2023年9月14日木曜日

2023年度 卒業論文相談会のご案内(LC21台/3年次対象)

卒業論文相談会のご案内(LC21台/3年生対象)


 文化学科では、10月上旬の「卒業論文指導願」提出期限に先立ち、3年生を対象に卒業論文の相談会を開催します。文化学科において「卒業論文」は必修科目ではありませんが、大学での学びの集大成として、ぜひ卒業論文に取り組んでみませんか。

 当日は、卒業論文の手続きについて説明を受けた後、学科教員と卒論について個別に相談することができます。卒業論文執筆に興味・関心のある皆さんは、ぜひご出席ください。(この相談会に先立ち、自分の研究テーマについて本を読んだり資料を集めたりといった具体的作業を進めておくことも推奨します。)


 日   時 : 2023年9月29日(金)16:20~

 場   所 : 文系センター15階 第5会議室

 スケジュール:

       16:20~   手続きに関する全体説明

       16:35分頃~ 各教員との個別相談


 卒業論文を書くために必要な手続きについては、『2023年度版 文化学科教員紹介』の「卒業論文を書くために――卒業論文をめぐるQ&A」もご確認ください。

                                                         以上

2023年8月7日月曜日

人工知能と夏休み

 「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は,哲学・倫理学の林誓雄先生です。



人工知能と夏休み

林誓雄(哲学・倫理学)

 今話題の生成型人工知能を使って書かれたレポートに,どのように対応するのか。学生が,自分の力で作成したものではないのだから,不正行為の産物と判断するのか。しかしその判断は教員側に可能なものなのか。むしろ人工知能をうまく使いこなせるようにするための指導や教育が必要なのではないか,などなど,各所で議論が盛り上がりを見せている。

 一方で,例えば前期の社会思想史の課題として提出されたレポートを,あるいは学会誌に投稿された学術論文を,人工知能を使って評価・審査することができるのだとしたら,あるいは人工知能が代わりに評価・審査してくれるようになるのだとしたら,評価・審査の効率が格段にあがることで教員・審査者の負担が劇的に減るだけでなく,学生さんや投稿者に対する評価・審査の的確性や公正性も大幅に向上することになり,それは間違いなく,学生さん・投稿者・教員・審査者にとってのみならず,世界全体にとって好ましいことなのではないかと,ぼんやり夢を描いてみることがある。しかしながら,やはりそれは夢でしかないのだろうと,大変悲しい気持ちにもなるのである。レポートや論文の評価・審査は,どこまでいっても,いつまでたっても,人間にしかできないものと思われるからである。

 「基礎演習」において通常は学び,私の「論理学」の授業でも触れることだが,レポートや論文には,論証が含まれていなければならず,その論証は,筆者のテーゼ・仮説・主張や意見と,それらを支える理由・根拠から構成されていなければならない。そこでまずは,どれがテーゼであり,それをどの理由・根拠が支えているのかを特定する作業が始まる。その際,その理由・根拠はテーゼを十分に支えていると言いうるのかを確認することになるわけだが,その「十分に支える」ということで一体なにを意味しているのか,なにを基準に「十分に」と判断するのか,そもそも,それら理由・根拠として提示されているものは「理由・根拠」としての役割を果たしえるものなのか,一方で示されている理由・根拠は,他方で示されている別の理由・根拠とうまく整合するのかなどなど,こうした諸々の事柄が評価・審査においては問われることになるし,こうしたことについて教員・審査者は考え,判断を下さねばならない。さらには,そうした根拠づけ関係が適切であると判断できるとしても,それによって導き出されるテーゼ・仮説・主張には,どのような意味・意義・ご利益があるのか。そのテーゼを提出することでそのレポート・論文は,当該の領域に対して,あるいは学術業界全体に対して,どのような影響を及ぼすことになるのか。そうした諸々を考えあわせることによってようやく,当該レポートに「可」以上をつけるのかどうかについて,あるいは当該論文を雑誌に掲載するかどうかについて,最終的な判断が下されることになる。

