2021年9月1日水曜日

日本神話にまつわる小話:「千人」対「千五百人」

 「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、宗教学の岸根敏幸先生です。


 古事記神話の記述によれば、イザナキは妻イザナミに会おうと黄泉国を訪ねたものの、変わり果てたその姿に驚き、そこから逃げ去ろうとしました。その際、ヨモツシコメなどといった魔物的な存在からの追撃を何とか振り切りましたが、最後に立ちはだかったのはイザナミ本人でした。そこで、「事戸を度す」ことになります。「事」は「別」に通じ、「戸(ど)」は「祝詞」の「と」と同様に、言葉のもつ特別な力(言霊)を念頭に置くものでしょう。つまり、「事戸を度す」とは、呪力を用いて、死者に二度と戻って来ないよう言い渡したのです。ただし、日本書紀神話の伝承の一つに「絶妻之誓」(この四文字で「ことど」と訓読します)という記述があるのを根拠に、イザナキがイザナミに離縁を言い渡したと捉える説もあります。

 その時、二人の間で次のような会話が交わされました。
  イザナミ:如此為(かくせ)ば、汝が国の人草、一日に千頭絞(くび)り殺さむ。
  イザナキ:汝然為(なれしかせ)ば、吾、一日に千五百の産屋を立てむ。
 このようなやりとりがあったため、「一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり」ということになったとされます。ここで示されている「千人」と「千五百人」の対決が今回のテーマです。

 この「千人」「千五百人」は各々「ちたり」「ちいほたり」と訓読しておきます(「ち(の)ひと」「ちいほ(の)ひと」と訓読する説もあります)。「たり」という語は、人間を数える時、数に添えるもので、文法的には「助数詞」と呼ばれているものです。今でも使われる「ひとり」「ふたり」は、「ひとたり」「ふたたり」の音韻縮約形である可能性が考えられます。日本語ではこの助数詞が非常に発達していて、同じ対象を数えるにしても、その様態に応じて、助数詞を使い分けることがあります。例えば、生きている人間ならば、「一人」「二人」ですが、死んでしまえば、「一体」「二体」となり、骨になれば、「一柱」「二柱」となります。