2014年9月3日水曜日

鎌倉に行こう(岸根 敏幸教授)

「教員記事」をお届けします。第十回は宗教学の岸根 敏幸教授です。


鎌倉に行こう

 鎌倉は私にとって特別な場所です。史跡や社寺を巡るのが好きなので、もちろん京都や奈良もとても気に入っているのですが、好きな町を一つだけ挙げるとすれば、多少迷ったあとに、鎌倉を挙げることになるでしょう。その主な理由は次の通りです。

 まずは近くにあったということ。長いこと横浜の南部に住んでいて、鎌倉は目と鼻の先でした。それほど頻繁に通ったわけではないですが、色々な思い出がある場所なのです。つぎは源頼朝が好きだということ。小学生のころ、あの端正な肖像画に魅了されて(ただし、頼朝を描いたものではないとする説が出て、今では論争になっていますが)、私は日本史(特に奈良~平安時代)大好き少年になっていました。頼朝は弟の義経を死に追いやるなど、冷酷非情な人物として、あまり良くは言われないことが多いです。たしかにそういう側面があったかもしれませんが、父義朝の仇である平家を討ち滅ぼし、頼義、義家という遠祖の見果てぬ夢であった陸奥の覇権を握り、雪辱を見事に果たしました。自らに課せられたほとんど実現不可能とも思われる使命を、ここまで鮮やかに実行してみせた人物が他にいるでしょうか。そしてさらに、歴史の大きな流れからみれば、頼朝は、時代の要請として、多くの犠牲を払って、その後600年以上も続く武士の世を生み出した立役者と言えるのです。

 ということで、私は鎌倉が好きなのですが、それが高じて、数年間、実際そこに住んでいました。平成12年に、縁あって福岡大学に赴任することになりますが、そうならなかったならば、いまだに住み続けていたかもしれません。ただし、観光地は観光で行くべきところであって、住むべきところではないというのが率直な感想です。

 鎌倉には史跡はもとより、たくさんの神社や寺院などがあり、訪ねてみたい場所は無数にあります。毎年、夏に訪れては、自らの研究に関わる調査も兼ねて、それらを少しずつ巡って行くのが楽しみになっています。そのいくつかを挙げてみましょう。
 まずは鶴岡八幡宮(→写真)。九州の宇佐を発祥地とする八幡神は、様々な変遷を経て、ついには武士の都とも言える鎌倉に鎮座されました。鎌倉の中心に鶴岡八幡宮を据えたその雄大な町づくりは、武士の世の到来を飾るに相応しいものです。なお、その東にある大倉山には頼朝が眠るお墓があります。

 つぎは円覚寺(→写真)。建長寺と並んで、鎌倉を代表する寺院です。その境内をしばらく行くと、別世界に入ったかのような静寂に包まれます。ここは私が敬愛してやまない夏目漱石が坐禅を試みた場所でもあります。小説『門』にはそのときの体験が生かされています。つぎは東勝寺跡。ここは立ち入ることができないようになっています。新田義貞軍の攻撃で追い詰められた北条氏一族数百名が自害した場所と言われています。この世に行き場を失い、一族そろって死出の旅路へと向かう彼らの思いはどのようなものであったでしょうか。なお、そのすぐそばに北条高時が最期を遂げたと伝えられる腹切りやぐらがあります。昼でも人の気配がなく、場所が場所なので、一人で行かない方がよいかもしれません。
 つぎは江の島。鎌倉市ではなく、隣接する藤沢市にあり、海水浴や観光で若者が多く集まる有名スポットですが、この島全体が宗教的な聖地のようになっており、宗像の三女神(タキリビメ、イチキシマヒメ、タキツヒメ)やそれと習合した弁天、さらにその弁天を恋い慕った龍神(→写真)などを祭る社が多数あります。社寺巡りに興味がある人なら、一日中見て回っても飽きない場所でしょう。

 あと最後に、ちょっと異色ですが、江ノ島(この場合、「江の島」とは表記しない)電鉄の極楽寺駅(→写真)も挙げておきたいです。昔、鎌倉を舞台にした「俺たちの朝」(昭和51~52年)という人気の青春ドラマがありました。私自身はリアルタイム(あるいは再放送?)で見ていたとき、それほど興味を覚えなかったように記憶していますが、それから数十年後、ケーブルテレビで放送されているのを視て、改めてそのすばらしさに気づき、感じ入ってしまいました。極楽寺駅で織りなされる人間模様と、町に溶け込んでゆったり走る江ノ電の光景が実に印象的で、このドラマに感動した人にとって、そこは現実とドラマが相半ばする特別な場所なのです。

 以上、思いつくままに色々と述べてしまいましたが、それでも鎌倉の魅力についてほんの少ししか紹介できていない気がします。百聞は一見に如かず。東京方面へ行く機会があったならば、ぜひとも鎌倉に足を伸ばして、その魅力に触れてほしいです。


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