2019年5月5日日曜日

南海からの風・広州 ―多様性を受け入れてきた「海の道」の街(異文化の接触地帯6)―

「教員記事」をお届けします。本年度第一回は地理学の磯田則彦先生です。



南海からの風・広州
―多様性を受け入れてきた「海の道」の街(異文化の接触地帯6)―

磯田則彦(地理学


こんにちは。文化学科教授の磯田則彦です。私の専門は、人口研究と異文化の接触地帯の研究です。両者ともに複合領域的な研究になりますが、それぞれに非常に魅力的な分野です。

 まず、人口研究についてですが、具体的には人口移動研究と人口問題研究が中心になります。前者については、日本・北アメリカ・北・西ヨーロッパを中心に研究してきました。人は生まれてから死ぬまである場所に定住し、一切別の場所に移ることがなくてもよいのでしょうが、実際にはライフステージの要所要所で移動を行う人が大勢います。果たして、「その人たちは、どのような属性で、どういった理由で移動を行うのでしょうか?」。以前から、そんなことが気になってしまいます。
 また、後者については、非常に大まかな表現を許していただければ、「人口が停滞から減少へ向かいつつある社会」(現時点では、概して先進諸国の一部や東欧諸国に多く見られます)や、「短期間に人口が急増している社会」(概して、後発開発途上国とイスラーム諸国に多く見られます)を対象として研究を行っています。出生と死亡に影響を与える社会経済的要因や政策などが中心的なテーマです。

 次に、異文化の接触地帯の研究ですが、このトピックスについては、文化学科で専門のゼミや講義を担当し、学生諸君の卒業論文の指導を行う中で身近になってきた分野と言えるかもしれません。過去5回、インナーモンゴリア香港回民哈尔滨についてご紹介してまいりましたが、今回は南海(ナンハイ)の港町・广州(グヮンジョウ)についてご紹介いたします。

広州は中国・华南(ホヮナン)の广东(グヮンドン)省の省会で、珠江(ジュージャン)デルタに位置する大都市です。古には、「南海」と呼ばれた時期もあります。人口は、市区人口が900万人近く、中心部には高層ビルが建ち並ぶ近代的な都市です。街の中心部を珠江が流れており、南海への出入り口となっています。経済的に発展した大都市が数多く立地する珠江デルタは、上海・北京エリアと肩を並べる同国の一大経済圏を形成しており、なかでも広州は、経済特区の深圳(シェンジェン)とともに同経済圏の中心都市となっています。国際的な空と海の港に加えて、高铁(高速鉄道・CRH)の発着地点にもなっており、同国の交通ネットワークの一大拠点として機能しています。改革・開放後は、主として中南部の省や自治区から多くの労働者(民工)を集めてきました。広州駅前に集まる出稼ぎ労働者の姿は、日本の教科書等でも紹介されました。





広州は、古来、海上交通の要衝としてさまざまな人やものを受け入れてきました。唐(タン)の時代には、遥か西方よりアラブ・イラン系のムスリム商人が訪れました。かつてご紹介した回民(フイミン)のアイデンティティに深くかかわる人たちです。一方、近代化に至る過程において、広州は長く困難な時代を迎えることになりました。すなわち、18世紀中頃以降、広州はヨーロッパ船の入港地に指定され、対外窓口の役割を担うことになります。続く、19世紀中頃の欧米諸国との条約では、当時の清(チン)がイギリス・フランスなどとの間に不平等条約を結ぶことになりました。現在でも、珠江沿岸には当時の外国人居留地の名残が見られ、異国情緒が漂っています。

広州の文化的特徴には、ほかにも食や言葉など枚挙にいとまがありません。「食在广州」という有名な言葉がありますが、食材や調理法の多様性には驚かされます。いわゆる「中華(チャイニーズ)」全般、大好きなのですが、その中でも广东菜(広東料理)は絶品です。日本ではいわゆる「飲茶」がとくに有名ですが、その他の料理についても、素材の持ち味を活かしながら、煮る・焼く・揚げる・蒸すなどの調理法を見事に組み合わせた広東菜は、まさに「世界三大料理の一角」に相応しいものです(「中華」全般です)。現地では、日本人が「広東料理」として一括りにしているものも、実際には顺德菜(シュンドゥツァイ)や潮州菜(チャオジョウツァイ)などいくつかの地域料理にわけられます。

一方、言葉については、元来、広州では广东话(グヮンドンホヮ)が広く使用されてきました。前述のとおり、増え続ける流入人口により、いわゆる「マンダリン・チャイニーズ」が一般的に話されるようになってきましたが、時より路上や公共交通機関の中で聞こえてくる地元の言葉は、隣国ベトナムのそれと勘違いしてしまうほどです。実際、普通话(プトンホヮ)の話者にはほとんどまったく聞き取れません。中国の言語の多様性を実感させられます。地铁(地下鉄)の到着案内も普通話と広東話の両方で行われ(英語も)、広東らしさ(エリア・アイデンティティ)を醸し出しています。

広州の地下鉄の路線網は発達しており、優に10路線を上回ります。空港や高速鉄道のターミナルと主要な観光地が高いフリクエンシーで結ばれています。前述の広州駅(广州火车站)に程近い旧市街にある小北(シャオベイ)や三元里(サンユェンリー)という駅の周辺では、私たちが想像する一般的な広州のイメージを超越した景観が見られます。この一帯は、いわば「アフリカ街」といったところでしょうか(中東の人たちも多い)。経済成長とともにアフリカ系の人々が数多く居住するようになりました。彼らの多くは、中国製の商品をアフリカや中東向けに販売しています。また、彼らを主な対象とした各種商店も建ち並んでいます。中国とアフリカ諸国は以前から密接な関係を有しており、同国はアフリカ外交に相当な力を注いできました。長らく続いた東西の冷戦構造の下で、中国は西側先進諸国ともソ連とも円滑な関係を築くことに困難を抱えていたからです。「第三世界」という言葉が思い出されます。広州や深圳など広東の街角では、アフリカ系の人たちを見かけることがよくあります。

ところで、今年の干支はイノシシですが、中国では「猪(ジュウー)」の年、すなわち、「ブタ年」となります。恒例の新年を祝う記念切手の中には、親子の猪が仲良く寄り添う構図のものがありましたが、それに従来とは異なる感覚を覚えた人たちもいたようです(2016年から変わってきました)。その切手には、お父さん猪とお母さん猪に3匹の子供の猪が描かれています。お母さん猪は黒く、黒っぽい子供の猪もいます。皆さんは、この記念切手の構図をどのように解釈しますか?長年、计划生育(いわゆる「一人っ子政策」)を実行してきた同国が、21世紀前半のこの時期、ひとつの転換点を迎えているのかもしれません。翻って、本格的な人口減少社会に入った日本はどうでしょうか?新たな制度(外国人労働者の受け入れに関するものなど)、新たな時代のもとに同じく変化の時を迎えているのかもしれません。私たちの日常の中に、「異文化の接触地帯」が次々と出現していく予感がします。

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