 さて巷で注目を浴びている人工知能に,あるいは今後,さらに進歩を遂げるであろう人工知能に,以上のようなことは,果たして可能であるのだろうか。私には,そのようなことは部分的にでさえ,不可能であるのだろうと思えてならない。当該の領域や学術業界全体に対する「影響」とはいったいどのようなものであって,それを評価する場合に,何を人工知能に実装すればよいのか。そんなものを実装することなど,可能であるのか。論文の「意味・意義・ご利益」とは,数学的な・統計的な計算によって,どうやったら弾き出すことができるのか。そもそも,レポートや論文において論証されることで示されるテーゼ・仮説・主張というものは,これまでにない新しくも独創的で面白いものであるはずである。そうした「新しさ」「独創性」「面白さ」を備えたテーゼ・仮説・主張は,「これまで」に存在しないからこそ,新しいし独創的だし面白いと評価されるのである。だとしたら,「これまで」にしか依拠できない計算機・人工知能には,そういったものを理解・実装することなど,できはしないと考えられるのである。レポートや論文には,その筆者の「想い」が乗る。そしてその「想い」をしっかりと受け止めた上で,レポートや論文を吟味し評価を下すことができるのはやはり,同じ「想い」を持ち合わせた仲間であるところの人間だけである,そのように思われるのである。

 世間を騒がせている人工知能には,文章を手際よくまとめることができるそうである。そうやって要点のみを手早くおさえることが,そしてタイムパフォーマンスを極限まで追求することが,この現代を生きるために求められていることのようにも思える。そのような現代に生きるわれわれは,文章というものを,人間の紡ぎ出した言葉たちを,じっくりゆっくり読むということを,そして時間をかけてそれについて,あれやこれやと考え続けるということを,いつの間にかしなくなってしまっているのかも,しれない。しかし,そのままでは,他人の言うこと・書くことを,間違って受け取ってしまうことに,なりかねない。あるいは,論理的に文章を書いたり読んだり,できなくなるように思えるのだ。

 「論理」というと,人工知能や計算機と即座に結びつく,それこそ効率や処理の速さと深く関係しているものと思われがちである。だけれども,実は真逆であるのだと,私は考えている。論証において,何が「根拠」でどれが「主張」なのか。それを見極めることさえ,容易なことではないように思える。人間が,文章の意味や概念を丁寧に拾うことで,あるいは筆者の想いを大切に汲み上げることによって,ようやく見えてくるものが主張であり根拠なのだと思われるのである。それこそ,世界の側に客観的に存在し,だからこそ容易に人工知能に実装できるであろうと思われがちな原因と結果の関係ですら,なにをどう理解すれば捉えることができるのか,不明なままである(因果関係はまさに,いまだ決定的な答えが出ていない「哲学の難問」の一つである。一体何が,原因と結果の関係を決めているのだろう。だれか私に,教えてくれませんか?)。「因果関係」ですら,おそらくは人工知能への実装が難しいと思われるのに,いわんや「主張-根拠関係」など,その実装は夢のまた夢としか,思えないのである。

 ちなみに,今話題沸騰中の人工知能に,私の授業「論理学A」のテスト問題の一部を解かせてみたのだが,見事に不正解を連発したのは,個人的に大変興味深いところであった。件の人工知能4.0ver.は,「前件否定の誤謬」も捉えられないばかりか,適切な接続表現を選ぶ問題すら間違うことが多い,という顛末であった。もちろん,このブログを読んでいるみなさんは,(人工知能が間違えた)次の問題くらい,いとも容易く解けますよね? だって,みなさんは,論理的思考力を鍛えられた,人間のはず,ですもの?

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 問題 次の論証は演繹(100%正しく,一つの結論を導き出だしているもの)か,
    それとも,推測(他の結論も出てしまうもの)か。
   
    根拠:雨が降ったら,オープンキャンパスは中止だ。
    根拠:を。。。雨は降っていない。
    結論:なら,オープンキャンパスは中止じゃない! やーりー!

 解答        演繹 / 推測
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 人間が,論理的に,文章を読んだり書いたりするには,実はとてつもなく時間がかかるものである。あるいは,とてつもない時間をかけないと,論理的に文章を読んだり書いたりはできない。だから焦らずゆっくりと,文章を読み進めてみてほしい,急がずじっくりと,文章を書いてみてほしいと思うのである。もちろん世間は,効率や処理速度にこだわりがちだけれど,それをいったんこの夏くらいは脇において,好きな本を読むときには,あるいはレポートや論文を書くときくらいは,じっくりゆっくり時間をかけてみてほしい。

