時間地理学・生活時間・生活空間
鴨川武文(地理学)
教員記事として以前にも書きましたが、私の専門は地理学の中でも、人文現象を研究対象とする人文地理学です。人文地理学は、工業地理学・農業地理学・人口地理学・都市地理学・村落地理学・文化地理学など多岐にわたっていますが、今回の教員記事では時間地理学を紹介します。
時間地理学は、1970年代初頭に、地理学の一分野として提唱されましたが、時間を研究対象とするのではありません。時間は1日24時間、誰にでも等しく与えられていますが、時間の使い方は個々人で全く異なっています。個々人の時間の使い方がどのようになっているのか、時間の使い方が結果としてどのような空間行動をもたらしているのか、さらには現代社会の一面を考える契機となるのではないか、これらが時間地理学の目的とするところ、本質であると思います。より具体的に記すとすれば次のようになるでしょう。すなわち、時間地理学は個々人の空間行動を表現し、解釈するための地理学の一分野として位置付けられ、また、個々人の行動であれば、通勤・通学や買物、アルバイト、余暇といった行動を断片的ではなく、一連の生活の中で一括して捉えることを可能にし、さらに、土地利用や施設配置、交通ネットワークなどより多くの人々が利用する対象に対して、個々人の行動を通して総合的に捉えることを可能とする。つまり、時間地理学は個々人が空間の中でどのような時間で軌跡を描いているかを、その人を取り巻く諸条件から合理的に解釈しようとする地理学の一分野であるといえるでしょう。
それでは身近な行動を事例として考えてみましょう。1日の行動を振り返ってみると、全くの自由意思による行動は意外と少ないのではないかと思います。つまり、私たちの行動はかなり日常化されています。たとえば、大学生や高校生の皆さんは、毎日、同じルートで通学していますね。そのルートは、徒歩や自転車の場合には最短のコース、交通機関を利用する場合には最も安価なルートが選択されると思います。これら以外のルートが選択されることはめったにありません。あるとすれば、本屋に行くであるとか、友達と学校帰りに出かけるとか、何か特別な理由があるときです。通学は授業が始まる時間であるとか、交通機関の時刻であるとか、いわば自分を取り巻く社会的ルールに影響を受けた日常であるということができます。
別の事例を考えてみましょう。
高校生のA君とB君は小学校以来の大の仲良しです。同じ高校に通学していますが、A君は体育系のクラブに、B君は文科系のクラブに入部しています。夏休みの部活終了後に喫茶店に出かけてミルクセーキを食べる約束をしました。B君の部活動は時間通りに終わりましたが、A君の部活動はなかなか終わりません。B君は喫茶店でミルクセーキを食べた後にアルバイトをすることになっていて、A君の部活動が早く終わることを期待しています。早く終わらないと楽しみにしていたミルクセーキを食べることができない、アルバイトの時間に間に合わない、すなわちB君のこれからの行動はA君の状況次第ということになります。
2つの事例から、私たちの行動は、様々な制約の中で、また、第三者との行動と密接に結びついたものとして理解することができます。
ここで、NHK放送文化研究所による「国民生活時間調査」のアンケート用紙を利用して福岡大学の学生の1日の生活時間を紹介しましょう。
7月のある日の男子学生の生活時間です。この日は定期試験期間中でした。午前7時に起床して、身の回りの用事を済ませて、午前7時45分から午前11時まで自宅で試験勉強、その後、昼食を食べて、午後12時30分に自宅を出て大学へ向かいました。午後3時15分に大学から帰宅。その後、音楽を聴き、夕食を済ませて、午後9時30分から午後11時30分まで自宅で勉強をしました。大学でも自宅でも試験勉強に時間を使い、そして空間行動は、自宅と大学との往復だけでした。
次に、7月のある日の女子学生の生活時間です。この日は定期試験期間中ではありませんでした。午前8時30分に起床して、身の回りの用事を済ませて、午前9時15分に自宅を出て、アルバイト先へ出かけました。午後5時にアルバイトが終わって自宅に戻り、その後は友人とおしゃべりなどを行いました。午後11時45分に就寝しました。この日は時間の多くをアルバイトと友人との交際に使い、そして、空間行動は自宅とアルバイト先との往復でした。この二つの事例では、試験期間中であるということが、また、アルバイトに従事しているということが男子学生・女子学生それぞれの当該日の空間行動を規定しているといえると思います。
