2017年9月16日土曜日

早良区近辺の神社巡り(岸根敏幸先生)

 平成29年度第9回目の「教員記事」をお届けします。宗教学の岸根敏幸先生です。今回は、「早良区近辺の神社巡り」と題して、ご自身の住んでおられる早良区近辺の神社について解説つきで紹介していただきました。



早良区近辺の神社巡り

   
     岸根敏幸(宗教学

 これと言った趣味はほとんどないのですが(本当は色々とあるものの、人前で自信をもって披露できないということもあります)、唯一挙げられるものは、日本の神様を祭る神社を巡るということでしょうか。

 神社巡りと言えば、だれもが知っている神社――たとえば伊勢神宮、出雲大社、住吉大社、厳島神社など、九州だったら、宗像大社、宇佐神宮、太宰府天満宮、霧島神宮などといった神社――を思い起こすでしょう。このように有名な神社は、その名声にふさわしく、どれも見応えのあるすばらしい神社でして、日本の宗教的伝統の真髄に触れることができるということで、そういう神社を巡るというのはとても有意義なことなのですが、それとは別に、各地域で細々と営まれている神社を巡り、その地域の、いわば宗教的な息吹のようなものを感じとるというのも、大切なことのように思います。

 今から5年ほど前でしょうか、文化学科の卒業生や在学生と連れ立って、城南区にある神社を巡ったことがあります。城南区には神社がそれほどないので、その気になれば、1日で巡ることができます。なかには海神社(城南区東油山)のように、油山に入って奥まったところにある神社もありますが、総じて言えば、それほど苦労しないで巡ることができるでしょう(もちろん、かなり歩きますが)。日本で一番多い神社は稲荷神社で、八幡宮はその次に位置すると言われていますが、城南区に限って言えば、圧倒的に八幡神社の方が多かったです。稲荷神社が多いのは、博多区や中央区のように商業が盛んなところ、それと海に近いところですね。

 それからも時々福岡周辺の神社を巡っていましたが、去年から散歩も兼ねて、私の住んでいる早良区近辺の神社を巡るようになりました。ただ、早良区というのは南北に大きく広がった地域で、北には百道、西新など、海に近く、賑やかな街もありますが、遥か南に行けば、バスも通っておらず、鬱蒼とした山々が連なっていて、それを越えれば、もう佐賀県になってしまうという場所もあります。城南区と違って、神社の数もかなり多いです。一般に、神社は都会よりも山地や田畑が広がる地域に多いものです。早良区内の神社をすべて巡るのは容易なことではありませんが、別に期限があるわけではないので、気の向くままに巡ってゆくつもりです。

 ということで、早良区近辺でこれまでに巡った神社の一部について、多少の解説を付けて、紹介したいと思います。


 まずは梅林八幡宮です(写真1)。一見、古墳を思わせるような(実際、その近くには梅林古墳という前方後円墳の古墳があります)盛り上がった台地に境内があります。この神社には何度か訪れましたが、境内で人を見かけたことはなく、非常に静寂な場所です。
 梅林八幡宮 (写真1)

 つぎは野芥の櫛田神社です(写真2)。櫛田神社と言えば、山笠で有名な博多の櫛田神社を思い起こしますが、他にも城南区荒江に櫛田神社があります。野芥の櫛田神社の御由緒を見ますと、創建は景行天皇(倭建命のお父上)の時代にまで遡るとされています。博多の櫛田神社は奈良時代後期の創建と伝えられているので、それより約4百年ほど古いということになるわけですが、本当のところはどうでしょうか。それほど広くはありませんが、落ち着いた雰囲気の境内です。その境内に「社日社」への案内板があり、それが気になって山を少し登ると、小さな祠のようなものがありました。この「社日社」というのは、最初の「社」がその土地の産地神(うぶすながみ)を意味し、「社日」で、その神を祭る春と秋の日が表されており、要するに五穀豊穣を願った産地神を祭る社のようです(早良区重留に祭神が不明の社日宮という神社があるようです。また後述する地禄天神社の摂社に社日社があり、そこでは、食物神で日本書紀神話にも登場する保食(うけもち)神が祭られています)。
櫛田神社 (写真2)

 その後、さらに南に向かい、国道263号をずっと下ってゆきたいという衝動に駆られますが、自宅からかなり遠くなってしまうので、そちらにはまだ足が向いていません。地元の神社巡りは今のところ、自分の足で行ける徒歩圏内を考えていますので、あまり遠出はできないのです。ということで、北西に移動すると、地禄天神社という神社があります(写真3)。街道に沿った細長い形の境内になっていて、輪越祭(茅の輪くぐりのこと)など、年間を通じて様々な祭礼がおこなわれます。特に8月15日におこなわれる綱引きと盆押し(肩車をして押し合う)は熱気のある行事だそうです。まさに地域と共にある神社と言えるでしょう。
地禄天神社 (写真3)

 そこからさらに北に向かってゆくと、賀茂神社があります(写真4)。賀茂神社と言えば、京都の葵祭で有名ですね。福岡の賀茂神社はナマズと密接に関わっていて、享保の大飢饉のときに、飢饉が収まるようにと氏子が祈願したところ、夢枕にナマズが出てきて、ナマズを殺すなというお告げがあったと言われています。賀茂神社のすぐ前に金屑川という川がありますが、その川の主であるナマズが賀茂神社のご神体だったということなのです。毎年9月15日には千個の明かりを灯して、無病息災を祈る千灯明という行事がおこなわれますが、元々は飢饉の犠牲者を弔うためにおこなわれたと言われており、仏教でおこなわれてきた万灯会(まんどうえ)に近いものと言えるかも知れません。
賀茂神社 (写真4)

