2018年7月15日日曜日

ヨハン・トルン・プリッカーについて(落合桃子先生)

平成30年度第5回目の「教員記事」をお届けします。 西洋近現代美術史の落合桃子先生です。今回は、日本でほとんど紹介されていない芸術家のひとり、ヨハン・トルン・プリッカーについて紹介いただきました。



ヨハン・トルン・プリッカーについて

落合桃子(美術史

 西洋美術史の中には、まだ日本に本格的に紹介されていない多くの芸術家がいます。このブログ記事では、19世紀末から20世紀前半にオランダとドイツで活動したヨハン・トルン・プリッカー(Johan Thorn Prikker, 1868-1932)をご紹介します。
 プリッカーは1868年6月6日にオランダ西部、北海に面した都市デン・ハーグに生まれました。父親のヘンドリック・フィリップスは画材店を営むかたわら、壁画やガラス工芸の仕事を行っていました。プリッカーは1881年から87年まで同地の美術アカデミーで学び、画家としての活動を始めます。初期の頃は、ナビ派や新印象主義の影響が感じられる油彩画や水彩画、パステル画などを描いていました。
 1893年にベルギー・ブリュッセルの20人会(レ・ヴァン)展に出品した《許嫁》(クレラー・ミュラー美術館)はよく知られた作品の一つです。淡い水色を基調とした画面の中に、後ろ姿の花嫁が描かれており、その傍らに十字架に架けられたキリストの姿が見えています。花嫁の衣装を飾るチューリップや蘭の花のモチーフなどに、当時流行していたアール・ヌーヴォーの影響が見られます。この時期には家具やテキスタイルなどのデザインも手掛けています。
 1904年にドイツ西部のクレーフェルトに引っ越し、1914年にはドイツ国籍を取得します。この頃より壁画やステンドグラス、モザイク画を数多く制作しています。主な現存作例に、クレーフェルトのカイザー・ヴィルヘルム美術館の壁画《人生の諸段階》(1923年)やロッテルダム市庁舎「市民の間」壁画(1926/27年)などがあります。その他、デュッセルドルフやケルン、その周辺の街には、プリッカーの手掛けたステンドグラスや壁画が多く残されています。クレーフェルト、ハーゲン、ミュンヘン、デュッセルドルフ、ケルンの工芸学校や美術アカデミーで教鞭を執り、1932年5月5日、ケルンにて63年の生涯を閉じました。

 
(写真:デュッセルドルフのクンストパラスト美術館のステンドグラス、1926年設計)

 プリッカーの回顧展が2010-11年にオランダ・ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館とデュッセルドルフのクンストパラスト美術館で開催されています。いつか日本でもプリッカーの全貌が紹介される日が来ることを期待しています。

(写真:プリッカー回顧展のポスター)

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