2014年9月24日水曜日

権威への服従:心理学の文脈での「ハンナ・アーレント」(佐藤基治教授)

「教員記事」をお届けします。第十二回は心理学の佐藤基治教授です。


権威への服従:心理学の文脈での「ハンナ・アーレント」 

 9月27日土曜日の午後、小笠原先生と宮野先生の企画で「『ハンナ・アーレント』でかたらんと?」というイベントが開催される。「哲学カフェ」、あるいは、「映画de哲学」という表現もあり、映画を素材に皆で議論するという企画だ。そのハンナ・アーレントは一般的には哲学者、思想家というカテゴリーで登場するようだが、心理学においても、社会心理学の「権威への服従」という領域で登場する。

 アーレントは、ナチス・ドイツによる民族大虐殺に関連して、「アドルフ・ヒトラーは,おそらく精神的に正常ではなかったであろうが、単独で大虐殺を遂行することはできなかったはず」であり、虐殺に関連した『日常業務』を行った人々は、ヒトラー同様に、異常だったのだろうかと考えた。アーレントは,著書の中でナチスの戦犯アイヒマンを,「自分を大きな機械の小さな歯車だと思っている鈍い普通の官僚」と言い表し、上官の命令に従う平凡な人々にすぎないと結論づけている。アーレントは,「私たちのすべてがこのような悪をなし得るかもしれないし,また,ナチス・ドイツというものが,私たちが思いたがるほど,正常な人間の状態から大きくかけはなれてはいない」とも述べている。「ある特定の状況では,最も普通で礼儀正しい人でも犯罪者になることができる」と考えたのである。

 アーレントの結論は一般には受け入れられ難いものであった。アーレントは「アイヒマンは,普通の官僚であり、命令に従っただけ」と表現したが,歴史家たちは「アイヒマンはナチスでの経歴を普通の人物として開始したかもしれないが,次第にナチス活動に同一化していき,ユダヤ人の国外追放と殺害の独創的な新手法を考案しては承認と人気を得る大虐殺者へと変身した」と考えている。社会心理学者からも同様の異議が申立てられている。邪悪な状況が邪悪な行動をもたらすという古典的な主張に,個々人が集団と同一化し強力な状況を形成するようになる,あるいは自身が強力な状況に形成されるようになる,そのなされ方の相互作用を加味して考慮すべきであるという異議である。一方には人々の自己同一性,目的,欲望があり,もう一方には人々が身を置く刻々と変化する状況がある,その両者の間の動的な相互作用を研究することが,社会心理学で行われている研究と議論のテーマである。

 そのような行動を生じさせる状況の力を説明するもっとも有名な研究は,1960年代にミルグラムによって行われたものである。彼の研究は、ある課題の失敗に対する罰として他人に与える電気ショックの強さをどこまで強くすることができるか、すなわち普通の人間がどこまで残虐になりうるのかを明らかにするものであった(電気ショックを与えられる人は役者であり、電気ショックを与えられたふりをしているだけである)。ミルグラムの実験では、65%の参加者が一連のショックの終わり(電気ショックの影響が「XXX」と表示された450ボルト)まで与え続けた。電気ショックを与えられる役者は300ボルトを与えると壁を蹴り始め、中止を求める演技をするが,それより前に止める参加者は一人もいなかった。
 
 ある研究者は別の大学生に実験の手続きを説明し「あなたなら何ボルトまで電気ショックを与えますか」と調査をした。結果は約99%の学生が300ボルト以上の電気ショックは与えないと答えた。ミルグラムは、精神科の医師に調査を行い,「ほとんどの参加者は150ボルトに達した後は続けることを拒み,約4%しか300ボルトを越えず,1%未満しか450ボルトまでやり遂げはしないだろう」という予想を得た。しかしながら、実際に実験を行うと前述のような結果が得られるのである。

 ミルグラムの研究は、人はどこまで残虐になれるという問いにとどまらず、明白な服従の程度を私たちが見抜けない理由、権威への服従に関与する要因へと展開する。前者は基本的な帰属の誤りと呼ばれ、人々の行動は人々の内的な資質,すなわち願望と人格を反映していると決めつけ、状況が私たちに及ぼす力を過小評価する傾向があるとするものである。後者はいくつかの要因が状況の力と強く関連しているというものである。この状況の力に関する話はさらに興味深いものであるが、それはまた次の機会にする。今回のブログは、ある学問領域で取り上げられた問題を、その領域で深化させることは当然有意義なことであるが、異なる学問領域から眺めてみたり、異なる領域での知見を借用して解釈してみることは、斬新であったり、的外れであったりして、いずれにしても知的な好奇心を刺激してくれるものであることを述べたかったのである。哲学の人が持ってきた問題に他領域の人間が口を挟む、様々な領域を足場にしてちょっかいを出す、これが文化学科の「文化の多角的理解」なのかもしれない。

参考文献
Susan Nolen-Hoeksema , Barbara L. Fredrickson(2014) Atkinson & Hilgard's Introduction to Psychology, 16e

※管理者注:冒頭で紹介されているように、今週土曜日(27日)に、学内で『ハンナ・アーレント』の映画上映会が催されます。参加無料です。ぜひふるってご参加ください!(告知記事はこちら


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