2020年9月8日火曜日

おじさんの十字架

 「教員記事」をお届けします。今回の寄稿者は、社会学の開田奈穂美先生です。


こんにちは、2020年4月に着任した開田奈穂美です。私は大学入学以降の15年ほど東京で暮らしていましたが、元々出身は長崎県長崎市(旧外海地区)です。今回は自己紹介も兼ねて、私の実家で起こったちょっとした出来事について書いてみたいと思います。

私の実家がある長崎市の旧外海地区は、長崎市の中心部から車で一時間ほどかかる場所にあります。旧外海地区の一部の集落は、2018年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連施設」として世界遺産に登録されました。世界遺産に登録された集落からは外れていますが、私が住んでいた集落にも、多様な宗教的バックグラウンドを持つ人たちが暮らしています。まず、キリスト教が禁止されていた時代から「隠れキリシタン」として密かに信仰を持ち続け、今でも独自の信仰を守っている人たち。そして明治に禁教の時代が終わって以降、キリスト教徒として教会に通っている人たち。そして隠れキリシタンやキリスト教徒を先祖に持ちながら、現在では仏教徒としてお寺の檀家になっている人たちです。

私の実家は仏教徒であり、私も隠れキリシタンとキリスト教の慣習やしきたりには詳しくありません。数年前に父方の祖父が亡くなった際には仏教式の葬儀が執り行われました。これは祖父の一周忌の法要が終わった後の出来事です。

法要とその後の会食が終わった後、すでに酔っぱらっていた私の父が、親戚のおじさん(祖父の弟で、父の叔父にあたる人です)を連れて蕎麦屋に行くと言い出しました。お酒を飲んでいない母が運転し、私やおじさんを含めて6人ほどで車に乗って蕎麦屋に行きました。しばらくしてから、父と同様にかなり酔っぱらっていたおじさんは、自分が蕎麦屋にいることに気づき、財布を持ってきていないと言って騒ぎだしました。もちろん父はおじさんに勘定を持たせるつもりはなく、ねぎらうつもりで蕎麦屋に連れてきたのでしょうが、父の意図は全く伝わっていません。彼は酔っぱらいながら必死に「ごめんなさい、すみません許してください」と言い、次の瞬間に自分の手で額に軽く触れ、その手をおへそのあたりに持っていき、さらに肩をさわり、反対の肩もさわりました。つまりキリスト教式の十字架を切ったのです。私は驚いて隣に座っていた母と顔を見合わせました。おじさんとは親戚の集まりでよく顔を合わせていましたが、十字架を切るのを見たのは初めてでした。

実は、亡くなった祖父の生家は敬虔なキリシタンの家でした。しかし祖父は自分の両親とは縁を切って若くして結婚したようです。最初の結婚でできた長女(私の伯母にあたる人です)にはキリスト教式の洗礼名があるので、その当時はまだキリスト教徒だったらしいということがわかります。しかしその後、私の祖母にあたる女性と再婚した時には棄教していたようです。このような事情があるため、祖父の葬式は仏教式で執り行われました。しかし、祖父の弟であるおじさんは今でもキリスト教徒です。キリスト教徒はこの集落で別に珍しくありませんが、神父でもない普通のキリスト教徒の人が日常の場面で十字架を切るのを目にする機会は私にはありませんでした。

起きた出来事は、酔っぱらったおじさんが十字架を切る、というただそれだけのことです。しかし、なぜその出来事が私にとって驚くべきことだったのか、そのことを説明するためには、そもそも私の故郷が持っている宗教的・歴史的な背景を踏まえていなければなりません。さらに祖父の個人史的な出来事や、それを支えていた社会情勢についても知る必要があるかもしれません。例えば、伯母と祖父との年齢差から、祖父に第一子が生まれたのは彼がわずか17歳の時のことだとわかります。祖父が生きていた時代と今現在では、学歴や結婚、仕事に対する考え方が全く違ったことは想像にかたくありません。祖父は生家と縁を切る形で独立し、しかしその後も弟であるおじさんとは交流を続けていました。この不思議な関係は、祖父個人の選択であったとともに、そうせざるを得ないような社会的・地域的な事情があったのではないかと思います。

このように、とても身近な一つの出来事を理解するために、宗教や地域、社会や歴史といった様々な知識や切り口が必要になります。逆に言えば、世界を知るのにわざわざ遠くに行く必要は必ずしもありません。みなさんは自分の家族について、住んでいる地域について、その歴史について、どのくらい知っているでしょうか?とりたてて特徴もないし、書くべきこともないというのは単なる思い込みで、単に知るきっかけがないだけかもしれません。そして、一般的には役に立たないと言われてしまいそうな学問も知識も、私たちが「自分」という枠から一歩外に出て、より深くこの世界を理解する手助けをしてくれます。実現できているかはわかりませんが、私は大学での教育を通じて、みなさんがそうした経験をする手助けがしたいと常に思っています。
長崎県長崎市旧外海地区

また、自分の研究上の関心についていえば、私は長崎県の諫早湾干拓事業について研究してきました。そこでは、ずっと当たり前に存在し続けてきた海や川のありようが変わってしまったために、人生を変えられてしまった人たちがいます。そして一部の人の生活のあり方を、元には戻らないほど変えてしまっても、地域社会は一見なにごともなかったかのように存続し続けます。一部の人の人生を決定的に変えながら、それでも社会が続いていくという意味では、今回のコロナ禍にもそうした側面があるかもしれません。この「一見なにごともなかったかのように」見える身近な場所を対象にして、そこに生きる人たちが何を考えて生活しているのか、その意味は何なのかを明らかにしていくというのが、研究者である私にとっての課題の一つであると思っています。

ちょうどこの9月の頭に、長崎県諌早市とそのお隣の雲仙市を対象としたアンケートを発送しました。これは他大学の先生方と一緒に作ったものです。手前味噌ですが、このアンケートについての新聞記事を紹介して、この記事を終わりにしたいと思います。

西日本新聞2020年9月4日長崎県版18面

朝日新聞2020年9月4日長崎県版23面


長崎新聞2020年9月4日22面






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