正月気分の抜けきらない1月6日水曜日、新年第一回目の哲学カフェが開催されました。参加者は学生諸氏が4名、教員が3名。
以前、第8回「マンガde哲学」で学生さんに進行役を務めてもらったのと同様、今回も学生さんが進行役。取り上げた作品は、沖田×華『ニトロちゃん――みんなと違う、発達障害の私』。告知の段階ではタイトル未定でしたが、今回のタイトルは「一緒に帰った子は友達?――『ニトロちゃん』で哲学する」。
この作品は「著者の体験をもとにしたフィクション」。小学生のニトロちゃんには「ニトロのルール」があり、決めた通りにできないとパニックに。ある日、同級生に誘われて一緒に帰宅した彼女は「一緒に帰った子は友達」と思いこむ。それから毎日同じ子を誘って帰るが、やがて断られてしまい、「どーしよ……、友達おらん……」「友達作らないと……」。
手当たり次第に声をかけて一緒に帰る相手を探し、ようやく相手を見つけてその日は難を逃れたものの、しかし、次の日の放課後に「ねー帰ろー」と同じ子を誘って無視される。黙って立ち去るその子の後を必死でついていくが、結局、その子は一度も振り返らずに帰宅。「なんだよ~、「帰りたくない」って言えよなー」。「もう友達じゃないんだと思った」ニトロちゃんは、「「友達」の意味が全然分かってない」……。
議論は、ニトロちゃんの「論理」を分析することからスタート。「一緒に帰った子は友達」と「友達は(毎日)一緒に帰る子」は異なるはず。にもかかわらず、ニトロちゃんはその二つを混同し、「一緒に帰らなければ、友達ではない」と推論している……?
ところで、最初の「一緒に帰った子は友達」という信念はどこから生まれたのか。単に頭の中で? それとも経験から? もし頭の中だけから生まれたならば、経験によって訂正されることはない? いや、ある? 最近の林先生のブログ記事に触発されて、習慣や徳に関する議論も。
友達の条件や、そもそも友達に条件をつけることの是非。障害を巡る小中学校の現状、「訓練」の現状。臨床心理学的な諸知見。某教員が「自分のことが書かれているのかと思った」と発言したり、アプリオリ性や「自分ルール」、「純粋ルール」等の言葉が飛び交ったりする中、6時のチャイムが鳴っても話は止まらず、やや時間を超過して終了。
というわけで、新年のLC哲学カフェも順調にスタート。次回の予定は決まっていませんが、卒業する四年生を中心に、何か特別な企画を? 今後の告知をお待ち下さい。
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