さらに、時間地理学に関する研究事例を紹介しましょう。参照した文献については下部に記しています。具体的には、都市の郊外に住む家族の1日と、保育所への子供の送り迎えと仕事の両立に関する事例です。この家族は夫(父親)・妻(母親)・子供の3人家族です。
ある日の家族の生活時間は次のようになっています。
夫(父親)は妻(母親)と子供を車に乗せて保育園に向かいます。子供を保育園に預けて、夫(父親)は妻(母親)を駅まで送ります。妻(母親)は駅から列車に乗り、職場の最寄り駅まで向かいます。夫(父親)は駅から職場まで車で向かい、この日は午前8時15分から午後10時30分まで仕事をして、午後11時前に帰宅しました。一方、妻(母親)は午前8時30分から午後6時まで仕事をして、その後、駅から子供を預かってくれている友人宅へ向かい、午後7時に子供とともに友人宅を出て、帰宅しました。また、子供は午前7時45分から午後5時まで保育園にいて、午後5時に妻(母親)の友人が保育園に迎えに来て、友人宅で妻(母親)が迎えに来るまで世話を受けました。
すなわち、個々の家庭が置かれている状況はもちろんあるのですが、家庭内の社会的役割分担では女性が育児を担うことが多いので、子供を持つ女性が仕事に従事している場合には、一時的に育児を第三者に委託しなければならない状況にあるわけです。この点、事例となっているこの家庭にあっては、保育所はもちろん、妻(母親)の友人の協力が極めて大きいことが理解できます。
以上からどのようなことが言えるでしょうか?すなわち、個々人の生活が時間という目に見える形であきらかになる。また、統計データだけでは見えていないものが明らかになる。時間地理学の役割は、現代社会における様々な問題を時間という形で可視化し、さらには問題解決の方向性を見極めさせるというところにあると理解しています。
参考文献・統計資料
・高橋伸夫・谷内 達・阿部和俊・佐藤哲夫・杉谷隆編(2008)「改訂新版 ジオグラフィー入門」古今書院
・内閣府「少子化社会白書(現在では少子化社会対策白書)」および「男女共同参画白書」
・NHK放送文化研究所(2016) 「2015年 国民生活時間調査 報告書」
□鴨川先生のブログ記事
・大学(人文学部)で学ぶということ-役に立つ学問とは何か-
・氷が解けると春になる
時間地理学は、1970年代初頭に、地理学の一分野として提唱されましたが、時間を研究対象とするのではありません。時間は1日24時間、誰にでも等しく与えられていますが、時間の使い方は個々人で全く異なっています。個々人の時間の使い方がどのようになっているのか、時間の使い方が結果としてどのような空間行動をもたらしているのか、さらには現代社会の一面を考える契機となるのではないか、これらが時間地理学の目的とするところ、本質であると思います。より具体的に記すとすれば次のようになるでしょう。すなわち、時間地理学は個々人の空間行動を表現し、解釈するための地理学の一分野として位置付けられ、また、個々人の行動であれば、通勤・通学や買物、アルバイト、余暇といった行動を断片的ではなく、一連の生活の中で一括して捉えることを可能にし、さらに、土地利用や施設配置、交通ネットワークなどより多くの人々が利用する対象に対して、個々人の行動を通して総合的に捉えることを可能とする。つまり、時間地理学は個々人が空間の中でどのような時間で軌跡を描いているかを、その人を取り巻く諸条件から合理的に解釈しようとする地理学の一分野であるといえるでしょう。
それでは身近な行動を事例として考えてみましょう。1日の行動を振り返ってみると、全くの自由意思による行動は意外と少ないのではないかと思います。つまり、私たちの行動はかなり日常化されています。たとえば、大学生や高校生の皆さんは、毎日、同じルートで通学していますね。そのルートは、徒歩や自転車の場合には最短のコース、交通機関を利用する場合には最も安価なルートが選択されると思います。これら以外のルートが選択されることはめったにありません。あるとすれば、本屋に行くであるとか、友達と学校帰りに出かけるとか、何か特別な理由があるときです。通学は授業が始まる時間であるとか、交通機関の時刻であるとか、いわば自分を取り巻く社会的ルールに影響を受けた日常であるということができます。
別の事例を考えてみましょう。