 というわけで(どういうわけで?),効率やら処理速度やらを求められることについては,それこそ人工知能や計算機に任せておいて,われわれ人間は,じっくりゆっくりと,ああでもないこうでもないと,ダラダラノロノロ考えることにするとしよう。われわれはきっともっと,ノロく遅く本を読んだり,じっくりゆっくりと何かについて考えたりしていてよいのである。だってわれわれ人間は,ほんとうにちっぽけで愚かでノロマな存在なのだから。ノロくて愚かでちっぽけだということを言い訳にして,この夏休みもゆっくりじっくり,アイスコーヒー片手に,本を読むことにするとしよう。ひどい暑さが続いている。ときには酷い夕立だってやってくる。そのような外に出るのは,とてつもなく億劫で面倒なので,長いあいだ,積ん読にしてほったらかしにしていた数多くの本たちに「ごめんなさい」と謝ったうえで,それらをじっくりゆっくり噛み締めながら,のんびりゆったり読むことにしよう。

2023年7月31日月曜日

2023年度 オープンキャンパスのご案内

2023度オープンキャンパスの文化学科関係のお知らせです。

模擬講義および個別相談・資料展示を行います。

今年の模擬講義テーマは「文化学科で学ぶ「笑い」」です。


会場内に貼ってあるポスター(下画像の右側)を目印にどうぞ。

たくさんのご来場をお待ちしております。


1.模擬講義「文化学科で学ぶ「笑い」」

1)「心理学における「笑い」」

       会場・A棟4階 A402教室

       時間・11:10 - 11:40

       講師・古川善也 先生

2)「西洋美術における「笑い」」

       会場・A棟4階 A401教室

       時間・13:00 - 13:30

       講師・浦上雅司 先生



2.個別相談 / 資料展示

       会場・A棟7階 A703教室

       時間・10:00 - 16:00


・福岡大学オープンキャンパス関係HP *参加には事前予約が必要です。

  https://nyushi.fukuoka-u.ac.jp/p/2023oc/


・配布物

 『文化学科卒業生・在学生名鑑 2023』(下画像の左側)




 

2023年7月12日水曜日

シンポジウム「九鬼周造と西田幾多郎における永遠と現在ー近代日本哲学の時間論と現代時間論との交差点ー」

みなさま

文化学科教員の竹花です。来週の21日(金)に下記の要領で時間論をめぐるシンポジウムを行います。

タイトル;九鬼周造と西田幾多郎における永遠と現在ー近代日本哲学の時間論と現代時間論との交差点ー
日時;2023年7月21日(金)14:00〜17:00
場所;福岡大学A棟601教室
開催形態;ハイブリッド
提題者;平井靖史(慶應義塾大学文学部)・竹花洋佑(福岡大学)

ご存知のとおり、平井先生はベルクソン哲学・時間論研究の第一人者で、昨年まで福大に勤めておられました。わたくし竹花は近代日本哲学を専門とする研究者です。九鬼周造そして西田幾多郎の時間論は共に、現在と永遠という問題に注目するものですが、両者ともかなり独特の議論を展開しています。九鬼の場合は回帰する時間を説きますし、西田の場合は時間の問題は自己と他者の問題につながっていきます。こうした時間の議論がどのような意味を持つのかということを、昨年現代時間論の観点から平井先生と議論していきます。

参加された会場のみなさんともじっくり議論したいと思いますので、哲学に関心のある方はふるってご参加ください。

ハイブリッドでの参加を希望される方は、以下のフォームより必要事項を登録して下さい。登録後Zoomのリンクが送られます。
https://forms.gle/oJRo64E8DyhBf5r97

なお、このイベントは「マキコミヤ2023」の一環となります。
https://www.project-makikomiya.com

竹花洋佑



2023年5月30日火曜日

福岡城下町・博多の景観変化


  「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、地理学の藤村健一先生です。

福岡城下町・博多の景観変化

藤村健一(地理学)

昨年の9月と10月に、「城南市民カレッジ歴史講座」の一環として、福岡市城南区の別府公民館にて、地元福岡市の歴史地理に関する市民講座を行いました。今回のブログでは、この講座内容の一部をご紹介します。

1.歴史地理学とは何か

 最初に、「歴史地理学」という分野について講義を行いました。

 歴史地理学はその名の通り、地理学と歴史学にまたがる分野です。地理学とは、ようするに地表面上の空間に関する学問です。一方、歴史学は人類の過去、すなわち時間に関する学問です。ですので歴史地理学は、空間と時間を共に考察しようとします。

