2018年10月30日火曜日

未知の文献と向き合う―安徽大学蔵戦国竹簡の実見調査―

平成30年度第9回目の「教員記事」をお届けします。中国哲学がご専門の中村未来先生です。人間とはどのような存在なのか? 善く生きるには、どのようにすればよいのか? こうした問いを、古代の思想家たちも、現代のわれわれと同じように考えていたことが資料調査からもうかがい知れることを、複数枚の写真とともにご紹介いただいております。



未知の文献と向き合う―安徽大学蔵戦国竹簡の実見調査―
   
     中村未来(哲学

 中国では近年、開発にともなう遺跡調査の進展、また盗掘された資料の流出などによって、次々と出土文物が発見されています。2015年初めに安徽大学が入手した約1200枚の竹簡(紙以前の筆記媒体。竹の札に文字が記されたもの)群もその一つであり、多くの中国古代研究者により、その公開が待たれています。
 2018年3月、幸運にもこの竹簡を実見調査する機会を得ました。ここでは、まだ図版も釈文も刊行されていない新たな文献群「安徽大学蔵戦国竹簡」(以下、安大簡)について、少し紹介してみたいと思います。
 
安徽大学の所在地(※図はgoogleマップより)

 安大簡は、炭素同位体や赤外分光・結晶度などの科学的分析結果などにより、中国の戦国時代早中期頃、つまり紀元前400~前350年頃の竹簡であろうと考えられており、中には経書や歴史書、諸子百家や人相・夢占いに関する書物まで、非常に多岐に渡る内容が含まれていることが整理者によって公表されています[参考①]。
 今回の学術調査では、整理者の一人である安徽大学の徐在国教授に、直接お話を伺うことができました。

徐在国教授との会談

 徐教授は、安大簡の中でも、特に五経の一つである『詩経』国風(15の地方諸国の民謡を集めたとされる部分)に類似する文献の検討を試みており、安大簡には伝世(現代にまで脈々と伝えられてきた)『詩経』には見られない「侯」国の記述があると指摘しています[参考②]。「侯風」に収められた詩は、伝世の『詩経』では「魏風」(魏の民謡)に分類されています。そのため、「侯」国とは一体何なのか、どの国(あるいは地域)に比定できるのかと尋ねてみましたが、残念ながら現時点においては調査段階で未詳とのことでした。ただし、安大簡はこれまでに発見された、ある一定のまとまりを持つ『詩経』関連文献の中では、最も早期のものと考えられており、もともとは「侯風」であったものが、『詩経』が経典として整えられていく中で「魏風」と関連付けられて説かれるようになっていったことは間違いないとお話くださいました[参考③]。

竹簡の実見調査

 実見することができた竹簡(安大簡の一部)は、トレーに入れられ、保存液に浸された状態で談話室に運ばれてきました。全ての竹簡は戦国時代の南方楚地域の字体で記されており、それらが実際に諸子百家の時代に書写されて読まれていたこと、また二千数百年の時を超えて目の前に現れたということを思うと、感慨深い気持ちになりました。
 経書の成立や古代文献の変遷過程、また古代の人々の思想や文化は、史料的制約もあり、不明な点が多く残されていますが、このように、近年の出土文献の発見や研究の推進によって、少しずつその実体が明らかになってきていると言えます。例えば、儒家の孟子や荀子が唱えたとされる性説(性善説・性悪説)ですが、孟子とほぼ同時代(紀元前300年頃)の古代文献中には、「人間には誰でも性が備わっているが、その心は生まれながらに方向性の定まった志がある訳ではない。つまり、人間はもって生まれたものだけで自動的に必ず善に赴く訳ではなく、善に赴くためには、外界の事象から影響を受ける必要がある」[郭店楚簡『性自命出』:参考④]と説くものも発見されています。
 人間とは何なのか?一体何を指針とすれば良いのか?善悪とは?よりよく生きるにはどうすれば良いか?――古代文献に窺えるそれらの記述を目の当たりにすると、何千年も前から人々は現代の私達にも通じる問いを前に、悩み、考え、そして答えを見つけ出すために模索していたのだと感じます。
 
安徽大学のみなさんとの座談会の様子

 安徽大学の近くには、石器時代の祭器から文房四宝に至るまで、各時代の多様な展示物を取りそろえた安徽博物院(安徽省博物館新館)があり、私も足を運んでみました。中国の博物館はそのほとんどが入場無料であり、貴重な文化財を身近に感じることができるため、とてもオススメのスポットです。次に掲載した画像は、安徽博物院が所蔵する「鄂君啓金節」と呼ばれる中国戦国時代の水路・陸路の免税通行証です。安徽省寿県から出土したとされる金節は、銅を用いて鋳造され、そこに金の楚系文字が記されており、文字学上、また地理学や当時の行政制度を検討する上でも貴重な史料と考えられています。

鄂君啓金節(※画像は安徽博物院HPより)

 また、安徽大学のある合肥市は、三国時代に魏軍と呉軍が幾度となく戦火を交えた場所でもあり、それらにまつわる史跡(逍遥津公園・三国遺跡公園など)も多く残されています。次にあげた明教古刹(明教寺)は、賑やかな繁華街のすぐ側にあり、魏の曹操が軍事訓練のために建てた「教弩台」の上に増築されたものと言われています(※寺内部の観覧は10元)。
明教古刹

 さらに、周辺には清末に活動した李鴻章の旧居も見え、静謐な佇まいの中に、歴史の重みを感じることができました(※故居内部の観覧は20元)。
 この調査旅行を通じて、安徽省は古代から近代に至るまで、多くの歴史事件や著名な文化遺産と繋がる由緒ある街なのだと改めて感じることができました。文献を精読することはもちろん非常に重要な作業であり、決して疎かにしてはならないことだと言えますが、それと同じくらい現地を実際に訪れ、現物に触れることで得られる体験や知識も貴重なものであると思います。

李鴻章故居


【参考】
黄徳寛「安徽大学蔵戦国竹簡概述」(『文物』2017年・第9期、54-59頁)
徐在国「安徽大学蔵戦国竹簡《詩経》詩序与異文」(『文物』2017年・第9期、60-62頁)
この調査の後、安徽大学の副教授である夏大兆先生が、「侯」とは五等爵(公侯伯子男)の侯を意味し、晋国を指すものであるという論考を発表されました(夏大兆「安大簡《詩経》“侯六”考」、《貴州師範大学学報(社会科学版)》2018年04期、2018年7月刊行)。
郭店楚簡『性自命出』(浅野裕一・竹田健二・湯浅邦弘・菅本大二・福田哲之「郭店楚簡各篇解題」、『中国研究集刊』2003年、33頁)
安徽博物院HP:http://www.ahm.cn/cangpindetail_68_113,115.jsp(2018/9/6 確認)

中村未来先生のブログ記事
孔子の爪―中江藤樹記念館を訪問して―

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