2017年9月29日金曜日

LC哲学カフェ開催:ホラーを哲学する


一昨日、後期第一回目のLC哲学カフェが開催されました。タイトルは「なぜこのマンガは怖いのか?――ホラーを哲学する」。今回はいつもと異なり、はじめから特定のマンガ作品を取りあげるのではなく、各自で「このマンガが怖い、この場面が怖い」と思うような作品を持ちよる、という企画。

参加者は学生諸氏が7名に教員が3名。一応マンガから話は始まったものの、むしろ映画やお化け屋敷、ジェットコースターなどの「怖さ」を中心に、話は進んでいきました。

話題になった主な作品は下記の通り。

 マンガ
  伊藤潤二「中古レコード」、小林銅蟲『寿司 虚空編』、冨樫義博『レベルE』
  諫山創『進撃の巨人』、阿部共実『大好きが虫はタダシくんの』

 小説
  鈴木光司『リング』、山田悠介『アバター』『親指さがし』

 映画
  「貞子vs伽椰子」、「ジュラシック・ワールド」、「ヴィジット」

さて、ある作品やある場面が怖いのはなぜか。異常だから? 理由がわからないから? リアルで身近に感じられるから?

ホラー映画は暗い映画館の中で観るから怖いのであって、明るいとダメ? しかし、映画館でコメディを観て笑う、という場合もある。昼間に大勢の人に囲まれた明るい空間で、スマホで怖い動画を観てゾッとする、というケースも考えられる。

そもそも「怖い」とは何か。怖い=びっくりする? お化け屋敷の怖さは、ほとんどびっくりによるもの。しかし、怖さにはそれ以外の要素もある。怖い=身体的な反応? 例えば、心拍数が上がること。しかし、怖くなくても心拍数が上がる場合もある。「楽しい」の反対が「怖い」? しかし、わざわざホラー映画を観にいったりジェットコースターに乗ったりするのは、怖さを楽しむためのはず……?

集団心理の怖さ、対処できないことや予想できないことの怖さ。リアルな怖さとファンタジーの怖さの違い。苦手なものに注意を向けてしまうことの怖さ、見なれているものに異物が加わることの怖さ。さらに、「怖い先生」の話や呪いのわら人形、等々にまで論点は拡散。いつも通り特に結論も出ないまま、そして特に結論を出そうともしないまま、今回も時間切れで終了となりました。

なぜ怖いのか、怖いとは何か、という点について色々な「説」が出ましたが、関連して、次の本がおすすめ。

 戸田山和久『恐怖の哲学――ホラーで人間を読む』、NHK出版新書、2016年

この本を読んだ上で、改めて「怖い」について考え直してみると、何か、見えてくるものがあるはず。残念ながら、現時点で図書館には所蔵されていないようですが、書店の新書コーナーなどで簡単に入手可能。読みやすい好著ですので、ぜひ一読を。

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