 空間と時間を共に考察するために、次の(1)~(3)の手順を踏みます(図1)。

(1) ある地域の過去の一時期における景観・風景・統計値を復元(復原)する。
(2) 同様の復元作業を、他の時期に関しても行う。
(3) 復元された景観・風景・統計値を比較し、それらの歴史的変化の過程を考察する。


図1 歴史地理学の方法(藤村作成)

 ただし、各時代の地域の景観等を示す史料がいつも都合よく見つかるとは限りません。見つからない場合、次善の策として、研究対象とする時代に最も近い時代の史料を用いて、その時代の景観を推定する間接的方法を採ります(表1)。たとえば、近世の日本には地形図は存在しませんでした。そこで当時の地形を、明治期に作られた旧版地形図(仮製地形図など)を通して推定することがあります。

(桑原公徳『歴史景観の復原』古今書院、1992年)


2.福岡城下町・博多の景観変化を示す地図

 講座では、江戸期の絵図と近現代の地形図を使って、19世紀初頭・19世紀末・21世紀初頭の福岡城下町・博多の市街地を比較する作業を行いました。

 作業を始める前に、「絵図」と「地形図」について説明します。

 近世以前の地図は通例「絵図」と呼ばれます。絵画は日本画のような表現をとっていますが、地図記号のような一定のパターンが見られます。しかし、測量結果に基づいて作られた近代以降の地図とは異なり、方位・縮尺がいいかげんです(作成者が強調したいところが大きく詳細に描かれる傾向にあります)。

 そのため、絵図を用いて過去の景観を知るためには、近代以降の地図と比較し、絵図のどの部分が現実のどの地域を表現しているのかを確認する作業(現地比定)が必要です。

 「地形図」とは、地表の起伏を等高線で、主な建物や植生、土地利用の分布を地図記号で記した一般図です。近代国家が自国の国土を掌握するために、国土の全域を統一された規格により作成します。日本では現在、国土交通省の付属機関である国土地理院が作成しています。1945年までは、陸軍の参謀本部の陸地測量部が作成していました。

 今回は次の①~③の絵図・地形図を使用します(講座では参加者にコピーを配布しました)。

①「福岡城下町・博多・近隣古図」1812(文化9)年写
 本図は九州大学附属図書館がweb上で公開しています。
 https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/exhibition/1523931_annotation
 上記リンクの絵図画像をクリックすると、絵図の全体像が表示されます。絵図には建物名や居住者名、町名などが書き込まれています。全体像では図中の文字が小さすぎて読めませんが、マウスで拡大すると読むことができます。
 なお本図に関しては、『古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み』(宮崎克則・福岡アーカイブ研究会編、海鳥社、2005年)に詳しい解説があります。

② 陸地測量部発行 正式2万分の1地形図「福岡」「博多」「箱崎」〔いずれも明治33(1900)年測図〕
 https://fukuoka-u.box.com/s/zmyircf83gr3zfhiku9biake9k5qnil5
 福岡市を対象とした近代的測量による地図(地形図)としては最古で、江戸後期~幕末の様子をある程度とどめていると思われます。市街地や集落の箇所は、黒色や斜線で示されています。
 これらは『正式二万分一地形図集成』(地図資料編纂会編、柏書房、2001年)に収載されています。原図は福岡県立図書館のふくおか資料室で見ることができます。

③ 国土地理院発行 5万分の1地形図「福岡」〔平成17(2005)年要部修正〕
 現代の地形図です。②図・③図は同じ縮尺になるように拡大・縮小しています。
 https://fukuoka-u.box.com/s/777lu55dv75ad4h473nvxy5eu7l6yay9


3.福岡城下町・博多の景観変化の分析作業

 それではいよいよ、福岡城下町・博多を対象として、絵図(①)と旧版地形図(②)の比較による現地比定、ならびに新旧地形図(②・③)の比較を行います。講座の参加者の皆さんには、下記の作業を実際に行っていただきました。

<作業ア>
 まず①図の全体像を眺めてみてください。左側に福岡城と城下町が、右側に博多の町が描かれているのが分かります。両者の間に中洲と那珂川があります。

 福岡城下町の部分には武家屋敷の所有者名、博多の部分には各町名などが書かれています。こうした文字が書き込まれている範囲が、おおむね当時の市街地の領域であったと思われます。そこで、19世紀初頭の福岡・博多市街地のおおまかな範囲を推定し、当時の市街地の外縁を②図に色ペンで記入してください。