高校生のA君とB君は小学校以来の大の仲良しです。同じ高校に通学していますが、A君は体育系のクラブに、B君は文科系のクラブに入部しています。夏休みの部活終了後に喫茶店に出かけてミルクセーキを食べる約束をしました。B君の部活動は時間通りに終わりましたが、A君の部活動はなかなか終わりません。B君は喫茶店でミルクセーキを食べた後にアルバイトをすることになっていて、A君の部活動が早く終わることを期待しています。早く終わらないと楽しみにしていたミルクセーキを食べることができない、アルバイトの時間に間に合わない、すなわちB君のこれからの行動はA君の状況次第ということになります。
2つの事例から、私たちの行動は、様々な制約の中で、また、第三者との行動と密接に結びついたものとして理解することができます。
ここで、NHK放送文化研究所による「国民生活時間調査」のアンケート用紙を利用して福岡大学の学生の1日の生活時間を紹介しましょう。
7月のある日の男子学生の生活時間です。この日は定期試験期間中でした。午前7時に起床して、身の回りの用事を済ませて、午前7時45分から午前11時まで自宅で試験勉強、その後、昼食を食べて、午後12時30分に自宅を出て大学へ向かいました。午後3時15分に大学から帰宅。その後、音楽を聴き、夕食を済ませて、午後9時30分から午後11時30分まで自宅で勉強をしました。大学でも自宅でも試験勉強に時間を使い、そして空間行動は、自宅と大学との往復だけでした。
次に、7月のある日の女子学生の生活時間です。この日は定期試験期間中ではありませんでした。午前8時30分に起床して、身の回りの用事を済ませて、午前9時15分に自宅を出て、アルバイト先へ出かけました。午後5時にアルバイトが終わって自宅に戻り、その後は友人とおしゃべりなどを行いました。午後11時45分に就寝しました。この日は時間の多くをアルバイトと友人との交際に使い、そして、空間行動は自宅とアルバイト先との往復でした。この二つの事例では、試験期間中であるということが、また、アルバイトに従事しているということが男子学生・女子学生それぞれの当該日の空間行動を規定しているといえると思います。
さらに、時間地理学に関する研究事例を紹介しましょう。参照した文献については下部に記しています。具体的には、都市の郊外に住む家族の1日と、保育所への子供の送り迎えと仕事の両立に関する事例です。この家族は夫(父親)・妻(母親)・子供の3人家族です。
ある日の家族の生活時間は次のようになっています。
夫(父親)は妻(母親)と子供を車に乗せて保育園に向かいます。子供を保育園に預けて、夫(父親)は妻(母親)を駅まで送ります。妻(母親)は駅から列車に乗り、職場の最寄り駅まで向かいます。夫(父親)は駅から職場まで車で向かい、この日は午前8時15分から午後10時30分まで仕事をして、午後11時前に帰宅しました。一方、妻(母親)は午前8時30分から午後6時まで仕事をして、その後、駅から子供を預かってくれている友人宅へ向かい、午後7時に子供とともに友人宅を出て、帰宅しました。また、子供は午前7時45分から午後5時まで保育園にいて、午後5時に妻(母親)の友人が保育園に迎えに来て、友人宅で妻(母親)が迎えに来るまで世話を受けました。
すなわち、個々の家庭が置かれている状況はもちろんあるのですが、家庭内の社会的役割分担では女性が育児を担うことが多いので、子供を持つ女性が仕事に従事している場合には、一時的に育児を第三者に委託しなければならない状況にあるわけです。この点、事例となっているこの家庭にあっては、保育所はもちろん、妻(母親)の友人の協力が極めて大きいことが理解できます。
以上からどのようなことが言えるでしょうか?すなわち、個々人の生活が時間という目に見える形であきらかになる。また、統計データだけでは見えていないものが明らかになる。時間地理学の役割は、現代社会における様々な問題を時間という形で可視化し、さらには問題解決の方向性を見極めさせるというところにあると理解しています。
参考文献・統計資料
・高橋伸夫・谷内 達・阿部和俊・佐藤哲夫・杉谷隆編(2008)「改訂新版 ジオグラフィー入門」古今書院
・内閣府「少子化社会白書(現在では少子化社会対策白書)」および「男女共同参画白書」
・NHK放送文化研究所(2016) 「2015年 国民生活時間調査 報告書」
□鴨川先生のブログ記事
・大学(人文学部)で学ぶということ-役に立つ学問とは何か-
・氷が解けると春になる
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