙が空気、水、火、土という四つの元素から成り立つのに対応して、人間の身体も血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁という四つの体液から成り立つ、という『体液説』があり、この説によれば、健康とは、これらの体液のバランスがとれている状態のことで、逆に病気とは、これらの体液のバランスが崩れている状態のことです。体液の割合によって、その人の性格・気質も決定される、と見なされており、血液の多い体質の人は明るく、粘液質の人は鈍重、黄胆汁質の人は怒りっぽく、黒胆汁質の人は憂鬱、とされたりします。」

「体液の割合は人によって異なるため、どのような状態が『バランスのとれている状態=健康』なのか、という点が個々人によって変わってくるだろうことも、興味深いところです。また、人間の身体が宇宙との対応関係で捉えられている、という点を特に強調するならば、健康とは、人間が宇宙の秩序を体現していること、あるいは人間と宇宙とのバランスがとれていることであり、病気はその逆、とも言えそうです。なお、健康な生活のためのポイントとして、呼吸、飲食、運動、睡眠、排泄などと並んで、情念について論じられることもあり、健康は単に、身体だけの問題として捉えられているわけではありません。」

「考慮すべき二つ目の文脈は、キリスト教です。この場合も、やはり人間と宇宙・世界との関係が問題になります。人間は神によって、この世界の秩序を体現し、この世界に調和する存在として創造された。しかし、最初の人間であるアダムが罪を犯したため、今や人間は堕落し、世界の秩序を乱している。この悲惨な状態からの完全な救済は、イエス・キリストを通して、終末のときに実現される――。以上のような、①堕落以前の健全な状態(健康)、②堕落後の病める状態(病気)、③最後の治癒・回復(健康)、という三段階の流れが、上記の『体液説』に重なります。バランスのとれた存在として創造されたはずの人間において、にもかかわらず体液のバランスが崩れるのは、アダムが犯した罪の故。①から③へ向かう大きな流れの中で、つまり『かつて健康であり、今病んでいるが、やがて癒される』という『旅』の途上で、人間は健康や病気を経験しながら生きている、というわけです。」

「人間の身体内部の調和、人間と宇宙・世界との調和に、さらに人間と神との調和の問題が加わってくる。医学的な『健康/病気』と神学的な『健康/病気』が重なる。まずはこの点に、中世ヨーロッパにおける『健康』の特徴を見ることができそうです。」

……と書いてはみたものの、しかし、この説明はあまりにも大雑把すぎるし、不正確でもある。そもそも「中世ヨーロッパ」という言葉でどの範囲を指すのか、より明確にしない限り、ちゃんと何かを説明したことにはならない。しかも最近、文化学科の新入生を対象にした必修科目で、「高校までの勉強と大学での勉強の違いは、一次資料を使うかどうかにある。大学では、教科書を暗記するのではなく、教科書を疑う。一次資料まで遡って調べ直し、教科書を書き直す」とか、偉そうに話したにもかかわらず、上記の説明では一次資料を使っていない……。

医学的な「健康/病気」と神学的な「健康/病気」が重なる、という点も、決して中世に固有なものではなく、他の時代にも見られる。今更ながら、ほんの少しだけ一次資料を参照してみると、例えば古代末期、4世紀後半から5世紀前半に生きたアウグスティヌスは、『キリスト教の教えについて』(De doctrina christiana)という著作において、次のように述べている。

Sicut autem curatio via est ad sanitatem, sic ista curatio peccatores sanandos reficiendosque suscepit.(…)sic Sapientia Dei hominem curans seipsam exhibuit ad sanandum, ipsa medicus, ipsa medicina. Quia ergo per superbiam homo lapsus est, humilitatem adhibuit ad sanandum. Serpentis sapientia decepti sumus, Dei stultitia liberamur.(1, 14, 13)

試訳:
ところで、〔医師による〕治療が健康への道であるように、〔イエス・キリストによる〕この治療が罪人たちに施されたのは、彼らを健康にして、回復させるためである。(中略)このような仕方で、人間を治療する神の知恵は、〔人間を〕健康にするために自分自身を差し出したのであり、知恵自らが医師となり、知恵自らが薬となった。したがって、人間が滑り落ちたのは傲慢によってであるが故に、〔神の知恵は〕〔人間を〕健康にするために謙遜を用いた。我々は蛇の知恵によって欺かれたが、神の愚かさによって解放される。(〔 〕内は引用者による補足)

