2018年10月16日火曜日

動物は家族であるか?(LC16台 黄田姫加さん)

2018年度5回目の学生記事をお届けします。文化学科3年生の黄田姫加さんが、「ペット」と暮らすことに関して記事を書いてくれました。



「動物は家族であるか?」
   LC16台  黄田姫加


みなさんこんにちは!人文学部文化学科3年の黄田姫加です。

私は動物が大好きで、大学入学時からずっとペットショップでアルバイトをしており、私自身様々な動物を飼っています。 

『みなさんは動物を飼うときに、ペットとして迎えますか?家族として迎えますか?』

今回はそんな疑問について考えたいと思います。



アルバイト先のペットショップでの動物たちとの写真です!


上記の質問に私自身が答えるとすると、私は家族として迎えました。私もペットショップのお客様も、飼っている動物のことを「うちの子」「息子、娘」「長男、長女、次男、次女」など、人間の子どものように呼ぶことが多々あります。これは動物を家族として考えているから出てくる言葉ではないかと思いますし、私自身、わが子のように、大切に育てているつもりです。

まず、ペットと家族の考え方について、支倉槇人の著書『ペットは人間をどう見ているのか ―イヌは? ネコは? 小鳥は?』(技術評論社、2010年)を引用しながら、説明させていただきます。

支倉は、「日本では現在(当時2010年)、3分の1を超える世帯でイヌ・ネコを中心としたペットが飼育されている。ペットはすっかり日本の社会の中に定着し、動物たちとの生活は日本人の暮らしの一部となっている」と述べています。

また、支倉は「社会の中では、いっしょに暮らしている動物を、「ペット」ではなく「コンパ二オン」と考える人も増えてきた。」「ペットとして認知されてきた動物に対して、全ての人が同じような認識をもっているわけではない。だが、愛玩動物(ペット・アニマル)から伴侶動物(コンパニオン・アニマル)へという意識の変化が、ペットを飼育する人々のあいだに大きな流れとして生まれつつあるのは確かだ。伴侶動物という視点抜きでペットの未来像を語ることは、もはやできない」と言っています。(ここでいう伴侶動物とは、家族のような存在、家族として飼育している動物のことであり、ここからは伴侶動物のことを「家族」と呼びます。)では、なぜ「愛玩動物」という呼び方ではなく、「家族」という呼び方に変わっていくのか? それについても支倉は次のように述べています。「これまで、愛玩を目的に飼育されている動物を「ペット」と呼んできた。…しかし、言葉に敏感な時代になってきたこともあって、「ペット」や「愛玩動物」という呼ばれ方に抵抗を感じる人も増えてきている。大事な家族の一員と思っている動物をペットと思っていない、という人も多いのだ。家族に対して「愛玩」という、見下したような言葉を使うのはもってのほか。そう考える人も多くいる。」

そもそも動物は、狩りに使ったり、家畜として利用したりするために飼われていました。それが、時代の変化と共にペット(愛玩動物)として飼われるようになりました。しかし、現代では家族のような存在であるコンパニオン(伴侶動物)として飼われることが多くなっていることで、愛玩という言葉に抵抗を感じてしまうのでしょう。正直、私も愛玩という言葉を動物に使うことには抵抗があり、絶対に「うちの子」には使いたくないと思っています。

私のこの考えは支倉の考えにとても似ていて、飼っている動物たちを大事な家族の一員と思っているからです。しかし、この考えが常に正しいとは限らないとも思います。共に暮らしている動物がペットであるか家族であるかは、人それぞれの意見があり、どのように動物と接していくかも1人1人違ってよいのです。

はじめの質問の『みなさんは動物を飼うときに、ペットとして迎えますか? 家族として迎えますか?』という問いに、答えられるのは、共に生活する動物と向き合っている本人でしょう。みなさんも、この問いを深く考えることで、あらためて動物に向き合ってみてはいかがでしょうか?
小動物のチンチラ!

インコたちは5羽いて、この子たちは次男と三男です! 自慢の我が子です!

                                 

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