2015年2月2日月曜日

文化学科での38年間を振り返って ~ ゼミ(演習)担当を中心に ~ (藤田隆教授)

「教員記事」をお届けします。第十九回は地理学の藤田隆先生です。



  私は、昭和52(1977)4月に文化学科に着任し、以来この3月で38年目を終えようとしています。定年まで1年と少しを残していますが、先輩諸氏が定年で退職されるなか、この4年間は学科では最年長の立場にあり、もう一年同じ立場が続きます。そこで、学生の皆さんはもちろん、若い先生方もかつての学科の状況をご存じないとことが多いと思い、この機会に、私が経験したことを、ゼミ(演習)担当を中心に、あいまいな記憶を辿りながら振り返ってみたいと思います。なお、古い資料などはほとんど残していませんので、年次などあいまいな点が多いことは、詳細を省略することをお断りしておきます。

 着任当時は、共通科目担当者を中心に採用教員が多く、福岡大学の拡張期でした。当時の文化学科は、人文学部の外国語系学部以外をすべて含む大世帯で、その後「歴史学科」、「日本語日本文学科」、「東アジア地域言語学科」、そして「教育・臨床心理学科」として独立した分野もコースなどとして一緒でした。こうした中で、私は「地理学」担当教員の二人目として加わりましたが、三年後にはさらに増員が認められ、現在の三人体制が出来上がります。
 
 当時はマンモス大学として知られていた福岡大学ですが、人文学部では伝統的に少人数教育を謳い、文化学科もゼミを必修としていたことは、現在でも変わっていません。しかし、ゼミに関しては、割り振り、担当者の決定などでは、幾度かの変更があったように思います。以下、「地理学分野」担当の私が経験したことを、時系列的に簡単に振り返りたいと思います。

(1) 最初のころは、一年次に「外書講読」、二年次から四年時まで「文化学演習」として三年間の持ち上がりでしたが、何年間かは私はいずれも担当することはありませんでした。この時期は、他の専門科目の担当もなく、文化学科の学生とはほとんど交流はありませんでした。

(2) 次は、前と同じ開講科目の中で、一年次の「外書講読」だけを担当した時期がありました。この時には、都市地理学の英語文献を講読しました。感想としては、専門書を読むというよりは、英語の方にウエイトが置かれる傾向が強かったように思えます。 しかし、一部ではありますが、学部生との交流の機会も生まれ、ゼミコンパも経験しました。  現在と違い、この科目も当時は定期試験の対象科目でした。

(3)  そして、次は二年次から四年次までの「文化学演習」を三年間同一クラスをとして持ち上がりで担当した時期です。これには、選択ですが「卒業論文」も連動していましたので、演習の12単位と卒論の8単位の合計20単位の認定権を持つことになり、大きな責任も伴うことともなりました。この時期には二年次に希望と前年度の成績もとに「思想史コース」と「比較文化コース」に分けられました。希望のコースに進めなかった場合には不満が噴出し、保護者まで巻き込んだこともあったようです。
  ゼミでは、二年次には共通の文献を講読しながら、卒業論文のテーマを徐々に絞っていく方向で進め、三年次、四年次では、各自の卒業論文に関する関連文献の紹介や、論文の構想、論文作成の途中経過の報告などで、ゼミを進めていきました。ほとんどのゼミ生が卒論を書いたと思います。テーマとしては、地理学における典型的な地域か、各自の出身地を取り上げることを勧め、多くの場合、出身地域を取り上げる形で頑張ってくれました。この時期のゼミ生とは、在学中からかなり密度の濃い交流ができ、卒業後もその関係が続いているクラスもあり、結婚式にも何度か呼ばれ、スピーチの機会まで与えてもらったこともたびたびでした。結果的に、こうした経験ができたのはこの時期のゼミだけでした。

(4)  次は、現在の一つ前の段階です。一年次のかつての「外書講読」は「基礎演習」に変わりましたが、私は担当していませんが、二年次から四年次の「文化学演習」を担当しました。前回との決定的な違いは、三年間の全6期すべてが、例外はあるものの、別クラスとなっていることでしょう。このころからプライバシーの尊重、個人情報の保護などが強く出てきたため、クラス名簿も作成しにくく、交流機会が短いゼミ生との関係は機械的になりがちで、かなり制約があったように思えます。

(5)  昨年から採用されたもので、三年次と四年次の登録が、前後期とも同じクラスに固定されました。私は、今年は三年次、来年度は四年次を担当しますが、前回よりは多少落ち着いてゼミに取り組める環境になったと思います。定年を控え最後となります来年度の登録者の顔ぶれはどのようになりましょうか。

以上、うまくまとまりませんが、私が担当したゼミの変遷を簡単に振り返りましたが、次のようないくつかの特徴が挙げられると思います。

・かつての一年次科目の「外書講読」は試験科目であったこと。
・二年次以上の「文化学演習」が三年間の持ち上がりから、6期が別クラスに細分され、さらに三年次と四年次は通年のクラスに固定されたこと。
・最初は「思想史」と「比較文化」のコースの高い壁があったが、現在はその壁がなくなったらこと。
・ゼミクラスの振り分けの基準には、人数の均衡化を図るという観点から、希望と成績の両方が採用されていること。

 全体を通して、女子学生が多い文化学科の中で、私の関わったクラスの多くは男子学
多かったことが、特徴の一つだと思います。これは地理学が持つ性格の一部が現れか
も知れません。
 また、ゼミでの授業の進め方をはじめ、教員とゼミ生との関係、ゼミ生同士の関係などにおいては、ゼミクラスの幹事やリーダーなどを積極的に努めてくれる学生の存在が大きいことを痛感しているところです。

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