引用した箇所の直前で論じられているのは、神の知恵・言葉が肉をまとって人間になったこと、いわゆる「受肉」であり、引用中の「人間を治療する神の知恵」はイエス・キリストを指す、と読める。エデンの園において、賢い蛇の誘惑と自らの傲慢とによって堕落した人間を、イエス・キリストが愚かさと謙遜によって救済する。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」(新約聖書『コリントの信徒への手紙一』1章25節、新共同訳)。堕落した罪人である人間をイエス・キリストが救済する、という出来事が、病人を医師が健康にする、というイメージで語られている。

同様の語り方は新約聖書にも見られるし、もちろんアウグスティヌスの議論は、そのような語り方を踏まえたものである。紀元後1世紀の後半に成立したとされる『マルコ福音書』には、イエス自身の言葉として「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と記されている(2章17節、新共同訳)。

アウグスティヌスからの引用に関しても上記の『マルコ福音書』の言葉に関しても、イエスが医師・医者というイメージで語られるのは、あくまでも一種の比喩にすぎない、とも読めるが、しかし「医師としてのイエス・キリスト」というモチーフ自体は、単なる比喩に留まるものではない。福音書には、イエスが実際に病人たちを治療する、という奇跡の物語が多く登場するし、イエスの生涯に関する西洋の絵画などにおいても、これらのエピソードは繰り返し取り上げられている。

人間の罪を赦す救済者としてのイエス・キリストが、同時に、人間の病を癒す医師としても描かれるとき、「人間の罪≒人間の病」という見方もまた強化されるだろう、と想像される。ただし、他方で福音書には、このような見方を否定している箇所もある。

「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。(中略)」こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。」(『ヨハネ福音書』9章1-7節、新共同訳)

この箇所でも、「生まれつき目が見えない」という状態がやはり神学的に、神との関連で意味づけられ、「神の業がこの人に現れるためである」と解釈されているが、この状態が誰かの罪による、という解釈は否定されている。当該の状態を「病」と呼ぶことが妥当かどうかはともかく、病を罪と結びつけるタイプの「中世ヨーロッパ流」の考え方が、そのまま福音書の考え方でもある、とは限らない。

結局、「中世ヨーロッパ」においてであれ、古代から中世、さらに近代・現代へ至る「キリスト教」においてであれ、ある事柄がどのように理解されていたのかについて、わかりやすくすっきりと説明するのは難しい……というまとめ方は、少なくとも私の場合、致命的な不勉強の言い訳でしかないとして、とはいえ常日頃、特定の時代や地域、特定の宗教に関してはもちろん、一人の思想家、一冊の本についても、とにかく「わかった気になる」ことだけは避けよう、とは思っていたりする。その意味で、私にとって学問とは、何かがわかるようになっていく過程であるよりも、むしろ何かがわからなくなっていく過程に他ならず、そしてその体験は案外、心地よくもある。

中世ヨーロッパにおける健康については、12世紀の修道女、ビンゲンのヒルデガルトが書いたらしき『原因と治療(Causae et Curae)』から読み始めてみるのが面白そうで、「医師としてのイエス・キリスト」というモチーフについては、初期キリスト教の思想家たちの著作を一つ一つ、丁寧に読み直していく作業が楽しそうな気がする。どちらも、今後の課題にさせて下さい……。


参考文献:
『聖書 新共同訳』、日本聖書協会、1987年
『アウグスティヌス著作集 第6巻:キリスト教の教え』、加藤武訳、教文館、1988年
ハインリッヒ・シッパーゲス『中世の医学 治療と養生の文化史』、大橋博司・他訳、人文書院、1988年
ハインリッヒ・シッパーゲス『中世の患者』、濱中淑彦監訳、人文書院、1993年
池上俊一『身体の中世』、ちくま学芸文庫、2001年
久木田直江『医療と身体の図像学――宗教とジェンダーで読み解く西洋中世医学の文化史』、知泉書館、2014年
田川建三『イエスという男 逆説的反抗者の生と死』、三一書房、1980年
山形孝夫『治癒神イエスの誕生』、ちくま学芸文庫、2010年
山辺規子「『健康全書 Tacuinum Sanitatis』研究序説」、『奈良女子大学文学部研究教育年報』第1号、2005年、101-111頁

参考サイト:
Aurelius Augustinus, De doctrina christiana
http://www.augustinus.it/latino/dottrina_cristiana/index.htm
鈴木晃仁「医学史とはどんな学問か 第1章 ギリシア・ローマ文明とキリスト教における医学と医療」
 https://keisobiblio.com/2016/02/23/suzuki01/
鈴木晃仁「医学史とはどんな学問か 第2章 中世ヨーロッパにおける医学・疾病・身体」
 https://keisobiblio.com/2016/03/16/suzuki02/