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2017年7月23日日曜日
LC哲学カフェ開催:ギリシア神話で哲学する
7月10日(月)の夕方、本年度第三回目のLC哲学カフェが開催されました。はじめての試みとして、今回の題材はギリシア神話。タイトルは「娘よ、ギリシアのためにおまえを生贄に?――ギリシア神話で哲学する」。
メイン・タイトルは、エウリーピデース(古代ギリシアの作家)作の悲劇『アウリスのイーピゲネイア』の、次のようなアガメムノーンのセリフを踏まえたもの。「望もうと望むまいとギリシアのためにおまえを犠牲にしなければならない。/これに逆らう力は無い。ギリシアは自由でなければならない。/そのために、娘よ、おまえと私は力を尽すのだ」(高橋通男訳)。
参加者は学生さんが7名と教員が2名。前半は、このエピソードの内容についての確認や、違和感を覚えるポイントなどの話が中心。アガメムノーンはギリシア軍の総大将。兵士たちは、娘を犠牲にするような人間についていきたいと思うのか。逆に、私情を捨てて全体を優先する姿が総大将にふさわしく、頼もしく見える……?
しかしそもそも、女神アルテミスが怒った原因は、アガメムノーンがアルテミスの鹿を殺したから。自分の罪の償いのために娘を犠牲にするのは許されるのか。いやその前に、戦争の原因は、パリスが人妻のヘレネーを誘拐したこと。結局、すべてパリスが悪い。しかし、パリスがヘレネーを手に入れたのは、女神アプロディーテーの助けによるもの。アプロディーテーがそんなことをしたのは、黄金のりんごを手に入れるため。そのりんごを持ってきたのは女神エリスで、そしてエリスがそんなことをしたのは、結婚の披露宴にエリスを招待しなかったから。結局、エリスを招待し忘れた人が悪い……?
カタカナの名前ばかりでわからない、という嘆きの声も聞かれる中、「つっこみどころ満載」、「むしろ、つっこみどころしかない」などの感想も。
後半は一挙に、話題が様々な方向に展開。娘を犠牲にしてより多くの人々の利益を優先する、という話から、トロッコ問題やサバイバル・ロッタリーの議論へ。その他、最近の人工知能をめぐる問題、歴史は繰り返すのか一回限りなのか、不老不死の是非、ヴァーチャル・リアリティ、ユーコン川をカヌーで下る話、等々。何ら話がまとまる気配のないまま、いつものように六時のチャイムと共に、強制的に終了となりました。
マンガを題材にするのと比べて、聞きなれないだろう名前も多く、ややハードルは高かったかもしれません。登場人物や物語についての説明など、もう少し工夫が必要だったかもしれない、と反省しつつ、いずれどこかのタイミングで、この手の題材もまた扱ってみよう、と企んでいます。
さて、いよいよ定期試験も間近。その後には夏休みが待っています。哲学カフェも一旦お休みして、また夏休み明け、9月末頃から再開の予定です。引き続き、このブログ上で告知しますので、乞うご期待。次回はあのマンガ作品を……?
なお今回、ギリシア神話のストーリーに関してはブルフィンチの本を参照しましたが、物語の細部について、また違ったヴァージョンもあります。興味のある人には、ホメロスの叙事詩(『イリアス』と『オデュッセイア』)やギリシア悲劇などがおすすめ。長い夏休み、ぜひ古典に挑戦を。
参考文献:
『ギリシア悲劇全集9』、岩波書店、1992年
トマス・ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話(下)』、大久保博訳、角川文庫、2004年(増補改訂版)
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