 ※一般に絵図の縁辺部では縮尺を度外視して省略表現を用いることが多く、①図では城南部(福岡城の南側のエリア)の表現に歪みが生じています。そのため、城南部はどこまでが市街地だったか(福岡城下町の南限はどこか)がはっきりしません。とりあえず腰だめで書いてみてください。


<作業イ> ①・②図には紺屋町堀(中堀)、肥前堀(佐賀堀)、薬院川(三光橋~林毛橋)が描かれています(図2)。しかし③図にはこれらはみあたりません。そこで、③図にかつての紺屋町堀、肥前堀、薬院川の位置を色ペンで記入してください。

図2 ①図における紺屋町堀・肥前堀・薬院川の位置

<作業ウ> ①・②図の海岸線はほとんど同位置と思われますが、③図には埋立地が描かれており海岸線は①・②図と大きく異なります。そこで、②図の海岸線(おおまかなもので構いません)を③図に色ペンで記入してください。

<作業エ> 作業アで②図に引いた線をみながら、文化年間の福岡・博多市街地の外縁を③図に色ペンで記入してください。

<作業オ> ②図には西鉄天神大牟田線が描かれていません。また、博多駅の位置も現在と違っており、鹿児島本線も一部区間で現在と異なる位置にあります。そこで、西鉄天神大牟田線の路線と駅、鹿児島本線の路線(現在と異なる区間のみ)と現在の博多駅の位置を、それぞれ②図に色ペンで記入してください。

※埼玉大学の谷謙二教授が運営する「今昔マップon the web」(http://ktgis.net/kjmapw/)では、過去の2万5千分の1地形図を閲覧し、現在の地図と比較することができます。これを参考にすると、作業オは比較的簡単にできます。

 まずは作業ア~オを一通りやってみてください。一連の作業が終わったら②・③図の解答例をお見せします。


4.作業結果(解答例)の紹介

<②図の解答例>
https://fukuoka-u.box.com/s/pmvfcpg645d67z5dq3qc7inv00wuixg1

 図の赤枠が、江戸後期(19世紀初頭)の福岡城下町・博多の市街地の推定範囲です。福岡城下町は博多湾沿いを東西にのびており、西端が西新・藤崎の付近、東端は那珂川河岸、南端が現在の桜坂・谷の付近です。今泉・警固の付近は寺町になっており、ここも城下町の端にあたります。

 博多の町は博多湾と那珂川・御笠川に囲まれたエリアにありました。東端は御供所町・祇園町の付近です。この付近も寺町になっています。

 ②図には初代博多駅が描かれています。博多駅は、当時の市街地縁辺であった祇園町に接する町はずれにありました。

 ①図の江戸後期から1世紀近くが過ぎた明治33年(1900年)になっても、市街地の範囲があまり変わっておらず、周囲の都市化が進んでいないことが分かります。福岡城下町に関しては、江戸後期よりもむしろ市街地の範囲が縮小しているようです。

 たとえば福岡城の北西にあたる荒戸(現在、福岡大学附属若葉高校があります)や唐人町の付近には、桑畑の地図記号が描かれています。『古地図の中の福岡・博多』によれば、江戸期の荒戸町は中・上級藩士の屋敷地であり、広い敷地を持つ武家屋敷が並んでいました。しかし明治初期の廃藩置県の後、仕官先を失った居住者が退去するなどしてこの一帯は荒廃し、農地になったようです。

 当時の日本では生糸が主な輸出品であったため、蚕のえさとなる桑の栽培が各地で盛んでした。桑の栽培は水田稲作よりも容易に始めることができたので、空き地になった旧武家屋敷地に桑畑が成立したと思われます。

 余談ですが、同様に明治維新後に旧武家地が農地・空き地などとなり、城下町の市街地が縮小する現象が全国各地でみられたようです。現在、山口県の萩城下町では、かつての武家地のエリアで夏みかんが栽培されていますが、これも明治期に空き地になっていた旧武家屋敷の跡地利用策として始まったものです(「萩の夏みかん」萩市役所ウェブサイト https://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/45/518.html)。