 そのあと、北東に向かえば、やがて自宅に帰り着けることになりますが、余力があれば、西に向かうこともあります。福岡外環状道路に沿ってしばらく西に進み、そのあと南に少し行くと埴安神社があります(写真5)。埴安神を祭っているので埴安神社なのです。埴は土のことで、本居宣長翁は「はにねやす」(「ねやす」は泥状のものを作ること)が縮まって「はにやす」になったと説明しています。埴安神は古事記神話では「ハニヤスビコ」「ハニヤスビメ」という男女一対の神、日本書紀神話では「ハニヤマヒメ」という女神、または、「ハニヤス」という神に該当します。この神は早良区、城南区、南区にまたがる地域において複数の神社で祭られており(前述の地禄天神社の祭神も埴安神です。近代になって整理統合されたものと思われますが、城南区七隈の菊池神社や南区桧原の五社神社でも祭られています。なお、「地禄」はおそらく音声的な類似性から「十六」とも表記され、福岡県内に「地禄天神社」「十六天神社」という神社がいくつか存在しています)、その地域一帯の産土神なのではないかと前から気になっているところです。元々、土の神なので、それは十分ありうることなのですが、その実態について今後、詳しく調べてみたいと思っています。
埴安神社 (写真5)

 そして、さらに西に向かい、室見川を横切って、すぐ北に見えるのが橋本八幡宮です(写真6)。後に福岡藩三代目の藩主となる黒田光之は、生母との関係で橋本に地縁があり、そこにあった八幡宮を移築したのが、福岡藩の守護神として篤く崇敬された紅葉八幡宮です。橋本にあった八幡宮は後に再建されることになります。木々に囲まれた橋本八幡宮の境内はとても清々しいです。神社を巡るたびに思うことですが、こういう何か特別なものを感じさせる場所(科学的にどう説明したらいいのか分かりませんが、川の近くにあり、植物に覆われていることで、普通とは違う空気に包まれ、それが人間の心情に何らかの影響を与えるということも考えられるでしょうか)に神社などが建てられるわけですね。神社の裏手には阿弥陀三尊(中央に阿弥陀仏、左に観音菩薩、右に勢至菩薩を配する形)の名を刻した石碑と祠があります。神仏習合の名残でしょうが、今でも神社の境内に堂々と阿弥陀三尊が祭られているというのは興味深いです。なお、橋本八幡宮は早良区ではなく、西区にあります。室見川を渡ると西区になります。
橋本八幡宮 (写真6)

 そこから室見川に沿って、ずっと北上すると国道202号に接します。地図で見ると、その途中に若八幡宮があるようですが、訪ねたときには見つけられませんでした。その国道202号を東に少し進むと、小田部という所に宝満宮があります(写真7)。宝満宮と言えば、霊峰の宝満山(竈門山)にあり、かつてあった大宰府政庁の鬼門除けで知られる竈門神社がすぐ思い起こされます。玉依姫を主祭神にしていて、縁結びの神として有名です。小田部の宝満宮もそれに由来する神社なのでしょう。通常、玉依姫は神武天皇となった神倭伊波礼毘古命の母上のことを指しますが、そのような固有名詞としての用法だけでなく、霊的なものが依り憑く巫女の神格化を指す用法があるという指摘もあります(柳田国男「玉依姫考」)。福岡近辺にはこの宝満宮がかなり存在して(小田部からすぐ近くの有田にもあります)、太宰府市、福岡市とその近辺に広がっていたと思われる玉依姫信仰というものを伺い知ることができます(玉依姫は筥崎宮でも祭られています。おそらくは、筥崎宮に遷座する以前に、本来の祭神であった比咩大神を、福岡で信仰されている玉依姫に差し替えていたのでしょう)。
宝満宮 (写真7)

 そのあとも自宅に着くまでにいくつか神社がありますが、ここでは省略します。なお、今まで説明してきたコースは、私が思い描いているコースのなかの一つにすぎず、それ以外にもいくつかのコースとそのコース上に神社が存在しています。全部は紹介しきれないので、これぐらいにしておきましょう。

 他にも、前述のように、福岡藩から崇敬され、大正時代に現在の場所に移った、とても大きな境内をもつ紅葉八幡宮や、福岡市内のローカルな信仰だと思いますが、素焼きの猿のお面でよく知られている猿田彦神社など、早良区には興味深い神社がたくさんあります。そして、早良区の南の地域には、まだ巡ったことのないたくさんの神社が私をお待ちくださっているのです(随分、不遜な言い方をしてしまいましたが)。

 早良区近辺に限ってもこれほど多くの神社が存在しているのですが、日本全国を見渡せば、至るところに、正確な数も分からないほど、様々な神を祭っている神社が存在しているわけでして、日本の隅々まで、そのような神社が覆い尽くしていると言っても過言ではないでしょう。そして、人々が住む集落の一画に、あの特有の形をした鳥居(その鳥居の形にも実は様々な種類があります)のある神社が存在するという、どこにでもある光景なのですが、私たちに何とも言えない安堵感をもたらしてくれているように思います。それが神と共に生きる生活ということなのでしょう。このような日本の宗教文化をこれからも大切にしてゆきたいものです。


□岸根先生のブログ記事

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