 東京でも、山の手の旧大名・旗本屋敷地が明治維新後に荒廃したため、困った明治政府がこうした土地に茶や桑の栽培を奨励しました。これを「桑茶政策」と言います(東京都編・発行『都史紀要13 明治初年の武家地処理問題』1965年)。明治前期の地形図によれば、麻布・青山など当時の山の手縁辺部には桑畑・茶畑や雑木林が広がっていました。

 なお、福岡城の東側の天神・大名エリアも江戸期は武家屋敷地でしたが、こちらは明治になっても農地化した様子はうかがえません。天神に県庁や市役所が置かれ、この付近が福岡の都心を形成するようになったことが関係していると思われます。

 市街地の道路は、江戸期とあまり変わっていないようです。天神地区と大名地区は、その境界にあたる天神西通りを挟んで街路パターンが異なっており、東西方向に直進で通り抜けることができません。このような、突き当りの多い食い違いのある街路パターンは城下町に典型的に見られるものです。

 図には、青線で現在の西鉄とJR鹿児島本線を示しました。博多駅は1963年に現在の位置に移転しましたが、この場所は明治期には水田が広がる農業地域だったことが分かります。西鉄天神大牟田線はまだ開通していません。この沿線も当時、天神付近のほかは市街地化が進んでいませんでした。

<③図の解答例>
https://fukuoka-u.box.com/s/xkcl5p1mnq4l1998xad51yoq8ft9kt9e

 この図にも、赤枠で江戸後期の市街地の推定範囲を示しました。現在の福岡市街はかつての城下町や博多の範囲をはるかに超えて拡大しており、かつて農地と化していた荒戸などの旧武家地にも田畑の地図記号はもはや見られません。

 現在、一般に「博多」と言えば博多駅周辺を指すことが多いのですが、このエリアは江戸期の博多の中心地から1km程度離れた所になります。

 この図で赤く塗りつぶされた箇所は、かつて紺屋町堀・肥前堀・薬院川があった所です。薬院川は現在の国体道路の付近を流れていました。薬院川にかかっていた三光橋は、現在は国体道路の橋になっています。

 紺屋町堀と肥前堀は1900年頃はまだ残っていますが、前者は大正期、後者は明治末期にそれぞれ埋め立てられました(『古地図の中の福岡・博多』)。この一帯は、西から順に福岡県福岡西総合庁舎、ハローワーク、稚加栄(料亭)、郵政アパート、歯科医師会館、岩田屋本館、ソラリアプラザ、福岡市役所を経て、天神中央公園に至るエリアです。すっかり市街地化しており、堀の名残はありません。ただ、公的機関の施設や広い土地を要する大規模施設が比較的多い印象です。これは、ここが埋立地だったことに起因するのかもしれません。

 この図には青線で、江戸後期の海岸線の推定位置を記入しています。これを見ると、埋立地は道路が広く、街区パターンが旧市街地とは異なっているのが見て取れます。

 長くなりましたので、今回のブログはこの辺でおしまいにします。講座では他にもさまざまな課題に取り組みましたが、これらについてはいずれ機会があればブログに記します。

2023年5月27日土曜日

令和5年度 文化学科ガイダンスゼミナール & 新入生歓迎会 (学生記事)

  4月15日に行われたLCガイダンスゼミナールと新入生歓迎会の様子について、上級生サポーターとして参加した文化学科3年生の栗﨑結依さんにレポートしてもらいました。

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LC21台 栗﨑結依

 2023年4月15日(土)、A棟・中央図書館にて、文化学科ガイダンスゼミナール並びにコロナ禍から4年ぶりの開催となった新入生歓迎会が催されました。ガイダンスゼミナールは、「文化学科で何を如何に学ぶか」を実感するための催しで、コロナ禍を除いて、毎年4月に新入生を対象に開催されています。

 今年度のテーマは、文化学科で考える〈説明と理解〉でした。最初に、哲学・宗教学の立場から小笠原史樹先生より提題して頂き、その後、文化人類学・民俗学の立場から髙岡弘幸先生より提題して頂きました。そして、2つの講義を受けた後、基礎演習のグループごとに1つのテーマを定め、それに関する複数の説明と理解のあり方を調べ、それらについて考察し、発表をするという課題に取り組みました。

 まず2つの講義のうち小笠原先生は、

・どのような説明が求められるかによって、適切な説明は異なり、必ずしも科学的であることが正しい説明であるとは限らない

・間違っていると証明される可能性があるかどうかという基準で、科学的かどうかを判断しようとする方法が、批判もあるが問題点は克服されており、特に科学と宗教の区別に関しては有効である

・多様な説明の可能性と「説明しない」という可能性を考えることの重要性

 これらについて、新約聖書のヨハネによる福音書9:1−7の生まれつき目が見えない人がイエスによって癒されたという話、「カラスは黒い」「人から物を盗んで返さなかった者は、来世で牛に生まれ変わる」という二つの命題などからお話になりました。



 一方で、髙岡先生は、

・文化人類学・民俗学が、私たちのような「普通」の人々が日々営む暮らしのことで、当たり前すぎてその「意味」や「変化」、「始まり」などを考えないものである生活文化の研究である

・普通の人々が残した「説明」と「理解」

・何らかの「災厄」に見舞われたとき、その「災厄」が生じる説明としての様々な「妖怪」

 これらについて、北陸地方の「ミズシ」という河童のような妖怪の不可視性という視覚的特徴の欠如、ヌリカベ、算盤坊主の怪しい坊主に化けた「狸」という説明と自殺した小坊主の「幽霊」という説明の違い、『耳嚢』巻の7「退気之法尤之事(たいきのほうもっとものこと)」などをもとに、お話しになりました。

 今回、新入生は、「愛」「第六感」「運命」「死」「宗教」「江戸・明治における外国人像」など様々なテーマを自分達で設定して発表しました。大学に入るまでは、試験のために一つの定められた説明を理解していましたが、文化学科での学びでは、複数の説明と理解から物事を考えることが増えます。その第一歩として、今回のガイダンスゼミナールが良いものになったのではないでしょうか。また、高校までの学習において、自分たちでテーマを設定し、グループで調べて、大勢の前で発表するという機会は、なかなか経験しないことですが、きちんと話し合ってハキハキと発表していて良かったなと感じました。


 ゼミ終了後は、ひだまりにて、新入生歓迎会が催されました。豪華なお料理を頂き、交友関係を深めることができました。それぞれ、今回のガイダンスゼミナールをどう思ったか、サークル活動などの大学生活などについて話していて、とても有意義な時間を過ごしていました。




2023年5月19日金曜日

古川善也先生

 


□古川善也先生のブログ記事
善と悪はコインの裏表みたいなものかも

□古川善也先生の授業紹介



教員一覧に戻る

□研究室 : 文系センター棟8階 801号室

□専門分野 : 社会心理学、感情心理学 (→心理学って?)

□現在の研究テーマ:
 罪悪感の社会的機能、モラルライセンシング
 
□教育研究活動:
 人は、それが実践できているかは兎も角として、道徳的でありたいと多かれ少なかれ思っています。ただ、実際には様々な誘惑やミスから、他人を傷つけたり、迷惑をかけてしまったり、他の不道徳な行いをしてしまうことがあります。その時に経験する「罪悪感」はその誤りや不道徳を償おうと人を動機づけ、謝罪やお詫びの行動、その他の向社会的行動を引き起こします。一方で反転したパターンの影響も存在します。人は善い行いをした後には、不道徳な行動への抑制が弱くなる性質があります。そのような悪い行動を許容してしまう影響を「モラルライセンシング」と言います。そのような、悪から善、善から悪といった心理について研究をしています。
 
□担当科目(2023年度):
心理学AB、文化心理学、心理学研究法、文化学演習Ⅰ・Ⅱ

□提供できる模擬講義
「社会心理学」
「感情心理学」
「進化心理学」など



□受験生へのメッセージ:
 心というのは、自分も持っているし、周りの人たちも皆持っているため、最も身近なものです。しかし、不思議なものでもあります。何でこんな風に考えるのだろう、どうしてこういう気持ちになるのだろう、あの人は何故このような事をしたのだろう、心を背景とする疑問は日常生活の中でもあふれています。文化学科ではそのような素朴な疑問を研究対象として、その答えを見つけ出す取り組みをお手伝いします。

□卒業論文について
 私の専門分野は上記の通りですが、卒業論文のテーマは特に限定しません。心理学には様々な領域、研究法がありますので、私自身も新しい学びを得ながら、一緒に皆さんの関心のあるテーマに取り組み、指導していければと考えています。